第105話 裏切りの気配
時刻は、ホームレスの男の死体を発見し、通報のために警察の到着を待っていた頃に戻る。
白川小春は、ある一つの予知を見ていた。
眼前に差し迫るは、フードを被った……おそらくは男性だろう。
その男性は、自分に向けてナイフを刺してきた。
銀色に光る刃が、腹部に向けて思い切り突き刺さる。
鋭い痛みと命が失われる恐怖の中で、フードの奥から覗いた顔は。
---目を血走らせた、九条一哉の顔だった。
視界は戻る。
だが、ここで小春の中で一つの迷いが生じる。
『自分が九条一哉に殺されるという予知を見たということを、皆に話して良いのだろうか?』
ただでさえマイナス感情の増幅とやらで、全員少なからず気が立っているはずだ。
そこで仲間に殺されるなんていう話をしてしまえば、ますます不安と恐怖で自分たちはガタガタになってしまうだろう。
だが、予知は『外れるものではない』。
行動の結果によってズレることこそあるものの、その始まりとなる出来事は、必ず起こるのだ。
つまり、白川小春が九条一哉にナイフで刺されるという出来事そのものは、もう『起こらない事』ではなくなったのだ。
誰に話しておくべきことだろうか。紬か?華月か?悠希だけは絶対にダメだろう。きっと信じてくれない。
「……小春?もしかして、また。何か見たの?」
「見た、よ」
あまりにも強い不安が、震えた声となって外に出る。だが、それでも時間は元には戻らない。予知を見たという事実が、覆るはずもない。
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「……なるほど。そういうことか。そりゃ、誰にも言えないね」
紬はすんなり納得していたようだったが、小春にもまだ納得できないことがある。
あの時見た一哉の顔は、明らかに正気なものではなかった。それこそ、あの一瞬で一哉のものだと判断できないくらいに、その形相は歪み切っていた。
未だに連絡が取れないという事実も合わせて、一体一哉の身に何があったのだろうか?
……そして、それ以上に納得できないのは、感情の問題だ。
一哉は決して、小春に対して好意的な人物ではなかった。
だが、何か事件が起きた時には解決に協力してくれる人物でもあった。
そんな一哉が、自分を殺しに来るなんてことがあるだろうか?
そこまで近しい人物ではない…いや、近しい人物ではないからこそ、納得できないものがあった。
そして、もう一つは小春自身に、つい最近起きた事。
『味方だと思って自分に好意的に接してきた高橋樹里が、自分に瀕死の重傷を負わせたこと』だ。
高橋樹里は最初から、『Avalon』なる組織の手先だった。
そんな経験があったならば、小春がこう考えてしまうのは、最早必然とも言えることだ。
『もしかして、九条一哉も裏切り者なのではないか』。
「いったん、華月さんもまじえて3人で話し合おうか」
「…そうだね。このまま一人で考えてたら、どんどん不安になっちゃう」
自分でも意識してかせずか、気づけば小春は紬の袖を掴んでいた。
「…小春?」
「ごめん、今はちょっと、こうさせて。私、これ以上はもう、不安でたまらないから」
「…そうだね。いくらでも、大丈夫だよ。私なら」
その言葉に、小春はいくらか安心したような表情を見せる。
いつもと違い、不安げな目で、上目遣いで自分を見る小春に、紬はどこか妙な感情を覚えていた。
勿論、最初に出会った頃の彼女と違い、随分と整った顔立ちになってしまっているのも原因なのかもしれないが。
だが、それを抜きにしても、何だか今の小春はいつもよりも、しおらしく可愛らしく見えてしまった。
「……あの、紬さん?」
「ごめんなんでもない。とりあえず、後で華月さんも呼ぶから、あとは私の家に行こうか。あのマンションなら防音もしっかりしてるから声が漏れる心配もないし、防犯も大丈夫なはず」
