第90話 『許し』
「…で、これは一体どういう状況なんだ。ちょっと説明してくれるか紬」
「だから説明しましたよね。鳴海さんがいつの間にか敵の方から離脱して、小春を逃がそうと能力使って顔変えて自分は小春に成り代わって、であと私達は問題の敵と戦って何とか勝ちました」
「やれやれ、ボケるにはまだ早い歳だと思ってたんだがな。紬の言ってる事がさっぱり理解できん」
「私だって言ってて意味わかんないんですよ!というか鳴海さんは何考えてこんなややこしいことしたんですか!」
「…だからそれも説明したはずだが?」
紬はひたすらに、頭を悩ませていた。
実のところ、紬自身もまるで理解できていないのだ。仮にあの『蟷螂』と名乗る男を倒すのが目的だとして、小春を突き放す意味はあったのだろうかと。
「まあ、鳴海クンと言ったっけ?さっきはちょっと意地悪を言ってしまったが。要するに君のしたいことはよくわかる。この『CRONUS』に所属することが、より危険な道だということもな」
「…だから悪かったとは思ってますよ」
「ああ。要するに僕の大切な所員の顔を勝手に弄った挙句、『お前らのせいでこいつは不幸になった』だのなんだの失礼なこと言った件については、僕はしばらく許すつもりはない」
あくまでも、華月は厳しい態度を崩すつもりはなかった。
「…ちょっと華月さん」
「いや、君も正直納得出来てなかっただろう。その、あれだ。鳴海クン、君はもう少し他人と協調することを覚えた方がいい。君なりに小春を守ろうとしたという点については感謝はする。納得はしかねるがな。ところで…」
華月は視線を小春の方へと移す。
「…これについて小春の合意は貰ったのか?」
「一応話は聞いてたけど、気づいたら気を失っててそのまま……」
「やっぱさっきの台詞はなしだ!反省するまでうちの事務所の敷居もまたがせないからな!」
「……正直、何も言えないです。悪かった、です」
鳴海は目を逸らしながら、すっかりうなだれていた。実際、小春の合意も得ずに勝手な事をしたのは事実だ。
それに、見た目を変えるということは、自分の認識が危うくなるという重たいリスクもあったが、鳴海はそれすらも承知した上で強行したのだ。
「ええい、小春の顔でそういうことを言われると調子が狂う。だがその…なんだ。能力、使えなくなったのだろう?」
「はい……そうです……」
「なら仕方ないか、とは言わん。だが、身体の一部位を失うことで能力を失うというケースは過去にも見た。だから、君は能力をまた使えるようにする方法を探してくれ。それは君のみならず、他の人間にとっても役に立つ結果になると思う」
「はい……」
鳴海は何も言わず、ただ頷くしかなかった。
「能力を取り戻したら、必ず小春の顔をもとに戻すという約束をしてくれ。それで君のことは許そう。構わないか?」
「……はい」
鳴海の目からは、涙がこぼれ出していた。
「…こんな自分でも、まだやり直すチャンス、くれるんだな……」
「……夏、生。夏生なのか?」
「ああ。まだ、そんな父親みたいな顔で、俺の方を見るんだな」
監禁され衰弱していた麻木は、自力で立つことすらも難しい状態だった。
夏生は、もしこの男に会ったら、どれほどの罵声を浴びせてやろうかと、そういう復讐心でここに来ていた。
だが、実際に男の顔を見れば、そんな気すらも何故か起きなくなってしまっていた。
明らかに増えた白髪に、痩けた頬。そして、衰弱したせいもあるだろうが、あの頃以上に覇気を失ってしまった表情。
そんな姿を見てしまった夏生が、これまで考えていた百の罵声は、頭のどこかへと消え去ってしまった。
「まだお前は、夏生は。私のことを恨んでいるか?」
「恨んでいるさ。勝手に俺達のことを放っておいて、一人でどっかに行って」
あの時のことはまだ鮮明に覚えている。
ネットニュースで、SNSで、何度も浴びせられる父親への罵声。
麻木栄次郎という人物をよく知らない人間が、憶測でただひたすらにあることないことを発信する。
まだ幼かった夏生にとって、父親がよく知らない人間に何度も罵声を浴びせられたという出来事は、10年残るような心の傷になるには充分なものだった。
母親には何度も、ネットニュースもSNSも見るなと釘を刺された。だが、100の罵声の中に、少しでも父を信じる声がないかと、親に隠れて何度もそれを探した。
だが、大衆の意見という海の中に、それに反対する意見はすぐに流されて消えてしまう。
だから、麻木夏生…いや、坂巻夏生は、父親を『嫌うことにした』。
自分がこんなにも不幸になっているのは、麻木栄次郎という男のせいだと。
そして大衆に、誰かに迎合しない自由な人生を生きてやろうと。
ギリシア神話のイカロスのように、こんな醜い地上からは抜け出して、空を自由に飛び回ってやろうと、そう思った。
だが、今こうして麻木栄次郎に会ってから、改めて考える。
自分の人生は、自由などとは程遠いものだったと。自由を掲げながら、その実。まだ醜い地上に足を取られていたままだったと。
「夏生。怪我をしているな。早く病院に行った方がいい。私は自力で戻るから、早く……」
「………」
夏生は何も言わず、そっと手を差し伸べる。
「立てないんだろう?這って進むあんたの姿なんて見たくない。だから、何とか立ち上がってくれ」
「……ああ」
こうして麻木は、ゆっくりと立ち上がる。
自分の脚で、再び歩き出すために。
「覚えてるかい?夏生。昔、勉強についていけないから塾に行こうって言ったら、嫌だって泣き出した時の話」
「だいぶ前の話だろ?そんな昔のことわざわざ掘り返さないでくれよ」
「あの時なんて言ったか覚えてるかい?あれ、今でも思い出したらおかしてたまらなくってな」
「『お母さんと離れたくない』だっけ?母さんにも何度も言われたよ。夏生は甘えん坊だねって。正直、今でもたまに言われる」
「もうすぐ二十歳だろう?少しは親離れをした方がいいんじゃないかい?『父さん』は少し心配だよ」
「あんたなんかに心配されなくても、オレは大丈夫だよ。そうだ、一つだけ伝えたいことがある。もしあんたに会ったら、一度だけ伝えておいてって言われた事」
「なんだい?」
「『母さんは、父さんのこと恨んでなんかいない。またいつか、3人で暮らせるようになったらいいね』ってさ。去年、誕生日に言われたよ。ああ、そうだ。誕生日で思い出した」
「父さん、誕生日おめでとう」




