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93話 将来の約束

 

 それから五日。

 事態はおおむね、アナクサゴラスの思惑通りに進んでいる。


 エトルリアは帝国の侵略をおおやけにし、敵対することを決定。


 シーラ王とカルパント王を交えての対談は、これを機に、西の脅威である帝国の権威を叩き潰してしまおうという方向で意見が一致したそうだ。


 なんとも物騒な首脳会議である。


 とにかく、フェインは中央の三大国を後ろ盾につけることに成功した。

 勝利を納めた暁には三大国がウォルグランドの復興を認め、フェインに王位を授ける運びとなった。


 その助力には思惑がある。中央はウォルグランドを、敗戦した帝国の監視役として据え置きたいのだ。もちろん全ては、勝ったら、の話である。


 結論が出たと鳩便が届いたのは昨日のこと。

 もうじきカナンたちも、王都より戻ってくるだろう。


 ブレスの魔力痛もだいぶマシになり、歩く程度ならば問題なく動けるようになった。

 魔術を使うと体が痺れるように痛むので、炎症はまだ完全に治まってはいないようだ。


 ネモが言うには「そこまで回復したのならば徐々に魔力を使ったほうがいい」とのことなので、ブレスはここ数日買い込んだ装飾品に刻印をして過ごしている。


 そう、売るのだ。


 資金づくりの大切さはこの館でいやと言うほど学んだ。

 なにをするにも、誰かを動かすにも、資金は必要不可欠。


 とっさの助けが欲しくとも、払うものがなければ人は動いてはくれない。

 はじめは帰りの費用を稼ぐだけでいいと思っていたが、今はそう呑気ではいられなくなってしまった。


 指輪に〈呪い返し〉を刻印しつつ、ブレスは先を思いやってため息を吐く。


「まさかこんな、大国を巻き込んでの戦争になるだなんて」

「わたしたち、生きて戻れるのかしら」


 人型をとったミシェリーが、寝台に座って物憂げに長いまつげを伏せる。

 その憂いをはらせるくらい根拠のある答えを返すことは、いまのブレスには出来ない。


「……わからないよ。でも、やらないとだめなんだ」


「どうして? 大国が戦争に協力してくれることになったのよ。わたしたちがいなくても、きっとどうにかなるわ」


「ミッチェ、だめだ。俺が、先生に兄さんを助けたいと言って始めたことなんだから。影の魔女のこともあるし」


「そうじゃないわ。お前がそう思いこむように、プライラルムが仕組んだのよ」


「それは……そうかも知れないけど。それでも、俺が兄さんと妹を助けたいって気持ちは変わらない」


「そう。そうね。気持ちは変わらない。以前も、お前はそう言っていた」


「うん。ミッチェは、変わったのか?」


 ミシェリーは沈黙した。

 刻印を終えた指輪が、机に転がる音だけが小さく響いている。


 ひとつ、ふたつ、みっつ、と金属が転がる微かな音が重なるなか、ミシェリーは小さな声で「ずるいわ」と呟いた。


「変わるわけないじゃない。わたしは宿主を守るだけの、妖精なんだもの。人間のように、変えたいからといって変えることは出来ないのよ」


 泣き出しそうな声だった。

 はっとして顔を上げると、黒髪の少女は悲しそうにブレスを見つめていた。


「わたし、人間になりたい。ねえ、この気持ちがわかる?」

「ミシェリー……ごめん、無神経なことを言った。ごめん」

「謝らないでよ」


 ミシェリーは、どうして欲しいのだろうか。

 わからなくて途方に暮れる。


 ブレスは椅子の向きを変え、おいで、と腕を伸ばした。


 拒絶されたらと思うと怖かったけれど、ミシェリーは立ち上がって、ゆっくりとブレスに歩み寄った。


 きれいな黒髪をすくい取り、そっと頬を撫でる。

 ブレスの手にそっと小さな手を重ね、ミシェリーは頬を擦り寄せた。


 金色の目が、じっとブレスを見つめている。


 胸が焦がれるような、熱い感情がこみ上げてくる。

 どうしてこの子を見ていると、こうも苦しくなるのだろう。


