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第十三話「それぞれの帰路」

蝉の声が、遠くで揺れていた。

淡い夏雲が、のろのろと空を横切っていく。


――あの夜から、もう一週間が経っていた。


日陰は勢いに任せて、美晴を花火大会に誘った。

勇気というより、感情の波に押し上げられて、口から先に出てしまった言葉だ。

思い返すたび、顔から火が出そうになる。


「ん〜!考えておくよ〜!」


あのときの美晴は、心から楽しそうに笑っていた。

だからこそ、余計に残る。


返事は『考えておく』のまま。

結論のないまま、ただ時間だけが進んでいった。


笑顔だけが、やけに鮮明に焼きついて離れない。

声も、仕草も、あの夜の空気までも。

全部が記憶の中で静かに燻り続けている。


そして今日も、美晴は相変わらず笑っている。

いつものように明るく、何事もなかったかのように。


――それが、逆につらかった。


(……そろそろ、返事してくれよ)


胸の奥で問いかけても、言葉は喉の手前で止まる。

返事を聞けばいいのに、聞けない。


それでも、彼女が普段通り変わらず笑ってくれることが、どこか救いでもあった。

このまま曖昧なままでいいのかもしれない――いっそなかったことに。

あの夜の出来事なんて、夢だったんだと勝手に片づければ、自然と恥ずかしさも薄まるし、少しは楽になれる気がして。


日陰は窓の外へ視線を逸らす。

真昼の光が、どこか白々しく、現実だけを際立たせていた。


---


時刻は、午後一時を少し過ぎたころ。

廃校の教室には、斜めに差し込む陽射しが、机の上に柔らかな影を落としていた。


風が通り抜け、夏草の青い匂いを運んでくる。

木の床を踏むたびに、乾いた音が小さく響いた。


机の隅には、昨日の食べ残しのスナックの袋。

その隣には、今日買ってきたばかりのジュースと駄菓子の袋。

同じような包装の『残り』が、ここ数日ぶん、端に寄せられている。

毎日少しずつ増えていった痕跡だ。

開け口だけが半端に開いたまま、誰かの手の温度をまだ覚えているみたいに見えた。


ギシ、と椅子が控えめに鳴る。

五人は机を囲み、それぞれのノートを広げていた。


ペンの走る音。

ページをめくる音。

誰かが消しゴムを転がして、コツ、と止まる音。

それらが混じり合って、ひとつの『夏の午後』のリズムを刻んでいる。


本来なら、とっくに静まり返っていたはずの教室。

けれど今は、何日もここで過ごしたせいか、空気の方がすっかり馴染んでしまっていた。

窓から抜ける夏風がカーテンをふわりと持ち上げ、その向こうで草がざわめいている。

そのざわめきが、教室の沈黙に薄く混ざっていく。


「花火大会まで、あと一週間!今日も気合い入れていくぞーっ!」


亮の声が、明るく空気を弾ませた。

少し空回りしているのに、毎回それで助かっている気がする。


「ふふっ、ほんと、もうすぐだね」


星奈が袖をくるくるとまくりながら笑い、

翔子はノートの角を揃えながら、静かに頷いた。


日陰は、ふと美晴に視線を向けた。

彼女は下敷きをうちわみたいにして、ぱたぱたと仰いでいる。

頬に手を当て、日陰はゆっくりと視線を落とした。


次の瞬間、パンッ、と軽快な音が響いた。

亮が勢いよく立ち上がる。


「そうだ!ちょっと、いい?」


「ん?」


日陰が顔を上げる。

星奈も美晴も手を止め、翔子もペン先を宙で止めた。


「どうしたの?」


星奈が首を傾げる。


「いや、ふたりにちょっと相談があってさ」


亮はにやりと笑い、二本の指を立てたまま――日陰と翔子を順番に見た。


「「え?」」


ぴたりと揃うふたりの声。

