第71話 ワイルド・カード
さっきまで立つのもやっとだった身体の意識が、はっきりしている。
2,3度倒れ込みそうになったが、それでも何とか中川と会い、傷を治してもらうことに成功した。
白川小春は、改めて動けるようになった自分の身体に感謝しながら、病院に戻ろうと道を歩いた。
すると彼女はここで、あることに気づく。
「病院までの道、どっちだっけ……」
ようやく落ち着いた彼女は、ある一つの大事な事が頭からすっかり抜けていたことを思い出した。
自分は『方向音痴』だということを---!
見渡す限りほとんど住宅街。歩いても歩いてもほとんど景色が変わらず、目の前に見える目印は見慣れぬ表札ばかり。
「道、迷っちゃった……」
デバイスを使い連絡でも取ろうか。いやしかし、この病院を脱走しているという状態で連絡を取るというややこしいことを出来るわけもなく。
そもそもにして、自分が今どこにいるのかという認識すら出来ていないのだ。
少なくとも、目印の見つかる場所くらいには出た方がいいだろうか。
そこから電話をかけて…紬にでも連絡をしようか。
紬は、今自分が病院を脱走していることを知っているだろうか。いやそもそも、どこにいて何をしているのか全く見当がつかない。
なんてことを考えていると、不意に紬に逢いたくなってしまった。
寂しさが心の中に溢れて来て、思わず走り出しそうになる……が。
「走っちゃ、キズ開いちゃうもんね…」
何とか自分に言い聞かせて、自制心で踏みとどまる。
だがしかし、歩き出すという事そのものをやめる気は一切なく。
しばらく歩いていると、小春も見たことのある公園があった。
確か、かつてのアルバイト先の近くだったか。…ん?だとするならば、ちょっと走っていけば「CRONUS」まで辿り着けるのでは……?
そんな考えが頭をよぎり、「CRONUS」までの道を思い出そうと、頭の中の記憶を必死に手繰り寄せる。
もう電話しようということすらも忘れて、公園の力をフラフラと歩き始めた、その時。
小春の眼前に、目を疑う光景が広がっていた。
なんと、自分と同じ顔をした人間が、公園の近くを歩いていたのだ。
服装こそフードのついたパーカーにやや短いスカートという普段の自分とはまるで違うものだったが、紛れもない、その顔は自分そのものだ。
「え?え?なんで?何で私が2人?もしかしてもしかして……え?」
数瞬の間。必死に思い出そうと頭をひねる。
「アッペルなんとか!!!!」
「ドッペルゲンガーだよ!!!!!」
「あっ……え?」
アッペルなんとか…ではない。小春と同じ顔をしたドッペルゲンガーが、思わぬ飛び出した発言に対し、まさかの返事をしてきたのだ。
「あ、いや悪い。お前が思った以上に斜め上のボケをかますからつい」
小春と同じ顔をした謎の人物は、呆れた顔でこちらの方を見てきていた。
「あ……あのえっと……あなたえっと…どなたですか」
「どなたですかって…お前知らないのか?知らないならいいや。とりあえずドッペルゲンガーなんてくだらないもんじゃない」
ドッペルゲンガーではない、と否定するその人物の身体が、ぐにゃぐにゃと曲がり始めた。
それはまるで景色そのものが歪んで、視界そのものが違う世界へと切り替わっていくような不思議な体験だった。
数秒の変化の後、目の前に現れたのは……。
「オレの能力はな、何でも知っている人物に姿を変えることができる。結構上位の才能<ギフト>らしくてな。君たちの顔も知っているから、いくらでも化けてやれるってわけ」
邪悪に口の端を歪めた、紬の姿だった。
そしてこの一瞬、小春は思い出す。あの病院の中で見た予知で、自分の身体を突き刺していたのは、目の前にいる人物なのだと----
「今君何も持ってないだろ?僕は君を人質にして「CRONUS」の連中をいくらでも動かすことが出来る。切り札が自ら現れて、こんな簡単な餌で釣られるなんてよ。お前、単純にも程がある」
目の前の紬の姿がまた変化していく。再び、小春の姿に戻っていた。
小春の姿に化けた鳴海は、そのままナイフを構える。
だが、それに対する小春の反応は、予想外のものだった。
「ごめん……ちょっとよく、話が見えてこない。かな」
「はぁ!?お前。俺がいくらでもお前らの知り合いに化けられるってことは、いつでも内部から疑心暗鬼に出来るってことだぞ?僕の力が怖くないのか?」
「怖いよ。確かに怖いけど……でも。あなたが紬さんの振りをして、私に襲いかかってきたのは、"もう見えてた"」
小春は全てを見ていた。正直、何故紬が自分にあんな表情で襲い掛かってきたのか、全く見当はつかなかった。
だが、その答えが自分の前に、わざわざ現れてきたのだ。
「君が私に向かって今ここで襲い掛かってきても、私はそれを"避けることができる"。君の動き、すっごく"遅かった"」
ハッタリ半分、本当に思っていること半分の挑発。
高橋樹里という最悪の敵に会った後に現れたこの人物は、小春にとって最早『対処できる相手』でしかない。
だが実際、万全に動ける状態じゃないし、何度も激しい動きをしてしまえば、また傷が開いてしまうかもしれない。
だから、もし相手が逆上してきて襲い掛かってきたら?
けれど、眼前のドッペルゲンガーは、そんな事をしてくるようには、見えなかった。
「私じゃ、あなたには勝てないってこと?」
「そう思ってくれていいかな」
この緊張状態がいつまで続くか。既に小春の心臓はいつもよりだいぶ激しく動いている。この動きだけで、もう傷が開いてしまいそうで、それにドクンドクンと鳴る音も、静かな公園の周りにより強く響いてくる。
「っは、そうかよ。オレの能力に余裕で対処できるときたか。せっかくイクス・アイズを捕獲しなきゃいけないって言われたのに、これじゃな……」
その人物の反応は、小春にとってもやや予想外だった。
「なぁ、僕は今、どうしたらいいと思う?」
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同刻。
閑静な住宅街を歩いていた最中の紬、夏生、一哉の3名の耳に、聞き覚えのない音がこだました。
「…今の、銃の音だよな?」
「間違いないね。もしかして、誰か発砲した?」
「小春…じゃない……よね?」
あたりをきょろきょろと見回す3人。そしてその視界に、予想だにしない人物が入った。
「や、夏生。久しぶりだね。元気してた?」
「元気も何も、君のおかげで今それどころじゃないかな!!」




