8話 疑惑の占い師
彼女は、栗色の巻毛を無造作に纏め、飾り気のないドレスに前掛けをつけていた。
美しい肌も特出した美貌も持ってはいなかったが、内側から輝いているかのように清廉で、聖母のような魅力を感じさせる。
「はじめまして。私の名はフローリス。この町でこの店を始めて以来、そう呼ばれているの。私の楽園をお気に召して頂けたかしら?」
「ええ、とても。僕はカナンという名で旅している魔術師です。ここの花々は本当に綺麗だ。ですが花の女神、あなたの前ではどんな大輪の薔薇も恥じらって花を閉じてしまうでしょう?」
「あら、カナン様ってとても面白いお方」
フローリスは屈託なく笑い、ブレスはカナンの言葉に度肝を抜かれて目を剥いた。
カナンを淡白な男だと思っていたので、まさか出会い頭に口説き文句のごとき台詞をすらすらと言い始めるとは思ってもいなかったのである。
「す、好きになったんですか。彼女には鬼みたいな夫がいるので、やめた方がいいですよ」
フローリスが機嫌良く調理をしに消えたとき、ブレスはどもり、冷や汗をかきながら耳打ちした。
カナンはどこ吹く風で、平然と答える。
「ただ、綺麗なものを綺麗だと言っただけです。他意はない」
「そ、そう……?」
ブレスはこの短時間でだいぶ憔悴した。
フローリスの特性ブレンドだという氷の浮かぶ赤いハーブティーは、カナンの心を大いに潤した。
ハーブティーは普段から愛飲しているが、カナンの場合は行き先にあるもので適当に間に合わせている。
ところがこの「ボーメイン」のハーブティーは違う。
絶妙なバランスでさまざまな薬草が配合されているうえ、果汁や蜂蜜の効果で格段に味が良い。
「これは美味しい……でも不思議だな、この辺りでシュキンは咲かないでしょう?」
「そこがフローリスさんのすごいところで、この温室でどんな花でも育ててしまうんです。季節も土地も関係ないんだ、彼女の大地の精霊の加護の前では」
「稀有な方だ」
「本当に。それで、本題の方なんですけど……」
ブレスは声を落として眉根を寄せる。
「怪異について、どのくらい知ったんです?」
「確証を持てる情報は何も。しかし、魔物を探して路地を歩いていたところ何かに背後をつけられましてね。その後、町に出していた使役の魔物からとあるお屋敷の放火事件の話を聞いたものだから、その事件が原因でこの町に怪異が発生したのではないかと憶測しただけです」
「……待ってくれ、そもそも怪異の存在に気づいた理由が背後をつけられたから? カナンさんってものすごく感覚が鋭いんですね……」
「長いので、魔術師」
カナンはにこりと微笑む。
ブレスの目には二十代半ばから後半程度の年齢の青年にしか見えないが、魔道を極めたものは姿も自在に変えられるという。
魔術師は体の成長を終えたタイミングで肉体の老化を止めるものだけれど、どうもそれだけではない様子。
(この男、いったい何歳なんだ? もしかしたらとんでもない大物なんじゃ……あ、協会のみんなの反応が変だったのってもしかして)
そう思いつつも恐ろしくて聞けないブレスは、ハーブティーを飲んで誤魔化すことにした。
緊張のあまりもはやあまり味が感じられない。
「それで、あなた方はどこまで突き止めているのです。心当たりのある人物が幾人か、いるようだけれど」
「あ、ええ、はい。この町に発生している怪異についてはうちの魔術師協会全体で捜索していまして、現在あやしいと思われる人物がふたりあがっています。
ひとりは例の火事、ロバート・サンジェルマン家全焼事件の唯一の生き残りであるロナー、使用人です」
「……ふむ、そしてもうひとりは?」
「この一年で急に名を聞くようになった、なんでも言い当てる占い師がいるんですよ」
ブレスは険しい表情でハーブティーのグラスを握った。
「サンドラと名乗っているその占い師、聞いたところによると人を呪い殺すんだそうです」
カナンは意表をつかれて目を瞬いた。
怪異は存在するだけで超常現象を引き起こし、人を不幸に誘う場合もある。
しかし、それが意図的意に特定の人物に死をもたらすとなれば、まず間違いなく怪異を操れる人間がいるということだ。
「それは、それは。会いに行かねばなりませんね、その占い師に」
ロナーが無意識にあれを作り出している可能性もなくはないが、その占い師──いかにも怪しいではないか。
