一緒に異世界転移した幼馴染の様子がおかしい
その日はうだるような暑さだった。私と幼馴染の渋谷楓は補習の帰り道、アイスを食べながら田舎道を歩いている。
「あーなんで夏休みなのに俺たちは学校に……」
「楓が赤点だったからでしょ」
「お前もな」
あまりの暑さにアイスの汗も止まらない。
「ねーちょっと座って食べない?べたべたになりそ」
「じゃあそこ座るか」
楓が指さした先には今は廃線となったバスの停留所がある。屋根がついているからこの日照りの中でいくらかはマシだろう。
「はーあち、帰るのすらだるい」
さっさと食べ終えた楓は指についたチョコレートを舐めている。その姿を眺めていると
「寧々、落ちたぞ」
私が持っていたミカンアイスは暑さにやられて半分に折れて、半分地面に落ちた。
「うわ最悪」
「俺に見とれてたからだろ」
「なわけあるか」
いや、本当は見とれていました。私は悔しいけど小学生の時からずっとこの男が好きなのだ。
十七歳になってもこうやって私たちは一緒にいるけど、お互い悪態ばかりついている。私が告白したところで「は?」で終了されそうだし、この男とイチャついているところは想像がつかない。
落ちてしまったミカンアイスには早速アリがたかっている。
「楓、アリが――」
どうでもいい報告をしようと楓の方を向いたとき。その場は凄まじい光に包まれた。
「えっ、何?」
「寧々、だいじょうぶ――」
珍しく楓が心配そうな声をしているな、と思ったと同時に、光は更に強くなり私は目をぎゅっと瞑った。
・・
次に私が目を開けた時、そこは田舎道ではなかった。
体育館よりももっと広いガランとしたホールは、白い大理石に大きな柱。なにこれ?宮殿?
頭の悪い感想しか出てこなかったが、とにかくまるで知らない場所に私は座り込んでいた。
言葉が出せないでいると「やったぞ!聖女様が現れた!」「召喚成功だ!」という喜びの声と共に十人くらいに囲まれた。おそろいのシスターみたいな恰好をした金髪のおじさんたちに取り囲まれている。言葉はわかるけど日本人には見えない。
やばい。これ私、宗教組織に拉致された。
全身からサーッと血の気が引いていく。そして気づく。楓は!?
さっきまで私は楓と停留所にいたはずで……楓はどうしたんだろう。嫌な汗が流れた。
私は「聖女」とか呼ばれて今のところ歓迎ムードを感じるけれど、楓はどうしたのだろうか。まさか……
不安な私のまわりでシスターおじさんたちは大喜びだ。
「国王に報告しろ!」「いやまず勇者様にだ!」なんてますますいかれた単語が聞こえてくる。どんな宗教なんだろうか。
そこに童話の世界でしか見たことのないようなおじいさんが現れた。私の半分くらいの身長しかなくて床につくほどの長い白髭のおじいさんだ。
「聖女様、ようこそ我が国へいらっしゃいました」
私に恭しく礼をする。私は知らないうちに教祖になってしまったのだろうか。
「聖女……我が国……」
とりあえず復唱するとおじいさんは満足気に頷いている。キョロキョロ周りをみると、私が座り込んでいる床は何やら模様があって……これもお話の中でしか見たことがない大きな魔法陣が描かれている。
やばいやばいやばい、完全にこれは危ない組織だ。
どうやって逃げ出せばいいのだろうかと思っていると、
「勇者様をお連れしました!」
シスターおじさんが一人走ってきて、小人おじいさんに報告した。どうやら勇者とやらが来るらしい。そしてすぐに私の後ろの方から会話が聞こえてきた。
「勇者様、姫様ですよ!」
「召喚が成功したようです!」
「勇者様がずっと探されていた奥様ですからね」
「ようやくですね……!」
恐ろしい話をしている。どうやら私の夫らしき人が来てしまうらしい。誰?
