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67話 縁〈えにし〉

 

 見たわね、とエチカは言った。

 彼女の、否、彼女たちの顔にはなんの感情も浮かんではいない。


 声には咎めるような響きがあった。

 ブレスは見てはいけないものを見てしまったのだ。

 エチカにとって、見られたくないものを。


「エチカ……」

「ちょっと待っててよ。もうすぐ終わるから」


 何が終わるのだろうか。

 思わずじっと彼女たちを見るブレスを睨みつけ、エチカは舌打ち混じりに吐き捨てる。


「お前、わたしの裸がそんなに気になるわけ?」

「あっ、違う、ごめん!」


 異様な雰囲気と獣の血に鳥肌を立てていたブレスは、そのあたりのことすっかり失念していた。

 それどころではなかったのだ。心のなかで親友にも謝っておく。


 慌てて後ろを向きながら、普段通りのエチカに困惑していると、微かな詠唱が旋律となって流れてきた。


「憎め、屠られし獣の子。恐れは我が糧、血は力。悪道こそ祖の光の道標(みちしるべ)。果ての墓標に刻む名はエチカ、葬りし者の名はエリスバンシー。歌う者は居ない。嘆く者は絶えた。されど人形は朽ちること無し」


 聞いていると胸が痛くなるような歌だ。彼女はこう言っている。


 己が死んだ時、鎮魂歌を歌い魂を慰めてくれる人はいない。

 喪失を嘆き、泣いてくれる人もいない。

 ただ人形だけが、確かな証として遺るのだ、と。


 孤独な詞だ。生きているのに、死の淵に立って底なしの暗闇を見つめている。


「終わったわ。もう見ていいわよ」


 ブレスが振り向くと、エチカは服を着て〈不滅の人形〉を回収しているところだった。

 人形たちは端から砂になって、エチカの手の中のコンパクトに吸い込まれていく。


 エチカは川から上がり、濡髪を絞る。もう彼女から血の臭いはしない。


 金色の髪をかき上げた彼女は、疲れた顔に挑むような表情を浮かべてブレスを見た。

「文句があるなら言え」と言わんばかりだった。


 そんな顔をされても困る。


「エリスバンシーって、誰のこと?」


 エリスは不和と争いの化身だ。この世にあらゆる災難を産み落とした女。

 バンシーは死を予告する泣き妖精。

 すごい組み合わせの名前だな、とブレスは思った。


 エチカはちょっと面食らった顔をする。


「……わたしのお母様よ」

「影の魔女?」

「そうとも言うわ」

「いかにも魔女らしい不吉な響きだね」

「エリスはともかく、バンシーは別に悪いものじゃ……ちょっと。もっと他に言うことはないの?」

「いや、エチカが話してくれるまで待とうかと思って」

「……そういうところ、ウォルフに似てるわね。それともあいつがお前に似たのかしら。ああ、どっちでもいい」


 ため息をひとつ。エチカは風を呼んで髪や服を乾かし、川下に向かって歩き始めた。

 野営地に戻るのだろう。ブレスも彼女に続いて歩く。


「さっきの……あれはね、刻印の繋がりを保つための儀式なのよ」


 彼女は前を向いたまま、髪を持ち上げて首を晒した。

 エチカのうなじには複雑な模様が刻まれている。


 魔術師の印ではない。魔女の魔法陣だ。


「人形たちの体にも同じものが刻印されているの。わたしはこの刻印で、人形と繋がれるってわけ。

 ただね、やっぱりこれは魔女のものだから、魔法陣の起動には血の対価がいるのよ。

 定期的に血を吸わせてやらないと、人形との繋がりが切れて、わたしは人形に憑依できなくなる。だから」


「なんだ。じゃあ仕方なかったんじゃないか。動物を拷問したのはちょっと……酷いとは思うけど」


「こういう魔術に使う場合は、無垢な血よりも、恐怖で穢れた血の方が長持ちするの。殺す数は、少ない方がいい。かわいそうだけれど、無垢な血では、月に何十匹も殺さなきゃいけないもの」