人を呪い殺す占い師サンドラ。
カナンがその女の居所を訊ねると、ブレスは悔しそうに拳をテーブルに押しつけて言った。
「実は、接触できないんです。先見の明があるとかで、巫女として神殿に入ることになって。神の所有物に人は干渉出来ない。調べたくても、もう出来ないんですよ」
悔しくて悔しくてたまらない。
ブレスはそんなふうに吐き捨てて、縋るようにカナンを見た。
カナンは相変わらずと、にこにこと静かに微笑んでいる。
ブレスは目を疑った。
──話を聞いていたのだろうか、この人。
「それは、難儀ですねぇ」
「いやあなたね、他人事みたいに……そりゃ住人じゃないけど、でも魔術師だったら怪異の解消は義務でしょう」
「では食事が済んだら、その神殿に行ってみましょうか。居場所を探す手間が省けたのだし」
「だから入れないんだって言ってるだろ!」
「まあまあ」
あくまでマイペースに、カナンはハーブティーを味わう。
浮かぶ氷を揺らし、コロコロと音を立ててそれを楽しみ、いくら見ても飽きないとばかりに満開の花々を眺めている。
「おふたりとも、お料理ができましたよー!」
キッチンの方からフローリスが声を上げると、カナンは嬉しそうに「良い香りだ」とフォークを取った。
(もうこの人のしたいようにさせてみる他に、道はないのかもしれないな……)
そんな諦めを抱きつつ、ブレスもカナンにならいフォークを握る。
目の前には湯気を立てる魚料理がなんとも芳しいにおいを立てている。
「ああ、どんな時でもここの飯はおいしいなぁ……」
「本当に絶品ですよ、フローリス」
「嬉しいわ! 食後にはあまぁい桃がありますからね」
この男についていけないのは、きっと己が未熟だからに違いない。
和気藹々とするふたりを前に料理を食べながら、ブレスはもっと心身を鍛えようと心に決めた。
フローリスはまたいつでも大歓迎すると言ってカナンを見送り、ブレスにはいつも通りに社交辞令的な軽い会釈をして店の門を閉ざした。
来た時と同じように、なんの変哲もない四角い柵の囲いとなった彼女の住処に背を向けて、カナンとブレスは神殿に向かう。
「そのサンドラという占い師の娘に家族は?」
「さあ……詳しく調べる前に神殿入りしてしまったので。でも、若い娘がひとりで通りの占い師をして生計を立てていたのだから、きっと頼れる親兄弟もいなかったのだと思うけど」
「たしかにこの町では、婦女の外出が極端に制限されている」
「はい。辺境の国だけど、爵位を持つ家もちらほらありますから。その割には治安が良くないので、この街の男は大事な妻や娘をあまり家から出さないんです」
変化の途上にある町なのだ。
王宮のある都では、未だ神官と爵位を持つ男たちが中心となって貴族社会を動かしているが、都から離れた田舎となると自由なもので、男も女も関係ない。
この町は貴族と神官と魔術師が住んでいる。
その点は都的な文化を表現しているが、名家だったというサンジェルマン家の放火は権威の弱小化を象徴しているようにも思えるし、裏路地に入れば貧しいものが成り上がるための商売が横行している。
「この町で一番権力をもつものは神殿ですね。貴族でも魔術師でもなく」
カナンが問うともなくそう呟くと、ブレスは苦々しげに鼻に皺を寄せ唸った。
「腐ってるんだ。神の名を掲げた行いなら、どんなことでも許されると思ってる奴らがこの町の神官なんです」
となれば、人を呪い殺し先を見通すという娘の身を手中におさめた者が神官だと言う話にも納得できる。
魔術師や貴族が神官よりも力を持っていれば、それほど有名な娘だ、手に入れようと思わぬはずもない。
いよいよもって、その娘があやしい。
そうしてたどり着いた神の拠り所は、主神サタナキアの青き神殿であった。
サタナキア。
神の名を問えば真っ先に人々の口から出る御名がそれである。
ナーク神とも呼ばれる。全ての神々、精霊の父であり、大地と海を妻として、二人の娘と二人の息子を生み出すと、彼らにこの世界を作らせたと云う。
カナンとブレスが訪れたその神殿は主神を祀るにふさわしい荘厳な佇まいで、純白の石壁に青く塗られた装飾的な柱が数え切れないほど立ち並ぶ立派なものだった。
「……なるほど。たしかに、何かがいる」
不意にぼそりと呟いたカナンを見、ブレスは己の目を疑った。
