第66話 狼はどこに消えた?
夢を見ていた。
これはおそらくいつもの「あれ」だろうと、彼女は直感で理解していた。
…少し先の未来の風景が、夢として映し出される。
だから、この映像は今後、実際に起こることだ。
その映像の中で起きていた出来事は……。
何者かが、自分…白川小春を、ナイフで何度も刺しているという光景だった。
銃弾で撃たれた傷を執拗に抉り、恨みがましく、自分を何としてでも殺そうという気迫に、嫌な汗が身体中に浮かんでくる。
痛みに喘ぎ苦しみ、最後に自分が見たものは……。
狂気に染まった瞳で、自らのことを見る、久遠寺紬の顔だった。
ブティックの試着室の前に、少年と少女が待機していた。
「思ったより買い物が長いな……時間が押してる……」
少年…一哉の方は腕を組み、時々イライラしたように、周囲をキョロキョロと見ている。その様子に、周囲の客は彼を避けて歩いているようにも見えた。
少女…紬の方は、時々デバイスで時間を確認しながら、試着室の奥にいる人物が出てくるのを、待っていた。
そして、試着室の中にいる少女の方は……。
「ごめーん、買おうとした服、全然サイズが合わなくって~!」
ようやく出て来たかと思えば、一哉と紬の方に向けて、そんなことを言ってきた。
「さんざん待たせておいてそれか?」
「一哉。イライラしない。それに女の子の買い物は長いものなんだから、ね?そうだよね、優芽ちゃん?」
「もー。一哉くんったらデリカシーなーい」
「…これは僕が悪いのか?」
普段、あまり女性と接しない一哉は、同年代の女性2人と買い物に行くというシチュエーションに慣れず、どうも自分たちとの常識のズレについていけないのか、機嫌の悪さがすっかり表に出てしまっていた。
店を出た頃、紬が不意に足を止める。
「おい、どうしたんだよ?」
「…ごめん。デバイスの方にメッセージが入ってて。ちょっと確認するから待っててね」
「メッセージー?誰からー?」
「手短に頼むよ」
メッセージの送り主は『新島華月』と表示されていた。ということは、もう六条鳴海との交戦が終わったのだろうか。
だが、そのメッセージの中身は、紬が予想するようなものではなかった。
『今後会う人間全てに気をつけろ』
『単独行動は絶対にするな』
あまりにも簡潔すぎるものの、的確に危機を伝えるその2つの文に、紬たちの間で緊張が走る。
「今後会う人間全てに気をつけろ。単独行動は絶対にするな」
「……!」
メッセージを読み上げたのを聞いて、一哉は目を剥いた。
「まさか華月さんたち、六条鳴海を取り逃したんじゃないか?」
「え?今のでわかるの?」
「ああ。要するに、今後会う人間全てに気をつけろっていうことは、会う人間が六条鳴海が化けてる何者かを考慮しなきゃいけないってことだろ。あと、単独行動はするなってことは、そのうち六条鳴海が成り代わって襲い掛かってくるかもしれないってことだ」
一哉の推測から告げられる、六条鳴海を取り逃したという事実。
どこに潜んでいるかわからない『狼』が、街の中のどこかに解き放たれてしまったことを意味する。
「合言葉でも設定しとくか?いや、ダメだ。そもそもこの会話自体も聞かれてるかもしれない」
「…それはその、どういうこと?」
「藍原さん。彼女は元々六条鳴海と親しい存在だった。もし盗聴器か何かつけられていたとしたら、この会話だって全部聴かれている可能性がある」
「盗聴器……」
優芽は顔色を青くする。彼女は元々、そこまで鳴海と親しいわけではなかった。だが、夏生が繋げてくれた運命共同体のうちの1人であることには変わりないのだ。
当然、ショックは受けるものだ。
「ちょっと、カバンの中調べてみてもいい?盗聴器がお家の中にあったとかだったら、もうどうしようもないけど…」
「坂巻さんの方も調べさせた方がいいかもしれないね。あの人仲間を疑うとか絶対しないから、仮に盗聴器が見つかったとしてもそのままにしておくだろ」
「夏生くんそこまでバカじゃないと思うけど~…調べるのはいいよ。もし、優芽のせいで会話盗み聴きされてるとしたら、そんなの…嫌だし」
紬は出来るだけ人のいない場所に移動してから、カバンの中を漁り始めた。
最初優芽に抱いていた印象とは裏腹に、カバンの中はよく整理されていた。小春の話によれば、昔は地味な女の子だったそうだから、案外ああ見えて真面目な所があるのかもしれないと、そんなことを考えた。
いや、それはどちらでもいい。
問題は、この中に盗聴器が仕掛けられているかどうかである。
荷物の山をかき分けて、その中から紬は小さな、本当に小さな機械を発見する。
「これだ……!ねえ優芽さん、この機械に見覚えある?」
「…ない。ほんとに、いつ仕掛けられたのか、あたしにはわかんない」
確信を得た紬は、機械に強い電気を流した。機械はボン、という音を立てて、そのまま煙を吐き出した。
「…さて。これで私達の会話が聴かれることはなくなったわけだけど」
「盗聴器が破壊されたことは向こうも勘づいてるはずだから、仕掛けてくる可能性もある。出来るだけ早くここを離れようか。…ゲームセンターに行けないのは、ちょっと心惜しいけどさ」
「ゲームセンターなら後でいくらでも行けるからね。今は身の安全がとにかく大事」
紬は結果的に、余裕をもって行動出来たとはいえ、どうも自分の作戦は不発に終わった気がしていた。
何なら、事前に何か仕掛けられている可能性まで考えることになり、更に考えることが増えてしまった。
こんな時、華月ならどうしただろうか。小春ならどうしただろうか。この場にいない人物の顔が、次々浮かんでは消えていく。
「…小春ちゃん、大丈夫かなぁ」
駅に向かう最中、優芽がぽろっと、そんなことを口に出した。
「大丈夫だと信じるしかないよ。相手が何をしてくるかはわかんないけど、頼りになる華月さんや悠希だっている。皆何とかしてくれるからこそ、私はCRONUSにいるんだからさ」
「…あたし。昨日の夜眠れなくってさ」
紬は優芽の顔を見る。化粧で誤魔化してはいるが、その目の下には隈が出来ている。眠れなかったという台詞は、嘘ではない本当の事なのだろうと、その隈が伝えていた。
「あたし思うんだ。小春ちゃんがこんなことに巻き込まれたの、あたしのせいなんじゃないかって。あたしが道で小春ちゃんに抱き着いたのが、全部の始まりだったからさ」
「そんな事、小春は絶対思ってない。私達の小春を信じよう。きっと戻ってきてくれるって」
「……うん」
その声のトーンから、いつもの『藍原優芽』ではない、あの仮面をかぶった裏に隠れていた素顔が覗いているように、紬には見えた。
「悠希が昔僕に言ってたんだよ。カズは難しいこと考えすぎだ、世の中そんなに難しくない、って」
「あはは。悠希らしいや」
きっとこんな顔で言っていたのだろうなと、紬は悠希の顔を想像する。それがおかしくて、思わず紬は笑ってしまった。
『3番線に、本町駅行きの電車が参ります。お乗りの方は、白線の内側でお待ちください』
駅のアナウンスが、電車の到着を告げる。ひとまずの『用事』を終えた3人は、そのまま電車に乗り、神楽坂町まで戻ることにした。




