第102話 責任
「悪い悪い、そっちも大変だろうに、わざわざ来てもらって」
広夢に指定された場所は、近所の公園だった。
広夢だけでなく、デイジーと名乗っていた少女も近くにいた。
『CRONUS』の面々は、彼からの電話を請けて、指定した場所である公園まで向かうことになったのだが……。
「非常に騒がしいですね。排除いたしましょうか?」
「ごめんデイジーちゃん、そこまではしなくてよろしい」
あちこちで人が喧嘩するような声が聞こえる。聞くに堪えないような言葉や、耳をつんざくような大声まで聞こえるほどだった。
「思ったより随分と大変なことになっているようだな」
「朝はそこまでじゃなかったんですけどね……」
「この数時間程度でここまで広がるかねぇ…。つかそっちの子、なんか気分悪そうだけど大丈夫?」
広夢は優芽の方を見る。同じように小春が彼女の方に目を向けると、元々少し青白い顔を更に青くして、口を手で押さえているようだった。
「う、うん……なんか、さっきから周りの大声すごくって、ちょっと参っちゃいそうで……あたし、こういう大声とか、すっごい苦手で……」
「そーだ、それじゃ落ち着けるとこ探そっか?オレ、心当たりあるよ!」
「うん……ありがと……」
そのまま2人は公園を離れる。元々人と喧嘩することが多かったという優芽は、そういう大声に対してトラウマのようなものがあるのかもしれないと、小春は考えた。
「…つってもなぁ。このへんもうるせえから正直オレも使いたくないんだが」
「そうだね……。と言っても、静かな場所なんてもうどこにあるんだってレベルだけど」
こうして話している間も、周囲で聞こえる怒号は何度も広がり続けている。一体、神楽坂町はどうなってしまったのだろうか。
「これだけ影響が広がっているのを見ると、ウイルスのように能力の影響が誰かに移っていくタイプなのかもしれないね」
「ウイルス?」
夏生の推測に、広夢は疑問符を浮かべる。
「稀なタイプなんだけど、そういうタイプの能力を持つやつもいるんだって話を聞いたことがあるんだよ。ウイルスっていうたとえはあんまり適切じゃないかもしれないけど、誰かから広がって伝播していくような能力だとしたら、ここまで広がっているのも説明がつく」
「なるほど、面白い推測だ。でもだとしたら、僕達が影響を受けていないのが不可解だな」
「うん。そうだよね。私達、全然いつもと変わらないし、特にいら立ってる、っていうこともないけど」
小春が目に映した予知は、今の状況が続けばここまで至ってしまう、というのを示していた。
だが、自分たちに対しては何か影響があったように思えない。
深層心理には何かあるのかもしれないが、何かに動かされているような気配もない。
「考えられるとしたら、『元から何かにいら立っている人が影響されやすい』くらいかな」
「紬ちゃん的にはそう思う?」
「…あんまり紬ちゃんってなれなれしく呼んでほしくはないですけど、そうですね。私は特にそういうようなことは最近なかったわけですし。…皆もだよね?」
紬が一人一人の顔を確認するように見る。
「僕はもうこの歳になるといちいち細かいことに腹を立てるのも面倒になってしまってね。紬も最近は穏やかに過ごしているし、小春はそもそも苛立ちを表には出さないだろう?」
「言われてみれば、私ってあんまり怒ったことないのかも」
新島由良を前にした時は、怒りで前が見えなかった……のだが。小春が普段からそういった感情を出すことがないのは、華月にとっても周知の話のようだった。
「そういう意味じゃ夏生クンは危なかったかもしれないな」
「はぁ…そうですね。相良さんについても、そういうタイプの人には見えないですし。そちらの方は?」
「私はアンドロイドですので。感情などに影響されることはありません」
アンドロイドと名乗る少女は、少し噛み合っていない回答を返した。
「怒りというよりは、もしかしたら憎しみかもしれないけどね。それにしても、憎しみかぁ……。まだ姉さんが私の事をそこまで憎んでたなんて、ちょっとショックだな」
「紬としては見過ごせないだろうな。何せもうすぐ和解できる所だったんだ」
「あ、その話なんだけどさ」
「相良さん。その話は彼らの前でするようなことではないです」
何か話そうとしていた広夢を、デイジーが慌てて制止する。
「えー。ん、あー。オレたち最近全然功績が出ないからさ。評価とにかくされてなくって。その結果紬ちゃんに嫉妬し始めてるみたいなんだよね。それを拗らせちゃったみたいな?オレも詳しい話は聞いてないんだけど」
「…なんだそんな事か。別にこのくらいなら紬もショックぐらい受けないさ。そうだろ紬?」
そう語り掛ける華月の様子とは裏腹に、紬の表情は曇っていた。
「……私が姉さんのお株を奪ったから、姉さんはあんな風におかしくなったの?」
「だから言って欲しくなかったのですよ」
「別にそんなん負い目感じることはないだろ。それに、最近活躍したのは紬ちゃんだけじゃねえ。この場にいない九条君も含めて君ら全員だよ?」
広夢はどうやら、紬の態度に呆れのようなものを覚えていたようだった。
「だとするなら、『お株を奪った』のはCRONUSの奴ら全員だ。君らの姉妹喧嘩のために、小春ちゃんたち全員に責任負わす訳?……あんま自惚れんなよお前」
その表情が、一瞬にして凍り付く。一切の感情を感じさせない目で、広夢は紬のことを睨んでいた。
「負い目感じてえなら一人で感じてろよ。仲間に責任全部押し付けてんじゃねえ。第一、これはもうお前ら姉妹だけの問題じゃねえんだ。勝手に酔ってたいなら」
バチンッ。
嘘のように平坦な声で詰る広夢の腕が、何者かによって弾き落とされる。
「相良君」
「……なんすか」
「言いすぎだ」
広夢の手を弾いたのは華月だった。痛みに驚いたのか、彼の弁舌がその一瞬で止まる。
「一方的な悪口を言いたいだけなら他所でやってくれないかね」
「…だからって暴力に訴えるこたないでしょ。それに、これ正論だと思いますけどね」
「確かに君の言っていることは正論だ。だが、一方的に正しい事を押し付けるのは、それこそ暴力だ」
空気が一瞬にして冷える。
先ほどまでベラベラと喋っていた広夢を含め、全員が何も言えない沈黙が、その場を支配する。
小春などは逃げ出したくなるようになるほどの重たい静寂を、ある着信音が打ち破る。
「…悠希くんから通話だよ!」
小春はそう全員に伝えた後、デバイスを掲げ、悠希からの着信に応える。
『ごめん春ちゃん、こっちの話なんだけどさ……』
『人が、死んでた』