第116話 現実と理想
「おーいそこの少年、頭から血出てっけど、大丈夫かい?」
「うわっ!?なんなんすか急に!?」
悠希に声をかけてきたのは、女性の恰好をした青年だ。だが、名前が思い出せなかった。
「えーっと……確か、警察んとこにいた人、だよね?」
「そうだけど?と言っても、今日はオフだけどね。というかオレ、昨日も君と会っただろ」
「ごめん、なんて名前だったか思い出せない……」
彼は元々人の名前を覚えるのが苦手だった。
なので基本的に愛称をつけて覚えるようにしていたのだが……青年とそこまで親しくなかった悠希は、そういったことも出来ないまま、今名前を思い出さなくてはいけない状況に陥っていた。
「あー。なるほどね。オレは相良広夢。お察しの通りだよ。そして、今日は一人お客さんを連れててね」
そうすると、広夢の近くに隠れていたであろう女性が、悠希のもとへと歩いてきた。
「や、久しぶりだね」
「えっと……お前!」
自分より少し背の高いであろうその女性は、悠希にとっても見覚えのある人物だった。
「……お前は、春ちゃん撃ったやつ!!!」
事務所前は思いの外静かだった。
元々あまり人が住んでいないというのもあったが、外から聞こえる怒号や悲鳴の大合奏はだいぶ遠いものとなり、小春たち3人は久々に落ち着けて腰を据えることが出来た。
だが、微妙に落ち着けていない人物も、そこにはいた。
「…なあ。本当に俺のこと、信用しているのか?」
「完全には信用してないけどね。小春に勝手なことしたのは事実だし。でも……この大変な状況、一人でも協力者がいないといけないから。だから、信用はしないけど協力はする」
紬の四季への目は冷たかった。狭い事務所の中に、重々しい空気が漂い始める。
「俺もお前達のことはあまり信用してない。ただ、俺一人じゃこの事態を解決できない。今の俺は、ただの片腕の無能力者だよ」
そう自嘲するように呟く四季は、どこか遠くを見るように天井を仰いでいた。
「…………ねえ」
「小春?」
「もし、私のこの未来が見える能力がなくなったら、私って…どうなるのかな」
自分の右目を指さしながら、紬に向けて小春はそう語り始めた。
「私って、自分で言うのもなんだけど、結構どんくさいところあるし、これがなくなったら、もう私に出来ることなんてなくなっちゃうのかも、って」
「うーん……正直。私にもよくわかんないな。だって、私からしたら小春はそこにいてくれるだけで嬉しいけど、でも。多分、そういう問題じゃないよね?」
紬の回答に、小春は黙って首を縦に振った。
「言いたいことはわかるがな。君たちはあくまでここの職員であって僕の駒じゃない。何が出来るとか何が出来ないとか、あんまりそういうことを考えるもんじゃないぞ。その考えは必ず『自分って何も出来ない』に帰着する」
「……口ではそう言っても、事実今じゃ才能<ギフト>のあるなしは大きい。きれいごとを言うのはいいが、現実ってものがある」
華月の論に対して、四季はあくまでも、現実は現実であると返した。
「現実なんてもの、生きてれば嫌でも知るさ。それを『教えてやろう』と言うのは、そいつの自信を奪うだけの自己満足だ」
華月はそのまま続ける。
「……っ、ただの理想だ。甘っちょろいだけの考えだ」
「僕は無駄に悲観して絶望するより、甘っちょろい理想を少しでも抱く方が好きだがね」
そのような問答をしているところに、事務所のインターホンが鳴らされる。
「僕が応対する」
立ち上がり玄関まで向かう華月を見送りながら、3人は一体誰だろうと玄関の方へ目線を向けた。
「まさかこんな時に客だなんて話なら、ちょっと面倒なことになるな。というか、俺も客だし」
「そっか…そういえばそうだったよね。なんか、馴染んできちゃってるし」
「前にここに来た時は襲撃犯として、だったのにね」
「……んぐっ。それを指摘するのはずるいだろ。というか、そういうのよく冗談で済ませるよな」
「正直、最近色々ありすぎて何がなんだかよくわからないんだよね。だからさっきのも別に冗談で言ったつもりじゃないんだけど…」
「あれが冗談じゃないとしたらもっとどうかしてるわ」
思い返せば、夏生たちのもとを訪ねてから、非常事態が何度も起きたせいでもしかしたら感覚が麻痺しているのかもしれないと、紬は少し頭を抱えた。
「私はもう気にしないかなぁ。ほら、色々あったとはいっても、今は私達の味方なわけだし」
「本当?なんというか……今まで四季さん、裏切り者だったのに?」
「なんか…もう全て受け入れて生きて行かなきゃいけないのかなって、最近思えてきて……ほら、鳴海さんと会話してるのも、まるで鏡と喋ってる気分になるというか」
小春からすれば、先ほどから『つい2か月前までの自分』と同じ顔の人物と会話をしているのだ。実際、今でもまだ四季の顔を正面から見られていない。
「というか顔を変えるにしても、そもそも何でそんな目立ちそうな顔にしたの?」
「今まで能力で化けたことのある人間の中で、こいつと一番体格が近そうだったからだよ。それ以上に理由はない。他人の見た目を変える上で、体格まで一気に変えると動きに支障が出るからな」
「あれー…そうだったの?」
「逆にどんな理由だと思ってたんだよ」
「せめて顔を変えるなら、綺麗な顔にしてやろうとか、そういった気遣いなのかと……」
「久遠寺紬も言ってたが、気遣いのつもりならそんな目立つ顔にするわけないだろ」
不意に恥ずかしくなり、色白な顔が真っ赤に染まりそうになる。
「まあ。小春の発想も正直理解は出来るから……」
「何やら盛り上がってるみたいだが、客人だぞ」
「お客さんっつーか……正直オレもなんて言っていいかわかんないけど……」
どうも話に集中してしまっていたからか、3人はもう既に戻っていた華月と、事務所までやってきた悠希の姿に気づけなかった。
妙に軽い足取りで、オフィスまで向かう2つの足音。
小春はそんな歩き方をする人間には覚えがなかった。優芽でもなければ、ましてや夏生でもない。
「よっ。本当ならこんな奴連れては来たくなかったんだけどさ。ま、色々事情があるってことで。詳しい事は悠希君に聞いてよ」
一人目は、軽く手を振りながら挨拶をする広夢だった。そしてそれに続いて、もう一人の人物が姿を現す。
「や、久しぶりだね。何何~?怖がらなくてもいいのに。別に私、撃ったりしないから」
「ね、小春ちゃん」




