第72話 ゲーム・オーバー
バン。
空を強く切るようなその音に、3人の警戒心が最高潮まで高まる。
だが、まだ少し違和感がある。そしてやがて、冷静になった紬は、その違和感が、確信へと変わっていった。
樹里は『銃を持っていない』。
「あっはは、こんな音出しただけでビビっちゃった顔して面白ーい!」
バァン。
また、銃の音がする。小春の命を危うく奪う所だったその音が、聞こえてくる。
だが勿論撃たれたわけではない。隣にいる一哉も夏生も、ああやって撃たれた様子はなかった。
それもそのはず。その音は、彼女の『口から出ていたのだ』。
「声帯模写ってやつかな?特技なんだろうけど、随分悪趣味なことするんだね」
「面白い特技でしょ?ほら、ばーん」
今度はこちらを挑発するかのように、子供の下手なモノマネのような声を出した。
「…今確信したよ。こいつ、完全に『僕たちのこと舐め腐ってる』」
「樹里は元々こっちをからかうようなことはよくやるけど、こんなあからさまな挑発じみたことはしてこなかった。何か狙いがあるのかもしれない」
3人はお互いにアイコンタクトを送る。この挑発は、おそらく何か仕掛けてくる合図なのだろう。だから、今は何もしない。それを、3人で確認しあった。
「ねぇ夏生」
その声と共に、また空を切るような銃声がこだました。
その瞬間。
夏生の背後にあった木が、真っ二つに割れていた。
あたりに漂うのは、焦げ臭い薬莢の匂い。そして、木が焦げた匂い。
「今のはフェイントじゃなかった……撃ったのか。しかもわざと背後に」
「私はね、夏生のことは今でも大事な友達だと思ってるし、だから殺したくない」
「どの口が……!」
そう語る樹里の表情は、あの時……『イカロスの翼』の部屋で見たそれと、全く同じなように、紬には見えた。
本心。
だからこそ、これを堂々と言えてしまう意図が、紬にはよくわからなかった。
「これは本当だよ?でもそこの二人については違うかな。わざわざ殺さない理由がない」
紬の右腕の周りに、バチバチと電流が走る。もう、我慢ならなくなってしまっていた。たとえ、夏生の旧友だろうとなんだろうと、この女性を目の前から排除しなければ、おそらく気が済まないだろうと、彼女はそう考えていた。
「だって、イクス・アイズの彼女さ、君にものすごい好意抱いてるだろ。それこそ、友情を越えた何かのように私には見える。恋愛感情ではないだろうけどね。それはたとえるなら……そうだな」
「愛してたまらない家族、とかね」
うっすらと樹里の口もとが歪む。
「何が言いたいの……!」
「君を殺せば彼女が絶望してくれると思ってね!!」
空を切る銃弾の音。おそらく今度こそその銃声は本物だと、紬は確信していた。
時に音速を越える、そうでなくてもそれ以上の速度で飛んでくるであろうそれは、『見て避ける』など言語道断。
何より、この銃による攻撃は、小春でも避けることが出来なかった。
死。
次の瞬間、自分の脳天か胸か。急所に銃弾が命中し、倒れ伏す様を紬は幻視した。
だが、その時はいつになってもやってこない。
「……へえ」
紬の眼前に見えたのは、岩の壁のようなものだ。自分の身長ほどあるそれが、身を守ってくれていたのだ。
「やらせない。お前に、人なんて殺させない!!」
守ってくれていたのは夏生だった。
紬の前に立って、土の壁を作っていた。壁には大きな穴が開いていたが、どうやら銃弾はこれで止められていたようだ。
「やるじゃん。いっつも能力の出が遅いってぼやいてたのに、今日は間に合ったんだね」
「幼馴染と仲間の危機のおかげで、覚醒でもしちゃったのかもな。ただ、お前に誰かを殺してほしくないのはそうだ。何度撃ってこようと、全部止める!!」
「全部止める、かぁ。随分カッコいいこと言うけどさ、本当にそれ出来ると思ってる?あと。そんな甘っちょろいこと言うけど、残念。私もう、殺してるんだよね。たったの2人か3人だけど」
「………そんな、嘘だろ……!」
夏生の顔が絶望に染まる。彼の幼馴染は、もう既にその手を血に染め、人の命を奪っている。
あまつさえ、彼女はそれを「たったの2人か3人」などと言っているのだ。
決定的に価値観が違う。生きている世界が違う。
高橋樹里という女性は、もうとっくに自分たちと同じ世界に生きる人間なのではないのだ。
「ああ、でもごめんね。夏生のことは、今でも大切な友達だと思ってるよ。でもだからこそさ、私の邪魔をするなら殺すしかない。大切な友達を殺さないといけないなんて悲しいなぁ」
「白々しい……!悲しいっていうのも、夏生さんのことが大切だっていうのも、どっちも嘘でしょ?あなたの言葉は何も信用できない。早くその口を閉じろ!」
「ひっどいこと言うなぁ」
樹里が銃を掲げ、紬の方に向ける。今すぐにでも、撃てるという合図だ。
「私は嘘をつかないよ?夏生のことが大切だっていうのも、夏生を殺したくないっていうのもさ。それを勝手に決めつけるなんて、酷いと思わない?」
「酷いと思うならさ、信用されるような言動をしろよ。さっきから掌の上で転がそうとして、気色悪いんだ。余計なことを言い過ぎだ」
バァン。
またも、銃弾が飛んでくる音がする。
夏生が紬の眼前に、土の壁を展開する。しかし、その土の壁に何かが飛んでくることはなかった。
「フェイント……!」
「あんまり煽っちゃって、私が逆上して銃撃ってたら、君ら全員皆殺しだったんだけど、いいのかな?」
「くっ……!!」
間違いない。この場の生殺与奪はこの樹里が握っている。
その事実を認識した途端に、紬の心の中に、どうしようもない焦りと苛立ちが燻り続ける。
だが、電撃を上手く指向させるには指を相手の方に向ける必要がある。
そんな動作を取られてしまっては、向こうもすぐに銃を撃たなくてはいけなくなる。
無理だ。
どうあっても、樹里に対して出せる手がない。
夏生の防御も、いつまで出来るかはわからないし、一哉はこの場においてまだ何も出来ないでいる。
手詰まり。
一度撤退でもするか、いや。居場所がわかられている以上、ここでどうにかしなければいずれ全員殺されてしまうだろう。
だが、ここで悩んでいてもどのみちその状況は変わらない。
焦りと苛立ちで、思考が上手くまとまらず、紬はますますどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
「……ね、久遠寺さん」
「一哉?」
「弱点、わかったかもしれない」
小声でつぶやく一哉の声は、まさしく絶望の中に光る一筋の光のようだった。




