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春霧記  作者: 信崎架恋
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李楽

春雷だ、と思い顔を上げると眉間に氷の粒が勢いよく落ちてきた。山の頂付近の野原に1本、杉の木が立っていたが、避雷針になるのを恐れて、桜はそこから少し離れた泰山木の下に避難した。肩の上であまり動かない火鼠を庇うように、手のひらで覆いをつくってやる。濡れるのは嫌なのだろう、襟の中までもぐりこんでいる。

 香食から譲られた火鼠は、もともと弱っていたところを香食が売り払うために連れ帰ったのだそうだ。なんでやつだ、と白檀が言うと、こうして役立ってくれてよかったなどとのたまっていた。反省の気はゼロである。とはいえ火鼠の毛艶は良く、体も健康そのものだったのでそれなりに可愛がっていたのだろうと思うとやはり根っからの悪人ではないのだろうとも思う。以前妖術をふっかけられたとしても。


 その時、軽く地面を蹴る鹿のような足音が聞こえたかと思うと、急に桜の真横に誰かが逃げ込んできた。

「霰が降るだなんて!思わないでしょう、こんな日に。龍神様のおでましね。」

 彼女はそう言って肩越しに振り向くと笑って見せた。1枚の布を腰紐で留めたような簡素な、南国を思わせる衣装を身に纏い、寒さを凌ぐためかその上にもう1枚布を羽織っている。足元はちょうど布の端なのか大きく切れ目になっており、長くしなやかな脚が晒されていた。艶やかな波打つ黒髪は質量を持ち、背中に垂らされている。声質はよく通る、明るい華やかな声だ。

人以外のモノとはよく出会うけど、という彼女は人間に会うのが随分と久しぶりだったらしく、桜がどこに住みどこへ向かっているのか、しきりに聞きたがった。

 「人と話すのは楽しいの。いろいろな表情があって、理解できないこともあるけど人ってほら、純粋じゃない?表情もよく変わって可愛いわ。貴方はずっと驚いているのね!」

桜はどう接するのが正解か考えあぐねていたが、小鬼や河童よりずっと意思の疎通が出来そうだったので、普通に人と同じように話しかけることにした。

 

 「貴女はどういう...方なのですか?」

 

 しまった初対面のヒトに聞くことじゃなかった、いや彼女は人では無いのだからどういうモノか聞くのは無礼という程でもないかもしれない、と1人慌てていると、彼女はあっそうよね、と言い、黒い大きな目で真っ直ぐ桜を見つめた。

 「私は李楽。人の感情なの。楽しい、とか嬉しい、あとは恋とか驚き。」

 「感情...」

 感情なの、と言われてあぁそうだったんですね、となれる程その世界に馴染めていない。戸惑っていると彼女は気にする素振りも見せず喋り始めた。曰く気がついたら存在していたという。そして自分はこの世のいくつかの「感情」であることは理解している。悲しみや怒りを感じることは無いのだという。悲しみや怒りの存在は知識として知っている。

 「私、心の中には色が見える。貴方は白。」

 それから李楽は桜の顔を覗き込むように顔を寄せた。

 「何色にも染まってないとかじゃなくて、うーん...白色、なの。あら?可愛い!ふふ、こんにちは!貴方のお友達ね?」

 李楽は桜の肩に乗っているものに向かって話しかけた。そういえば名前を決めてやれ、と白檀に言われていた。

 「こいつ、最近俺のところに来たんだけどまだ名前もないんだ。」

 たまに火の中で遊ばせてやる以外、特にこれといって世話してやる必要はなかった。なんでも食べるし、寝る時も桜の布団の横に用意した丸めた布の中で勝手に寝ている。ただ桜のことは気に入っているのか、自分から肩に登ってくることの方が多かった。今日もそうだった。

 「ふうん?この子は柘榴よ」

 「えっ名前が?」

 「違うわ!色よ!」

 李楽はあははと笑いながら言った。火鼠の心の色(?)まで見えるとは思わなかった、と言うと植物や動物も例外じゃないのよと微笑んだ。当の本人は鼻をひくつかせるだけだった。

 話し込んでいる間にも霰は泰山木を通過して二人と一匹の上に降り注いでいた。遠くに二度、近くに一度雷が落ちた。李楽は雷の閃光を眺めながら楽しそうにしていた。

 「雷って好きなの。音も光も、どきどきして踊りたくならない?」

 そう言って李楽は木の下から走り出ると、柔らかな草の上で踊り出した。健康的な長い手足が空を舞い、艶やかな黒髪も背中をしゃらしゃらと流れた。彼女の踊りを見ていると、泣くのを我慢しているわけでもないのに喉が痛くなってきた。

霰はいつの間にか小雨になり、午後の光を受けきらきらと輝いた。雷もいつの間にか遠のいたらしい。それでも李楽は雨が上がるまで楽しそうに踊り続けた。桜も李楽が満足して踊りを終えるまでその場に留まった。雨上がりの丘で踊る彼女はとても綺麗だ、と思った。

 やがて肩で息をしながらその場に倒れ込んだ彼女は、そのうち虹が出るわ、と愉しそうに笑った。

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