第113話 守るべきもの
「高橋樹里、っつったっけ?何でそんなとこにいるワケ?」
相良広夢は自分の目を疑った。何せ、目の前にいるのは犯罪者として以前摘発されたはずの、しかも殺人未遂という重たい罪を負った人物。
才能<ギフト>による犯罪は、それを使わない犯罪よりも重い罪が課せられる。
事情にもよるだろうが、この女性が犯した罪は、少なくとも執行猶予などという甘い判決はつかないだろう。
「見てわかんないかなぁ」
そもそも彼女はまだ裁判も受けておらず、留置所にいるはずだ。それを抜け出したというのならば、更に罪は重くなる。
「まさか、留置所抜け出してきたとか言わないよね?勘弁してくんない?オレ、そういう悪い冗談で笑えるような不謹慎な男じゃねえんだけど」
「ふふ。そのまさかだよ。留置所近くでちょーっとトラブルがあってね。それに乗じて抜け出してきたってワケ」
彼女はあくまでもその余裕な笑みを崩さなかった。
広夢は彼女のそれに、こんな印象を抱いた。
『ナメられている』と。それはもう明らかに、警察という自分の職業を小馬鹿にしてきていると。
「言っとくけど、いくらアンタが自由の身が欲しいって言っても、犯罪者って立場は変わんないし、何なら更に重たい罪課せられてんだよ?そのへんわかってる?」
「勿論私も無策で脱出してきたわけじゃないよ?っていうか、そこまでバカに見える?」
「バカに見えるっていうか、オレのことバカにしてるように見えるかな」
「ははっ、上手いこと言ったつもりだろうけど全然言えてないね?冗談のセンスのない男はいくら顔が良くても嫌われるよ?」
「お前の方こそ人の話聞かない女は嫌われるよ?というかね、そもそもオレは口げんかがしたいわけじゃないの。…目的は何だよ?」
普段の飄々とした広夢からは想像も出来ないような、低い声。威圧したつもりではあったが、目の前に相対した女性よりも、自分の背が低いのがどうももどかしくなった。
「そうカッカしないでよ。私は目的にちょっと協力してほしいだけなんだよね」
「キミ、協力要求できる立場じゃないことわかってる?」
「勿論わかってるよ。これが無理筋だからっていうのもね。だからさ……今起きてる事件の黒幕を私が知ってて、その捜査に協力するって言ったら……どうする?」
「なるほど、取引ってわけね」
暗くなり始めた路道に、2人のうっすらと笑う影が映った。
華月から告げられた事実に、小春の心はもう何もかもが追い付かなかった。
死んでいたはずの父が黒幕?しかもその父はまだ生きている?
鳴海が実は鳴海じゃなくて自分の兄?姉?で……。
もう、放っておいてほしいとすら思った。
こんな世界が滅ぶかもしれない危機なんて、来ないでほしいと思った。
ちょっと一人にしてほしいと言って離れたはいいものの、最早それすらも逆効果のように思える。
何せ、自分にはこの『眼』がある。
否が応にも未来を『映してしまう』この眼が。
あれだけ頼ってきて、何度も自分のピンチを救ったはずのこの未来視が、今の小春にはまるで忌々しくも感じ取れてしまった。
そして、紬もまた、鳴海と華月の見ている所ではあるが、すっかり項垂れて動けなくなってしまっていた。
いわば、自分の今までの戦いの全てが、世界を救うためという大仰な目的のためのいわば前哨戦のようなものだったのだ。
紬に世界を救いたいなんていう大仰な目標はない。
手から電気を出せる能力というそれだけで何かを救えると思い込めるのであれば、それは単なる傲慢であり、小さな子供がそんなことを言い出したのなら、きっと後に現実を知るだろうがそういう気持ちだけは忘れないでいてほしいと温かい目で見守るような、馬鹿馬鹿しい願望のうちの一つだ。
「……華月さん」
「…どうした、紬」
そう答える華月の声も、どこか弱弱しかった。
「…私、なんかもう疲れちゃったんです。ここ数日、色んなことありすぎて。一哉もどっかいっちゃうし。街はいまも騒がしいし」
「そうは言ってもな」
「もっと別の人達に解決を任せて、このまま寝てたら全て解決してたとか、そういうの願ってちゃいけないんですかね……?」
普段、小春の前ですら言えないような、弱弱しい本音。
ここまでの精神の疲労で、遂にそれが口をついて出てしまった。
「お前達は関わり過ぎたんだ。そこの所長も、あんたも、白川小春も」
「…好きで関わったわけじゃない」
「戦いの場に踏み込んだ時点で、それは勝手に関わりに行ったのと同じだ」
「私はそんなの望んでない」
「でも、戦いたいって気持ちはあっただろ?白川小春を救いたいって気持ちはあっただろ?」
「…それはそうだけど、でも私は」
「……いいか、久遠寺紬」
「白川小春と共にいようとする時点で、もうあんたはそこに関わりに行ってるのと同じなんだよ」
「…よりにもよってその顔でそれ言われちゃうの、なんかすっごく嫌だ」
「俺だって出来ることならもとに戻りたいさ」
今の鳴海…もとい四季は、右腕が切り落とされた影響で才能<ギフト>が使えず、小春の顔から戻れなくなってしまっているという。
しかしそれをわかっていたとしても、なお紬は、彼が小春の顔をしていることが、納得できなかった。
「だから、俺は白川小春を逃がそうとしたんだ。これは彼女だけじゃない。お前達にとっても大事な事なんだ。もし白川小春が失踪した、もしくは全部ぶっ壊したんだとしたら、あいつらの計画はだいぶ遅れる。その時にはまた動けばいい。そう考えてた」
「色々と調べたよ。その過程で、俺があいつと兄妹だってことも知った。…皮肉なもんだよな。才能<ギフト>も使えないまま、よりにもよって妹そっくりの顔で、こっそり動くことしか出来ないんだからさ」
「……で、何が言いたいわけ」
「あいつの日常は、もう過去にはないんだな」
小春は両親がいなくなってから、ずっと孤独だったという。
ずっと独りだった。学校に通って友達を作ることも、親が作った温かい食事を食べることも、彼女には出来なかった。
四季はそう語った。
「お前が隣にいる日常こそ、あいつが守るべき日常なんだろうな」
だとしたら、何を迷うことがあるのだろうか。
世界を救うのは目的じゃない。もう一つの、もっと大事な目標のための、あくまで手段に過ぎないのだ。
「……私が小春の日常を、守る。華月さん、四季さん。協力してくれるよね」