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82話 情報収集をしよう

 

 翌朝、天蓋つきのベッドで目覚めたブレスは目を開けるなり息をのんだ。

 隣で黒髪の天使がすやすやと寝息をたてている。


 ミシェリーは起きる気配がない。おかしい、昨晩抱き枕にしたときは黒猫の姿だったはずなのに。


「ミッチェ、起きて。ちょっと」

「う、うーん……?」


 無防備にあくびをし、目尻に涙を浮かべたミシェリーは、つむじをぐりぐりとブレスの顎に押しつけた。


 頭突きは猫の親愛表現だが、少女の姿でやられると心臓がとたんに跳ね上がる。


 一応ブレスも年頃なのだ。

 猫のミシェリーも、少女のミシェリーも、同じ生き物だと頭では理解しているけれど。


 声をかけてはみたが、ミシェリーは起きる気配がない。

 ブレスは彼女の豊かな黒髪を撫でて、そっとベッドから抜け出した。


 窓から見える太陽の位置から察するに、日が昇ってから三時間は経っている。


 どうやら久々に上質な寝具にくるまれたせいで、寝過ごしてしまったようだ。


 カナンの姿はすでにない。あのひとは普段から睡眠を取っているのかすらあやしいので、昨晩もきっと、中庭にでもいたのだろう。


 水差しをとり、杯に注いで口をすすぐ。顔を洗ったところで水を使い切ってしまったので、「満ちよ」と呟いて水差しをなみなみと満たしておく。


 用意されていた着替えは相変わらず上等だった。やや丈の長い、袖のゆったりとした白いシャツに黒いズポン。


 刺繍の施された深緑の帯は、ブレスの目の色を見てあわせてくれたのだろうか。


 着心地の良い衣服を纏い、髪をとかして黒い革紐で結ぶ。

 今日は都市に出て、エチカと共に情報収集をするのだ。


 部屋を出て下へ降りると、使用人たちが朝食の支度にかけまわっていた。

 あわただしい様子。なにかあったのだろうか。


「お見苦しいところを。申し訳ない。普段はこうではないのですが」


 首を傾げていると、ダークブロンドの髪をきっちりと纏めた女騎士シグリーが歩み寄ってきた。

 彼女は室内でも急所を守る防具を外さない。重くはないのだろうか。


「いえ。なにかあったのですか? またネモ様が倒れられた、とか?」


 半ば冗談のつもりで言った言葉に、シグリーは表情を曇らせた。

 どうやらその通りだったらしい。


「すみません、出過ぎた口を」

「いいえ。客人がお気になさることでは、ありません」


 シグリーは物憂げな面に微苦笑を浮かべる。


「昨晩はずいぶん楽しんでおられましたから、きっと気づかぬうちに無理をしてしまって、身体に障ったのでしょう」


 ということは、カナンのせいではないか。

 思わず頭を抱えたブレスを見、シグリーは苦笑を深めた。


 この騎士は、職業の割にずいぶんと優しげな空気を纏っている。不思議だ。


「ああ、ここにいたのね、フィル」


 聞き慣れた声に顔を向けると、ブレスと似たような服装のエチカが早足でやってくるところだった。


「今日は都市を回るんでしょ? 先生は見つけられなかったから、マリー様に伝えておいたわ。行くなら早く行かないと、あっという間にお昼になってしまう」

「もう出るのか? せめて食べてから行かない?」

「ああもう、見てわからないの、みんな忙しいのよ。市場で果物でも買って食べたらいいじゃない」


 エチカの言葉も一理あるが、せっかく作ってくれているのに無駄にしてしまうのは申し訳ない気がする。


 迷っていると、シグリーが「こちらのことはご心配なく」と言い添えてくれた。

 好きなようにすればいい、ということだ。


「わかった、行こうか。シグリーさん、出かけてきます」

「はい。客人に万が一があってはなりませぬ故、日暮れにはお戻りください」

「そうします」


 エチカに引っ張られるようにして、ブレスはスティクス候の屋敷を出た。


「ねえ、気づいた? お屋敷のひとたち、動揺してたみたい」


 敷地を出、門番の姿が見えなくなった頃合いを見計らって、エチカが不安げに呟いた。

 金色の前髪の奥で、青灰色の目が問うようにブレスを見上げている。


「ネモ様の調子が良くないんだって。シグリーさんが言ってた」

「そうなの。やっぱりあの人、もうあんまり長くないのかしら」

「それって……」


 死期が近い、ということだろうか。


「気づかなかった? 昨日の夕食、あの人、喋ってばかりでほとんど食べてなかったわ。あの騎士、シグリーもずっと心配そうにネモ様を見ていた」


 そうだったのか。エチカに言われ、ブレスは自己嫌悪に陥った。

 ブレスは彼の表面的な態度しか見ていなかった。


 カナンもマリーもそれに気づいていたから、あれほどまでにあの男に気をかけていたのだろうか。


「もし、ネモ様が亡くなるようなことがあったら、きっとこの領地は立ちゆかなくなるだろうな」

「わたしもそう思うわ。三年か、長くても五年でだめになるでしょうね。次のネモが、よほど優秀でもなければ」