「本当に聖女が来たのですか?」
落ち着いた声質だけど、嬉しさが隠しきれないような声だ。シスターおじさんと共にがっちりした体格の金髪碧眼の男性が現れた。どうやらこの人が勇者らしい。勇者は私の方を向くと目を見開いた。そして
「寧々!無事でしたか!」と叫んだ。
「えっ、誰?」
「私ですよ、メープルですよ!!!」
「……いや本当に誰?」
「ああそうだメープルじゃなかった。俺だよ、渋谷楓!」
「かえで?」
金髪碧眼の筋肉質な男をもう一度見る。RPGの主人公みたいなコスプレをしている渋谷楓を名乗る人物を。
「あ、ほんとだ、楓だ」
楓は、金髪のウィッグをかぶって青いカラコンをして、ムキムキになってコスプレをしているけど。
顔のつくり自体は、私のよく知る幼馴染の渋谷楓だった。
・・
「つまり……。ここは異世界で、楓は今から五年も前からこの世界にいて、勇者になった楓のおかげでこの世は平和になった、わけね」
「うん、そう」
あの後、混乱する私を軽々と抱き上げた楓は、私を別の部屋に連れてきてベッドに寝かせてくれた。シスターおじさんたちに囲まれないだけでもだいぶ安心できる。
コスプレをした楓はベッドに腰かけて語り始めた。
ここは異世界で、RPGゲームのような魔法が使えて魔物がいる世界だということ。楓も私と同じように気づけば魔法陣の上にいたこと、隣に私はいなかったこと。この世界を守るために戦ってきたこと。シスターおじさんたちに勇者だと崇められて五年間苦労してきたこと。ようやく魔王との戦いに決着がついたこと。平和が訪れたこと。
流行りの異世界転生というやつをしてしまったわけか。
つまり私と楓はあの夏の日に死んでしまったのだろうか?情報量が多すぎるのと現実味がなさすぎて悲しさまで到達しなかった。
「言っておくけどこれはコスプレじゃないからな」
楓は恥ずかしそうに自分の髪の毛を引っ張った。現代日本からやってきた私にこの姿を見られるのは恥ずかしいらしい。
「こっちの世界にきたのと同時に金髪碧眼になってたんだよ」
「この筋肉も?」
「いやこれは魔物と戦いまくったから」
「それはお疲れさまでした……あ、そうだ。私は?私も金髪碧眼なの?」
「いや寧々はそのまま」
渡された手鏡を見ると、何も変わらない私がいた。少し残念な気もする。
「そういやメープルってなに?」
「この世界の人間、日本人じゃなさそうだからさ……楓だからメープルって名乗ってみた」
「あはははは、メープル!」
「恥ずかしいからやめろ」
楓は恥ずかしそうにむくれた。冗談のような世界の中で、楓がいてくれるからいつもと同じく笑っていられる。
でも、楓は?
こんなわけがわからない世界に一人でやってきて、勇者として戦ってきたなんて。どれだけ不安だったのだろう。
さっき楓が現れなければ、私はずっと恐怖に支配されていたに違いない。楓がいてくれるだけで不思議と恐怖は薄れる。
「楓、頑張ったんだね」
私がポツリと吐き出すと、楓は目を細めて私を見た。そんな楓の表情は見たことない。
そもそも五年の月日が流れているから、二十二歳の楓になっている。大人になったからだろうか。私を見るおだやかな瞳は、アイスを食べていたあの日の十七歳の楓とは全く違う。
そして、楓は私の頭をそっと撫でた。
「寧々に会いたかった」
いつもの楓なら絶対言わない言葉が聞こえて驚く。本当に誰だろうか、この人は。優しい声が降ってくるのと同時に大きな手も頭から頬に移動した。
私に触れるその手のひらはひどく優しくて私はいつものようにふざけて返せなかった。
「楓、大変だったんだね」
「寧々が無事ならいい。むしろ平和な世界になってから来てくれてよかった」
「楓」
「寧々、大丈夫だよ。俺がいるから心配しなくていい」
そう言って大きな手が私を包み込む。突然の出来事は私の身体に大きな負荷をかけていたのだろうか。気づけば私は眠りに落ちていた。
・・
どうしてこうなったんだろうか。
私は大勢の国民の前で手を振っている。勇者メープルの隣に立ち、聖女ネネとして。
「紹介します、我が妻の聖女ネネです」と勇者メープルはにこやかに宣言した。同時に国民たちの大歓声が湧いた。
