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70話 帝国の使者

 

 太陽の国、ヴィスターク帝国。


 海の向こう側にあるその大国は、かつてブレスの生まれ故郷である精霊の国ウォルグランドの王を騙し討ちし、戦を起こし、国土を蹂躙して、支配下に収めた。


 ブレスは幼少期に、王の愛妾であった母ルシアナと当時母に仕えていたシルヴェストリによって国外へ逃され、生き延びた。


 生き延びる際にルシアナの手によって記憶を奪われたため、故郷のことは覚えてはいない。


 エルシオンでレイダ・ウォルグリアという同郷の男の名が出た時も、カナンの旅路の邪魔をされて厄介だ、と思ったくらいだった。


 だが、この男は。


「君は席を外したほうがいい」

「……いえ。います。いさせてください」


 ブレスの顔を見て告げたカナンの声を、ブレスは拒絶した。

 カナンはそれ以上何も言わなかった。


「でもさあ、お前は帝国人じゃあないよねえ? あの国の人間はみんな色素が濃いだろう? お前のような赤毛で水色の目をした人間なんか、産まれてこないはずだ」


 普段よりも威圧的な口調で、マリーが述べる。

 フェインと名乗ったその使者は、ますます身を強張らせて頭を下げた。


「すごい威圧感だわ」と呟き、エチカが青い顔で数歩後退った。

 フェインは冷や汗で首を濡らしながら答える。


「私はかつて捕虜でした。魔術の才を見込まれて生かされましたが、ご覧のとおり、捨て駒です」

「へえ? じゃあ敵に首を押さえられた犬ってわけだ。怒りはわかないのか? それとも、死ぬのが恐ろしいか?」

「私の命など……ッ」


 フェインは一瞬激情に駆られたようにマリーを睨み上げたが、己の感情を振り払うように首を振り、再び首を垂れた。


「失礼致しました。お耳汚しを」

「……それで。帝国は僕に、助力を求めると言ったね。君の主人は皇帝か?」


 カナンは淡々と問う。マリーの敵意に満ちた詰問と比べれば話しやすい相手だと思ったのか、フェインは落ち着きを取り戻して答えた。


「左様にございます。私は炎帝ガヌロンの(しもべ)……皇帝陛下より文を賜っております」

「ほう。寄越しなさい」


 フェインは派手な色の、しかし繊細な模様が描かれた筒を懐から出した。

 その中から赤い封蝋の押された巻紙を取り出し、カナンに向けて捧げ持つ。


 カナンは手慣れた仕草で紙を開き、内容を確かめる。

 ブレスが横から盗み見ると、全く知らない文字が並んでいた。帝国語だ。


「そう……つまり君たちは、ウォルグランドが反乱を企て、僕に接触したことを知ったわけだ。ウォルグランドにつかずに帝国につけ、さもなくば帝国は僕の敵に回ると、そういう要求だね、これは。見上げたものだ。この僕を相手に、人間が、勝てるとでも思っているのか?」