門の左右にまっすぐ立って人々の侵入を拒んでいる神兵たちを素通りし、カナンのエメラルドの両眼はその奥を見つめている。
「こちらで当たりです。怪異は占い師の娘に取り憑いている」
「と、取り憑いている? 娘が怪異を起こしているのではなく?」
「娘は己に取り憑いている怪異を操っているのだ。娘はあくまで娘です」
「怪異を操ることなんか常人にできるはずがない! それができるのだとすれば、娘はただの人間じゃない。
力を持つ魔術師であれば怪異を制御できる場合もあると聞きます。でもそれはありえない。
神殿なんかに閉じ込められたら、どんな魔術師でも力を失ってしまう。あんな石の壁の中で我々は生きられないじゃないですか」
「そう、サンドラの力を欲して神殿入りさせたのだから、サンドラは魔術師ではない。神殿で暮らしても力が損なわれないから神官たちも娘をここに置いているのでしょう。
だとすれば問題は、なぜ彼女は怪異を操ることができるのか……寧ろ、本当に操れているのかの方が問題だ」
「どういうことです」
「それを確かめなければいけません」
どうやって、とブレスが問う前に、カナンはくるりとブレスを振り返った。
異様に輝く両眼と視線が間近でかち合い、ブレスは思わずたじろぐ。
「今から中に入って様子を見て来ようと思うが、君も来ますか」
「えっ……」
「君はこの土地の魔術師だし、来た方がいいでしょう」
訊ねておいて答えも聞かず、カナンはブレスの左手をとってその手首の内側に指先で印をかいた。
なぞられた皮膚が淡い光を発し、瞬く間に消える。
「目眩しの印……でもこれは姿を消すだけで、神殿の結界を破れるわけじゃない」
「結界の方は大丈夫です。ここはサタナキアの神殿でしょう? 僕は彼の加護を得ているのでナーク神に由縁する場所には自由に出入りができる。
どんな強固な結界が張られていようともね。君は僕の袖でも掴んでいれば、一緒に入れます」
「……俺、カナンさんが怖くなってきました」
「しっ。声まで消せる印ではないのだから」
門の左に立った神兵が眉を顰めて周囲を見回している。
「なるべく音を立てぬよう。神殿から出るまでは袖を離さないでください。神殿内の異物と見做され、印の魔術が解けます。行くよ」
己の左手首にも同じ印を描き、カナンはブレスに己の袖を掴ませて歩き出した。
〈目眩し〉の印、とは別名〈姿隠し〉の印とも呼ばれる。
印を描いたものの姿を、空気のように透明にしてしまうという魔術だ。
印はふたりの姿を門番から隠し、カナンとブレスはなんの障害もなくやすやすと神殿に侵入した。
本来ならば姿を見えなくしたところで入れる場所ではない。
もしもブレスひとりだったとしたら、結界に阻まれて弾き飛ばされた挙句に神兵に捕らえられていただろう。
今頃どうなっていたことか、想像するだけでも恐ろしい。
(本当にこんなにあっさり、中に入れるんだな……)
目的の娘の居所がわかっているかのように迷いなく進むカナンの黒髪を見つめながら、ブレスは不安と同時に奇妙な昂りを感じていた。
(この人に弟子入りの申し込みしたら、受けてもらえるかな)
もしかしたら、自分はいま人生が変わる瞬間にいるのかもしれない。
「おや? 方角はこちらなのに道がない。迂回する他ないようだ」
「カナンさん、神官が来ます。端に避けましょう」
ひそひそとやりとりをするふたりの横を、白く丈の長い大袖の神官服に薄青の帯をしめた男が、すり足で歩いてゆく。
神官は両手に食事を乗せた盆を持っていた。
単価の高い食材を使った割に湯気のひとつもたたないそれは、毒見を済ませたもの。
これは貴人へ届けにゆくための食事である。
ふたりは顔を見合わせて、示し合わせたように薄く笑む。
そして、すっすっと歩いてゆく神官を尾行したのだった。
神官は奥へ奥へと進んでゆく。
例の人を呪い殺す占い師の娘は巫女として迎えられたと聞くが、こうしてひとり膳を運んでもらっている事から鑑みるに、特権階級にあるらしい。
それも無理からぬことかとブレスは思う。
その能力を買われて召し上げられた女となれば、能力を独占したい権力者がいるということだ。
使いたい時に使えるよう、常に手元に置いておきたいに違いない。
(万が一にも逃げ出されては事だしな)
娘の所持者は、さぞ人に恨まれているに違いないから。
「この部屋にいる」
カナンは吐息のような小声で囁く。
