第74話 見えない未来
「なあ、僕は一体、どうしたらいいと思う?」
吐き捨てるように、鳴海が小さく呟く。
だが、小春自身にもそれは、答えが出せるようなものじゃなかった。
「えっと。私にはわからないんだけど、鳴海くん?鳴海ちゃん?どっち?今までは、どうしてたの?」
相手は敵であるはずなのに、小さくうずくまったその背中は、とても他人のものとは思えなかった。
「私に性別はない。それどころか、もう自分がどんな姿だったのかも、どんな名前だったのかも知らない。あの顔だって、誰かからコピーしたものに過ぎない」
そんな風に鳴海に話を聞いていて、小春には一つ気づくことがあった。
「えっと…鳴海くん、でいいかな。失礼なこと言っちゃうかもしれないけど、鳴海くんって、喋り方……僕とか俺とか、色々変わっちゃうし、なんか、不思議だな、って思って」
出来るだけ鳴海を傷付けないように、言葉を選んで小春はそれを口にした。
「ああ、それか?気になるか?やっぱり気になるだろ?」
呆れたような顔で、鳴海は小春の方を見る。
「俺には『自分』がないんだ。性別もわからない、姿も名前もわからない。何なら、何年生きているのかすら曖昧だ。20年前後っていうのだけはわかるけど、じきにそれすらもわからなくなる」
どんな人物にでも化けることが出来るという鳴海は、同時に本来の自分の姿すらも、どこかに置いていってしまった。
小春は今まで、一般的に見れば不幸な身の上に自分を置いていた。しかし、『白川小春』という名前も、家族も、苦しくてもそれはずっと持っていたものだった。
だが、鳴海にはそれすらなかった。
自分の人生を決めるための『自分』というものすら持たないなんて、そんな不幸な人生があってなるものかと、同情にも似たような感情を、小春は抱いていた。
「憐れむなよ。憐れまれるのは慣れてる。夏生だって同じ目で僕のことを見てたさ。」
「夏生さんが、かぁ……」
「夏生だってそれなりに色々ある人生を歩んでる。直接は聞いたことないけど、家の事情がちょっと特殊らしいんだ。でも、そんな人生を歩んでるやつが、同じ話をしたら私のことを憐れんでた。何でだろうな。僕は『Avalon』に定められたように生きていれば、それで問題なかったのに」
『Avalon』。
かつて聞いた名前。その正体が何なのかはわからない。ただ、それが鳴海という人物にとっての生きる目標、小春自身にとっての『CRONUS』に近い存在だということは、大方察しがついていた。
「でも、オレは『Avalon』からの指令を全く達成できなかった。樹里はあんなに上手くやってるのにな。なあ、この先。本当にどうしたらいいと思う?」
「それは……」
小春は考え込んだ。だが、答えが出るわけもない。
自分の人生すら、わからない所だらけなのに、他人の人生までわかるはずもなかった。
「もうすっかり安心した顔してるな。実は今の話は嘘でした、お前を油断させるための罠だよ!なんて言って襲い掛かってきたら、どうするつもりだったんだ?」
「大丈夫だよ」
「はぁ?」
小春の表情は、鳴海が不可解にしか思えないほどに冷静だった。
「全部『見える』から。だから、もし君が襲い掛かってきたとしても、全部大丈夫」
「…でも、樹里の弾丸は避けられなかったじゃないか。もし僕があの手の能力を持ってたとしたら……」
「君の能力は変身能力でしょ?だから、樹里さんみたいな事は起きない。本当は、まだちょっと怖いけど……でも。こうやって話をしてくれたっていうことは、こうやって騙したりはしないだろうなって、信じたかったからさ」
「何なんだよこいつ……」
自分を殺そうとしてきた相手に、何故そんな顔が出来るのだろう。
鳴海の心は、大いに乱されていた。
最初はただ、この目の前の少女を、半殺しにすればいいとだけ指令を受けていた。だが、それは失敗して、これが今は何だ。向かい合って、自分の境遇なんか話してしまっている。
どういうことだ。これじゃあまるで。
目の前の少女に、自分の『居場所』になるように求めているようじゃないか、と……。
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「ああ、思い出したよ。確か、10年くらい前の話だったかな。才能<ギフト>を持つ者を保護しようという法律が制定されることになった、というニュースがあった」
「10年前かぁ。あたしはちっちゃい頃だったからわからないけど、そんなのあったの?」
「国が異能力者そのものを管理しようというような法律だ。強力な才能<ギフト>を適切に運用するためのな。だが…それは成されなかった。何故だったか」
2086年。このようなニュースが日本中を騒がせた。
異能力者保護観察法。そんな法律を制定しようとした政党の政治家が、一斉に不祥事で失脚した。
ある者は不正な賄賂を行った、ある者は非合法な組織と繋がっていた。そんなニュースが日夜報道されていた。
だが、あまりにもタイミングのおかしな報道に、何者かの陰謀ではないかという疑惑まで持ち上がり、現在でも様々な議論が成されている。
「そして……。その失脚した政治家の名前に、あなたの名前もあったのだろう?麻木栄次郎氏」
「私はまだ当時若かったからね。その中でもほとんど下っ端だった。だが、だからこそ簡単に足切りをされてしまった。報道が真実だったかどうかも私にはわからない」
世界を変えようという大きな意志は、簡単に打ち砕かれてしまった。
痩せこけた頬と目の下の濃い隈は、麻木の深い絶望の現れなのだろう。
「職を失い、妻と息子にも逃げられて、今はこんな落ちぶれたただの中年にまでなり下がった。できればこんな姿、お前には見られたくなかったよ、新島」
「僕だって見たくなかったさ。しかし、まさかそんな事があっただなんてな。いくら僕だけこんな姿だからといって、旧友と連絡も一切取らないというのも、こりゃ考えものだな」
「あたしだって小春ちゃんと久々に会ったのこの間の話だしー、それは華月さんだけの話じゃなくなーい?」
「…いや。それはそうなんだがな、ほら。未だに子供にしか見えない姿だと、色々と説明が面倒でな……」
華月もきっと容姿のことで、自分とは別の苦労をしてきたのだろう。
そう思った優芽は、あえてこの先は聞かないと心に決めた。
「新島。お前だけはせめて仕事頑張れよ。私はもう頑張れなくなってしまったからな」
「そんなことを言うんじゃない。まだ人生は30年くらいあるんだぞ?せっかくだし、困ったときは僕の事務所にでも来るといい」
そう言いながら、華月は麻木に名刺を手渡した。
「悪いけど、探偵に払う金なんてないぞ?」
「落ちぶれた中年から金を搾り取るほど金には困ってない。特別料金だ、安くしてやる」
そんな会話をしている2人の耳に、予想だにしない音が聞こえてくる。
ガラスが割れる音とともに、窓から何者かが侵入してきた。
ボサボサに伸びた前髪の奥から薄暗い視線を覗かせ、異様に長く伸びた腕をだらりと垂らしたその男は、麻木のことを舐め回すように見た後、
「麻木さぁん、言いましたよねぇ。あんたはもうこの世にいちゃいけないって」
粘着質な声で、そう宣言した。