遡ること数時間前、目を開けるといつの間にか朝になっていて。クラシカルなメイド服を着た女性たちに囲まれて全身を磨かれて、ヘアメイクをされて、白いドレスを着せられていた。
漫画で見たことのある貴族の着替えかあ、なんて呑気に思っていると「準備はできたか?」と楓が入ってきた。楓は勇者のコスプレではなく軍服のようなものを着ている。少しかしこまった雰囲気だ。
「準備はできたけど今からどこかに行くの?」
「国民の前」
「国民の前?」
「聖女が現れたからな、国民にお披露目しないと。聖女ネネは勇者メープルの妻ということになっているから合わせてほしい」
「はああ?なんで楓の妻!?」
と言ったけど、私の顔は赤いはずだ。だって私は楓との結婚を何度想像したかわからない。こっそりノートに♡渋谷寧々♡と書いてにやにやしたことだってある。
「寧々、こっちに来て」
楓は私の腕を掴んで引き寄せて、顔を近づけた。キス――されるかと思ったが「あまり聞かれたくない」と耳元で囁いた。どうやら後ろにいるメイドたちを気にしているらしい。
「う、うん」
私たちは長いこと一緒にいたけど物心ついてからこんなに密着したことなんてない。私は狼狽えているけど、楓は涼しい顔で説明した。
「日本に帰るためだよ」
「えっ?戻れるの!?私たち死んでないの?」
「うん、転生じゃなくてただこの世界に呼び出されただけっぽい、異世界転移ってやつ」
「帰っていいの!?」
「そういう約束で戦ってきたから。魔王も倒したし、あとはどうやって瘴気を消すかって問題が残ってたんだけどいいところで寧々が召喚されたし。仕事が終われば帰っていいってさ」
「そうなんだ!?」
私と楓は死んでしまったものとばかり思っていた。神隠しみたいになったんだろうか?家族や友人は心配してるんだろうか。日本では時間が経っていないといいけど五年も経っていたら……ぐるぐる思考を巡らせる。
「一人でこの世界に召喚された時に妻とはぐれたって言っておいたんだ」
「それが私?」
「うん。俺が召喚された時、聖女も召喚したはずだったのにっておっさん達が言ってたんだよ。だから寧々もそのうち来るかなと思って」
「ずっと待ってくれてたってこと?」
「そう」
真面目な顔で肯定されるとそれ以上何も言えなくなる。
「まあ五年経っても現れないから、もしかしたら寧々は現代に残ったままかとも思って、帰ろうとしてたんだけど」
「……」
「とにかく……。魔王を倒して元通りの世界になったら妻と一緒に元の世界に戻るって約束をしてた。あのおっさんたちが日本に戻してくれる。だから話を合わせて」
真剣な表情の楓に私は頷くしかなかった。
「勇者様、聖女様そろそろお時間ですぞ!」
ノックと共にシスターおじさんが入ってきて、私は楓から離れようとするが片手で抱き寄せられた。
「失礼しました!……メープル様、ずっと奥様を探されていましたもんね、私まで嬉しいです」
抱き合っているように見えたのだろう、おじさんは瞳をうるうるさせた。
「すみません。妻が緊張しているようなので、もう少し待っていただけますか?」
物腰柔らかに対応するこの大人の男性は誰だろうか?
「ネネ、不安にならなくても大丈夫ですよ」
そういって楓は私の手を取って甲にキスをした。当たり前に私は真っ赤になるけれど、楓は微笑んだままだ。シスターおじさんは「外で待っています!」と感激しながら出て行った。
「本当に楓なの……?それともこの世界で生まれた楓にそっくりなメープルさんなの?」
「楓だよ、あの日寧々とバスの停留所でアイス食べてた俺」
「大人になりすぎてない?」
「実際あれから五年過ぎたしな」
「う……」
「経験も色々積んだし」
「五年も勇者だったんだもんね」
「レベル1の聖女とは違うってわけ」
そういうと楓は私に手を差し出した。
「それじゃあお姫様、行きましょうか。エスコートしますよ」
「ねえ本当に誰?」
「だから、渋谷楓」
差し出された手に私の手を乗せると、楓は私の手を自分の腕に誘導した。あの頃より太くなった楓の腕に手を添えて私は歩き出した。
・・
どうしよう!楓の奥さんだなんて!
