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第87話 勝利と犠牲

舌なめずりの音が、静かなはずの学習塾跡に響く。

「本当は先に人質共を殺してからでも良かったのですが、あなたたちのような厄介者を放置していくわけにもいきますまい。さぁ…『蟷螂』の裁きの名のもとに、全員、死ね」

男…蟷螂は腕を大きく伸ばし、紬に向けて襲い掛かった。

「……っ!!」

避けようとする紬だったが、蟷螂の持つナイフが掠ったのか、少しだけ痛みが走る。


「避けようとしても無駄ですよぉ。アナタたちに、私の間合いが読めますかねぇ!?」

続いて蟷螂が狙ったターゲットは…この場で最も弱そうな人間……優芽だった。

「危ないっ!!」

すぐさま、夏生が土の壁を展開する。優芽に接触する直前で、男の腕はその場で弾かれた。

「ふふっ…噂には聞いていましたが、厄介な能力を持っていますねぇ、『麻木夏生』君!!」

「…オレをその名前で呼ぶな!!」

憤慨する夏生に、男が近づいていく。

まるで本物の虫のように、俊敏な動きで壁を越え、飛び掛かっていく。


「アナタこそ、大切な父親からもらった苗字を否定するなど、随分な親不孝者ですね。まさにこの父親が殺されようとしているというのに!!」

夏生も上空からの攻撃には能力で対応できないのか、腕で男の攻撃を防御する。だが、そんなもので間に合うはずもなく。

「ぐっ、あああああああああああ!!!!!!」

「夏生くんっ!」

夏生の左腕から、赤黒い血が飛び散る。今まで経験したことのない痛みに、夏生の意識は朦朧とし始める。

「さて、ではこちらの方も……」

バァン。

渇いた空気を割く音が響く。銃声だ。男に向けて銃弾を放ったのは……。


「勝ち誇って背後を見るのを怠るなんて、バカのすることじゃない?」

一哉だった。少年が持つ煙を吐き出す銃の方に、蟷螂は振り返る。

「おっと、図星だったかな。まあ、おっさんなかなか小物そうだもんな。それに、この集団相手じゃ、対応するのも難しいはずだし……」

男は空中へと飛び上がる。

男は一哉からの挑発に乗ることはなかった。一哉自身も引っかかってくれれば上々くらいの考えでの挑発だったが、こうも乗らないとなれば不愉快だと、一哉は小さく舌打ちをする。


蟷螂は次の獲物を見定めていた。何より、彼は気づいていた。

…彼らは皆、空中から飛んでくる相手には対応できないと。だから、男は空中へと飛び上がることにした。才能<ギフト>による身体能力の強化で、男はこんなことが出来るようになっていた。だが。

「おらぁっ!!」

飛び掛かる男の身体に、重たい衝撃が襲う。男が下を見れば、髪色の明るい少年が、勝ち誇ったようにニッと笑みを浮かべていた。

「飛べるの、オジサンだけじゃないんだぜ!!」

少年…悠希は男を殴打した後、そのまま膝蹴りを浴びせた。制御を失った男の身体は、そのまま地面へと落下していく…かのように思われた。


男は受け身を取っていた。

明らかに、人間が取るような姿勢ではない。あえて喩えるのであれば、大昔の映画で、悪魔に取りつかれた人間が取った姿勢のような。そんな不気味な恰好で、男は着地した。

「私は今まで何人の人間を殺したと思いますかぁ?」

「聞いたことないな。私も興味がない」

鳴海ですら、どうやら聞いたことがないような話だったが、それでも無視して男は話を続ける。

「65人!!そう、65人も殺してきましたァ!!あなたたち「CRONUS」を最初に殺そうとしたあの『雑魚』とは比べ物にならないほど。今日でそれが74人に増える。100人殺してもまだ足りないとは思いますがねぇッ!!!」

吠えたてる男に、その場にいる全員が戦慄した。


「私はねぇ、殺しでしか自分の魂の渇きを満たせないんですよ。人の命を何だと思ってるんだとか、殺した人間に謝れだとか、そういうことだって何度も言われました」

体勢を立て直した蟷螂は、改めて細長い腕につけたナイフを構える。

「全~~~~然響きませんねェ!!!!そんなのは綺麗事に過ぎませェん!能力者が人を殺し殺されるこの世界で、そんな甘っちょろい考えでいるから死ぬんですよ。ワタシから見れば愚か以外の何物でもない。だから、ワタシのような人間に……命を、屠られるっていうわけなんですねぇ!!」

--小春の視界に、赤黒い血が飛び散る。目の前にいたのは、かつての自分と同じ顔をした、六条鳴海の姿。

自分を庇って、鮮血を撒き散らし傷を負う鳴海の姿を、小春は予知した。


「死ねェェッ!」

甲高い、不愉快な叫び声と共に、死神の鎌が振り下ろされる。

小春には鳴海が『庇いに来る』のは見えていた。なので、本能的になのだろう、足が動いた。

「何、しやがる……!」

鳴海はそのまま、その場に倒れ込み、服に土がつく。多少の痛みはあるだろうが、それでもあの蟷螂と名乗る男に傷をつけられるよりは、よほどマシなはずだ。

「お前が…突き飛ばしたら……お前の方が…傷つくかも…しれないだろ……!大体、何でここに来た!お前は!何も知らずに生きてた方が!」

「…見えたの。鳴海さんが、死ぬ未来が!だから、私ずっと鳴海さんのこと探してた!放って、生きてくなんてこと、私には出来ない……!」


小春には全てが見えていた。

この戦いの結末も、自分が介入しなければどうなるのかも。

鳴海は死んでしまい、夏生と紬も瀕死の重傷を負う。…一哉と悠希、優芽がどうなったかまではわからないが、少なくとも無事では済まない。

自分が介入しなくても、この戦いに勝つという未来は見えている。けれど、それは『犠牲を払っての勝利』だ。

そんなものは、小春にとって勝利と呼べるものじゃなかった。

既に夏生は傷を負い、立っているのもやっとな程フラフラしている。だが、ここからでも運命を『変えられる』余地は、充分に残っていると、小春は確信していた。


「ああ、本当に厄介ですねぇ。その能力。だからこそ、私達はそれを欲しがっていたといいますのに」

「信じられなかったけど、彼女。本当に未来が見えるのか」

鳴海と成り代わっていたとしても、なお少し不自然だった彼女の行動。

それは、本当に『未来が見えていた』ということそのものに過ぎないわけで。

超常的過ぎる能力に半信半疑であった夏生も、納得せざるを得ないものであった。


「あなたたち、本当にその『イクス・アイズ』が未来予知の能力だと、まだ勘違いしているのですか?」

「はぁ……?勘違い……?」

紬は目を丸くする。

そしてそれは、小春自身も自覚していなかったようで、小春もまた、同じように目を丸くしていた。


「『イクス・アイズ』は未来予知の能力などではない、未来改変の能力なんですよ」

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