翔子は一瞬だけ瞬きをして、自分を指さすみたいに視線で確かめる。


「……私?だよね?」


「そうそう。日陰もな」


「なんだ……?」


日陰も戸惑いながらノートを閉じ、椅子を引いた。


亮は満足げに頷き、席を離れて教室の引き戸を開け放つ。

真っ白な廊下の向こうから、夏の光が差し込んでくる。


「なに〜?内緒話〜?」


美晴が、いつものように笑って言う。


「まぁまぁ〜!!」


亮は手をひらひら振ってごまかし、日陰と翔子を外へ促してから、最後にガラガラと戸を閉めた。


ふわりとカーテンが揺れる。

残された教室には、星奈と美晴のふたりだけ。


――その空気が、ほんの少しだけ、変わった。


---


廊下に出ると、白く焼けた陽光が古びた壁を照らしていた。

蝉の声が遠くで響く。

開け放たれた窓から湿った風が吹き抜け、空気をゆるやかに撫でていく。


三人の足音が、静まり返った廊下に控えめに響いた。


「……なあ」


先に口を開いたのは亮だった。

歩みを止め、振り返ったその顔には、覚悟を決めたような光がある。


「ここ数日、ちゃんと考えたんだけどさ……俺やっぱ、星奈さんと二人で行きたいんだ。花火大会」


突然の言葉に、日陰は瞬きをし、翔子は小さく肩を揺らす。


「もちろん、みんなで行くのも絶対楽しいと思ってるよ?でも……今、この気持ちは今言わなきゃ、きっと後悔すると思った」


照れ隠しの笑みの奥で、亮の瞳は真っ直ぐだった。


翔子は、反射みたいに唇をきゅっと結ぶ。

亮の声の震えと、言い切った最後の息。――それが、妙に本気で。


(……そっか。亮くんは、星奈のこと……)


胸の奥が、ひとつだけ沈んだ。

驚きと、納得と、遅れてくる痛みが、同じ場所に重なる。


日陰は壁際へ視線を逃がし、眉間に皺を寄せたまま口を開いた。


「てことは……俺と翔子さんだけってこと?」


「まぁ……そうなるな。悪い」


亮が短く頷くと、日陰は眉根を寄せる。


「……翔子さんは、嫌だろ。俺と二人じゃ」


ぽつりと落として、ため息みたいに続ける。


「だったら……花火大会、みんな別行動ってのも、ありだよな」


一瞬、空気が止まる。

蝉の声だけが、廊下の白さに貼りついた。


だが――


「……ぜ、全然……嫌じゃないよ。むしろ……。二人でも……私は」


翔子が顔を上げる。

揺れる視線のまま、それでも言葉を絞り出した。

頬はうっすらと赤く、唇が微かに震える。


「え?なんで……?」


日陰はきょとんと首を傾げる。

その無垢な反応に、翔子の肩がわずかに震えた。


――伝わってない。


胸の奥で、さっきの勇気が音もなくしぼんでいく。

翔子は俯き、唇を固く結んだ。


日陰の顔には、何もない。

困ったようでも、照れたようでもなく、ただ『理由が分からない』という表情。

それが残酷なほど、翔子の胸を締めつけた。


亮が眉をひそめる。


「お前……」


「え?俺、なんか変なこと言ったか?」


悪気のないまま返す日陰に、亮は深く息を吐き、わざと明るく言い切った。


「……ま、いいや!俺はもう決めたし!星奈さんと二人で行く!お前らとは一緒に行きませ〜ん!」


空気を入れ替えるような声色に、日陰は肩をすくめて小さく笑う。


「……なんでそんな自信あるんだよ。断られたらどうすんだ」


言いながら、自分の不安が言葉に混じるのを自覚する。


「断られること想定して挑むやつなんていねーよ!」


(いや、想定しとけよ……)


内心で突っ込みつつ、その真っ直ぐさに少しだけ憧れた。


ふと横を見ると、翔子はうつむいたまま動かない。

肩がほんの少し沈んで見えるのを、日陰は連日の勉強会のせいだと勝手に決めつけた。


(…疲れてるのかな)


