第99話 憎悪の感情
小春の視界が、急に暗転する。
目の前に映っていたのは、アスファルトの上に倒れ伏す、久遠寺紬の姿。
そして、その彼女を、何度も刀で突き刺す久遠寺奏が、そこにいた。
憎悪を込めて、何度も刺す。そのたびに、苦しみ喘ぐ紬の声と、鉄の塊を打ち据える音が、響いていく。
そして、動かなくなった紬に、遂にトドメを刺そうとして……
「華月、さん……」
「…まさか。『見えた』のか、小春?」
急に顔を青くした小春に、華月が訝し気に聞く。
「あのまま行くと、紬さん……」
「死んじゃう」
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「…オレはさ。何度も事件とか見てっから、そういうこと『やっちゃう』やつの心理、ある程度はわかるんだけどさ」
アイスコーヒーの中に入った氷を、指先で弄びながら、広夢は話を続ける。
「…それで、どういうことなんですか?」
「あの子、妹さん殺そうとしてるかもしんない」
「はぁ…!?ツムツムを……!?何で!?」
「あの姉妹が仲悪いってのは知ってるでしょ?でも、奏ちゃんいつにもまして様子がおかしくてさ。正直、なんか能力の干渉でも受けてんのかってくらい、『CRONUS』への執着を強くしてる。立場が悪化してるってのもあるけどさ、オレが紬ちゃんの話振るとすげえ顔で睨んでくんだよ」
「それは…なんというか、異常事態、ですね」
仲が悪いと言っても、そこまでのものなのだろうか。優芽は少し怪しみつつ、広夢の表情を観察する。
余裕ぶっているが、青年の顔には少し焦りが出始めている。おそらく、先ほどの話は嘘でも何でもないのだろう。
そしてその焦りは、優芽の方にも伝染し始める。
「でもさ、仲悪い仲悪いっていうけど、ツムツムとお姉さん、そこまで本気で憎んでるようには見えなかったけど?」
「…あー、オレはそれも思ってんだよ。だから何かあったのかなって思ってるけど、何も話しちゃくれない。京太郎さんの方からも聞いてくれって頼んだんだが、全然でな」
広夢は頭を抑え、苦い顔をし始める。
「もしかして、才能<ギフト>でそういうのを増幅させられちゃった、って可能性は考えられない、かな?精神操作、みたいな……」
「君」
広夢が急に表情を変える。
「それだよ!精神操る才能<ギフト>を持ってる奴がいるって話、噂じゃ聞いたことがある。もしかしたらそういう奴がいるのかもな……」
「うーん。でも、そういう能力持ってる人って、結構精神乱されることが多いから、もしかしたらまともな人じゃない可能性、あるかも……」
「随分詳しいね?」
「あたしもそういう力、持っちゃってるから……。あたしの出来るのは人の好感度を操作することくらいだけど、でもそれ以上のことができたり、別の方向で精神を操作できる人がいる可能性は、考えられると思う」
「……流石に、優芽ちゃんの知り合いにはいねーよなぁ……」
精神操作の才能<ギフト>は、その所持者の精神も大きく変えてしまう。
人の好感度をすぐに操作出来てしまう優芽は、周りの人間を信じることがなかなか出来なくなってしまっていた。
もし、憎悪の感情を操作できるような人間がいれば、その精神性はどれほど歪んでしまうだろうか。
優芽も広夢も、きっとその人間は、まともな人間じゃないだろうと考えていた。
「…奏ちゃんが過去に会った人間を洗い出せば何とかなるか?」
「調べるならそれしかないだろうけど、それってもうオレたちに出来ることはなくなるんじゃない?」
「いいや、手がかりを調べるって意味でならキミらにも仕事はあるぜ?それにオレとしても『CRONUS』とは仲良くやっていきてえんだ」
「……さっきも言いましたけど、一応華月さんに報告してからでいいですか?」
「ん、いいよ。んじゃ、オレはまた一仕事してくるから。代金なら払っとくぜ」
広夢はそのまま、カフェを出ようとする。
そんな広夢を、よりにもよって留めようとしたのは、優芽だった。
不意に腕を掴まれたことに、思わず広夢は目を丸くして優芽の方を見る。
「もし、精神操作の才能<ギフト>を持ってる人を見つけたとしたら、あたしに教えて」
「?、別にオレはいいけど……」
「その人を救えるとしたら、あたししかいないと思うから」
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九条一哉は、事務所に一人残りPCのキーを叩いていた。
「お悩み相談何でもお請けします…?胡散臭いな……」
彼が見ていたのは、ある相談所のホームページだった。
「今時ホームページなんて、そんなもの作るってくらいで怪しいけど。まあ、ちょっとくらいは調べてみてもいいかな」
ホームページを見てみれば、それは何と神楽坂町にあった。
説明を見れば、無能<パワーレス>だからこその社会の人の悩みなどに寄り添える、とにかく自分は無能力者であることを強調するという内容だ。
一哉はそれに、少しだけ共感するものがあった。
九条一哉に能力はない。
才能<ギフト>を持たない、頭が良い子供なだけであった自分を、新島華月は重用してくれているが、どうも最近は上手く目立てていない気がする。
その原因は何か。
自分が役に立てない存在になりつつある、それは何のせいなのか。
その瞬間、彼の脳裏にあるものが思い浮かぶ。
白川小春、という少女の顔が。
身体能力、頭脳、その他全てが並みの人間程度である彼女が持つ、未来予知という圧倒的な能力。
それがなければ、彼女は探偵事務所の職員としては無能も良いところだ。
その能力一つで、全ての中心になろうとしつつある。
華月も紬も、何度も小春の名前を呼んでいる。
何故、自分には何もないだろう。九条一哉には、何故才能<ギフト>は宿らないのだろう。
…自分は今、何を考えていたのだろうか。
不意に、何かよくない思考が頭を巡っていたような気がした一哉は、少し怖くなってPCの電源を落とすことにした。
「……疲れてるのかな、今」
だが、眠る気も起こらず、それどころか一哉は、ゆっくりと事務所を出ることにしたのだ。
その足がどこに向かっているのか、それは誰にもわからなかった。