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91話 レーテの戦い 後編

 

「アスラシオン様、敵襲です!」


 上空の影に気づいた黒ローブの男が警告を飛ばした。ブレスはその男の顔を目を凝らして見る。

 確かにレシャとよく似た面立ちをしているが、イルダの目はレシャの青よりもやや薄い。


 アスラシオンは頭上を見上げ、そのまま馬をとばした。宙を併走する双子の魔術師は、将を護るように男の周囲を旋回する。


 ブレスは黒ローブのフードを脱いだ。相手にこちらの顔が見えない以上、正体不明の相手が対話を持ちかけたところで応じてはくれまい。


「お前は!」


 レシャがブレスの顔をみて警戒の色を強めた。水蝕の魔術師に対しては、問答無用に失神させてしまったので仕方がない。


「レシャさん。あなたがいま守るべき人は、本当にこの男ですか?」

「レシャ! 耳を貸すな!」

「この男を守ったところで、あなたがたにもはや勝ち目はありませんよ」


 レシャの顔が歪む。イルダはいらだたしげに舌打ちをし、ブレスに手のひらを向けた。

 〈火炎〉の印が描かれている。


 イルダの手のひらが炎を吐いた。身を翻して炎を避けながら、ブレスは怪訝に眉を潜める。

 双子がアスラシオンに従う理由がわからない。


「レシャさん。その男を引き渡してください。話せば解っていただけると思います」

「……出来ない」

「なぜ?」

「レシャ!」


 苛立たしげに叱責をとばし、イルダはもう片方の手の平を掲げる。

 今度は〈水〉。

 イルダは〈水〉に〈火炎〉を重ねて魔力を放つ。放たれた水が蒸気となってブレスの周囲を覆った。


「っ!」


 フードを被り、ブレスは息を止める。黒ローブが耐熱仕様で本当に良かった。


 蒸気が放熱した頃合いを見計らって風を呼び、残りの靄を吹き飛ばす。

 イルダがいてはレシャと話も出来ない。


「──風よ、巻き上がれ」


 言霊で小さな竜巻を起こし、ブレスはイルダに向けて放つ。

 蒸気で視界が悪くなっていたのは相手も同じだったらしく、イルダはまともにそれを食らって上空へ吹き飛ばされた。


「イルダ!」

「大丈夫、ちょっと席を外してもらっただけです」


 レシャの表情には迷いがある。ブレスは後ろ向きに飛びながら、再びフードを脱いでレシャと向かい合った。


「なぜその男に従うのですか? あなたの主君はフェインさんでしょう」

「……お前がなぜそれを知っているのだ。私はお前を信用できない」

「それもそうか」


 レシャの立場から見れば、フェインの血筋をまったくの他人が知っているという状況はおかしい。


 なるほど、と頷いたブレスにレシャは気がくじけたような顔をした。

 敵意の無さに困惑しているのかもしれない。


「では、フェインさんが私を信用したと言えば、あなたは協力してくれますか?」

「ふざけたことを抜かすなあぁ!!」


 上空からイルダが降って来た。吹き飛ばされて相当頭にきている様子で、レシャもいるというのに〈火炎〉の印を発動しようとしている。


(このひと本ッ当に面倒くさいな!)