恥ずかしさと嬉しさが同時に身体中に満ちて、ベッドでゴロンゴロンバタバタしている。
しかも!楓と同じ部屋に案内されてしまった!今日からここで楓と暮らすらしい。
豪華なホテルのスイートルームのような部屋なんて初めてで落ち着かないので、昼間のことを思い出すことにした。
私はすごく大勢の人数に見守られて「勇者様!聖女様!万歳!」とか言われて。国民大集合でもてはやされた。アリーナコンサート級だった。
そんなたくさんの人たちの前に立ったことなんてもちろん初めてだった。私は緊張でガクガク震えていたけど、隣に立った楓が
「大丈夫。人の目が怖ければ目を瞑っててもいいよ、俺の腕に掴まって、俺に合わせて歩いて」と優しく声をかけてくれた。
楓は勇者としてこんな風に何度もみんなの前に立ったのかもしれない。私を見つめた後、前を向いて歩き出す楓の横顔は凛々しくて。違う意味でも私の心臓がバクバクした。
今まで何度も楓と並んで歩いてきたけれど、寄り添って歩くのは子供の頃ぶりだった。
「何してんの?」
ベッドでのたうち回っている私をいつの間にか楓が見下ろしていた。
「な、なんにも!」
「ふうん、まあいいけど」
楓も同じベッドに腰掛けた。楓は勇者のコスプレではなく、バスローブなんか着ていて大人っぽくて腹立つと思っていると、楓も私の隣に寝転んだ。
「ど、どうだった?」
近くなった距離にどきまぎしながら私は聞いた。今後のことを小人おじいさんやシスターおじさんたちと話してくると出て行ったのだ。いつの間にか風呂まで済ませているけれど。
「これから俺たちはこの国の各地に残ってる瘴気を癒しに行く。それが終われば寧々も一緒に日本に帰らせてもらう約束もした」
「待って、その瘴気ってもしかしなくても私が……?」
「そう」
「私そんな能力ないけど……!?」
「それが多分あるんだよなあ。異世界に来たらチート能力がお決まりだから。まあとりあえず明日から出かけるから今日はゆっくり寝よう」
楓はあくびをしながらさらりと言った。
「ちょっと待って」
「何?」
「もしかして一緒に寝るの?」
「ベッド一つしかないからなこの部屋。……もしかして何か期待してる?」
じっと見つめられて、十秒。私の顔に熱が集まってくるのを感じた。
「してない!!!」
「んー?今何か想像しただろ」
私は心臓のバクバクも止まらないし顔も熱いのに、なんで楓はこんな余裕たっぷりに微笑んでいるんだ?
「してない」
「何想像したか言ってみて」
「なんも想像してない」
「じゃあなんでこんな顔熱いの?」
大きな手が私の頬を包み込む。顔をそむけたいのにしっかり包みこまれているから楓から目が離せない。
「そりゃ恥ずかしいでしょ」
「なんで恥ずかしいの?」
「言わせようとするな」
私の心臓、鼓動が楓に聞こえてるんじゃないかって思うほどにうるさい。このまま心臓が身体をぶち破るんじゃないか心配になるほど。
「寧々」
優しく名前を呼んで穏やかなまなざしを向ける。こんな目で楓に見つめられたことはない。こんなに優しく触られたこともない。
異世界に来て、おかしくなってしまったんじゃないだろうか!?何か変なキノコでも食べたんだろうか?
いつもは目があってもすぐにそっぽ向いていたくせに!