気遣うように目を向けた――自分の一言が刺さっているとは、露ほども思わずに。


「じゃ、俺は満足したし!戻ろうぜ!」


亮がひょいと背を向けて歩き出す。


その背中を追い、日陰も歩きかけて――隣の翔子を振り返る。


「……翔子さんも、行こ?」


呼びかけに、翔子は小さく頷き、そして――微笑した。


その笑みには、どこかに薄い諦めの色が滲んでいる。


三人は並んで歩き出す。

午後の光が差し込む廊下を、蝉の声が静かに包んでいく。


その光の中で、翔子の影だけが――ほんの少し、淡く揺れていた。


---


日陰たちが教室を出た瞬間、

静けさの中に、かすかな緊張がすべり込んできた。


星奈と美晴。

翔子の席を挟んで斜め向かいにいる二人のあいだで、さっきまで笑い声を支えていた空気だけが、ふっと手を離されたみたいに沈む。

窓の外では蝉の声が続いているのに、その音さえ遠く感じる。


美晴は下敷きをゆっくり扇ぎながら、ぼんやりと宙を見る。


「……何話してんだろうね〜」


明るさを装った声。

けれど、どこか遠い。


星奈は小さく笑って「そうだね」と返しつつ、その表情をそっと窺う。

やさしい視線の奥に、探るような真剣さが宿っていた。


短い沈黙のあと、星奈は息を整えて口を開く。


「……ねえ、みっちゃん」


声音は穏やか。

けれど、決めたみたいにぶれない。


「ん?なあに?」


美晴が首をかしげる。

冗談めかして肩をすくめた。


「もしかして星奈ちゃんも、内緒話したかった〜?」


軽口。

けれど、どこか牽制にも聞こえる。

星奈は微笑んだまま、視線だけをまっすぐ向けた。


「ううん。ちょっと、聞いてみたくて」


「ん〜?」


小首を傾げる美晴に、星奈はそのまま投げる。


「……みっちゃんは、日陰くんのこと、どう思ってるの?」


下敷きの風が止まった。

ぱたりと膝に落ちる。


「……え?」


わずかに裏返りかけた声を、笑みに変えて答える。


「ど、どうって……そりゃあ……友達、だよ?大切な」


笑顔は崩さない。

けれど、目の奥の色がほんの少しだけ薄くなる。


星奈はそれを見逃さない。

だから、もう一歩だけ踏み込む。


「……ほんとに、花火大会行かないの?」


美晴は視線をそらし、頬をかきながら曖昧に笑った。


「ん〜、ちょっと考え中〜かな……」


「……予定、あるんだよね?」


星奈が少しだけ食い下がる。

美晴は一瞬きょとんとして、思い出したように手を打つ。


「あ、そうだ。予定、あるんだった。だから……行かない、かな」


声は明るい。けれど、どこか軽すぎる。

数秒の間のあと、小さく付け足す。


「……でも、早く終われば……行けるかも……な、んて」


星奈はふっと眉を寄せた。

胸の中で違和感がふくらむ。

それでも追及はしない。

少し身を乗り出して、声を柔らかくする。


「……じゃあ、もし行けたらなんだけど」


「ん?」


「そのときは、私と亮くんと三人で行かない?」


「えっ……?」


美晴の瞳が少し大きくなる。

星奈はゆっくり続けた。


「その代わり――ちょっと協力してほしいの。翔子が日陰くんと二人になれるように」


美晴はぱちぱちと瞬きを重ね、数秒遅れて息を呑む。


「……あ、翔子ちゃんって……もしかして日陰のこと……?」


星奈は真剣な眼差しのまま、そっと頷く。


「うん」


短い静寂。

美晴の表情に、小さな棘みたいな影が走る。

けれど、すぐに明るい声を引っ張り上げた。


「うわーー!それは応援しないとだね!!日陰と翔子ちゃんをくっつけよー!」


元気な美晴、そのものの声。

だが、無理に持ち上げた明るさが、ほんのわずかに滲む。


星奈はわずかに目を瞬かせた。


「……ほんとに?」


問いかける声には、さっき自分が切り出したことへの微かな罪悪感が混じっていた。

けれど、美晴の笑顔を見て、その躊躇は少しずつ溶けていく。


「ほんとほんと!任せてよ〜!応援担当、張り切っちゃうからっ!」


そう言って笑う美晴の目の奥で、淡い霞が揺れる。

それでも――その笑顔は、優しかった。


---


ガラガラ、と扉が開いた。


蝉の声に混じって、熱を含んだ午後の空気がふわりと教室へ流れ込む。


「ただいまーっと」


先頭の亮が軽い調子で戻ってくる。

少し間を置いて、日陰と翔子が続いた。

廊下の白い光に照らされていた三人が、また教室の影へ溶けていく。


「おかえり〜!……って、ほんとに何の話してたの〜?」


美晴が何でもないふうを装って声をかける。

手元の下敷きはぱたぱたと軽い。

けれど口元の笑みだけ、どこか置き場を探している。


「内緒ー!!!」


亮が即答すると、美晴はぷぅっと頬を膨らませた。


「ずる〜い!私も混ざりたかったのにー!」


「まぁまぁ!」


亮は笑いながらかわして、自分の席へどさっと腰を下ろす。


その一方で――

翔子は自分の席の前で立ち止まり、机に指先を置いたまま、ほんの数秒動けなかった。

それから一度だけ、日陰の方へ視線を送る。


正面からは見れない。

気づかれたくなくて、黒板の方を見るふりをして――その端で、そっと。


日陰は美晴を一瞥して、すぐに視線を外した。

開きかけたノートへ落とす。

ページの端を押さえる指が、わずかに強くなる。


沈黙は短い。

けれど、その短さがかえって目立った。


「……さて」


星奈が少しだけ声を張って、机の上の問題集を整える。

紙の角が揃う音が、空気を切り替える合図になる。


「じゃあ続きやろっか」


「よっしゃー、頑張ろー!」


亮の声が跳ねる。

たったそれだけで、教室の空気がふっと戻る。


「じゃあ私、今日もみんなに風送る係がんばるよ〜!」


美晴が冗談めかして笑い、下敷きをもう一度ぱたぱた鳴らす。

さっきまで張っていた何かが、ふっと緩むみたいに――その笑顔が少しだけ柔らかくなった。


ペンが紙を擦る音と、ページをめくる音。

そこへ亮の声が弾んで混ざり、教室の空気がまた動き出す。


翔子は目線を落としたまま、ペン先だけが紙の上で迷っている。

星奈は笑って頷く。

その笑顔が、さっきより少しだけ浅い気がした。

亮はいつも通りうるさい。けれど今日は、その『いつも通り』を自分で押し出してるみたいに聞こえる。


――それで、また美晴を見てしまう。


美晴は天井を見上げたまま、鼻歌をふわっとこぼす。

相変わらず下敷きをぱたぱた鳴らしながら、みんなに風を送っていた。


胸の奥が落ち着かない。


(……花火大会……)