膳を運ぶ神官はようやく目的の部屋に辿り着いたのか、横に立つ巫女に扉を開けさせて、そして巫女に膳を手渡した。
「全て食べさせるように」
そう言付けるとまたすり足で去っていく。
男子禁制というわけだ。
「行くよ」
巫女が部屋に入ると同時に、カナンは猫のようにその身を扉に滑り込ませた。
袖を掴みながら着いていかなくてはならないブレスは一拍遅れて少々ドアに引っかかってしまったが、幸い巫女には気付かれずに済んだようだ。
部屋の中の光景を見たブレスは驚きに目を見開いた。
そこには、およそ神殿らしからぬ調度品の数々で埋め尽くされていた。
木目の美しいテーブルや衣装箪笥。
敷き詰められた毛皮のラグ、刺繍のはいったフリルつきのカーテン、化粧をするためのドレッサー。
年頃の貴族の娘の寝室のような品々が、ずらりと立ち並んでいたのである。
(巫女として召し上げられたってのは、表向きだったってことか)
特権階級どころではない。
これは完全に、所有者の私利私欲を満たすための檻だ。
この部屋の有様は、それを承諾し、その代わりに要求を突きつけた結果だろう。
神殿は清貧を掲げており、通常、贅沢を禁じる。
「食事? そこに置いておいて」
天蓋つきのベッドのなかから、鈴を転がすような若い女の声がそう告げた。
声は美しいが、不機嫌で有無を言わせぬ口調。
出自のためか、それとも身の上のためか。
「すべてお召し上がりになるようとのご命令です」
「命令? このわたくしに、誰が命令をしたっていうの。お前、そいつの名前を言ってごらんなさいよ」
「ひっ、どうかお許しを!」
「呪い殺してやるわ。二度とわたくしに命令しないで。いい、許すのは一度だけよ。今度わたくしに命令などしたら、お前も、そいつもまとめて殺してしまうわ」
しゃ、と音を立てて寝台の天幕が引かれ、現れたのは波打つプラチナブロンドの髪を長く伸ばし高価なドレスを身に纏った若い娘の姿だった。
冷たい怒りに頬を引き攣らせ、残忍な笑みをチェリーのような唇に浮かべた娘。
サンドラは細い顎をそらして仕える巫女を見下ろしている。
「早く出ていきなさい。わたくしの機嫌が変わらないうちに。これ以上、悪くならないうちにね」
言われるまでもなく、巫女は膳を置くと逃げるように部屋を去っていった。
背後で静かにドアが閉まる音を聞き、ブレスはしまったと内心舌を打つ。
部屋に入り込んだはいいが、バレずに出ていけるのだろうか。
無人のままドアが開けばどんなに鈍い者でも不審に思うにちがいない。
その不安が隙を作ったのか、ブレスの踵が衣装箪笥の端を掠め、コツ、と小さな音を立てた。
気怠げに食事に向かっていたサンドラがさっと振り返り、その鋭い目が宙を睨む。
「だれ?」
ブレスは思わずひゅっと息を呑んだ。
どうすればとカナンを見上げると、カナンは例のにこにことした無表情な笑みを顔に張っ付けてブレスを見下ろしている。
ブレスの背筋が余計に寒くなる。
(ごめんなさい!)
「誰なの!」
ほとんど金切声で叫び、サンドラは神経質に部屋を見回した。
何かを恐れているかのような緊迫した表情。
不意に窓も開いていないのに風が吹き、りぃんと鈴がなった。
寝台の四隅の柱に吊るしてある飾り鈴が。
「なんだ、あなただったの」
途端に気が抜けた様子で、サンドラはくたりと食卓の椅子にもたれかかった。
退屈そうに冷め切った肉を突きながら、部屋にいるらしい誰かに話しかける。
「昼間も姿が見えたらいいのに。いるのかいないのかわからないし、不安だし……でも、夜に会えるだけいいわよね。そう思わなくては。ねぇそうでしょう、メイリーン」
(メイリーン?)
再びりぃんと鈴が鳴る。
ブレスは訝しげに眉間を寄せる。
どこかで聞いた覚えのある名前。
いや、まさかそんなことが。
あり得るだろうか。
「あなた、聞いていて? 明日、隣町のあの男爵がまたわたくしのもとにいらっしゃるのですって。今度はいったい、誰を殺す依頼でしょうね……」
サンドラは遠くを見やるような目で、閉ざされた窓を見つめ、唇を噛んだ。
横顔が泣き出しそうに歪んでいる。
気を紛らわせるように、皿に並べられた冷たい肉を単調な動作で口に運ぶ。
「こんなはずではなかったのに」
やがて長い時間をかけてまっさらになった食器を下げに巫女が現れ、ふたりはそっとサンドラの部屋を後にしたのだった。