第82話 崇高な目的
「しくじ、ったな……」
埃臭い部屋の中で、新島華月は目を覚ました。
周囲の様子と、鉄格子のようなものを見るに、おそらく独房だろうか。まるで罪人扱いされているようで、とても目覚めが悪い。
近くに目を向ければ、手を後ろに回して拘束されている麻木栄次郎の姿がそこにあった。麻木はまるで眠っているかのように、気を失っている。
記憶にあるのはいつだったか。そう、あのファミレス内で謎の男が襲ってきたこと。
そして、あの男と戦闘し……敗北したこと。
吸血鬼≪ヴァンパイア≫である自分は、どんな傷でも立ちどころに治る。治ってしまう。しかし、男につけられた傷は、まるで治癒することはなかった。
それどころか、つけられた傷が激しく疼き、そのショックで華月は満足に動くことが出来なかったのだ。
「今でも傷が痛むな、これは……あれか?」
心当たりは一つしかない。そもそも、あの鈍く光る光を見て、その時点で退却すれば良かったのだ。
吸血鬼、怪異の弱点の一つである、銀。
魔除けとして用いられる金属であり、魔のものへの特効武器として、稀に作られることがあるという、銀のナイフ。
何故あの男がそんなものを所持していたのかはわからない。だが、敗北して捕まったということには変わらない。
こつん、こつんという足音が、嫌な臭いのする部屋の中に響く。
「……目、覚ましましたかねぇ?ぶつぶつ独り言言ってるのが聞こえたもので」
男が長い前髪の奥から、ねばついた視線を華月の方へと向けてくる。
「随分と耳がいいんだな。生憎、先ほど起きたばかりだよ」
「五感には自信がありましてねぇ……私もあなたとは違う意味で『化け物』なのですよ……」
「まさか自慢話をしに来たわけでもないだろう?わざわざ僕に顔をこう近づけてきているということは、対話をしたいという意志があるというわけだ」
追い詰められた状況にあっても、華月は一切表情を変えなかった。
それを顔に出してしまえば、相手に有利を気取られてしまうから。
「よくわかりましたねぇ。私は貴女と話がしたい。見張り役というのは随分と退屈なものでしてね。自由に動けないものですから『溜まってしまってしょうがない』のですよ……」
「随分と下品な言い回しをするじゃないか」
「正直な事を言うのであれば、私は貴女をここで切り刻んでしまいたい。私には生まれつきそういった殺人衝動のようなものがありましてねェ……本当に忌まわしい衝動です。これも何もかも、才能<ギフト>というもののせいだ」
男は大きく裂けた口から涎を垂らしながら語り始める。
「私の能力は人を殺せる。…と言っても、手足を自由自在に伸び縮みできるというだけのものなのですが。…私はこの世から才能<ギフト>というものを消したい。それがなくなれば、私がこの衝動に悩まされることはない。衝動があっても生きていたい。…ねぇ、あなたもそうは思いませんか?」
「…何を言っているんだ」
「アナタ、知っているんですよ?もう私の倍ほど生きているんですってね。そのまま老いもせず、背も伸びず、一生その子供のような見た目のまま。それでは不便も多いでしょう。隣にいる友はどんどんと老いていくのに、自分は時が止まったまま」
華月の方を指さしながら、男の口調はどんどん熱くなっていく。
「『Avalon』の目的は才能<ギフト>を世界から消し去る事。この崇高な目的を、アナタ方如きに邪魔されたくはないんですよ。まさか新島由良があっさり倒されるとは思いませんでしたが、こういったイレギュラーも計画の内。
新島華月さん。アナタも私の仲間になりませんか?」
男は華月に対して、誘いを向けた。
「僕はその崇高な目的とやらが、少数であっても犠牲を伴うものであれば、協力したいとは思わないがね」
「甘い。アナタは甘い。かつてこの国を平定するのに、いくつの血が流れたか。どれだけの殺し合いを経て、平和を実現したか。わからないのですか?必要な犠牲なんですよ。何かをなすには犠牲が必要だ」
「それは単なる正当化に過ぎないな。第一、お前たちは必要な犠牲と称して殺人愉しむような奴だって組織に入れてるだろう。あれも必要な犠牲だというのか?殺された者達の魂が浮かばれないな」
「…この世界にあの世などない。魂だ冥福だというのは、死んだ人間を無視できない人間の甘えに過ぎないのです。犠牲を忘れたくなくて、死んだ人間に縋りたいだけの幻想。それを持ち出すとは、期待していたより貴女も頭が悪いようだ」
「その頭の悪い人間に、理解されないとわかっていてそんな力説するお前も、大概頭が悪いんだな?」
売り言葉に買い言葉ではあるが、それでも男の詭弁に、華月は我慢がならなかった。
「…まあいいでしょう。アナタのような失礼な態度、アナタが人質でなければ殺していましたよ?ですが私もそこまで短気じゃあない。暇潰しにはなりました。それと、アナタ、私の名前がわからないんじゃあ、困るでしょうね」
「これから殺すかもしれないのにか?」
「自分を殺す人間の名前を知らないで逝くのは、私も心が痛む。蟷螂。それが私の名です。せめてこれが最後に聞く名前でないことを、せいぜいお祈りなさい」
そう言って、男は独房を出て行った。
相変わらず、麻木はぐったりとしているままで、目を覚ます様子はない。
「出来れば脱出をしたいんだが…流石に麻木先輩を連れて脱出は僕には無理だ」
<吸血鬼>である華月の身体能力は一般的な女性と比べても随分と高い。
しかし、流石に自分の倍は体重があるであろう麻木栄次郎を連れての脱出は、さすがの華月でも不可能だ。そもそも、脱力している状態の人間はより重たくなる。
助けを待つべきか。それとも、何とかして自力で自分だけでも生き延びるか。
いや、それでは意味がない。
他人を見捨ててまで生き延びた所で、それは華月のプライドが許さない。
「…やはり、あの子たちを信じるしかなさそうだな」
今もなお、自分たちのために戦っているであろう所員たちの顔を浮かべながら、身体を脱力させた。
「今の僕に出来ることはない。出来るのは、待つことだけか」