だが日陰はペンを握り直して、視線をノートに落とす。

カリ、とペン先が紙を引っかく音がして、やっと手が動き出した。

文字を書きながら、日陰は自分の呼吸が少しだけ浅いことに気づく。


---


時刻は午後六時を回り、教室には昼の熱がまだ薄く残っていた。

窓の外は紫がかった橙に沈み、傾いた陽が床へ淡い帯を落としている。

机の脚の影が斜めに伸びて、ゆっくり位置を変えていった。


蛍光灯は点かない。

残光だけを頼りに、五人は手元を片づけはじめる。


「ふぅう。今日も、よくやったって感じだなー」


亮が大きく背伸びをして、肩を鳴らす。


「うん、お疲れ様。もう少しだね」


星奈は問題集をトントンと揃え、角をきっちり合わせた。


後方の机の上には、開け口が半端なままの菓子袋と、飲みかけのペットボトル。

休憩のたびに増えた匂いと、指の跡が残っていた。


ただ、美晴はいつも通り、何も口にしなかった。

もう誰も理由は聞かない。

けれど――休憩の輪の中でお菓子の袋が回って、笑い声が弾むたび、その輪郭だけがほんの少し、外に押し出されたように見える瞬間があった。


「じゃあ、そろそろ解散する?」


日陰がノートを閉じると、みんなも小さく頷く。


椅子を引く音。

鞄のファスナーが閉まる音。

一日の終わりを告げる小さな音が、教室に重なっていった。


---


やがて五人は教室を出て、廃校の門の前に集まった。

紫と黒のあいだをさまよう空。

陽はもう沈み、残り火みたいな薄紫が校舎の輪郭をなぞっている。

涼しい風が頬を撫で、葉擦れの音と、遠くの蝉が細く混ざった。


「……じゃあ」


亮が声を上げ、日陰と翔子にさりげなく目配せする。

二人が思わず目を丸くしたのを確かめてから、星奈へ向き直った。


「星奈さん。話したいことがあってさ……よかったら、二人で帰らない?」


「えっ……あ、うん……?」


星奈の視線が、反射みたいに翔子と美晴へ滑る。

美晴は坂の上へ指をやって、にこっと笑った。――「私は別方向だからね」と、言葉にしないまま置いていくみたいに。


(これで……翔子と日陰くんが二人になれる?)


星奈は唇をきゅっと結び、いったん美晴に小さく笑い返してから、翔子を見る。


「翔子、大丈夫?」


「……う、うん」


翔子はわずかに戸惑いながらも、小さく頷いた。

頷いたあと、唇がかすかに開いて――すぐ閉じる。

亮と星奈はそれ以上待たず、並んで歩き出した。


「じゃ、じゃあね〜!」


星奈がぎこちなく笑って手を振る。

亮は振り返りざまに親指を立て、日陰たちへ満面の笑みを投げた。


亮の背中を見送りながら、日陰は眉をひそめた。

呆れているはずなのに――胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。

ああいうふうに、踏み込めたら。

そんな考えが遅れて浮かんで、日陰は唇を噛んだ。


翔子は、その背中を無意識に追いかけようとして――追わなかった。

いつもなら四人で、同じ方向へ流れていくはずの帰り道。

その流れがふいに途切れて、胸がきゅっと苦しくなる。――なのに、同時に、ほんの少しだけ期待が湧き上がった。


(……二人で、帰れる……?)


そう思った瞬間、嬉しさが喉まで上がってきて――すぐに冷たいものに押し戻された。

日陰は、美晴の方を振り返っていた。

自分のことなんて、視界に入らないみたいだ。


翔子は唇を開きかけて、音にできない。

足先も、ほんのわずか前へ出たところで止まる。

ショルダーバッグの紐を握る指だけが、ぎゅっと強くなる。


日陰の横顔に視線を滑らせて、すぐに落とした。


(……期待しちゃ、だめだ)


胸の奥に、小さなため息が沈む。


(私じゃ……)