昨日からヘンテコな世界でわけがわからないし、本当に私の好きだった楓なんだろうか?急にいろんなことが不安になってきて目の前の景色が少し滲む。そんな私を見て楓は少し目を見開いた。
「ごめん、からかいすぎた。なんにもしないよ」
私の頬から楓は手をおろして言った。
「でもごめん、少しだけ抱きしめてもいい?本当に寧々がいるのか確かめたい」
楓は泣き出しそうな顔で言った。あ、この顔は幼稚園の時によく見た顔だ。
「本物の楓だ」
私から楓を抱きしめた。迷子になった五歳のあの日と同じく不安そうな顔をしている楓。見た目がムキムキになっても、金髪碧眼になっても、やっぱり楓は楓なんだ。異世界で迷子になってしまっていた楓を抱きしめたかった。
「本物の寧々だ」
私の頭に楓が頬を寄せる。少しだけ触れる肌がくすぐったい。
「寧々が無事でよかった、寧々がここにいる」
楓は私の背中に手を回して、ぎゅっと強く抱きしめる。
そうか、楓は五年間ずっと私を探していてくれたんだ。だから今とびきり優しいのかもしれない。
楓の胸に顔をくっつけると私と同じテンポの心臓の音がする。
「もしかして楓もドキドキしてる?」
身をよじって楓の顔を見てみると楓の顔も赤く見えた。
「楓も、って。寧々もドキドキしてるってこと?」
赤く見えたのは一瞬でまた優しい表情をしている。
「違う」
「でも顔はずっと赤い」
「異世界のネネは顔色が変わったのかも、メイプルの髪の毛みたいに」
「メイプルやめろ」
そして目が合って、二人で笑う。こうやって言い合いをしてるほうが私たちらしい。
「俺はソファで寝るから。寧々はここで寝て」
ポンポンと頭を撫でられて、返事をする間もなく楓はソファに行ってしまった。いつもの楓なら俺が寝るって私をベッドから追い出してそうなのに。
一緒に寝ようと言う度胸はない私は楓を見送った。
・・
翌日、楓に連れられて街から少し離れた場所まで来ていた。
小さな洞窟からはわかりやすく「瘴気です!」とアピールする紫の煙が見える。
「絶対あれじゃん。てか本当に私に聖女パワーなんてあるの?」
「だから、異世界転移したらチート能力がお決まりなんだよ」
勇者のコスプレをしている楓は自信満々だ。私もRPGに出てくるシスターの格好をさせられている。おじさんたちとおそろいなのは気付かなかったこととする。
「俺も勇者としてのスキルがあった。なぜか剣が使えて魔法が使えて習ってもないのに戦い方がわかったんだよ」
「はあ」
「俺はこうやって手を出すだけで希望の魔法が出た」
「手を出すだけねえ……」
半信半疑で私は紫の瘴気に向かって手を出してみた。
「うわ、本当だ」
手からまばゆい光がキラキラと降り注ぎ、あっという間に紫の煙はなくなった。
「……ご都合主義もびっくりですけど」
「異世界なんてなんでもアリだろ」
楓はあっさりと言った。まあ異世界チートなんてこんなものなのかもしれない。知らんけど。
・・
「じゃあ国を一周して、全部癒せたら現代に戻るか」
帰りの馬車の中で楓はそう言った。アイス買いにコンビニ行くか、くらいのノリだ。
「ねえお母さんたち心配してるかな」
「俺たちがいた日本の時間がどう進んでるかわからんけど、五年経ってるなら死んだと思ってるかもな」
「だ、だよね」
「まあ仕方ない。国は一ヶ月もあれば全部回れるだろうし、五年ぶりに帰ってあげよう」
楓はもう仕方ないと割り切っているようだ。私はやはり家族が気になるが、それを今気にして悩んでも仕方ない。持ち前のポジティブさで一ヶ月後に帰れるなら良しとすることにした。
馬車が城につくと「聖女様、癒やしの力をありがとうございます!」とシスターおじさんたちが泣きながら出迎えてくれた。
城にはたくさんの国民たちが訪れていて「聖女様、バンザイ!」と泣いている。本気で教祖みたいだから辞めてほしいけど、自分が手をかざすだけでこの人たちが救われるなら協力するかという気持ちにはなる。
「それじゃあ姫、いきましょうか」
楓が私に手を差し出す。いや、この場では勇者メープルか。
勇者メープルのエスコートは慣れないからやめてほしい。皆にとっては勇者メープルと聖女ネネで、この世界では当たり前の行動でも。
私の中身は十七歳の日本の高校生のままで、楓のことが好きなのだから。ただ手を繋ぐだけで心臓が破裂しそうなんだから!
