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春霧記  作者: 信崎架恋
1/5

春の怪

やわらかい嵐がきた。まだ鶯の声も聞こえない。

 

桜はどくだみを葉を摘むために境内へ出ていた。麻の着物の裾が肌をかすめ、手に持っていた籠からいくつか葉が溢れる。生ぬるい風がそこかしこで渦巻き、草木を乱暴に薙ぎ倒していた。地面から抜け出るのではないかと案じる程の強風に、竹藪も熊笹の茂みも椿の枝も、ざわざわとやかましく葉の擦れ合うを立てている。ひそひそとなにか話す声も混じっている。空からは轟轟と低い音が鳴った。

「おおーい。摘めたら持ってきてくれ。」

廃寺の中から誰かが|桜を呼んだ。落ち着いた低い男の声だ。先程の密やかな声のした方向を一瞥すると、桜は廃寺へ足を向けた。

 

 桜が中へ入ると、声の主は奥の壁に寄りかかりながら乾燥させたドクダミを薬研ですりおろしているところだった。何も言わずに手をこちらに差し出す。ざるをよこせ、と言うことだろう。

 彼の薬はよく効くらしい。強風も寺中まではこず、野草の濃い匂いはそのまま辺りに漂っていた。

「春の嵐だよ。」

男は手渡したザルの中身をしげしげと眺めながらんん、と気のない返事をする。乳鉢と薬師、ざるや何かの実などは胡座した膝の上や彼の目の前に散乱し、辺り一面に散らかっていた。

 「桜が咲くにはまだ早いはずなのに、向こうの村では咲いてるって。さっき小鬼が話してた。」

櫻のぼやきに白檀はふと動きを止めて目を向ける。

「小鬼は何処に?」

「ここを出て右のいちばんでかいナツメの木の上。洞になってるとこに3匹集まってたよ。」

「ちょっと話を聞いてこよう。」

 白檀はそう言って立ち上がった。乳鉢がどん、と板間におちる。ばらばらと乾いた茎や葉も落ちた。

 「南の方ではもう咲いてるかもしれんが、桜前線が来るにはまだ早すぎる。」


 戻ってきた白檀は眉間に皺を寄せていた。元の場所に戻り胡座をかき、腕を組み右手を顎の下に当てる。そのまま自らの下唇を親指と人差し指ではさむ。考え込む時の白檀の癖だ。主に探し人のことを考えている時の。

 「人や獣をさらう奴らはたくさんいる。囚われたものは死ぬ場合が多いが、殺す意思がなければ生きているものもある。」

白檀は顔を上げて桜を見た。

 「行ってみよう。望みのものが得られるかもしれない」


 次の日。

「何してる?早く行くぞ。」

 嵐はやんでいる。

 麗らかな陽気でも風はまだ冷たい。その涼やかさがちょうど良かった。

 「離れるんじゃないよ。ここのモノに無礼があってはならないからね。」

 正直、何が無礼になるのか分からない世界だ。桜は大人しく白檀の後に続いた。

 村の入口から川沿いに、山へ向かって歩くと村の奥へと続く道になる。谷間にある小さな村だ。地面から生えたばかりの柔らかい草が鮮やかに揺れている。足元から土手の下に目線をずらすと、さらさらと音を立てて川が流れている。水面が光を受けて輝いている。柔らかい草木の匂いと日の匂い。

 やがて塀に囲まれた家屋が現れると白檀が立ち止まった。

 塀の切れ目の門の前に人がたっている。

「ちょいとここで待っていてくれ。」

 白檀は人の方向へ歩いていった。道を聞くつもりなのだろう。見渡す限り、ここに桜の木はない。

 白檀はあまり教えてくれない。自分から説明するようなことをしないだけで聞けば答えてくれるかもしれないが、桜もそんな白檀に慣れ、察する能力に長けるようになっているのかもしれない。


