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73話 力と解呪

 

 翌日、一日をかけてブレスはありったけの素材に刻印し、さまざまなな魔術具を作り出した。


 マリーがかしてくれた魔術師の印の記録帳がなければ、こうはいかなかっただろう。


 魔道学舎で教わる印を基礎中の基礎、魔術師協会で教わった印を実用性の高いものだとすれば、マリーの印はこの世の極みだ。


 同じ効果を生ずる印でもブレスの知っているものとは微妙に形が違ったりしている。

 マリーが言うには、「その方が早く起動するから弄ってみた」だそうだ。


 古い紙なので破かないように慎重にページを捲っていると、ブレスの目にある文字が飛び込んできた。


 〈蘇生〉である。


 説明書きによれば、〈呪い返し〉が効かないような強力な攻撃を受けてしまった場合、一定時間肉体を仮死状態にしてその後息を吹き返す、という効果の印らしい。


「……これ、すごいけど相当難しいな……」


 説明書きの下には複雑な線の印が記載されている。ある程度大きな素材に刻印しなければ、線が潰れて使い物にならなくなるだろう。


 記録帳を前に唸っていると、横からマリーがピョンと顔を出した。


「おおー、だいぶ数を作ったんだね。順調?」

「実は少々行き詰まっています」

「どれどれ」


 黒っぽいシンプルなワンピースを着たマリーはブレスの横で胡座をかき、記録帳を覗き込んで「あーこれかー」と納得の声を上げた。


「これは確かに難しい部類だねぇ」

「やはり初心者じゃ無理でしょうか……」

「初心者は無理だけど、フィーはもう初心者じゃないから描けるよ。こういうのはやり方にコツがあるんだ」


 マリーはその辺の小石を拾い、親指と人差し指で摘む。

 それを眉間のあたりまで持ち上げて、目を閉じた。


「視覚に頼ると細かい作業って疲れるだろう? 疲れると線がぶれる。だから、見ない。指先で、石の大きさを意識しながら、刻みたい印をイメージする。で、魔力を込める」


 時間にしてほんの十秒程度。マリーが目を開けて小石を手のひらで転がすと、石には確かに〈蘇生〉の印が刻まれていた。極々細い線で、しかし寸分の歪みもなく。


「すごい……」

「まあ、目を閉じなきゃいけないから印は覚えてなくちゃいけないんだけど」

「確かに。でもこのやり方なら、他の……もっと簡単な印も見ないで描けますよね」


 むしろ初めからこのやり方で刻印を覚えた方が、楽だったのではないだろうか。


 そう質問をすると、マリーは「ムリムリ」と苦笑混じりに手を振った。


「だって魔力の力加減とかは、目視しなきゃわからないじゃない。どのくらい力を込めればどのくらいの線が引けるのかとか、歪みなく綺麗に線を引く感覚とか。そういう初歩はやっぱり見ながらやった方が覚えやすいんだよ」


「なるほど……たしかに魔力を込めた時に指先に戻ってくる反発の大きさとかで、力加減もだいぶはかれるようになりましたね。目視の成果です」


「あれっ、もう跳ね返りの感覚まで掴めてたの。すごいね、ほぼ上級者じゃない」


 首を傾げていると、マリーは教えてくれた。


 刻印の力加減を正確に行える者が中級で、素材が跳ね返す魔力を感知する感覚を身につけた者が上級らしい。

 ブレスにはその違いがよくわからない。


「だって、押しつける力と戻ってくる力の釣り合いが取れていないと綺麗に線が引けないじゃないですか」


「それはそうなんだけど、うーん、なんつったらいいかな。素材ってみんな硬さが違うじゃん。ガラスとか石とか金属とかさ。


 中級者は押すことでしか力加減が出来ないけど、上級者はさっきフィーが言ったように“釣り合う”って感覚がわかるぶん、いちいち素材の硬さとか脆さとかを意識しなくて済むようになるんだよ。