・・
翌日から私と楓は旅に出ることになった。何人かの騎士と何人かのシスターおじさんと。
各町の様子を見て回りながら、瘴気が残っていれば私が癒す旅だ。平和な世になっているから魔物が出る心配もなく旅行だと思えばいいと楓は笑った。
一体どんな世界観なのか思っていたけれど、よくあるRPGだとか転生物漫画と同じで中世ヨーロッパのような雰囲気だ。自然が多く、初めて見る景色だからどこを見ても楽しい、移動が馬車なのはお尻が痛くなったんだけど……
「なんで抱っこされてるの」
「寧々がお尻痛いって言ったから」
私の文句を聞いた後、ひょいと私を持ち上げて自分の膝の上に乗せた。以前の楓に比べて太ももも一回りは成長しているから確かに乗りやすい……じゃなくて。
「遠慮します」
お尻の痛みは薄れるといえど、しょせん太ももである。安定感はないからバランスは崩れる。ガタガタ揺れるのだから余計にだ。
「ほら落ちるでしょ」
「支えてたら問題ない」
楓は私の背中に手を回した。腕は二回りくらい太くなったんじゃないだろうか……じゃなくて。
「くっつきすぎてる」
背中に手を回されたことで更に距離は近くなった。その証拠に私の顔の目の前には楓の胸があって、馬車の揺れで私の顔は楓の身体にガンガンぶつかっている。
「もたれかかった方が楽だろ」
私の頭は胸に押し付けられる。うん、確かにこうしていればかなり楽……じゃなくて。
「くっつく必要はないでしょ」
「俺たちが夫婦ってことアピールしないとな」
「そのアピール必要ある?」
「大切な奥さんだからどうしても一緒に帰りたいって言い続けたんだよなあ」
「メープル様の愛する妻役、させていただきます!」
楓がいない世界に残るなんて絶対無理だ。私が慌てて言うと楓は私の耳に口を寄せた。
「ほら前の馬車からチラチラとみられてるだろ」
そう言われて前の場所を見ると馬車の隙間からこちらをジッと見ているシスターおじさんがいて声をあげそうになる。
「だからもうちょっとだけこうしてて」
「わ、わかった。わかったから!」
耳にかかる息がくすぐったすぎて私は小さく叫んだ。
・・
勇者メープルと聖女ネネと護衛騎士とシスターおじさんの旅は順調に進んだ。
しかし、私は楓にドキドキさせられっぱなしでほとほと疲れていた。
勇者メープルは私の知っている渋谷楓とは全く違って、エレガントでスマートな紳士だった。誰にでも優しく微笑み、誰からも慕われている。日本で私に見せていた横暴な態度は一切ない。二面性がすごい。
そして、私の夫役として張り切りすぎている。馬車の中ではいつでも私を膝の上に乗せたがるし、男性と話していると後ろから抱き寄せて「妻がどうかしましたか?」とけん制する。
私が聖女パワーを使うたびにお姫様抱っこもされた。ご都合主義の聖女パワーだけど、案外身体には負荷がかかっているようで初めの町で瘴気を癒した私はその場にへたり込んでしまった。その後、自分で歩けると言っても聖女パワーを使った後は常にお姫様抱っこで移動になった。
「本当に勇者様と聖女様は仲がよろしいですなあ」
宿で食事を食べながらニコニコとおじさんたちは言った。
「離れている間、いつも聖女様の身を案じていらっしゃったのですよ」
「いつもあの場所で祈っていらしたんですから」
おじさんたちによると、遠出をしない日は毎日魔法陣のもとでひざまずき祈っていたそうだ。
召喚された前の日に「俺のプリン食っただろ二度と顔見せんな」と言われたことから考えると想像もつかない姿だった。隣にいる楓を見ると耳が少し赤い気がする。
「ええ、毎日ネネのことを考えていましたからね。今が幸せです」
そう言って楓は左腕で私を抱き寄せた。楓がどんな顔をしているのかもう少し見たかったのに見えなくなった。
「美しい奥様でうらやましいことです」
「可愛いでしょう、本当は誰にも見せたくないんですよ」
召喚された日、「さっき白目で寝てただろ、ありえない顔だったぞ」と笑われたのに。どんな顔で言っているのか見てみたくて体をよじったけどがっちりホールドされているからやっぱり見れなかった。