 「ねぇ」

 桜がぼんやりと考えこんでいると、鈴のなるような声が耳に入った。

 声のする方を向くと、6、7歳程の少女が立っていた。ただ、髪は雪の如く真っ白な色をしている。柔らかなうねる癖毛を方まで伸ばし、大きな黒い目でこちらを見つめていた。

 桜が呆気にとられていると、少女は桜の手を取った。

 「こっちきて」

 「あ、まって俺、ここから動いたら」

 「いいから」

少女は村の奥、山の方へと進んでいく。突き当たりの塀の左手に橋がかかっている。少女は桜の手をひいたまま橋を渡った。橋を渡ると塀に囲まれた家は一、二軒しかなく、あとは獣道に続いていた。少女は藪の中を迷いなく進んでいく。

 やがて開けた場所に出た。

 「...」

 桜は目の前の桜の巨木を見つめた。満開である。桜が呆気にとられている間にも少女は桜の木の下まで歩んで行った。

 「あれ」

 少女の指さした先に、つたの絡まりあった球状の塊があった。桜色の中にひどく目立つ。

「あれは邪魔。とって。嫌がってる。」

 「嫌がってるって、桜が?」

 「そう。」

「村の人に頼んだ方が良くないか?親は...」

「村の人は助けてくれない」

 少女は上目遣いにじっと桜を見上げている。

 「ほぉー、見事なもんだね」

 うわあっと声を出して振り返ると、すぐ後ろに白檀が立っていた。

「あれは良い宿り木だね。少しもらって帰ろう。」

 「宿り木...あれ、あの子は?」

 「何?」

 白檀に目線をやり、少女の方へ向き直るともう誰も立っていなかった。

 「いや、女の子が...」

 白檀に少女のことを話す。

 「へぇ...君を気に入ったのかもね。頼まれたのなら、きみがとるといい。」

 「え、俺!?」

 「私は木登りなんてしたことないからね。」

 木登りで取るのか、そこは原始的だと桜が思っているうちにも白檀はほらほらと急かしてくる。仕方なく桜の巨木に足をかけ、件の宿り木の元まで向かった。思っていたより地面が遠い。

 「むつか、しいな...」

 複雑に絡まっていて取れたものでは無い。ぐ、と力を入れて向こう側へ枯れ木の塊を押した途端、桜の体が傾いた。

 

 落ちた、と思ったが衝撃はなく、恐る恐る目を開けると不思議な場所にたっていた。一面霞みがかって明るい。仄かに甘い匂いがする。

「あ、」

 そばにあの少女が立ってこちらを見上げている。「あの、ごめん。取ろうとしたんだけど...」

 「ううん。もう大丈夫。」

 少女は初めて花が綻んだような可愛らしい笑顔をうかべた。

 「楽になった。ありがとう。」

 遠くからかすかに鈴の音がした。

 鈴のなる方へ踏み出すと、急に足が土を踏んだ。

 「おかえり。」

 白檀は片手に鈴を携えていた。

 「...ただいま。」

 桜はいつの間にか両手には宿り木を抱えていた。

 

「千年桜って聞いたことあるだろう。千年生きた桜が妖になったものだ。今回みたいに人を隠したり、あとは血を吸ったりとたまに厄介だったりもする。」

 白檀が話した。

「植物も千年生きたりするんだな。」

「普通はそんなに生きない。だから妖になるんだ。」

 白檀は諭すように言った。

「中途半端に俺たちと関わってるお前みたいなやつが一番危険だ。用心しなさい。」

 誰のせいで、と思うが助けて貰った恩がある。今も、昔も。

 桜は手の中の宿り木を弄びながら考えていた。千年桜に囚われている事を淡く期待していたが、今回も白檀の探し人を見つけることは出来なかった。

 「まぁ、あまり期待はしていなかったからね。身内がそうしょっちゅう桜の木の中にいるってのもね。」

白檀は桜の考えを見透かしたように言うと、ふふと笑った。からかわれたことにむっとしながらも、身内と言われたことが少しうれしい。

 その時、ごうと音を立てながらおろし風が吹き、山の上から桜の花が数枚ひらりと舞い降りてきた。君に対する御礼かな、と白檀がいった。


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