 中級者ははじめての素材だと力加減を間違えて壊してしまう場合がある。上級者は釣り合いがわかるからどんな素材にも同じように刻印できる。ざっくり言うとこんな感じ」


「…‥薄らぼんやり理解しました」


 そう答えると、マリーはアハハと盛大に笑った。


「まあとにかくやってみなよ。ほら、石持って、目をつぶって。最初は簡単な印でいいよ」


 言われるがままに目を閉じ、手渡された石を摘み、眉間のあたりに掲げる。

 イメージするのはミシェリーのお守り作りのために散々練習した〈魔物避け〉だ。


 指先に魔力を込める。じんわりと石が熱を持ち、充分に魔力が行き渡ったところで刻印を始める。


「……?」


 妙な感覚があった。刻印しようと魔力を込めると、指先で一瞬、すごい速さで魔力がうごめくのだ。


 小さな魚の群れがサッと散り散りになるような動きだ。覚えがない感覚に戸惑う。


「ちょっと。目、開けて」


 妙に真面目なマリーの声に促され、ブレスは目を開ける。


 摘んでいた石を見ると、イメージしていた〈魔物避け〉の印がいくつも、細々とびっしり、隙間なく石に刻みつけられていた。


 どうしてこうなった。


「き、気持ち悪!?」

「これ、やろうと思ってやったの?」

「まさか。いつも通りに刻印しようとしたら、勝手に魔力が動いたんです……けど、そんなことってあるのか……?」


 魔力が勝手に動く。

 自分で言っていても妙だと解る。


 マリーは眉間を寄せ、顎に指を添えて彼女らしくもなく険しい表情を浮かべている。


「……これはまずいな。これ以上の変化は、バランスを狂わせる……」

「マ、マリー様?」


 普段おちゃらけている人が深刻そうに何やら言っているのを見ると、不安になる。


「ちょっと待ってて」と言い残し、マリーはそのままどこかへ行ってしまった。


「なんなんだろう。ミッチェ、俺、まずいことした?」

『なるようになるわ。印の記録帳でも見て待っていたら』

「……うん。それもそうだね」


 時間は有限だ。こういう時のミシェリーは頼もしい。

 〈蘇生〉の印を木片に手書きで写し、とりあえず覚えることにした。


 大きな素材に刻印しても術は発動するだろうけれど、こういうものは隠し持ってこそ意味があるのだ。

 印を取り上げられてしまったら元も子もない。


 印を何度か書き終わった頃、マリーはカナン連れて戻ってきた。

 ろくに話も聞かされていないことは、カナンの怪訝な顔から察せられる。


「なんです、一体」

「いいから。フィー、さっきのもう一回やって」

「……出来るかどうかわかりませんけど」


 小石を拾い、眉間の位置に構える。

 目を閉じて、印をイメージする。今度は〈呪い返し〉にしよう。


 魔力を込めると、またあの妙な反応が起こった。

 指先で魔力がうごめき、鼠のように駆け回る。


 目を開けると、またしてもみっちりと印が刻まれていた。〈呪い返し〉柄の小石だ。


 ブレスはそれを差し出して、師の顔を盗み見た。カナンは目を見張り、まじまじと小石を観察している。


「いつからこんなことが出来るように?」

「今だよ。さっき目を閉じて刻印するやり方を教えて、試しにやらせてみたらこうだったの。やばくない?」

「ふむ……しかし、順調に成長していると言えるのでは?」

「馬鹿か、お前。強けりゃ良いってもんじゃないってことは、お前が一番わかってるはずだろうが」

「それもそうか」


 珍しくマリーがカナンに噛みつき、カナンは素直に頷いた。

 何がなんだかわからないブレスを見据え、カナンは述べる。


「君のつらら石が、言霊の力に続いて第二の力を生み出そうとしているようです。このままでは君は、身に余る力を得てしまい兼ねない。

 下手をすれば君自身の人格が変貌してしまうかもしれません。過ぎる力は人を不幸にします。君は、力を望みますか?」


 そんな前置きをされて「望む」と答える者が果たしているのだろうか。


「俺は先生とマリー様に従います」


 マリーは答えを聞いて安堵の表情を浮かべ、カナンは淡々と結論を言った。


「では、これ以上つらら石が成長しないよう、早急に君にかけられた呪いを解く必要があります」





 というわけで、呪いを解くことになった。

 ついにこの日が来たのか、とブレスはぼんやりと考えていた。


 ウォルグランドを出る際に、ブレスの将来を案じた母ルシアナからかけられた呪いはふたつ。


 ひとつは記憶を奪うもの。

 そしてもうひとつは、魔術の使い方を忘れる、というもの。


「記憶の呪いは真名を奪われたことによるものだから、君の真名を握る者でなければ解けない。

 だが、魔術への制限の呪いは僕でも終わらせることが出来る。

 君のつらら石を作っているのはそちらの方だから、ひとまずそれで君の変化は収まるはずだ」


「はい。わかりました、お願いします」


 大人しく頷くが、心の準備がまったく出来ていないせいで心臓がうるさい。