芽生えかけた希望が、指の隙間からこぼれそうになった――そのとき。


「あーーー!!!私、早く帰らないとー!!!」


美晴が唐突に声を張り上げ、亮と星奈とは反対側の道を指す。

わざとらしいくらい大きく、両手を振った。


「じゃ!お二人とも、お気をつけてね〜!!」


弾ける声といっしょに、くるりと背を向ける。

早足で、迷いなく。

小さな背中が、あっという間に遠ざかった。


「あ、おい……!」


日陰が思わず呼ぶ。

けれど美晴は振り向かないまま、闇の縁へ溶けていく。


「えっ……あ……ば、ばいばいっ……!」


翔子は慌てて手を振った。

声が少し裏返る。


そして――門の前に残ったのは、二人だけ。


薄い闇がにじみはじめる。

風が抜け、蝉の声が遠くで細く続く。

静かで、少し涼しくて。

なのに胸の奥だけが落ち着かない。


夏の終わりの、短い余白みたいな夜だった。


---


先ほどの勢いとは一転、人通りのない坂道をひとり登る足取りは、どこかゆったりとしていた。

風が抜けるたび、さっきまでの笑い声だけが遅れてついてくる。


「ふぅ……」


長く吐いた息のあと、笑みがこぼれた。

自分で自分を褒めるみたいに、少しだけ胸を張ってみせる。


「我ながら……とっても上手に翔子ちゃんをサポートできたのでは!?」


言って、笑って。

そのまま勢いで歩けたらよかったのに、足がだんだん遅くなる。

やがて、ぴたりと止まった。


「……これで、いいんだよね」


誰にでもなく、確認するみたいに呟く。

声が夜気にほどけて、すぐ消えた。


道の端に寄ってしゃがみ込む。

制服のスカートがかすかに擦れて、音がやけに大きく聞こえた。


「なんか……疲れたな……」


身体じゃない疲労感で胸の奥が妙に重い。

笑って、上手くやったはずなのに――重い。


星奈の顔が浮かぶ。

「協力してほしい」と言われて、つい「任せて」って言ってしまった。

言った瞬間、もう戻れない感じがした。


(……応援担当)


自分で決めたくせに、心が少しざわつく。


ふと見上げた空に、星がひとつ。

ひときわ明るく光っている。

手を伸ばしてみる。

届かない距離だって分かってるのに、指先が勝手に動く。


「日陰と翔子ちゃんが……花火見て」


想像しただけで、胸の奥がきゅっとなる。

笑って、並んで、写真を撮って。

きっと、当たり前みたいに『次』の約束をして――それを守っていく。


「……いいな」


声にすると、途端に幼くなる。

悔しいのに、優しくしたい気持ちも本物で、どっちも捨てられない。

これから先、日陰の隣にいるのは――たぶん、私じゃない。


「……眩しいな」


ぽつり、とこぼした。

眩しいのは嫌いじゃない。むしろ大好きだ。

ただ、その光が強いほど、影が長く伸びる。


「……羨ましいな……」


小さく言って、笑おうとした。

でも笑いの形がうまく作れなくて、口元だけが少し震えた。


風が吹く。

美晴は膝を抱え直して、もう一度だけ空を見た。


(……応援しなきゃ)


自分に言い聞かせるみたいに、心の中で繰り返す。

けれどその言葉の裏側で、もうひとつの本音が、薄く鳴り続けていた。


(……ほんとは、私も)


静かに漏れかけた気持ちは、星の光に溶けて、夜の空気へと滲んでいった。


---


坂を下る途中、風が少し冷たくなってきた。

陽は地平線の向こうに沈み、橙色の余韻だけが空に残っている。

足元の砂利を踏む音だけが、小さく続いた。


「……星奈さん」


不意に、亮が立ち止まった。

街灯の光が輪郭を縁取って、いつもの軽さが消えている。


「……俺、ちゃんと話したいことがあるんだ」


星奈も足を止める。

頷くと、亮の喉が一度だけ鳴った。拳を握り、指先に力が入る。


「……俺、星奈さんのことが、好きです」


まっすぐな目だった。

逃げ場のない真剣さ。

亮は一息に言葉を続ける。

途中で詰まって、照れたみたいに笑いながら。


「初めて会った時から!!!明るくて、頭も良くて、運動もできて……人のことちゃんと見てて、強くて優しくて!あ、も、もちろんめっちゃ綺麗で……」


言葉が追いつかないみたいに、肩が少し揺れる。


「……ずっと、隣を歩けたらいいなって思ってた」


星奈は黙って聞いていた。

風が吹いて、髪が頬をかすめる。

視線が一度だけ外れて、戻ってくる。


(……なんて正直な子なんだろう)


