第95話 プライド
「……よし、時間だな。と言っても、何もないのであれば今日はのんびり過ごすしかないだろうが」
「華月さん、その寝起き直後でよくそんなに喋れますよね」
「長時間寝ていたわけではないからな。こんなのは単なる仮眠だ」
まだ髪に寝癖が少し残った華月が、職員たち全員に向けて声をあげる。
いくらここの所物騒だと言っても、わざわざ金を払って探偵事務所にまで依頼に行く人間は、そういない。
第一、この手の事件になるような調査は、基本的には警察の管轄だからだ。
「最近全然仕事ないですよねぇ」
「先月と比べてもな。何せ、最近は警察の方が相当張り切っているらしいからな」
「警察が?」
「ああ。久遠寺奏が随分と張り切っているらしくてな。どうも、最近ちょっとした人探しやら、相談事にまで乗ろうとしているらしい」
「……久遠寺奏」
少し複雑そうな面持ちで、紬が下を向きながら呟いた。
「久遠寺…あっ。もしかして紬さんの親戚か何か?」
「親戚どころか、姉だよ。どうも、私達の仕事を奪う勢いで働いてるみたいでね。この間、相良さんも近所の子供の遊び相手してた」
「警察が近所の子供の遊び相手ねぇ……」
一哉は今起きているこの状況に、違和感を抱いていた。
「カズ?どしたん?」
「何、そんなに気になる?」
「ほら、カズがそうやって唸ってる時って、大体何か気づいた時じゃん」
「…いや、単に違和感があるってだけ」
「九条くんどしたのー?」
優芽が一哉の方に、顔を近づける。
優芽のことがどうも苦手な一哉は、そのまま目を背けたが、
「……っ、仕方ないな」
こういう手合いは一度こちらが引こうとすると余計に押してくるので、面倒ながらもそのまま答えることにした。
「いくら張り切ってるからって、子供の遊び相手とかやるのはやりすぎじゃない?」
「そういや、この間は京太郎さんが猫探してたの見た!」
「まるで私達の仕事を奪おうとしてるみたいだね……」
「ね、ちょっとあたし事情がよくわかんないんだけどさ。…うちとその警察の人達って、仲悪いの?」
「ああ。優芽はその話は知らなかったか。仲が悪い…というより。向こうの久遠寺奏がちょっと紬と色々あるみたいでな。だいぶ複雑な関係性なんだ」
奏と紬の関係性には、かなり複雑なものがあるというのは、全員が知る事実であるという風に共有されてきたが、どうやら優芽にとっては違ったようだった。
「簡単に言えば、私は久遠寺家の落ちこぼれみたいなものでね。久遠寺家は代々警察やってる家柄なんだけど、その中で能力が低いからって、色々良くない扱い受けてたんだ」
「家もほぼ追い出されたような形だもんな。しっかし、久遠寺奏のやつが我々の仕事を奪おうとしている、というと。先刻の事件とも何か関係性がありそうだな」
<蟷螂>と名乗る男による新島華月、麻木栄次郎の誘拐事件。
あるいはその前にあたる、白川小春の銃撃事件。それら2つにおいて、久遠寺奏たち異能力対策課は、大した関わりを持っていなかった。
能力者が事件を起こしたともなれば、間違いなく彼らが動いているはずだろう。しかし、したことと言えば中川京太郎が重傷を負った小春の傷を癒した程度だ。
「…紬。高橋樹里については、あの後警察に引き渡したんだよな?」
「勿論。その時に対策課の人はいなかったけど、ほら。あの人いたでしょ?遠藤さん。ちょっと話をしてね。私の姉が、随分と焦って捜査をしていると。あの時はそれどころじゃなかったから、すぐに話を取りやめたんだけど。
今思うと、高橋樹里を捕まえたのが私っていうのは、あの人にとっては、だいぶプライドが傷つくことだったんだと思う」
「バカにしてたやつがそんな大活躍したんじゃあ、確かにズタボロだろうね」
一哉からすれば、その感情は大いに理解できるものだった。バカにしていた人間が、自分よりも大きな功績を挙げる。しかも、自分は何も出来ていない。
「僕から見れば、彼女は精神面においては未熟な部分があるのは否定できないからな。確かに、プライドを傷つけられたと言われると納得できるものも多い」
「でも、それであたしたちの仕事取られたら、それこそ困るよー。というか、そういう事情に勝手にあたしたち巻き込まないでほしいな」
「それは悪いなって思ってるよ。私だって、出来れば穏便に解決したいし」
「いや紬ちゃんじゃなくてそのお姉ちゃん。大人げないなーって思ってるし」
優芽もどうやら、話を聞く限りに奏に対してあまり良い印象は持っていないらしい。
「オレはさっぱりわかんないねー。だって、自分の家族がすっごいデキるやつだったら、嬉しいもんじゃないの?」
「…悠希。君は一人っ子だからわからないと思うけどな。きょうだいっていうのは色々あるんだ。僕にも妹がいるが、色々と比べられる事も多くてね。それに、姉という立場の人間は妹に比べて我慢させられることが多いんだ」
「その妹って例の犯罪者でしょ。それ参考になるんです?」
懐かしそうに語る華月に、一哉はいつも通りの氷の刃を突き刺した。
「…いや、由良だってまともだった頃はあるし、それまでは普通の姉妹してたんだぞ?お菓子の取り合いで喧嘩になったこともあるし、入浴の順番で喧嘩になったこともあったな。そのたびに母は言ってきたんだ。お姉ちゃんなんだから我慢しなさいってな」
「要するに何が言いたいんですか。年寄りの思い出話を聞こうとしてるわけじゃないんですけど」
「一哉。お前最近僕に対して厳しすぎないか?あと年寄りって程の歳じゃないが。まだ50にもなってないが」
「…カズ。流石に50歳を年寄り呼ばわりはヒドいよ」
あまりフォローになっていない悠希の一言に、華月は軽く青筋を立てながら話を続ける。
「何ならまだ48だバカタレ共が」
「じゃああんまり変わんなくねー?」
「違うぞ。あとあんまり大した歳じゃない相手を年寄り呼ばわりしてるとな?自分がその歳になると後に引けなくなるんだぞ。…ごほん。
つまりだ。姉っていうのはプライドの高い生き物なんだよ。その分妹に負けたくなくなる。だが、この状況はあまりよろしくない。…そこでだ」
「僕達で現在の対策課の状況について、調査を開始しようと思う」