 息苦しさに耐えきれなくなって、ブレスは立ち上がった。


 か細い首を引き寄せ、衝動のままに唇を重ねると、ミシェリーは肩を震わせて目を閉じ、ブレスの背に手を回し、赤毛に触れた。


 あえかな吐息が幾度か交じり合い、はなれては引き寄せ合う。


 歯止めが利かなくなりそうだった。


 でも、いまはまだ、だめだ。


 名残惜しく思いながら、ブレスは額に口づけを落とす。


 ミシェリーは不満気な顔をしたが、ブレスの苦笑を見て仕方なさそうにふいと顔を背けた。


「……ねえ、ミッチェ。この戦いが終わったら、旅を続けるのか、家に帰るのか、今はまだわからないけど。もし君の気持ちが変わっていなかったら、その時は……その……ええと」


 なけなしの勇気を振り絞りながらも言葉に詰まるブレスの必死さに、なにを思ったのか。


 ミシェリーはブレスの胸のあたりでクスクスと笑い、子供の頭を撫でるようにブレスの赤毛を撫でた。


「変わらないわ。妖精だもの」


 笑い混じりの、それがミシェリーの答えだった。




 刻印済みの装飾具を袋に詰めたブレスは、二角獣ルーチェに乗って都市をのんびりと進む。


 時刻は夕刻。痛みを慣らしながら魔力を使っていた為、思いのほか刻印に時間がかかってしまった。


 久々に呼び出したルーチェは、気落ちした様子でうなだれていた。

 ミシェリーが言うには失恋して傷心している、だそうだ。


 この二角獣はいつのまにそんな相手に出会っていたのだろうか。謎だ。


 それでもブレスとミシェリーをきちんと乗せて進んでくれるあたり、ルーチェはいい馬である。

 とぼとぼと歩くルーチェの首を撫でながら、ブレスは声をかける。


「ルーチェ、大丈夫だよ。君はきれいだ。きっといい相手が見つかるって。君を選ばなかったその馬は、見る目がなかったんだ」


 慰めたつもりが、それを聞いたルーチェは凄まじく荒ぶった。純白のたてがみを振り乱して何かを訴えているようだが、残念ながらブレスにルーチェの言葉は解らない。


 一方ミシェリーはブレスを白い目で見ながら「わかるわ、そういうところよね」と同調している。


「えっ、なに? なんて言っているんだ?」

「お前には教えてあげないわ」

「なんで!? 仮にも主人の俺を仲間外れにするのはやめるんだ!」

「仮にも主人なら使役の気持ちくらい察しなさいよ」


 ぐうの音も出ない。

 口をつぐんだブレスにため息を吐き、ミシェリーはルーチェの訴えに耳を傾けている。


「ええ、そうよね。わたしも苦労したわ……え? 二番目の妻でいいですって?」

「なに? だめだルーチェ、もっと自分を大切にするんだ」

「お前が口を出すと話がややこしくなるから黙ってなさい!」


 ミシェリーに怒られ、ルーチェには苦情らしきことをいななかれ、完全に蚊帳の外に追いやられたブレスはおとなしく黙ることにした。


 こういう時に女に逆らってはいけないのだ。


 そうこうしている間に目的の店に到着し、ブレスは下馬してミシェリーを見上げる。


「すぐ終わるだろうけど、一緒に来るか?」

「ううん、待ってるわ。ルーチェと話してるから」

「そっか」


 よくわからないが、積もる話もあるのだろう。

 そっぽを向く白馬の首を軽く叩き、ブレスは店に入った。




 店の女将は、ブレスの顔を見るなり愛想よく迎え入れてくれた。


「あらぁ、いらっしゃい! エトルリアの危機を救ってくれた若き英雄さんじゃないの!」

「……はい?」


 満面の笑みに面くらい、女店主の言葉に呆気にとられ、なにがなんだかわからない。


 興奮している店主を落ち着かせて聞きだした話によれば、レーテの混乱を収めたスティクス候の株が領民の間で急上昇し、その功績に大きく貢献したスティクスの魔術師たちは注目の的、人々の噂に上らない日はないのだとか。


「なんでも外からやってきた赤毛の魔術師が、王都で王や諸侯を前にまったく物怖じせずに、いま軍旗を上げずにいつ上げるのかって熱弁を振るったんだって。それはもうすごい気迫だったって、あんた、大人気だよ!」