「……ありがとう」


声はやわらかいのに、芯があった。


「亮くんのそういうところ、すごく素敵だと思う。ちゃんと想いを言葉にできるのって、簡単じゃないし……それを私に向けてくれたこと、すごく嬉しいよ」


いったん目を伏せる。

ほんの短い間が落ちて、星奈ははっきり言った。


「……でもね。その気持ちには、応えられない」


亮の肩が、わずかに落ちた。

それでも俯かない。逃げない。そのまま、立っている。


「そっか……」


言い切ったあと、亮は唇を噛んで、顔を上げた。


「じゃ、じゃあ!」


声を張る。


「せめて! 花火大会だけでも……二人で行きませんか!」


星奈の目が少し大きくなる。


「俺……断られても、まだ諦めきれないからさ。せっかくの花火は、やっぱ好きな人と見たいって思ってる」


言葉はまっすぐで、震えていない。

逃げじゃなく、真正面からぶつかってくる言葉だった。


「もちろん、迷惑ならやめる。でも……一緒に行けたら嬉しい。たとえ特別じゃなくても……ただの思い出になっても、いいから」


星奈は小さく笑った。

ため息のような、息を整えるような笑い。


「……わかった」


「ほんと!?」


亮の声が跳ねる。


「じゃあ、友だちとして。花火大会は二人で行こう」


その瞬間、亮の目がぱっと明るくなった。


「うっわ!やった!!!! よっしゃぁ……!」


両手を上げかけて――星奈が咳払いをひとつ。


「……声、大きい」


「ご、ごめん……!」


照れくさそうに頭をかく亮。

その仕草に、星奈の口元もほどけた。


――けれど、その奥で、別のことが静かに回り始める。


(……これで、翔子と日陰くんが二人になる)


胸の内でそう結んだ瞬間、指先がわずかに冷たくなる。

今日、教室で美晴に言った言葉が、遅れて刺さった。


(……三人で行こうって、言っちゃったのに)


思い出すのは、あの笑顔。

――みっちゃんなら、わかってくれる。そう勝手に思ってしまう自分がいる。


(……明日、ちゃんと話そう)


心の中で決める。

それを口に出す代わりに、星奈はもう一度だけ亮を見た。


喜ぶ横顔が眩しい。

だからこそ、胸の奥に小さな痛みが残る。


星奈はそれを飲み込んで、笑った。

優しさと、少しの後ろめたさを一緒に隠すみたいに、静かな笑顔で。


---


二人は並んで坂道を下りていた。

――はずなのに、翔子の歩幅は、半歩ずつ遅れていた。


日陰の靴音がひとつ先へ落ちるたび、翔子の胸が追いかける。

足元の砂利がかすかに鳴る。

握ったスカートの裾に爪が食い込んで、指先が強張る。


喉が乾いている。

唾を飲み込むたび、喉の奥がきゅっと細くなる


(……平気。大丈夫。だいじょうぶ)


唱えても、胸の鼓動だけがうるさい。

街灯の輪が道に落ちて、暗がりが波みたいに寄せては引く。

視界の端が、少し滲んだ。


「……」


何か言おうとして、声が出ない。

声を出した瞬間、崩れそうで怖い。

それでも――少し前で響く日陰の靴音に合わせるみたいに、呼吸をひとつ整えた。


「……課題、あとちょっとだね」


やっと出た声は、思ったより掠れていた。

自分の声なのに、他人のみたいに遠い。


「……あぁ。うん。おかげさまで。いつもありがとう」


律儀な返事。

翔子の胸の奥が、少しだけあたたかくなる。


「全然だよ。……日陰くん、物分かりいいし。教えてて楽しいよ」


言い終えた瞬間、胸の奥がひゅっと縮んだ。

ただ褒めたかっただけなのに――最後の「楽しい」が、少しだけ前に出すぎた気がして。


翔子は咄嗟に視線を落とす。

足元の砂利に焦点を合わせて、歩幅を合わせるふりをした。


言葉の余韻が喉に残って、飲み込むのに時間がかかる。


頬が熱いのがばれそうで、翔子は唇をきゅっと結んだ。


「そ、そうかな?」


日陰は照れたみたいに声をかすらせて、視線をいったん足元に落とした。

それから、誤魔化すように頬のあたりを軽く掻く。


その反応が――いつも通りで。

変に突っ込まれるでもなく、笑われるでもなく、ただ受け取られただけだと分かって、翔子の胸の奥がそっとほどけた。


息を吐く。肩がわずかに下がる。

握っていたスカートの裾も、少しだけ力が抜けた。


「最近……ちゃんと休めてる?」


日陰が、視線は前を向いたままぎこちなく尋ねた。


翔子はきょとんとして、日陰を見る。


「ど、どうして……?」


「あ、いや。……廊下で、亮と三人でいたとき。なんか……疲れてそうに見えたから。毎日勉強会してるし、なんか。疲れてるのかなって…」


その言葉に、翔子は一瞬だけ息を止める。

思い出すのは、疲れじゃない。

胸の奥が沈んでしまった、あの瞬間。


(……それ、疲れてたんじゃないよ)


喉の奥に、言葉が引っかかる。

気づいてほしい、と、気づかれたくない、が同時に揺れて――どちらも口にできない。


それでも『心配』してくれている事実が嬉しい。

けれど、その心配が、決定的に突きつけてくる。


(……やっぱり、気づいてくれないよね)


