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77話 夢の中の少女

 

 薄暗い暗闇。

 いくつもの扉を、でたらめな階段が繋いでいる。


 ブレスはそんな奇妙な空間の、階段の上に立っていた。

 上下左右どこを見ても、存在するものはドアと階段と暗闇だけだ。


 ドアには小窓がついていて、明るい光をこぼしているドアもあれば、灯りの消えたドアもある。


 背後を振り返ると、ブレスの扉があった。明るい色の木製のドアだ。

 ドアノブには金色の蝶の細工が止まっている。


 小窓から光が漏れていることから鑑みるに、眠っている者のドアには灯りが灯るのだろう。


「……あべこべだな」


 ひとまず息を吐く。どうやらカナンは、きちんとブレスを導いてくれたようだ。


 この数えきれないほどある数多の扉の中から、どうやってあの少女の扉を探したものだろうか。


「あの子と俺の夢の回廊は繋がっているって、言っていたけど」


 重力を無視して縦横無尽にはしる階段はまるで迷路だ。

 一晩で探せるだろうか。


 そんなことを考えていると、視界の端で何かが動いた。

 目を向ければ、ドアノブに止まっていた金色の蝶の翅が、ぱたぱたと羽ばたいている。


 どこかで見たような光景だ。


 蝶は飛び立ち、金色の光を鱗粉のように撒き散らしながら、ブレスの周囲をひと回りした。


「わかったよ。着いていけばいいんだね」


 道案内がいるとは頼もしい。

 ブレスは光を追って、階段を降り始める。


 金色の蝶はいくつものドアを通り過ぎ、やがて銀色のドアの窓枠に止まった。


 来るものを拒むような、冷たい金属のドアだ。格子窓がついていて、まるで牢獄のよう。


「……ここが、あの子の」


 拒絶されるだろうか。攻撃されるかもしれない。迷いはある。

 けれど、行かないという選択肢はない。


 出来ることは出来るうちにやっておかなければ後で後悔する、とエチカも言っていた。

 ブレスだって同意見だ。


「……よし」


 冷え切ったドアノブを回す。ブレスは少女の夢に、足を踏み入れた。


 ドアの向こう側は、静かな夜だった。


 雪花石膏(アラバスター)の白い柱が立ち並ぶ美しい中庭。

 中央に沸いた泉を囲うように咲き誇る、白い花。


 その泉の淵に、ゆるやかに波打つ赤毛の少女が座っている。頭上には月。


 そこは、あの幾度も見た悪夢の現場だった。

 この中庭を囲う石畳の上で、ブレスはあの少女に背後から刺されるのだ。


 いつもと違うのは、今日はブレスが少女の背後をとっているということ。


「……だれ?」


 泉を覗き込んでいた少女は、振り返りもせずに誰何(すいか)した。

 幼く、無機質な声をしていた。


「兄様? やっと、助けに来てくれたの?」

「君の兄さんじゃないよ」


 ブレスの答えに、少女はようやく振り向いた。


 少女には表情がなかった。

 その幼い顔立ちにはこれっぽっちも似合わない、虚ろな無表情でブレスを見ていた。


 それでも、ああ、やはり少女はフェインの妹なのだ。

 水色の目が、よく似ている。


「あなた、知ってる。時々、わたしと兄様の夢に、割り込んでくる男」

「……好きで割り込んでたわけじゃ、ないんだけど」


 まるでブレスが悪いかのような言い方だ。

 酷い目にあっているのは、こちらだというのに。


「何をしに来たの? 知らない魔術師。わたしを、殺しにきたの?」

「どうして?」


 質問に質問で返されたのは、初めてだったのかもしれない。

 少女は無表情に、ほんの少しだけ戸惑いの色を滲ませた。


「どうしてって……わたしに、怒ったから?」

「怒ってはいないし、怒ったくらいで人を殺したりなんかしないよ」

「嘘よ」


 淡々と、少女は言う。


「人を怒らせたら、人は死ぬのよ。当然のことだわ」

「ああ……だから君は、君の兄さんに怒っているから、あんなことをしたんだね」

「そう」