 目の前に広がる、多くの人々が行き交う賑わった風景も、あの男が死ねばどうなるかわからない。


 どんなに優れた魔術師であれ、ネモである以上あの男は主人の道具だ。


 選ぶ道を誤ることの恐ろしさを、目の前にまざまざと突きつけられたような気がした。




 市場で無花果(いちじく)を買い、ふたりは食べ歩きながら都市を散策した。


 目的は情報収集である。この都市やエトルリア国内で不審なひとの出入りがないかを調べるのだ。


 もしフェインの言っていた「帝国の一団」がエトルリアに潜んでいるとすれば、こちらも迎え撃つ場を準備しなければならないだろう。


 こんなに人の密集した都市で戦いを始めれは、無辜の民が巻き添えを食らうことになる。


 都市のみならず、二角獣に乗ってあちこちのスティク領の門を訊ねて回りもしたが、それらしい団体の入国はなかったそうだ。


 ちなみに門番たちが親切に答えてくれたのは、ブレスとエチカが身につけている腰帯にスティクス領の紋章が刺繍されていたためである。


「さすがに堂々と入っては来ないか。姿を偽って少人数ずつ入ったって可能性はあるけど」


「そうね。団体の入国はないって言ってたけど、ちらほら入ってくるひとはいたみたいだし」


「強い魔術師がついていたとしたら、記憶や認知をいじることも出来る。門番が知らないからって居ないと決めつけることは出来ない」


「記憶や認知を──確かにそうだけれど」


 エチカが不思議そうに首を傾げてブレスを見上げた。


「なんだかフィル、ちょっと変わったわね。お間抜けで来るもの拒まずの、騙しやすいあなたはどこに行ったの?」


「騙されやすいじゃなくて、騙しやすいって言うあたり、ほんとエチカらしいよ」


 ブレスは苦笑いを浮かべて肩にかかった赤毛を払った。

 これだけ色んな経験をしてきたのだから、進歩のひとつもするというものだ。


「でも、まだまだだと思うよ。意識しないと物事が全部素通りしていくんだ。エチカや先生たちみたいに、四六時中いろいろ観察できているわけじゃない」


「フィルはまだ呪いを持っているのだから、仕方ないとも思うけれど」


「呪いかぁ」


 そればかりはどうしようもない。母ルシアナは時がくれば真名を返すと言っていたが、その「時」とはなにを指すのか。


 気づいた時にはすでに真名を奪われていたブレスにとって、魔術師の真名の重要性は実感できるものではない。


 カナンが解呪してくれてはじめて呪いによる制限を実感できたように、真名を奪われることの重大さも解呪されてみなければわからないのかも知れない。




 太陽が西に傾き始めた頃、ふたりは都市モシュネへ戻った。


 結局スティクス領のどこの門番の答えも否であったが、一部、刀傷がついている門があった。


 証拠はないが、ブレスの勘は「居る」と告げている。

 エチカも同意見のようで、「館に長居するのは得策じゃないわね」とぼやいた。


「そろそろ薄暗くなる。戻ろうか。シグリーさんが困るだろうから」

「そうね。あの男も、少しは元気になっているといいけれど」

「ああ」


 エチカの言葉に頷きながら、ブレスは詰めていた息を小さく逃がした。


 集中を要する探索は、今日のところはひとまずお終いだ。


 二角獣ルーチェの背中でのんびりと揺られながら商店街を通っていると、ある店の看板が目に飛び込んできた。


 ブレスが手綱を引くまでもなく、思念を読みとったルーチェが脚を止める。


「なに?」

「この店、魔術具専門店だって」

「ああ、あんた、魔術具好きだものね。見ていくの?」

「勉強になるかなと思ってさ」


 刻印によって魔術具を作れるようにはなったが、どんなものがどれくらいの価格で売られているのかは知らない。


 旅が終われば帰りの路銀を稼がなければならないブレスにとって、相場を知るいい機会である。


 ルーチェを影にしまい、ふたりは時間を忘れて店を見て回った。


 店の女主人が買い取りもやっている、と教えてくれたので、手持ちの石を見せるとそこそこの値段で買い取ってくれた。


「こういう素材じゃなくて、そこらで売っている装飾具に直接刻印すれば、もっといい値で買い取るよ。お兄さん、なかなか腕が良いようだからね」

「ありがとうございます」


 なるほど、既製品のアクセサリーに刻印すればいいとは、手軽だ。


 笑顔でお礼を言って店を出た頃には、空はすっかり暗くなっていて、ふたりは慌てて屋敷に駆け戻った。


「……うわ」


 なんとカナンが屋敷の門にもたれて立っていた。不機嫌そうに、腕を組んで。


 じろりと睨まれ、顔をひきつらせるふたりに向かって、シグリーがほっとした表情を浮かべて歩み寄ってくる。


 結局カナンにはこんこんとお説教をされてしまったけれど、今日はその価値のある一日だった。


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