 それはブレスではなくフェインである。赤毛違いだ。


「人違いですよ。赤毛の魔術師はもうひとり居るんです。たぶん今夜あたり、王都から帰ってくると思いますが」


「あら、そうだったのかい。すごい刻印師だって聞いたから、てっきりあんたのことだと思ったんだけど」


「刻印ですか?」


「そう。あたしの親戚が見てたんだけど、リーディアの城壁にばーって赤い刻印が浮かび上がるのをみたんだって。

 そのあと竜巻が降ってきて壁ががらがら吹き飛ばされたんだけど、刻印のおかげで殆ど土塊みたいに脆くなってて、崩された壁の近くの建物には殆ど被害が出なかったんだって」


 それはブレスの仕事だ。どうやら「赤毛の魔術師」という特徴のために、ブレスとフェインが同一視されているようだ。


 ふむ、と頷き、ブレスはおおげさに「そうなんですよ」と声を上げた。


「私も同行していたのですが、それはもう見事な魔術でした。惚れ惚れしましたよ。同じ刻印師として、見習いたいと思いました。

 リーディアの混乱を収めたのは、ひとえにアナクサゴラス様の手腕とその赤毛の魔術師の力と言って良いでしょう。あの方はきっと、正真正銘の英雄です」


 そうだろうとも、と機嫌良く頷く女店主に買い取りをお願いしながら、ブレスは思考を巡らせる。


 今のフェインには箔が必要だ。今後ウォルグランドの王として立ったときに、フェインが他国と対等に渡り合うためには実績が必要なのだ。


 王家の血筋であるとはいえ、一度滅びてしまった国に王として起てば、たとえ中央の三大国が後ろ盾についていたとしても、西の国々は容易にはフェインを認めはしまい。


 フェインがどれほど有能で力のある魔術師で、そして王の器であり正義であるかを知らしめることは、今後にとってとても重要なことなのだ。


 赤毛の魔術師の仕事が全てフェインの功績になるのなら、ブレスはいくらでも力を貸そうと思う。


 多少嘘は混じるかもしれないが、どうせ噂なんてなにもしなくても尾鰭がついて大げさになっていくものだ。

 大した罪ではあるまい。


 査定を終えた女将が、金貨と銀貨の詰まった小袋をずしんと机に置き、買い取り金額を告げる。


「上質な印で驚いた」と女将は言うが、贅沢な暮らしを一年は出来るだけの金額に、ブレスの方が驚いてしまった。


「まさか一日で一年分稼げるとは……」

「あんた、本当に城壁に刻印した魔術師じゃあないのかい?」


 疑わしげな女店主の視線をカナン直伝の作り笑いで受け流し、お礼を言って、ブレスは店を後にした。

「ご贔屓にー!」という店主の声とともに、背後でドアが閉まる。


「ミッチェ、ルーチェ、お待たせ……──?」


 機嫌良く声をかけたところで、待っていると言ったはずのミシェリーの姿が消えていることに気づいた。


「……あれ、どうして……」


 どうして、ルーチェが石畳の上に倒れているのだろう。


 一瞬止まった思考を必死で動かして、ブレスは素早く二角獣の傍らに膝をつく。

 呼びかけるとわずかに反応があった。生きてはいる。


「ルーチェ、大丈夫だ。影に戻って体を癒せ。だれか! 誰かここにいた少女を見ませんでしたか!」


 ブレスの呼びかけに、遠巻きに立っていた人の群からひとりの男が進み出た。


「ついさっきのことなんだが、魔術師が……黒ローブの魔術師が女の子を浚って、むこうの方へ」

「ありがとう」


 険しい顔で言い残し、ブレスは風を纏って空へ舞い上がる。

 魔力を流したとたん、手足にびりびりと痛みが走ったが、いまはそんなことなどどうでも良かった。


(ミシェリー! ミシェリー、聞こえるか!)


 わずかに答えが聞こえた。だが遠い。なにかに妨害されている。


 それでも、声の方向はわかった。


 ブレスはわき目もふらず、一直線に声に向かって飛び続ける。


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