「本当に仲が良くてうらやましいですなあ!」
おじさんはそう言うけど、あれから二人きりの時に楓が私に触れることはない。
夫婦だからいつも宿では同じ部屋だけど、部屋に入るまではお姫様抱っこをされていてもすぐにベッドにおろされて距離を取られた。ベッドが一つしかない時は楓は床や椅子で眠った。
人目があるとベタベタしてくるくせに。
私は演技だと割り切れなくて、私ばかりドキドキしてしまう。
楓にとっては二人で無事に戻るための演技で、現代日本に戻ったら可愛げのない楓に戻るのだろうか。
もう私に触れてくれないのだろうか。
・・
私たちの旅は終わりを迎えた。
城に戻ると一ヵ月前と同じようにたくさんの民に囲まれてお礼を言われて大宴会が始まって……それで今私たちはメープルの部屋で二人きりで、この世界での最後の夜を過ごしている。
「なんかあっけなかったね、夢みたい」
嘘みたいな世界も、勇者メイプルも聖女ネネも明日で終わりだ。夢ではなく全部本当だったけど、終わりを迎えると思うとやっぱり夢のようだ。
「うん」
窓から外を眺めている楓は何を考えているんだろう。楓は五年もこの世界にいたから、この世界との別れが寂しいのかもしれない。
「そういえば勇者が帰っちゃっても大丈夫なの?この世界は」
「占い師によると百年後までは平和らしいよ。できれば聖女には残ってほしかったみたいだけどな」
私は楓の隣に移動した。外は暗くてあまりよく見えない。
「メイプルとネネの夫婦もこれで解散か」
「芸人じゃないんだから」
「うん、そうだな」
という楓の顔はふざけてなくて、やっぱり寂しそうに見える。
「日本に戻ったらどうなってるのかな。五年たってるのかな?」
「どうだろなあ。できれば向こうでは時間進んでないといいよな」
「なんで?」
「なんでって、五年たってたら俺たちどうするんだよ。高校とかさ。五年たってたら復学も無理なんかな。働くか……あ、高校卒業してなくてもなんか資格取ったら大学入れるんだっけ」
「うわ、なんかめっちゃリアルな話になってきたね」
ゲームのような世界にいたのに、これからまた受験や就活だ、の人生に戻るかと思うとげんなりもする。
「もうこのままこっちにいた方が幸せかもよ。こっちなら勇者様として優雅な生活送れるからなー」
そう言って楓は遠いところを見ている。「お母さんたちが心配してるから帰ろうよ」と言いたくもなったけど、楓は帰れるかもわからないなかで五年ここで頑張ってきたんだ。悩み続けてとっくに割り切ったのかもしれない。
「そうだね」と私はそれだけ言った。慣れ親しんだ世界に別れを告げて、日本に戻ってくれるのは私のためな気がしたのだ。
「寧々とも夫婦じゃなくなるもんな」
楓は私の方を向いた。さらりと髪の毛を撫でられる。
こうして二人きりの時に触れられるのは、初めて一緒の部屋になった時以来だ。
「メープルとネネの演技もようやく終わりだね」
我ながら可愛くない返ししかできないのが嫌になる。
帰ってしまえばメープルの甘いセリフも聞けなくなるし、楓はまた悪態をついてくるのだろう。
「聖女ネネは素直で可愛かったなあ」
「メープルはキザすぎたわよ!外面が良すぎる」
「でもそんなメープルにときめいてたくせに」
楓は呆れた顔で言うけど、好きな男に演技でも可愛がられたらときめくのが普通だと思う。思い出して顔が熱くなるほど。
「はあ、なんか妬けるわ」
そんな私を見て、楓は自嘲気味につぶやいた。
「誰に妬いたの」
「メープルに」
「な、なんでよ」
「渋谷楓には照れたり、赤くなったりしなかったくせに。金髪碧眼フェチかよ」
「違う、メープルなんて別に全然好きじゃない!」
私の言葉はきつく放たれた。ああ、もうこんな風に言いたいんじゃないのに。
「あーそうですか、すみませんね。演技も苦痛でしたね」
どうして最後の日に限って喧嘩みたいになってしまうんだろう。
ベッドの方に戻ろうとする楓の服を慌てて掴んだ。