 カナンの口元に冷笑が浮かび、エメラルドの双眸が危険な輝きを放った。

 エチカがさらに後退り、フェインの頬が蒼白になる。


 感性が鋭い魔術師というのも大変そうだな、とブレスは他人事に思った。


「ひとつ、訊ねたいことがある」


 静かな声色でカナンが問う。


「レイダはどうしている?」


 レイダ。レイダ・ウォルグリア。

 ウォルグランド自治権を帝国から取り戻そうとしていた、壮年の魔術師。


 カナンから聞いた話によれば、その中義心からエチカを操ってカナンを手に入れようと画策するも、対話によって自らの誤ちに気づき、和解して別れた男だ。


「レイダは君たちの手に落ちたのだろう。そうでなければ、僕がウォルグランドの者と接触したことを知るには早すぎる。さあ、答えろ。レイダは、どうしている?」

「……彼は……」


 フェインの声が歪む。彼は俯き、奥歯を噛み締めた。

 血を吐くような声でフェインは言った。


「捕らえられたものの、口を割らず……強引に記憶を奪われ、頭のなかを踏み荒らされて、廃人に」


 エチカが息を飲んで口元を覆った。

 フェインの言葉を噛み締めながら、ブレスは口を開いた。


「あなたが始末を?」

「…………ああ。晒し者にされるよりは、ましだろうと」


 言葉に嘘は見えなかった。フェインが手を下さなければ、レイダは反逆者たちへの見せしめとして、もっと残酷な目に合わされていたのかもしれない。


「君も苦渋の決断を下したのだろう。けれど、僕はね、それなりに気に入っていたのだよ、彼を。頑なだが誇り高い人間だった。生きる価値のある人間だった」


 ああ、カナンが怒っている。

 身体から立ち上る冷気が風を纏ってカナンの髪や外套を揺らす。


「カナン」


 マリーが警告するように鋭く呼びかける。わかっている、とカナンは目を閉じる。

 ブレスはやるせない気分で赤髪の使者を見つめた。


「フェインさんは、ウォルグランドの人ですか?」


 フェインは目を見張り、ブレスを見上げる。

 目が合った瞬間、また右のこめかみの辺りで火花が散るが、今度は無視した。


「レイダさんのことで苦しんでいるように見えたので……本当は、あなたも反乱軍のひとりなのでは」

「違う。ただ彼には……昔、世話になっただけだ」

「それでも、無理やり従わせられているようにしか、俺には見えない」


 フェインの眼差しが荒んだ。


「だから何だと言うのだ。私は冬のお方に炎帝のご意志を届けるために遣わされた。君と話すためではない」


 そうはっきりと拒絶されては仕方がない。

 ブレスは口をとざす。

 フェインは続ける。


「炎帝は冬の君との対談を望んでおられます。名高き帝国と共にあることは、冬の君にとっても有益なことかと。我々と共に帝国へおいでください」

「……現時点では、答えようがない」


 カナンの言葉を聞いたエチカがブレスを引っ張る。

 数歩下がったブレスの耳元で、エチカは「何で断らないのよ」とひそひそ声で文句を言った。


「あんたの先生は人間の争いに加担しないんじゃなかったの。どうしてすぐ断らないのよ」

「……たぶん、春の君の意図がわからないからだと思う」

「何よそれ」

「先生は道順を春の君に指定されてその通りに旅しているんだ。たぶんここでフェインと出会うことも春の君の画策だと思う」

「それって、手のひらの上で踊らされてるってこと?」

「うーん……とにかく、春の君が先生を帝国に向かうように仕向けているのだとしたら、ここで断ると後で面倒なことになるかもしれないだろ?」

「……どうかしらね」


 思うところがあったらしいエチカは疑わしげに目を細める。

 エチカがローブを離したので、ブレスは元の位置に戻った。


「数日中に結論を出す。僕が考慮するのはあくまでも、皇帝と対談をするか否かだ。特定の国家の顧問につく気はないことだけは、はっきりと断っておくよ」

「そう……ですか……」


 カナンのきっぱりとした口調に、フェインは微かに失望の色を浮かべた。

 彼は立ち上がり、疲れの滲む目元で力無く微笑する。


「では私は、下流の方で野営をして待つことに致しましょう。結論がでた際は使役を送ってくだされば、私はこの場所まで戻ります。それでよろしいでしょうか」

「ああ。異論はない」


 カナンが答えると、フェインは黙礼をして去っていった。

 マリーがふうとため息を吐く。


「きな臭くなってきたじゃないの」

