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Lost Bible Chapter13  作者: 訳者ヒロト
Chapter1
31/43

「Why you should stand up for What」15

 魔物を片付けた僕はアパートに戻った。ようやくこの通りを覚えてきたところだ。


 青い扉を開く。


「おかえり」


 玄関すぐのところにレナは立っていた。ずっとそこにいたのだろうか。透き通った瞳がじっと僕を見つめる。居心地の悪さを感じて目を逸らした。


「うん。ただいま」


 扉を後ろ手で閉める。僕はにこやかな笑顔を意識して、手に持つ袋を掲げた。


「おばあさんがパンをくれたんだ。ほら、こんなに。今日の夜はこれを食べよう」


「ユウ……顔に血がついてるよ」


 慌てて拭う。


 手にはべっとりと赤い血がついた。僕のものではない。動かした死体か、魔物のものだろう。注意していたはずなのにどうして。


「外、どうなってるの?」


「知らないでいいよ。知ってほしくないんだ。ずっとこの部屋にいよう。僕が外から食材を持ってくるから」


「ユウ。分かってるはずだよ。それじゃだめってこと」


 真紅の瞳。


 僕が大好きで、大の苦手な眼差し。


 これに見つめられると僕はカカシのようになってしまう。


「止めないでね」


 レナは僕の横を通り過ぎて玄関へ向かう。僕はそれを止められない。体が動かなかった。


 そして扉が開かれる。


「ああ、ああ、ああああ、あ、ああ、ああ、あああああああ――――――」


 オエッと咽せた。


 レナは激しく嘔吐する。胃の中身のすべてを吐き出すみたいな、長くて苦しい嘔吐。


 そしてうずくまった。


「レナ……」


 思い出してしまった。僕はこれを避けたかったのに、半日もたたずにこうなってしまった。


 レナは膝を床につけ、頭を抱え込んでいる。引き攣るような泣き声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返している。


 なんと慰めればいいのだろう。


 起きたことは仕方ない? そんな言葉で済む規模じゃない。


 わざとじゃないなら無問題さ? 死者はそう言わないだろう。


 どんな慰めも空虚にしか思えない。彼女の苦しみを僕は到底理解できないのだ。


「なあ……」


 レナがどんどんと頭を地面に叩きつけた。神に慈悲でも乞うかのように、己を激しく痛めつけている。すぐに額がぱっくりと割れて赤い血が流れ出た。涙と血が混じって顔を濡らしていく。


 見ていられない。


 僕の喉からは鉛が詰まったように言葉が出てこず、とにかくレナを抱きしめて自傷行為を辞めさせる。


 彼女の爪が僕の背中に突き立ち、ぎりぎりと肌に食い込んだ。


「アァあああああああ――――」


 鋭い慟哭は止まない。息継ぎさえなく、精神を絞って出てくる悲鳴みたいに聞こえる。


 それは悲しみでもあり、謝罪でもあり、怒りでもあった。


 あの日泣きじゃくる僕を慰め、下手なだじゃれと変顔で笑わせてくれたのがレナだ。いまこそその恩を返すべきだと言うのに、僕の貧相なユーモアセンスでは叶いそうにない。


 レナを除いて、街は恐ろしいほど静かだ。平になったおかげで遠くまで見渡せる。どこまでも瓦礫の山。


 その中心で彼女は泣き続けた。


 僕はその隣に座って肩を抱く。その間色んなことを思い返していた。


 レナと初めて出会ったあの塔の牢屋でのこととか、初めて化け物に変身したときのこととか、そのあとに救助に励む横顔とか。


 それから記憶を失ったあとの笑顔とか、無邪気な笑い声とか、子どもみたいに怒って膨らむ頬とか。


 初めてキスした夜とか、寒くてくっついて寝た夜とか、お尻を触りすぎて怒られた夜とか。


 いろんなことを思い出していた。


 幸せな日々だった。


 それも今日で終わりだ。




 レナはついに泣き止んだ。


 もしかしたら一日以上ずっと泣いていたかもしれない。僕の体からもとうに感覚は消え失せていた。どれだけの時間がかかったにしろ、彼女は事実を受け入れたのだ。


 くしゃくしゃの面を上げ、そして言う。


「二度とこんなことを起こしてはいけない」


「……そうだね」


「この獣を止めなくてはいけない。私が死んだとしても。そのために……戦わないと」


 紅の瞳に鋼の意志が灯った。絶対に折れず、曲がらない不屈の闘志。見覚えがある眼差しだった。嗚呼、ならば――


「記憶を取り戻そう。そして――聖書原典十三章を探すんだ。答えはそこにある」


 記憶を失ったとしても、運命から逃れることはできない。敵から逃げたとしても、運命から逃れることはできない。いつだって世界は無情に選択を迫ってくる。


 立ち向かえ。そしてブチ殺すのだ。


「分かった。そうする」


 僕はたった今、レナという人格が形成される過程を垣間見た。きっと彼女はこんな惨事を繰り返し、何度も泣き、そして笑わなくなったのだ。


「ルナリへ戻ろう」


 小舟が残っている。聖書とレナがあれば船は動くはずだ。大河を真っ直ぐ北へ進むだけ。支流に入り込まなければ迷うこともない。


 そして魔女を倒す。魔女の持つ十三章を奪い取る。


 全身に刻まれたすべての傷が疼いた。


 