 荒ぶるイルダの炎を風の盾でいなし、ブレスは声を上げる。


「あんまり邪魔立てすると反撃しますよ!」

「やってみろ、この臆病者が!」


 そうか。

 ひくりと唇を釣り上げ、ブレスは手を上げた。


「よし、じゃあ眠っててください」


 空中には、炎や蒸気をまき散らしていたイルダの魔力の残滓が漂っている。

 ブレスはイルダの魔力を糸のように辿り、〈失神〉を刻印しようと指先を向けた。その時。


「そこまでだ」


 黒ローブをはためかせながら、フェインがふたりの間に舞い降りた。


「フェイン様!?」


 レシャが頓狂な声を上げて目を見開く。イルダを背に、フェインはブレスと目をあわせて苦笑した。ブレスは気まずさに目をそらす。


 相手が兄だと思うと、いたずらを叱られているような気分になってどうも調子が狂っていけない。


「レシャ、彼の言うことは本当だ。もう帝国に従うことはない」


 唖然、という顔をするレシャに背を向け、フェインはイルダに向き直る。

 説得役がやっと降りてきてくれたので、ブレスは自分の仕事をする事にした。


 魔術師同士で小競り合いをしているうちに、アスラシオンは馬の向きを変えて遠ざかっている。

 まったく、話を聞かないイルダのおかげで無駄に時間を食ってしまった。


「……というか兄さん、ずっと見ていないでさっさと説得しに降りてきてくださいよ……」


 アスラシオンを追いながらブレスはぶつぶつと文句を言うが、本人が目の前にいないからこそ口に出せる事だ。


 あの水色の目に見つめられると、悪いことをしていなくても謝ってしまいたくなる。

 不思議だ。あれも一種の魔力だろうか。


「……風よ」


 ため息を吐きつつ風に呼びかけ、飛ぶ速度を上げつつ砂を巻き上げて馬の視界を奪う。

 混乱して空足を踏んだ馬はそのまま竿立ちになって暴れ、騎手を振り落とした。


「……?」


 あのアスラシオンにしては随分あっけないものだ。

 違和感を覚えながらも、ブレスは〈失神〉を刻印し、倒れ込んだ男の兜を取った。


 紛れもない、ブレスに死刑宣告を下した男の顔がそこにあった。

 〈透視〉の目で見ているのだから偽物ではあるまい。


「すまない。君がどのように戦うのか、知っておきたかったのだ」


 追いついたフェインが隣に立ち、ブレスに詫びる。ええ、と答えながらも、ブレスはアスラシオンから目を離せなかった。


「フェインさん。この男は、アスラシオンですよね?」

「ああ、そう見えるが……君には違って見えるのか?」

「……いいえ」


 違わない。ブレスの目にも、アスラシオンの顔に見える。

 しかし何かおかしい。何か、しっくりと来ない。


 失神させる前に質問して違和感の正体を突き止めるべきだったか。


「何にせよ、ひとまず捕虜として連れ帰らなければいけませんね。……光よ」


 ブレスは手のひらに光を集めて天へ放った。

 小さな白い星のように輝く光は、頭上で瞬いて仲間たちに居場所を知らせている。


 ふうと息を吐き、ブレスは立ち上がって振り返る。

 フェインは複雑な表情でアスラシオンを見下ろし、レシャは頭上の光を眩しそうに見上げている。


 イルダだけはブレスを見ていた。確かに顔の造形自体はレシャとよく似ているのだろう。

 しかし、この怒りと不信に満ちた目はイルダ特有のものだ。


 似ているけれど、似ていない。

 同じ顔だからといって、同じ人間ではない。

 ちらりと足元に目を落とし、ブレスは眉を潜める。


 ──このアスラシオンは、本当にアスラシオンなのか?


 光の合図を上げてまもなく、アナクサゴラスがネモたちを伴って駆けてきた。

 ネモは意識のないアスラシオンとフェインたちを見、剣呑に目を光らせる。


「おやまぁ……ネズミが穴から抜け出していたとは。それも四匹も」


 ウォルグランドの魔術師が敵に数えられている。

 ブレスは慌ててネモとフェインの間に割り込んだ。


「ネモ様、違います。彼らは無理矢理従わされていただけに過ぎません」


「あー……君と私の間に認識のずれがあるようですが、魔術師というものは、そもそもそういうものです。道具ですので、こういった場合、本人の意思は考慮されません」


「……ではネモ様は彼らを捕らえ、裁くおつもりですか?」


 フェインを渡すわけにはいかない。


 反射的に、すぐにでも魔術を発動できるように意識を研ぎ澄ませながら僅かに顎を引いたブレスを見、ネモはぴくりとも表情を動かさずにアナクサゴラスの前に立った。主人を守るように。


「そうですね。捕らえ、事情聴取したのちに、宮廷魔道官に報告書を提出します。必要に応じて、御上から沙汰が下るでしょう」


「……」


「青年。これは必要な手続きです。ただ必要なだけです。私は君たちと敵対する気はない」


 緊張を感じ取ったネモの門弟たちが一歩足を踏み出した。素早く視線を走らせ手のひらに魔力を集めると、ネモは弟子に向けて「下がれ」と低く命じる。


「手を出さないでください。邪魔です」

「しかし……」

「黙りなさい。私には弟子を保護する義務がある」


(保護をする。誰から? まさか、俺から?)


 この男には、ブレスがそれほど危険に見えるのだろうか。


 手のひらの魔力が揺らぐ。ブレスだって、ネモを攻撃するつもりなどない。

 ただ逃走のための魔術を使うだけだ。


 だが、逃げるのか? 逃げて物事が解決するのか。

 フェインを追う者が、増えるだけではないのか。

 なにが正解なのか解らない。


 奥歯を食いしばったその時、隣にフェインが立った。


 茫然とするブレスの肩に手を置き、彼は微苦笑を浮かべた。

 フェインは黒ローブのフードを脱いで顔を晒し、堂々と宣言する。


「我が名はフェイン。スティクス候付きネモとお見受けする。我々にエトルリアへの叛意はない。魔術師の掟に従い、投降する。その上で、ネモ殿やスティクス候、ひいてはエトルリア王その人に私の話を聞いて頂きたい」


「……ほう。それはまた、大きく出ましたね」


 ネモが興味を引かれたように目をしばたく。その面には、もはや先ほどまでの緊張感はない。


(そうか。正直に話して良かったんだ。ネモ様は、信じてよかったんだ。だいたい、エトルリアとウォルグランドの利害は一致しているじゃないか)


 は、と息を吐いて魔力を霧散させる。

 体中の力が抜けてしまいそうだった。


 いかに張りつめていたのかを自覚し、ブレスは目を伏せる。ネモが警戒するのも当然だ。


「……ネモ様、申し訳ありません」


 肩を落として謝罪するブレスを見、ネモはやがてへらっと気の抜けた笑みを浮かべた。


「まぁ、あなたのお知り合いとはつゆ知らず、ネズミなどと言ってしまった私の言葉が悪かったのでしょう」


 普段ならばその軽薄な笑みを不気味に思うところだが、今はどれだけそれに救われたことか。




 こうして無法の輩に占拠されたレーテ領都市リーディアは、スティクス候アナクサゴラス率いる一団によって解放された。


 レーテ候一族は屋敷の一室に監禁されていたところを無事保護され、私兵や騎士、側仕えを除いた民間人の死傷者は確認されていない。


 都市を占拠していた者達は大半が討ち死にし、または自害したが、捕虜として確保した者も数名。

 彼らは王都に引き渡され、尋問を受けている。


 各領地に潜伏していた不審者も次々と捕縛され、事態は収束に向かっている、とのこと。


「ただひとつ懸念を上げるとするならば、レーテ候の近衛騎士が数名、行方知れずであること……か。いやですねぇ。彼らはどこに、否、何のために消されたのか」


 王都から戻った虹鳩の報告書を見下ろし、ネモは三白眼を不穏に細めた。


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