胸がきゅっと苦しくなる。


「……優しいね」


やっと出た声は、思ったより小さかった。


日陰は少し頬を赤くして、慌てたみたいに首を振る。


「いや、全然そんなことないだろ」


照れた声が夜風にやわらいで消える。

翔子はその横顔を見て、胸の奥がまた、ほんの少しだけ温かくなる。


沈黙が戻る。

なのに、心臓だけが落ち着かない。

今みたいな会話だけで――それだけで、十分な気がしてしまう自分がいる。


(……このままでも、いいのかな)


――それでも。


翔子はふと足を止めた。

靴底が砂利を噛む音が、やけに大きい。

それに気づいたように日陰も止まって、振り向く。


「……私ね、夏って……ちょっと苦手だったの」


言い始めた瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。

こんな話、今じゃなくてもいいのに。

でも、今じゃないと、言えない気がした。


「……え?」


「暑いし、まぶしいし、みんなテンション高いし……。私はいつも、どこか置いていかれてる感じがしてて……」


街灯の淡い光が、影を細長く引き伸ばす。

握っていた裾から指を離すと、じんと痺れた。


「でも、今年はちょっと違うかもって思ったの。写真部に入って、みんなと出会って……こうして今、日陰くんと帰ってるのが、なんだか不思議で」


口元だけ、少し笑う。

あたたかさと寂しさが、同じくらい混ざった笑み。


「……うまく言えないけど。今日みたいな日が、あとから『思い出』になるんだと思う」


日陰は空を見上げた。

他より輝いている星がひとつ。その周りにいくつかの星が見える。


「……俺も……。夏は苦手だったんだけど、今年はちょっと違うかも」


その言葉に、翔子の肩の力がほんの一瞬抜ける。

――嬉しい。


けれど次の瞬間。

日陰の視線が、翔子の肩を通り抜けて、少し遠くに結ばれているのに気づいてしまった。


(………)


その先に、誰を想ってるの――。

胸の奥で整えたばかりの呼吸が、また乱れる。


(………やっぱり)


怖い。

それでも、確かめたい。


「……ねえ、日陰くん」


「ん?」


「……好きな子って、いるの?」


言った瞬間、空気が薄くなる。

風が止まったみたいに、虫の声だけが際立つ。


「えっ……なんで?」


「……なんとなく。聞いてみたくなっただけ」


明るく言おうとしたのに、震えが混じる。

言った直後から、心臓がうるさい。


日陰は少し目を伏せ、小さく息を吐いた。


「……いないよ。そういうのは……」


瞬きをひとつ。

あの子の名前が出なかったことに、ほんの少し安堵した――はずなのに。


――胸が、痛い。


「いない」は、たぶん嘘じゃない。

でも、嘘じゃないからこそ、もっと苦しい。

『いない』のに、視線は遠くへ行く。

その矛盾が、翔子にはわかってしまう。


(……きっと)


言葉が、喉の奥でほどけていく。


「……ごめんね。変なこと聞いて」


「いや……全然」


日陰もどこか気まずそうに目をそらす。


二人はまた歩き出す。

街灯の下、ふたつの影が、重なったり離れたり。

近いのに、手が届かない距離。


「翔子さんは……いるの? そういう人」


沈黙が苦しくて、日陰が無理に破った。

翔子はビクリと肩を揺らす。


「え……」


口が動く。けれど声にならない。


(言わないでおこう。……でも――)