1.俺を信じろ 

2.断罪の悪魔

3.罪を断て

4.契約するな

5.衝動を抑えろ

6.力は乱用するな

7.黒幕は魔女

8.取り戻せ

9.魔女を殺せ

10.滅び来たれり

11.この世界はくそったれだ

12.Lost bible chapter 13を求めよ



 理解できるものもある。理解できないものもある。だがいずれ全てを知るだろう。過去の己からの助言はいつだって正しい。


「僕たちの記憶を取り戻そう」


「僕たち?」


「実は僕も記憶喪失なんだ。部分的にね」


 心の中で炎が燃え盛っている。復讐の許しを与えられ、悪魔が手を叩いて喜んでいるのだ。魔女を殺せ。罪を断て。その心臓をもって償わせろ。対価は血によってのみ支払われる。


 レナがぼそりと呟いた。


「あの街へ帰る前に……しなくてはいけないことがある。……もしかしたらまだ生きている人がいるかも」


「やはり君は変わっていないね」


「まだどこかで……苦しんでいるかもしれない。私が……私が――」


 声を震わせながら立ち上がる。




▽▲▽




 僕らはレマンに別れを告げた。


 救助活動は十日行った。瓦礫を手当たり次第にひっくり返し、すべての死体に癒しの術を試みた。


 昼夜の別なく作業しようと、ただの人間二人では、百日あろうと街全体を捜索するころは不可能だった。


 十日目、僕は「これ以上は無駄だ」とレナを説得した。彼女は黙って頷いた。


 そして今は大河の上。


 船で漕ぎだしている。速くしめやかに水上を進む。


 三日もかからずにルナリへたどり着くだろう。川の流れに逆行しているにも関わらず、行きよりもずっと速いペースだ。船が小さいからなのか、レナの聖術の効果が高いからなのか。


 三人も乗れば窮屈に感じてしまうような小舟。


 僕はその中でレナに押し倒されている。


 くちゅくちゅ、ちゅぱちゅぱ。


 じゅる、ぬちゅ、ちゅぷ。


 もうずっとキスしている。「キスしたら何も考えずににすむの」とうそぶく陰のある笑みのせいで、僕は抵抗できずにいた。


 しかし――


「レナ、キスはおしまい。寒いけどそろそろ寝た方がいい。――んむっ」


 レナは口数が減ってしまった。ただキスだけをねだってくる。柔らかい舌先が挑発するようにちろちろと唇を舐めていく。小さく出し入れされ、表面だけをなぞるような甘い接吻。


「なあ、だめだって」


 ようやく顔が離れる。


 まじめくさったレナが口を開いた。


「ユウは――不安じゃないの? 記憶を取り戻したらどんなことを思い出すのか。このままじゃいられないかもしれない」


「何も変わらないさ。記憶があってもなくても精神性は同じだ。積み重ねた過去はありつづけるし、感情も消えない」


「……ううん、きっと変わる。私たちの関係も…… 今のうちだけだよ。だからたくさんしたいの」


「変わらないって。僕はレナのことが好きだし、レナも僕のことが大大大好き」


「……勝手に大大大好きにしないで」


 口元を緩ませながらも、その瞳には悲しい影がよぎる。レナはこんな笑い方しかしなくなった。なんと表現すべきか――「わきまえてます」とでも言いたげな笑みだ。


「きっと私はこれまでにもたくさんの人を殺してきた。その中にはもしかしたら……ユウの――」


 その先は聞きたくない。僕は咄嗟にレナの口を唇で塞いだ。まつ毛がぶつかるほどすぐそこのレナが嬉しそうに目を細める。僕らはまた長いキスをした。


「……しちゃったじゃん。おしまいって言ったくせに」


「今のは不可抗力だ」


「なら――もう一回しよ? もっと愛を伝えてくれるようなキス」


 僕は目を瞑って視覚的情報をシャットアウトし、首を左右に振った。


「だめだ。こんなことばかりしてたら記憶を取り戻したあとでレナに怒られる」


「なにそれ。今日の私より明日の私ってこと? キスしてくれなかったら今日の私が怒るんですけど」


 耳を舐められる。熱を帯びた吐息が鼓膜にしみ込んで、ぞくりとした快感がびりびりと体を突き抜けた。


「今から怒られるのと、後で怒られるのどっちがいい? ――嫌なことは後回し。あなたの言葉でしょ。なら決まってるよね。ほら、目を開いて」


 濡れたようなツヤのある綺麗なピンク色の唇。求められている。


 僕は結局衝動に抗えなかった。


 これで何回目の「あと一回」だ。もう夜が明けるんじゃないだろうか。頭がぼんやりする。手が自律的に動いてすべやかなお尻を撫で始めた。レナの瞳の潤みが増し、びくびくと震える体を擦り付けてくる。


 これ以上はまずい――


 美の女神がくたりとしなだれかかる。


「お互いに記憶を取り戻したら、まず最初にキスしたい。何を思い出したとしても…… 約束してくれる……?」


 僕の口からは短く小さな承諾の声しかでてこない。単語を繋げる余裕はないのだ。


「ずるい女でごめんね……」


「…………」


「今だけだよ……なんでもしよ? なんでもしてあげる。――何回でも伝えさせて。好きで好きで好きなの。思うだけで苦しくなって死にそうなほど大好き。……ねえ、両思いにしかできないコト、まだたくさんあるよ……」


「あ、あぅ……」


 そんな調子で、僕らはルナリへ。




一章二節

「Why you should stand up for What」


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