目覚め ~『あれ』が現実になったんです?~
酷い喉の渇きがあった。
ベッドを降りて、コップに並々と注がれた水を一気に飲み干したいのに、ろくに瞼を動かす力さえない。
これは酷い。いつになく飲んだか、それとも徹夜続きの生活にとうとう体にガタが来たか。
若くないとはいっても、まだまだ働き盛りなのに。
耳元で誰かの声がしている。テレビをつけっぱなしにして寝てしまっただろうか。
(いや、私の家にテレビなんてないな…?)
そういえばいつものロフトベッドの感触じゃないような気もする。
こんなにふかふかしたベッド、ホテルに泊まらなきゃ中々味わえない。
だとしたらこの感触はなんだろう。家じゃない。私の家じゃない、なら。
そうして思い出した。
電車で寝落ちた記憶を最後に、目が覚めたら光輝く魔法陣の上だったことを。
魔法陣の外側になぜか落ちていたリュックを燃やされたことを。
大勢の見知らぬ人たちに観察され、見張られ、食事も出されず、話もできず、覚えている限りで5日間は監禁されていることを。
それら全てを思い出して、勢いがついたのか瞼がかっちりと開いた。
そして、目を覚ました先には、つるりと光る肌色の玉があって。
「うあ“っ!?げほっ、ごほ、ごほごほっ」
驚いてあげるにしてももっとなんかこう、なかっただろうかと思う。
可愛らしい叫び声をあげるような年じゃないが、うわっ、とかまだこう、人として、言葉として納得するような声をあげれたなら。
けれど自分の体は言うことを聞いてくれず、乾きで引き攣った喉から出る音は濁音にしかならなかった。
からからに乾いた状態でいきなり声を上げたもんだから、喉の奥から血の味がする。
唾液がねっとりして気持ち悪いな、と思った次に全身に痛みが走った。
とても酷い筋肉痛に襲われているような。心なしか腕や足の関節、指の関節さえも凝り固まっている気がする。
「お目覚めになられましたか、聖人様!良かった!本当に、良うございました!」
目を覚まして真っ先に見た肌色は人の頭だったらしい。
頭のてっぺんだけをつるりと光らせ、左右に生えた白髪を後ろを撫でつけている老齢の男性は、清潔感のある服を着ていることからお医者さんなんだろう。
今も腕の脈を測り、瞼を引っ張ったりと触診をしている。
一通り診断が終わったのか、カルテに走り書きをして『おじいさん』はいつの間にか傍にいた助手らしき人に『話す分には問題なさそうだ。お呼びして』と言伝てた。
私に向きなおったおじいさんは、まるで祈りを捧げるかのように両手を組んで一度頭を下げ、コップに水を入れてから私に差し出した。
そう、それが欲しかった。
「名乗りもせず大変失礼を。私は王宮医官のダリス・パーマーと申します」
片手で掴もうとしたのだが、指先に力が入らず子どものように両手で受け取って口に運ぶ。
名乗ってくれたダリスさんには申し訳ないが、乾きがそれどころじゃないので挨拶もそこそこにおかわりを所望した。
笑って追加を注いでくれたのでめいいっぱい飲み干し、水差しの中が空になったところでこちらも名乗る。
「私は、上谷 皐月です」
「カミヤサツキ様ですか。長いお名前ですね」
「あ、いや、皐月が名前…あー、ファーストネーム?で、上谷はファミリーネームです」
「…姓が、あるのですか?」
「?はい」
ダリスさんの目が灰色がかった青い色なので外人かと思いファーストネーム、ファミリーネーム、と言ったのだけれど『姓』と確認された。
親日家なんだろうか。いやそれにしてはこの部屋、帝国ホテルもびっくりな誂えなんだが。
名乗った途端に血の気を無くして、笑顔のまま固まったダリスさんは、声を震えさせながらどんどん質問してくる。
「失礼ながらご年齢は」
「30です」
「ご出身は」
「日本です。日本の埼玉県」
「ニホンのサイタマケンですね。カミヤ家はどのようなお家でしょう?あ、問題のない範囲でお答えいただければ」
「家…?どういう意味ですか?」
「ええっと…そうですね、お仕事とか」
「仕事、ですか?まあ…平たく言えば貿易業、ですけど」
「そう、ですか」
「はい」
「…」
「…………あの?」
意味がある気がとてもしない質問に答えていると、さらに顔を青ざめさせていくダリスさん。
ついには冷や汗らしきが吹き出してきたところで部屋のドアをノックする音が響いた。
いろいろ質問してきたんだからこちらも色々聞かせて貰おうと口を開いたのだけれど、ノックに反応して勢いよく立ち上がったダリスさんに阻まれ、行き場を無くした手だけが宙に浮く。
長い上着を足先で踏んづけ転びそうになりながらドアを開けたダリスさんは、その向こう側にいる誰かを招き入れることはせずに部屋を出て行ってしまった。