 少し前まで、呪い持ちであったことさえ知らなかったのだ。


 呪いを解くことはブレスも望んでいたことだったけれど、実際に解呪されてどうなるかなど想像したことすらなかった。


 今の心境をひとことで言い表すとすれば、「びびっている」だ。


「……雑念が多いですね」


 ブレスを木の根元に座らせ、カナンが真正面に膝をつきつつぼやく。


「仕方ないじゃないですか、緊張しているんですよ」

「大丈夫です。悪いようにはしません。少し、苦しいかもしれませんが」

「く、苦しいんですか……」

「呪いの長年の癒着を剥がすわけですから、それなりには」


 うぐ、と尻込みをするブレスを見下ろしながら、カナンは「失礼」と前置きをして額の目を開いた。


 白目のない第三の目がぎょろぎょろと動くのを間近で見つめつつ、ブレスは「マリー様にも額の目があるのかなあ」と現実逃避をする。


 ちなみにミシェリーは、びびり散らかしている宿主を哀れに思ったのか、先ほどから人型になってブレスの手を握ってくれている。天使だ。


「……ああ。みつけた。これはなかなか根深いですね」


 根深いってなんだ、と問おうとした次の瞬間、カナンはブレスの腹に指先をめり込ませた。


「…………は?」


 己の腹にカナンの白い指が突き刺さっている。

 ずぶずぶと、容赦なく五指をブレスの体に沈めたカナンは、そのまま腹の中身をかき回すように指を動かした。


 痛みはない。だというのに、腹の中でカナンの指が動いている感覚はある。

 内臓をじかに撫でられているような、嫌な感触が。


 気持ち悪い。吐きそうだった。

 ミシェリーが呼吸を乱すブレスの目をそっと覆い、宥めるように耳元で呟く。


「大丈夫よ。怖いのは、いまだけだから」

「うっ、ぐ……っ!?」


 グチャ、と嫌な音がした。カナンの手が、ブレスの腹の中の何かを掴んでいる。

 ()()は引き摺り出されることを嫌がる様にぶるぶると痙攣し、カナンから逃れようと抵抗している。


 カナンの唇がかすかに動き、ブレスの知らない言葉をつぶやいた。

 知らない音なのに、なぜか言葉の意味は解った。


 動くな、と言ったのだ。


 腹の中のそれはカナンの命令にピタリと動きを止める。カナンはそれを一息に引き抜く。


 それを繋ぎ止めていた強力な何かが、ブチブチと音を立てて断ち切られる。


「が、ぁ、あああ!!」


 激痛に叫び声をあげ、身体を引き攣らせるブレスを、ミシェリーが頭を抱え込むようにして宥める。


「横に……寝かせてあげてください。もう少し、中をきれいにしなければ」


 朦朧とする意識の中でぼんやりとカナンの声を聞く。

 ゆっくりと横たえられて、そのまま数回吐いた。


 カナンの指が腹をまさぐるのを感じながら、ブレスは昏倒した。




 目を覚ましたのは小一時間後だった。黒髪の天使に膝枕をされて、額には氷嚢が乗っていた。


 頑張ったわね、と慰めてくれるミシェリーの声に癒されながら、ブレスは例の如くすり鉢で薬草をゴリゴリやっていたカナンを横目で睨んだ。


「先生の嘘つき……少し苦しいどころじゃないじゃないですか……」


「恐らく、術者が魔女に落ちたことによって君の中の呪いも変化したのでしょう。僕も、あんなモノが君の中にこびりついていたとは思いもしませんでした」


 淡々と、しかしいくぶんすまなそうに眉を下げるカナン。


 そうか、知らなかったのなら仕方がない。死ぬかと思ったが。


 見ますか、と唐突に言って、カナンは瓶を投げて寄越した。目の前転がってきたそれを見てブレスはぎょっとした。


 瓶の中にいたもの──それは、毒々しい赤黒い色の、こぶし大の怪物だった。


 腐りかけの内臓に複数の口をつけてギザギザの牙を生やしたようなそれは、まだ生きているらしく、瓶の中からブレスに向かって体当たりをしている。


 ブレスの中に戻ろうとしているのだ。


「ひっ……こ、これが俺の中に? 嘘でしょ……」


 血の気が引いた。

 ルシアナはなんてものを埋め込んでくれたんだ。


 ミシェリーが怒って瓶を掴み、カナンに向かって投げつける。


 カナンはそれを難なく受け止めて、するりと懐にしまった。

 よくあんなおぞましいものを、身近に置いておけるものだ。


「まあ、あれです。苦しんだでしょうけれど、取ってよかったでしょう?」

「そうですね……」


 死ぬかと思ったが、その価値はあった。


 大人しく礼を言うと、カナンが振り返り、すり鉢の中身を匙で掬ってブレスに向けた。

 いい顔をしている。


「これは体内の乱れを整える薬です。飲みなさい」

「先生、なんか激臭がするんですけど。まだ吐かせ足りないんですかね」

「大丈夫ですよ。安心して僕に任せなさい」

「もう二度と騙されるものかぁ!!」


 抵抗虚しく、匙は口に突っ込まれた。

 その後ブレスが悶絶したのは、言うまでもない。



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