第101話 異変と違和感
『CRONUS』事務所内は、かつてないほどの緊張感に包まれていた。
突如、紬に襲い掛かり、あまつさえ殺そうとまでした久遠寺奏の異変。
そして、九条一哉の失踪。
異常事態が、よりにもよって2つ同時に襲ってきているのだ。
「…さて。優芽はこれを精神操作能力によるものだと推察しているが。もしそうならたいへん厄介なことになっている。…そうだろう、小春?」
「優芽ちゃんの力だけがそうなのかもしれないけど、精神操作能力って『かかったかどうかを自覚できない』から、自分でもわからないうちに自分でも望まないことをやらされてる……そんな可能性だってあるんだよね」
かつて、優芽の影響で、彼女に対して強い感情を抱くことになってしまった小春は、その能力の脅威を身をもって体感している。
あの時は、ただ単に恋愛感情のようなものが出来てしまったというだけで済んだのだが、これが憎悪のようなマイナス感情ともなれば、凄惨な事態を引き起こしてしまうだろう。
「その話なんですけど、実は昨日、帰った後に予知を見たんです」
小春のその一声に、全員の視線が一斉に彼女へと集中する。
白川小春が見る予知。それはいつも、自分たちに降りかかる災いの合図だ。まるでアラートのようなその宣言に、背筋がピンと張る。
「えと、あんまり身構えないでほしいんですけど……その予知というのが。街の人達が次々に殺し合いを始めてしまって、私達も巻き込まれて死んでしまう、っていう予知なんです」
「君が予知を見ましたって言いだした時大体とんでもない事態になるからそりゃ身構えるわ、というのは置いておいてだな。街の人が殺し合いを、か……随分と物騒な上にスケールのデカい予知だな」
「殺し合いー?なんでまた急に?」
「たぶん…あたしの推測通りならなんだけど、精神操作でなんかおかしくさせられちゃう、って感じなんじゃないかな」
悠希の疑問に対して、優芽はほぼ確信を持っていたようだった。
「つまり、昨日の姉さんのように、とにかく敵意をもって誰かを攻撃するようになってしまう状態に、街の人が次々なってしまう、と」
「敵意、っていうもの自体は。誰でも持つものだから、それが増幅されてしまったら最悪人を殺してしまうこともあるかもしれないな」
夏生がどこか遠くを見るような目で、そんなことを語った。
「麻木さん……ああ、色々あったもんね」
「それこそ前までは親父に敵意があったわけだし。表情が少し不愉快だとか、歩くのが遅いとか、そういう些細なものでも敵意っていうものは出るものだろ?そういうの色々見てるからさ。それが限界まで増幅されたら、白川さんの言うような悲劇だって起こるはずだ」
「……一体誰がそんなの、しかもここで……」
話せば話すほどに、小春が見たという惨劇が『これから起こるであろう事』として、現実味を増していく。
才能<ギフト>を悪用する人間はいくらでもいる。
ただ、これはいくら何でもやり過ぎだ。一体どういった人間が、どういった目的で、こんな惨劇を起こそうとしているのか、考えただけでも恐ろしくなる。
「…あの」
閉口するしかない重苦しい空気の中で、悠希がゆっくりと口を開く。
「どうした?」
「春ちゃんが昨夜その予知を見たってことはさ、もしかして…カズ、めちゃくちゃ危ないんじゃない?」
「…………!」
華月は悠希の言葉に、思わず目を見開く。一哉がどこに行っているかわからないということは、それはつまり彼の安否を確認することすら出来ないのだ。
「皆、今日家から出てから、変わったことはなかったか?どんな些細なことでもいい。少しでも『変わったことがある』ってのなら、それは惨劇の予兆と言ってもいい」
「あ、そういや近くの爺ちゃん、いっつも家の前で花に水撒いてたんだけど、今日は家に籠ってた!」
「それは…関係ない気がするね……」
お年寄りなら、たまたま体調が悪くて外に出られないということくらいあるだろうと、紬は特に気にも留めなかった。
「でもその爺ちゃん、いっつもすげえ元気だから、珍しいな~って思ったんだよ!」
「……そうなの?」
「うん。でも言われてみたら特に関係ない気がしてきたな!」
「そりゃそうだろうな。だが頭の片隅には入れておくか。他に異変というものはなかったか?」
「そういえば昨日、小春が強盗に遭遇してたじゃない?」
「強盗!?そんなこと起きてたの!?小春ちゃん大丈夫だった!?」
「うん。特に何もなかったよ。私達でちゃんと対処したし。…ただ、その後が大変だったんだけどね」
慌てふためく優芽を前に、紬は話を続ける。
突如、錯乱して自分を殺そうとしてきた姉の姿は、未だに脳裏に焼き付いている。
一体、何が奏をそうさせたのか。最近ほとんど会話もしていないだけに、心当たりが見当たらないのがもどかしい。
「そもそも、あんな所でコンビニ強盗が出てくる方がおかしいんだよ。あのコンビニのあるあたりって、割合治安が良い方だからさ。いくら小春が不幸体質だからと言っても、それでも普段起きないことがそう簡単に起きるとは思えない」
実際、紬もあの瞬間は、ああ…またいつもの小春の不幸体質かと、軽く捉えていた。
だが、そもそもコンビニ強盗などという古典的な犯罪が、しかも犯罪率の低い地域で起こるなどということがあったのが、少し不自然だ。
「正直な話小春の不幸体質は確率をぶっちぎるから完全に不自然とも言えないのが困るが……だがその考え自体は充分に理解できる。僕もあのあたりは安全だからよく利用してるしな。…なるほど、普段起きないような犯罪まで起きているか」
「この異変が神楽坂町だけで起きているか、あるいはもっと広い範囲まで広がるか。……それがわかれば少しくらい下手人の特定も出来そうだけど」
「麻木さんとしてはどういう考えがあるの?…ちょっとその手の話、詳しそうだから聞いてみたくて」
「いやぁ、詳しいって程じゃないけど。…ただオレとしては。相良さん?には悪いけど、正直この事件、お手上げかもしれない。それでも、九条君の居場所くらいは、探したいね。大切な仲間だし」
下手人も不明、目的も不明。そもそもどうやって止めたらいいのかも不明。
夏生は、もう既に解決を諦めることすら考慮していたらしい。
「正直私も、これは『どうやって運命を変えたらいいのか』わかんない。でも…精一杯やれるだけのことはしたい、かな」
「私も小春に賛成だよ。それに、事件の解決を諦めたら一哉のことも諦めることになる。そんな気がする」
「…オレもそーだ!カズはたまに嫌味言ってくるけど、それでも悪いやつじゃねーんだ!」
だが夏生の言葉に、むしろ『CRONUS』の面々は奮起していた。
そんな折、優芽のもとへと連絡が入ってくる。
「…こんな時にどうしたの?」
デバイスには『相良広夢』の名前が表示されていた。
『もしもし藍原ちゃん。悪い、緊急。依頼の件なんだけど。今すぐ請けてもらわなきゃいけなくなったかもしれない』
電話越しに聞こえる声は、それでも焦りが伝わるほどに、緊迫したトーンだった。
『奏ちゃんと連絡が取れなくなった』