紬は華月の住宅を知らないので、華月の家が大丈夫なのかどうかはわからない。
小春は…流石にあのボロアパートでは防音も安全性も心配だろう。
紬はデバイスを取り出し、目的の人物へと通話をかける。
「もしもし、華月さん」
『もしもし…って、すぐ近くにいるんだから探して声かければいいだろうに。どうしたんだ』
「いえ、探して声かけるより、通話の方がいいと思いまして」
『随分な警戒をするんだな。…いいだろう。すぐにでも要件を言ってくれ』
『なるほどな。小春の予知が、と。いったん帰るっていうのは賛成だ。僕は残りのやつら…特に悠希がかなり長くなりそうな気配だから、そっちの回収をしてから君の家まで向かおう』
「わかりました……、じゃあ、私達は一緒に家まで向かいますので」
『ああ』
そのまま通話は切れる。
いつの間にか引っ付いていた小春も、離れてはいたがずっと髪を弄っていた。
「……と、華月さんたちはどうしてるかな。っと」
「は~~~~疲れたぁ」
珍しく長時間話をしたせいで、ぐったりしていた悠希が戻ってくるのを、優芽と夏生の2人が待ち構えていた。
「ふー、悠希くんもしかしてお疲れ?」
「優芽ちゃんも華月さんもわざわざ待ってもらってごめんねー。夏生さんも」
「一人で待つのは慣れてるからね」
「夏生さんそれちょっと笑えねーかも。つーか腹減ったぁ」
午後2時頃。普段なら昼食をもう既にとっているような時間だが、事情聴取やら何やら続いたせいで、もう気づけば何も食べずにこんな時間になってしまっていた。
「どっか食べに行く?」
「おっそれいいね~!つーかこの間のファミレス行く?リベンジしちゃう?」
「あたしは…あそこはいいかなぁ……」
先ほどまでの緊張感はどこへやら、事情聴取から解放されたからだろうか、3人は随分と緩い会話をしていた。
「随分呑気なもんだなお前たち」
「華月さんこそどーしたんですか」
「どうしたもこうしたも、お前達戻ってくるの待ってたんだが?というか、別に仕事が終わったとは一言も言ってないからな」
「そうだオレら仕事中だった!!!」
「も~~~~~~~~……」
何やらとぼけている悠希の方に、優芽の視線が突き刺さる。
「とはいえ、君たちに出来る事は何もない。さっき相良君とも話をしててな。こっちの方で調べておくから、何か有益なものが見つかったら教えてやると。…依頼人なのに助けられる形になってしまったな」
「そのあたり、あの人も結構仕事人間なんでしょうかね」
「だな。というわけで君たちはいったん解散だ。まあ、何かあったら呼び出すかもしれないが。しばらくは休んでいてくれたまえ。あまりショッキングなものを見続けると精神にも来るからな」
路地裏に転がっていた死体。絶えず飛び交う人間の怒号。確かに、そんなものが続けば先に精神の方がもたないだろう。
「そうだ、帰り道はどっち?同じところがあるなら、そこまでは一緒に歩きたいけどいいかな?」
「いーよ!」
「あたしも夏生くんにさんせー。一人じゃ危ないもんね」
「優芽ちゃん、そんな3人で一緒に行きたかったん?」
ここ一番の笑顔を見せる優芽に、それを少し疑問に思う悠希。
「…ばーか」
その予想外な反応に、優芽は小さく口を尖らせ呟くが、その呟きは秋の風の中に消えていった。
3人は時に雑談などをしながら、ところどころに落ち葉が舞い散る道を歩く。
だがその能天気な空気は、ある一人の人物によって断たれることになる。
「…お前ら随分と呑気なもんだな」
悠希たちに向けて、話しかける人影があった。
パーカーのフードを目深に被り、右手に拳銃を持つその人物の声色に、悠希は覚えがあった。
「…カズ、お前こそどこで何やってたんだよ!」