「今年は順調に冬を迎えられそうにない。ライラと話をしなければ……」

「とにかく一回あっちに戻って、朝ごはんにしようよぉ。もう、お腹ぺこぺこ」


 マリーが駄々をこね、カナンは仕方なさそうに頷いた。


「ふたりとも、魚はとれましたか」

「ええ。暑さで傷まないように、ちゃんと冷たくなる布で包んでおいたわ」


 さすがエチカだ。突然来訪があったにもかかわらず、きちんとやることをやっている。


「では、皆で戻ろう。……クルイーク、念の為見張りを頼む」


 カナンの声に従い影から飛び出した黒い犬が、わさっと尻尾を振って応える。

 忠犬を残して林へ戻っていくふたりに、ブレスとエチカも続く。


 野営地に戻り、いつものように火を焚こうとしたブレスだが、それを「待ってらんない」と押し退けたマリーが頭上を見上げて「ムニン!」と呼んだ。


 視界を覆うように翼を広げ、空から大きなワタリガラスが舞い降り、マリーの肩に止まる。


 魔女のワタリガラスは、悪魔の変化(へんげ)である。

 時には見目の良い青年の姿になることもある。


 魔女たちの身の回りの世話をすることを至上の喜びとする、下僕的な存在だ。


 マリーはだるそうにカラスの美しい羽をひとなでし、赤く塗られた綺麗な指先で魚を指した。


「ちょっとこれ、いい感じに焼いてくれない?」

『畏まりました』


 カラスはマリーの雑な指示に恭しく答え、パカッと口を開くと炎を吐いた。

 ブレスはしみじみと呟く。


「悪魔って本当便利ですよね」

「何言ってんのよ。魔術師だって火の魔術を使えるじゃない」


 エチカが残りの魚に串を通しながら反論する。


「いや、火をぶつけるだけなら出来るけど、ちょうどいい火加減を持続的に出力するってのは難しいじゃないか。だったら普通に焚火で炙る方が楽だ。焼く時間も変わらないんだし」


 作業の手を止め、「それもそうね?」とエチカは首を傾げる。

 会話を聞いていたらしいマリーが、ちょっと誇らしそうに豊かな胸を張った。


「ムニンは器用なのさ。内からも外からも熱をぶつけられる」

「へえ……すごい。熱を循環させるんですか?」

「うーん? ちょっと違うかな……外側を火で炙りつつ、なんかこう……なんていうの? 振動させるんだよね。それで内側から加熱されるの。説明が難しいな」

「ちなみに加減を間違えると爆発します」


 横から挟まれたカナンの一言に、身を乗り出して魚を見つめていたブレスとエチカはすっと身を引いた。

 マリーが頬を膨らませて不服げにカナンを睨む。


「ムニンはもうそんなヘマなんかしないもん。未熟な生まれたての悪魔なんかと一緒にしないでよね。この子は千年以上、あたしと一緒にいるんだから」


 はいはい、と聞き流すカナンを相手にマリーがさらに文句を言おうとしたその時、ワタリガラスが嘴を閉じた。


 カナンが塩の入った小瓶をマリーへ投げ渡す。さっとそれを捕まえたマリーは、焼きたての魚に塩をふりかけてそのまま思いっきりかぶりつく。


「んん、うまーい! エチカ、今度のは内臓抜かないでくれる? あたし、はらわたあった方が好きなんだー」

「さっさと次を焼け」


 ご機嫌にはふはふと魚を齧るマリーに、カナンが呆れた目を向ける。

 ムニンが『串を』とエチカに向けて喋る。


「さ、三匹一緒でもいいかしら?」

『かまいませんよ、お嬢様』


 言われるがまま、カラスの前に串を刺した魚を差し出すエチカ。

 炎を吐くカラスに、カラスを肩に止めたまま魚に齧り付くマリー。


「……珍妙な光景ですね」

「先生が言います?」


 変な人の自覚がない人はこれだから困る、と思いつつ半笑いを向けると、「君もたいぶ珍妙な生き物ですよ」とカナンから思わぬ反撃を食らった。そんな馬鹿な。


 悪魔ムニンのお陰であっという間に焼けた魚を各々食べながら、しばし寛いだ時間を過ごした。


 三匹の魚をさっさと平らげてしまったマリーの命令で、ムニンはいま木苺を摘みに行っている。


「さて、じゃあ早いところ決めてしまおう。これからの事を」


 持参してきた葡萄酒を皮袋から飲みながら、マリーは珍しく真面目な顔で言った。



ムニンは電子レンジ的な仕組みで物体を内側から加熱できます。

今は料理くらいにしか使ってはいませんが、昔は攻撃技でした。

ムニンの炎を浴びた者は、焼け焦げたあげく内側から……いや、明記はすまい。

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