「違う!私は渋谷楓が好きなんだよ、ずっと!メープルが好きなんじゃない!楓がおかしくなったんじゃん。私のこと可愛いとか、心配してるとか、みんなの前で……イチャついたりとか。そんなの初めてだったもん。
メープルにときめいたんじゃない。楓にされたことだから全部恥ずかしくて、嬉しかったのに!」
一度素直になってしまえば後は勝手に滑り出てきた。勢いで全てを吐露した私に楓は唖然としている。
「はあ……」
告白したら「は?」と返されると思ってた。正解は「はあ」とため息をつかれる、だった。
「そんな嫌そうなため息つかなくても」
「嫌そうなため息じゃない」
楓は私に一歩近づいた。泣きそうな顔で私を見下ろした。あ、また迷子の時の顔だ。こんなにムキムキになったのに不安そうな子供の顔。
楓は私をゆるく抱きしめて、肩に顔をうずめた。
「寧々は俺にこうされて嬉しかったの?メープルじゃなくて?」
「う、うん。てかメープルって楓じゃん」
「寧々が照れてたのは、俺がしてたからなんだ」
「うん?」
「はあ、意味わからん、可愛い、どうしよう」
楓は顔を上げた、青い瞳が揺れている。
私が今まで知らない顔だ。でも、これは五年たったからじゃない。金髪碧眼になったからじゃない。私たちが素直になったからだ。
「俺がどんな気持ちでこの一ヶ月我慢してたか……五年ぶりに会えたかと思ったら毎日同じ部屋にいるし……はあ」
「なにを我慢してたの?」
「寧々に触るの」
「ベタベタしてたじゃん!」
「それはメープルだろ」
「私からしたら全部楓だったよ!」
その言葉に楓はすごく嬉しそうに笑うから、私の胸はいっぱいになってしまう。ありきたりな表現だけどこれを愛しいと呼ぶんだろう。
「楓、私のこと好きだったの?」
「わかるだろ」
「わかんないよ」
「……好きだよ、この世界に来る前からずっと。俺は寧々がいればどんな世界でもいいんだ」
どんな顔をしてるのかもっと見たいのに、また抱きしめられてしまって楓の顔が見えない。でも、私を抱きしめる腕は熱い。
「寧々、日本に帰っても俺の奥さんになってくれる?」
「夫婦!?さすがに飛ばしすぎじゃない?」
「でも一回夫婦になっちゃったら、もう幼馴染に戻れないんだけど」
「演技だったでしょ」
「演技のフリしてただけだし」
「ややこしいな」
ぎゅっとさらに抱きしめられるから私は「私たち、恋人になるというのはどうですか?」と聞いた。
・・
「勇者様、聖女様、本当にありがとうございました」
大泣きしているシスターおじさんはじめ小人おじいさんや護衛騎士や関係者が並んでいる。
私たちが召喚された魔法陣には今、大きな光の柱が立っている。あの光に入ると、私たちは日本に帰れるらしい。おじさんたちに別れを告げて、私たちは光の近くまで足を進める。
「ねえ本当に戻れるのかな?」
「戻れなかったりして」
「あはは、ありそう」
緊張をほぐすために私は笑いかけたけど、楓は真面目な顔をした。
「俺は別にさ、元の世界に戻れなくてもいいんだ。五年もいたから愛着あるし」
「うん」
「でももう寧々と離れるのだけは嫌だから」
楓はそう言って私に手を差し出した。私はその手を取った。
「ごめんね、五年間迷子にしちゃって」
「いや迷子だったのはどう考えても寧々だろ」
緊張する場面なのに、しまらない会話だ。でも私たちらしい。
「日本に帰っても、この世界のままでも、また全然別の世界にいっても。どこでも俺は寧々の隣にいるから」
「うん」
今までずっと隣にいた、それはこれからも絶対変わらない。
更に一歩進む。この先、どうなるんだろう。光はどこに繋がってるんだろう。でもきっと大丈夫な気がする。
私は楓の手を強く握った、力強く返される。
二人で一緒に飛ぶこむなら、今度こそ大丈夫だ。根拠のない自信だけど。楓の隣にいれば大丈夫。
次に目を開けても、どうかそこには楓がいますように。
私たちは光の中に二人一緒に飛び込んだ。
・・
最後まで読んでいただきありがとうございました。