 少女の年齢は十代半ばに届くか、届かないかに見える。


 帝国がウォルグランドを滅ぼしたのは十二年前だというから、この子は人生の大半を帝国の捕虜として生きてきた。


 きっとこの子の中で「怒ったら死なせてもいい」という考え方は、疑うべくもない常識なのだろう。


 そういう環境で育ったのだ。


「じゃあ、考えてみて。君の兄さんが死んでしまったら、兄さんは君を助けることができなくなるよね」


「…………」


「それなら君は怒りを捨てて、兄さんを守ってあげた方がいいんじゃないかな」


「守る……? わたしが? 妹なのに?」


「うん。助け合うんだ。妹だから。兄さんは君を助けるし。君も兄さんを助ける。君にはそれが出来る。守られるだけの、弱っちい女の子じゃないだろう?」


「…………」


 少女は答えない。考えているのだろうか。

 ブレスは黙って、少女の返事を待つ。


「……兄様は、とても遠くにいるの。ずっと会いに来てもくれないの。だから、夢で会いに行くしかなかった」


「そっか。寂しかったんだね」


「寂しかった……? わたし、怒ってたんじゃなくて、寂しかった……」


 少女の無表情が崩壊した。

 大粒の涙をぼろぼろと溢れさせ、座り込み、少女は弱々しい声をあげて泣いた。


 何年も泣けなかったその負債を取り戻すように。

 とめどなく涙を流して、兄様ごめんなさい、としゃくり上げながら。


 雨晒しの子猫のような泣き声だった。


 少女の目に(わだかま)っていた澱みが洗い流されていく。


 ブレスは安堵の息を吐き、そっと妹の頭を撫でた。


 これでもう、この子はフェインに悪意をぶつけるようなことはしないだろう。


「……あなたは、誰なの……?」


 ひとしきり泣いて、それでもまだ涙を滲ませながら、少女は訊ねた。

 大きな水色の目を見下ろしながら、ブレスはやや困って、首を傾けた。


 どう答えるのが正解なのか。

 うーん、と迷ったのは数秒。


「君たちを助けたいと思っている魔術師だよ。呼び名はいろいろあるけれど……そうだな、女性はみんな、フィーとか、フィルって呼ぶかな」


「フィル……は、助けて、くれるの?」


「そのつもりだよ。今はまだ遠くにいるけれど、仲間と一緒に帝国に向かっている」


 少女の目が希望を得て輝く。ブレスは少女を安心させるように、微笑する。


「でも、そのことは秘密なんだ。君の兄さんにも秘密。バレちゃうと、怒られちゃうだろう?」


「そう……ね。怒ったら、殺すわ。彼らは」


 少女は、真剣な面持ちで頷く。


「ふたりだけの秘密ね」

「ふたりだけの秘密だ」


 目を見合わせ、明確な約束を交わす。

 単なる口約束でも、魔術師同士が意志をもって交わせば、それは誓約となる。


 美しい中庭を、金色の蝶が横切った。

 夢の回廊の案内役が現れたということは、タイムリミットが迫っているということだ。


 戻らなければならない。ブレスは立ち上がる。


「今夜のことを忘れないで。君はひとりじゃない。もう戻らないといけないけれど、また来る」


「待ってる……フィル、必ず来てね。来なかったら、わたしから行くから」


「ああ。できれば、フェインと……君の兄さんと、仲直りしてやってくれ!」


 扉が迫ってくる。いや、ブレスが引き寄せられているのかもしれない。


 こんなふうに強引に締め出されるなんて聞いてない。

 内心舌打ちしつつ、ブレスは少女を振り返った。


「フィル! わたしの名前は、エルシェマリア……エルよ!」


 エルシェマリア。お姫様にふさわしい、綺麗な音だ。


 もう声は届かない。ブレスはありったけの光を呼び集めて、少女、エルに向けて放った。


 扉が閉まる直前、光は少女の胸元に飛び込んで、小さな太陽のように月光の中庭を照らした。



 ⌘



 はっと目を開けると、空はすでに白み始めていた。

 ブレスは木にもたれた姿勢のまま、しばし茫然とする。


(うまくいった。うまくいったはずだ。たぶん)