首を傾げるしかないこの状況の中、ふかふかの枕を高く積んで背を預けると、ドアの向こう側が大きくどよめいた気がして。
程なくして開いたドアの向こう側からは、魔法陣らしき外側から見ていた司祭らしきと、絵画のような美男美女が現れた。
「お目覚めになられて何よりです、聖人様」
まず口を開いたのは司祭らしき男の人だった。
白と紫の布を使ったローブは素人目に見てもハロウィン仮装のぺらぺらな布が土下座するほど上質なもので、偉い人なんだろうなと思う。
銀髪なんて初めて見たけれど、本当に銀色なんだな、とさらりと流れた長い髪が目の前で揺れてなぜか感心した。
「私はアルバス教大司教、リーンと申します」
大司教ならたぶん、偉い人だ。宗教団体のヒエラルキーが分からないけれど。
さきほどダリスさんが座っていた椅子に『失礼』と腰掛けた司祭は、祈るように両手を組んで『まず心よりの感謝を』と言った。
感謝って何だ、何に感謝するっていうんだ
「あなた様が来られて早一ヶ月。世界に新たな災厄は生まれることなく、人々は皆、歓喜しております」
「……………は?」
何の話だ
「枯れ果てていた土壌は力を取り戻し、枯れていた川や泉には水が溢れました。国や身分を問わず猛威を振るっていた疫病も落ち着き、今では回復する者も」
何の話を
「これからはさらなる実りが生まれ、飢える者もいなくなるでしょう。本当に、本当にっ…!」
目に涙をため、私の痩せ細った手を握った大司教は、何を言っているのか分からない私に何を見ているのか分からないけれど、切実で悲痛なのに、ようやく願いが叶ったと言わんばかりの喜びを称えた、その目が。
私にはとてつもなく恐ろしいものに見えた。
「感謝いたします、!聖人様…!」
さっきからなぜこの人は私は『聖人』と呼ぶのだろう。
ダリスさんも、すぐ横にいる美男美女も、なぜ頭を下げているのだろう。
私が何をしたというのか。何をしてしまったというのか。
感謝されている。何に。さっきの口ぶりからすると『命を救った』とか『世界を救った』とか、そんな意味合いにしか取れないのに。
私が?ただの一般人の、どこにでもいるサラリーマンの私が?
いよいよ背筋がゾッとして握られたままの手を引き抜いた。
呼吸は落ち着いている気がするけれど、心臓がなんだか妙に大きな音を立てている。
「聖人様?」
「っ、その、聖人、って、何ですか」
「…それを説明しに参りました。では、ご紹介を」
「?」
一瞬悲しそうな顔をした大司教は、ぎこちない笑顔を浮かべて後ろを振り返る。
その先にいた美男美女が私の方へ歩み出て、一度、お辞儀をした。
相変わらずものすごく輝いているし、衣装だって豪華だ。
男性の軍服のような詰め襟には勲章でもないだろうに大きな宝石がついたブローチがついているし、女性のプリンセスラインのドレスは細かい刺繍にレース、イギリス王室にだってないんじゃないかと思うぐらい大ぶりな宝石がついたネックレスにイヤリングをつけている。その豪華さに負けない顔立ちってあるんだな、と普段の私なら思ったろう。
けれど、会話の節々から感じた嫌な予感の前には見とれることもできなくて。
ダリスさんが名乗った時、王宮医官と言っていたから。
やたらと『姓』に反応したから。
『大司教』が会いに来たから。
何より、美男美女の来ている服が、まるで中世ヨーロッパのような、『ルネッサンス』や『ロココ』の名前がつくような、そんな服だったから。
「こちらにおわしますはオズワルド帝国の皇帝、ヨハン二世。そして、妃であられるエリザベート様です」
「突然のことで混乱しているであろう」
「全て説明いたしますわ。ですからどうか、落ち着いて聞いてくださいませ」
皇帝、お妃
その二文字を告げられて、今度こそ頭が真っ白になった。
そんな人たちとお近づきになれる人間が私のはずがない。けれど『こういう』展開を今流行りのライトノベルで何度も読んだし、なんならそれを元にしたゲームだって作った。
知っている。知っているけれど、誰が『あれ』を現実だと思うのか。
異世界に飛んでしまった主人公が世界の救世主になる系の、例の『あれ』
『あれ』としか言えないけれど、皇帝にお妃に大司教まで出てきてしまって自分が『聖人』なんて呼ばれているなら『あれ』としか言えない。
(、無理)
この心の声をぐっと飲み込んだ私を、誰か褒めて欲しい。
沢山のPVと評価をいただきありがとうございます。
とても励みにさせていただいています。
不定期更新で申し訳ないですが、
必ず最後まで書き切りますのでどうぞよろしくお願いします。