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第94話 『有象無象の馬鹿共』

周りは皆馬鹿だと思っていた。

自分だけが頭が良くて、周りのやつらはそんなことも気づけないくらい馬鹿で。

だから、僕はずっと、そんなやつらとは違うって思っていた。

思っていた、はずだった。


柔らかなシーツが敷かれたベッドの上で、九条一哉は目を覚ます。

昨晩は寝つきが悪かったのか、どうにもまだ眠気で頭がぼんやりとしてくる。

時刻は朝の7時。少し早く起きすぎたかと後悔するが、それでも中途半端な睡眠をとるくらいなら、いっそ起きてしまった方がいいだろうと彼は考えた。

ぼんやりと考え事をしていると、腕につけたデバイスが音を発する。

「…誰だ、こんな時間から」

電話だった。『朝賀悠希』と表示されたその名前は、彼の電話帳の一番先に表示されている名前。

探偵事務所「CRONUS」で働く同僚にして、一哉の…唯一とも言える友人だ。


「もしもし。…朝から電話かけてくるな」

『カズもう起きてるかな~って思ってかけてみたん!!もしかしてさっき起きた?』

「そうだけど?というか、電話する暇あったら、朝ごはんくらい食べてた方がいいんじゃないの?」

寝起きだからこその不機嫌さが、声に滲み出てしまう。しかし、電話の向こうの少年は、そんなことを気にする素振りすらもなかった。

『そう言うと思って~~!今食べながら電話してまーす!』

「アホじゃないの?」


『トーストに目玉焼き乗せると…ウマいんだよ!カズもやってみなよ?あ、オレのオススメはこの上にスクランブルエッグとマヨネーズ乗っけることなんだけど…』

「卵ばっかり乗っけるなよ」

聞いているだけで頭が悪くなりそうなレシピだ、と一哉は思った。卵で出来たものばかり乗せているのもそうだが、何よりカロリー量がバカにならないだろう、というツッコミが頭をよぎる。…もっとも、悠希は普段からよく食べるので、そんなことを言っても今更どこ吹く風だろうが。

『そういうカズはちゃんと朝飯食えよ~?』

ぎくっ、と一哉は肩を震わせる。それもそのはず、一哉が「朝食」として用意していたのは、食べ物ですらない栄養ゼリーなのだから。


「どっちだっていいだろ。お前だって食い過ぎるなよ」

『はいはーい。そういえば、カズってもしかしてまだ栄養ゼリーとかカロリーバーとか、そういうのばっか食ってんじゃないかって思って心配でさ」

「…何でわかった?」

『何となくそんな気がしたから?』

つくづく、油断できない男だ。悠希は自他ともに認める程に頭が悪いが、時々こうやって妙に勘の鋭さを発揮する。

「お前って妙に勘鋭いよな……」

それにしても、さっきの話題逸らしは露骨すぎて悠希にもバレたか。一哉は数十秒前の自分の行動を後悔しながら、やれやれと頭の裏を掻く。


『ところで、さっき華月さんから連絡来たんだけど、今日春ちゃん休みだってさ。風邪でも引いたのかな?』

「怪我直してから来いって話でしょ多分。どのみちあんな顔じゃ人前に出れないし。それと悠希は聞いてないかもしれないけど、麻木さんも休みだよ」

『麻木さ……あ、もしかしてナッツンのこと?』

「まだ同僚になって2ヶ月しか経ってないのに、その距離の縮め方は何だよ。あといい加減覚えろ」

どうやら悠希の中では、まだ夏生の苗字は坂巻という認識らしい。そこまで距離を縮めているのに、名前がそこまでうろ覚えでいいのだろうかと、一哉は頭を抱える。

何せ、悠希があちこちの人物にあだ名をつけているのは、フルネームが上手く覚えられず、名前を間違えたら失礼になるから、という理由なんだと聞いたことがある。


きっと、悠希なりの処世術の一つなのだろう。

悠希は頭こそ悪いが、頭が悪いことを自覚している分だけ、他の『有象無象の馬鹿共』よりはよっぽどマシだ。一哉はそういう理由からも、悠希に好感を持っていた。…本人に直接言ったことはないが。

『そっかナッツンも休みか~。なんか明日は静かになりそうだね~』

「白川さんが一番騒がしいからな。でも、悠希がいる時点で静かになるってことはないでしょ」

『オレは大人しい子いい子にしてっからな!!』

「いやお前声デカいんだよ……」

突然の電話口の大声に、思わず身体が強張る一哉。もう年単位での付き合いになるが、この唐突に出る大声だけは、どうも慣れそうな気がしなかった。


『そーか?あ、そうだカズ。昨日帰りに優芽ちゃんに聞いたんだけどさ』

「藍原さんに?そりゃまた珍しいね」

『このあたりで最近誘拐事件?とかいうのがあるらしくてさー。カズも気を付けなよ?』

「オレが誘拐犯に捕まえるとでも?」

『いやいや、そういう『オレは大丈夫ですから』みたいなやつが一番危ないって。昨日親父にそういう話してたらさ、そうだって言ってた!』

悠希には珍しく正論で、少し耳の痛い話だった。

『そういうわけだから、気を付けなよ~!あ、トースト冷めそうだから電話切る!』

「食べるの放っといて喋り始めてたなこいつ……!」

突如通話が切れる。気づけば、話していた時間は20分を超えていた。何だかんだ、悠希と話すのは楽しい。

しかし、ここまで頭脳のレベルが違う相手に、よくもまあ対応できるものだと、一哉は悠希に対して、少し尊敬のような気持ちを抱かざるを得なかった。


「…そろそろ出勤の準備でもするか」

パックに入ったゼリー飲料を啜りながら、少年は独り言を呟いた。


『CRONUS』の事務所に来てみれば、いつもの通り職員たちが待機…というには、少しだけ時間が早かったようだ。

「…あ、おはよ。一哉じゃん。今日は遅いね」

長い黒髪の少女、紬が一哉に向けて挨拶する。

「そりゃいつも早すぎるくらいだからね。そういう久遠寺さんは…いつも通り早いね」

「5分前行動、10分前行動は当たり前だよ。むしろ皆が遅すぎるくらいだからね。…華月さんはまだ寝てるみたいだけど」

「相変わらずだな…って思ったけど、藍原さんはもう来てるか」

「九条くんおはよー。今日メイク結構上手く決まってさー。いても経ってもいられないから早めに」

「いやいつも早いし。何というか、藍原さんってこういうとこ妙に真面目だよね」

いつものように、ポーズを決めてアピールをする優芽に、一哉が冷徹に言い放つ。


「マジっ……!?いや、別にあたしそんなんじゃないし。というか一回遅刻したことあったじゃん!?」

「あれ、白川さんから聞いたけど、道に迷ってる人の道案内してて遅れたんだろ」

「…何でバラしたの小春ちゃん!?」

慌てる優芽をからかいながら、一哉はまだ来ない悠希の到着と、仕事の始まりを待った。

いささか賑やかすぎるが、この光景は一哉にとっては、嫌なものではなかった。

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