 全てきちんと覚えている。

 こんなに記憶が鮮明なのだから、あれがたまたま見た都合の良い夢だということはあるまい。


「……あー……なんとかなってよかった。兄さん、俺はやりましたよ……」


 大きく伸びをすると身体中がバキバキと嫌な音を立てた。

 何時間も同じ姿勢でいたのだから仕方がない。


 とにかくやり遂げた。エルはもうフェインを追い詰めはしない。

 フェインはひとまず死を免れた。


 あとはただ、ブレスがエルと約束したことを、きちんと実行するだけだ。


 心地よい達成感と疲労を感じつつ、久々に満たされた気分で強張った筋肉を伸ばしていると、向かい側で木に凭れていたカナンと目が合った。


 まさかこの人は、夜通しここにいたのだろうか。


「うまくいったようだね」

「は……はい。先生が介助してくださったお陰です。ところでその、ずっとここに……?」

「夢の回廊で迷子になると、厄介だからね」

「はあ。迷子、ですか」


 お礼を言いつつ、首を傾げる。道案内がいるのに、迷うことがあるのだろうか。


 不思議には思ったが、ブレスはその疑問を頭の端に追いやった。

 今は何も考えたくない。


 あくびを噛み殺すブレスを見、カナンは微苦笑を浮かべて立ち上がった。


「出立まで、まだ少し時間がある。休むといい」

「……はい。ありがとうございます。……その、すみません」

「かまわないよ。数時間も集中していたのだから、疲れるのは当たり前です」


 立ち去るカナンの寛容さに心の底から感謝しながら、ブレスはその場でごろんと横になる。

 夢渡りの魔術は消耗が大きいようだ。


 ほとんど気を失うようにして、ブレスは泥のように眠った。




 数時間後、額に柔らかいものが押し付けられる感覚で目を覚ました。


 ミシェリーがジト目でブレスを見つつ、前足の肉球でぷにぷにと額を叩いていた。

 いつのまにか抱き枕にしていたらしい。


「おはようミッチェ……」

『暑いのよ。離して』

「ん、ごめん。毛並み乱れちゃったね。後でブラッシングしよう」

『……ふん』


 嬉しそうに尻尾を立てて、ミシェリーはとことこと歩いていく。


 あくびをしつつ起き上がると、魚の焼けるいい匂いが漂ってくる。

 みんなとっくに起きていて、これから朝食の時間らしい。


 立ち上がり、うんと伸びをして、川辺で顔を洗う。

 冷たい水で眠気を洗い流し、ブレスはしゃんと背筋を伸ばした。


「よし」


 すべきことがある。伴うだけだったブレスの旅にも目的が出来た。


 もはや助けられるだけの子供ではない。助ける側に立つその時が、やってきたのだ。


 野営地に戻ると、エチカが「遅いわよ」と文句を言い、マリーが口いっぱいに魚を頬張りながら笑いかけ、カナンが穏やかな面持ちで影の中の竜を撫でながら頷いた。


 幸福な時間。

 かけがえのない、大切な旅の仲間。


「あっ、マリー様、俺の分まで食べないでくださいよ!」

「フィーが寝坊するからでしょー」


 エチカが取ってくれた串をマリーが狙う。その鼻先から魚を取り上げて、ブレスは笑う。


(大丈夫だ。やっていける)


 厳しい旅になろうとも、ブレスはひとりではないのだから。


7 血縁の使者 終

 兄と出会い、使命を得たブレス。ひとつめの呪いを解呪し、それなりになりました。

 影の魔女の正体も判明。そして、今年の旅の終着点が帝国に決定。波乱の予感。

 妹のエルシェマリアの名前の由来はエルシェマリという星から。

 天秤座に属する星ですが、蠍座のハサミの位置にある星でもあります。

 

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