喉の奥で言葉が絡まり、ほどけ、また絡まる。


「……い、いるよ……」


ようやく絞り出した声は、わずかに震えていた。

日陰は素直に驚いて、目を丸くする。


「……え、ほんとに……? そっか……すごいな……」


自分で聞いておいて、予想外の返事に戸惑う。

気まずそうに頬をぽりぽり掻く。

その反応が、翔子の緊張を少しだけほどいて、笑みがこぼれた。


「誰かとか……聞かないんだね」


「え、いや、そんなの……言いにくいでしょ」


「ふふ……。日陰くんらしいね」


「いや、そこはプライバシーですし……」


「……興味ないから、とかじゃなくて?」


翔子は言いながら、視線だけで日陰の横顔を盗んだ。

口元を引き結んで――でも、ほんの少しだけ悪戯っぽく。


「いや、そういうことじゃなくて」


「……じゃあ興味ある?」


「……いや。うん。……まぁ、多少」


素直すぎる返事に、翔子の胸がふわっと浮く。

笑ってしまいそうで、慌てて口元を押さえる。


「……多少、か」


その二文字が妙に嬉しくて、でも顔に出したくなくて。

翔子はごまかすみたいに前を向き、歩調をほんの少しだけ速めた。


日陰の靴音が、遅れず隣に寄ってくる。

追いついてきた、というより――最初からそこにいたみたいに自然に。


前方の歩行者信号が、赤に光っていた。

翔子は足を止める。日陰も、同じタイミングで止まる。


「ねぇ……日陰くん」


呼ぶ声が思ったより近くに落ちて、翔子は息をひとつ飲み込んだ。

日陰がこちらを向く。


「ん?」


心臓だけが段々と早く脈を打つ。


言うなら、今。

今を逃したら、もう言えない。


「……花火大会、私と二人で行こうよ」


虫の音が一瞬遠のいた気がした。

空気も、時間も止まったみたいに感じる。

小さな月が雲に隠れ、あたりがわずかに暗くなる。

――逃げ道まで、消えたみたいだ。


「……え?」


翔子の瞳はうるんで、でも真剣で、まっすぐ日陰を射抜いていた。

頬は、はっきり赤い。


「な……なん……で?」


(え、なんで?……なんでそんな顔してるんだ)

(嘘だろ……)

(そんなはず――いや、え? なんで俺と!?)


胸の奥で、じんわりと何かが形になる。

遅れて、恥ずかしさが一気にせり上がってくる。


「日陰くんと行きたいから」


自分で思っていたより、はっきり。

視線は揺れない。真正面だけを見る。


――たぶん叶わないのかもしれない。

傷つくのも、わかってる。

それでも、この夏のページに自分で指を挟んでおきたかった。

あとでめくったときに『ここに私がいた』って、ちゃんと言えるように。

胸の奥でシャッターを切るみたいに、いまを焼き付けたい。

たとえ写っているのが私ひとりでも、その一枚が私を生かしてくれる――そう思えた。


日陰は戸惑い、考えがぐるぐる回り――胸に熱がどっと上がる。


(え、勘違いだよな………違うよな……)

(そんなはず――ないよな……?)


言葉の出口が見つからない。

頭がパンクしそうになる。


「ごめん!! ちょっと、考えさせてほしい!」


勢いよく頭を下げた。


翔子はビクッとしたあと、わたわたする日陰を見て、ふっと笑う。


「うん。ありがとう。……私のこと、考えてくれるだけでも嬉しい」


(ま、待って。嘘だろ?? 違うよな??)

(俺のこと……? は?? なんで?? 勘違いだよな!? は!?)


心拍がさらに跳ねる。

手の平がじっとり汗ばむ。


「ご、ごめん。俺、今日早く帰らないといけないの忘れてて……!」


言った瞬間、喉の奥がひりついた。

嘘だ。自分がいちばん知ってる。そんな予定はない。

頬の熱から、ぐらつく心から、いちど距離を置きたかった――一刻も早くここから逃げたかった。


落ち着いて考えたい。


(……それに、今の顔は見られたくない。)


気まずさに押されるみたいに、日陰はくるりと背を向けた。

ちょうど信号が青に変わる。

それが「今だ」と言われているみたいだった。


「……じゃ、じゃあ!」


言い置くような声だけ残して、足早に坂を下りていく。

振り向かない。振り向けない。


「……あ」


喉の奥に「ばいばい」が引っかかったまま、翔子はその背中を見送った。

伸ばしかけた指先は、空を掴んで、そっと握り直す。


靴音が遠ざかる。

街灯の輪をひとつ抜けるたび、背中が細くなっていく。

やがて、夜の道に溶けるみたいに遠くなる。


残ったのは、虫の声と、風。


翔子は息を吐いた。

胸の奥が、まだ熱い。


「……はぁ……。さすがに、気づかれちゃったかな」


小さく息を吐く。

それでも心は少し軽い。

想像していたよりも大きな反応が嬉しくて、自分の言葉がちゃんと届いたことが嬉しくて、


(私でも、日陰くんを揺らせるんだ)


ほんの少し自信になって——笑う。


――そのとき。

遠くから地面を蹴る音が響いてくる。

影が近づいてくる。

荒い呼吸が、ひとつ、またひとつ、近づいて――


日陰が駆け戻ってきた。

息を切らし、額に汗をにじませながら。


「や、やっぱり……方向同じだし。交差点まで送ってからにするよ」


交差点――翔子の家のすぐ近く、いつも日陰の帰り道と分かれる分岐点。

翔子はまた笑った。

胸の奥が、あたたかくなる。


(……優しい)


嬉しくて、この時間がずっと続けばいいのに、と思う。

――きっとこれは、この夏の『思い出』になる。

今だけは、少しだけ自信を持って言える。

『二人だけの時間』だ、と。


夜の風が頬を撫で、遠い虫の音が途切れ途切れに続いている。


翔子は、日陰の歩幅に合わせるように、半歩分だけ足を詰めた。

靴音が重なる。ひとつ前を行っていた音に、ぴたりと自分の音が寄り添う。


さっきまでより、足取りが少しだけ軽い。

その変化に気づかれないように、翔子は前を向いたまま、呼吸だけ整えた。



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