「……そっか」


「月に一度……生理みたいなものよ」


 エチカは自嘲に顔を歪める。


 考え方は人それぞれだ。苦痛なく多くを殺すか。苦しめて少数を殺すか。

 死は、死だ。苦しめずに殺した、というのは殺す側の免罪符のようなものでしかない。


 殺される側に乞われてそうした、というのならば、それは慈悲だろうけれど。


「お前の黒猫は、わたしが何をしているのかを知ってるみたい。きっと鼻が効くのね」

「先生は気づいているのかな」

「気づかないわけないでしょ、お前じゃあるまいし」


 またしても言外に鈍いと言われてブレスは苦笑する。

 カナンが黙認しているというのならば、問題はないのだろう。


「エチカ。影の魔女と、縁を切れるといいね」

「切るに決まってるでしょ。でも、ありがとう、フィル」


 焚き火の場所に戻ったふたりを、カナンは「おかえり」といつも通りに迎える。

 エチカは川魚を枝に刺して火に炙り始める。

 ブレスは言霊の訓練をする。


 そうしてその夜は、静かに更けていった。





 翌朝、三人はそれぞれのバイコーンに跨って朝日と共に出発した。


 ここのところ大きな町や村を通っていない。

 行き先はどこかと訊ねると、カナンは少々困った顔で「方角を指定されているのみなのです」と答えた。


 春の乙女は目的地を秘密にしているらしい。


「おかしな事件に巻き込まれない分、色々出来るから都合はいいけど……」

『嵐の前の静けさ、という感じがするわ』


 ミシェリーの声に同意する。プライラルムは、いったい何を企んでいるのか。

 杞憂だといいけれど。

 そんなことを考えながら、ブレスは今日もブランの上でガラス片に印を刻む。


 だいぶ綺麗に線が引けるようになった。

 そろそろ本番用の素材に刻印してみてもいいかもしれない。


 薄い水色のガラス片を日にすかして出来栄えを確認していると、遥か頭上を大きな黒いものが横切った。


 鳥、にしては随分と立派な──というか脚が四本ある気がする、あれはもしかしなくても。


 カナンがバイコーンのノワを止め、空を見上げる。


 つられたエチカが空を見上げて「は?」と引き攣った声で呟く。

 そういえばエチカは、テンテラを見たことがなかったのだ。


 頭上を旋回したテンテラ──グリフォンが降り立ち、立派な両翼を羽ばたかせながら後ろ足で立ち上がる。


 開いた口が塞がらないエチカを横目に、ブレスは惚れ惚れとその勇姿を見つめた。

 やはり、グリフォンは魅力的な生き物だ。中身は竜だが。


 テンテラの背には人影があった。燃えるような赤毛が風に靡いている。


「……あれ? あの髪……」

「どうどう。流石だね、いい子いい子。子供でもこんなに速いなんて。君はきっとすごい竜になるぞ」


 聞き覚えのある声がテンテラを褒めている。

 いや、聞き覚えのある、どころではない。

 思わず嬉しくなってしまうような声だ。


「マリー様!」


 大腕をふって呼びかける。彼女はグリフォンの上で上半身をぐいっと伸ばすと、満面の笑みを浮かべてグリフォンを走らせ、そのままピョンと飛び上がってブレスに飛びついた。


「フィー! 会いたかったよぉ!」


 ブレスの後ろに跨った豊穣の魔女は、強烈な抱擁をかました。

 ブレスは笑う。

 まるで彼女に初めて会った日に、彼女がカナンを抱きしめた時のようだ。


 距離が縮まって本当に嬉しい。

 どうしてこのひとに会うと、こんなに嬉しくなってしまうのだろう。


「すごい……また化け物が増えたわ……」


 カナンの元へかけ戻るテンテラとマリーをかわるがわる見つめ、エチカが青ざめた顔で呟いた。

 化け物とは失礼な。




 マリーから書物と情報を預かる予定が、なんとご本人がやってきた。

 うれしいサプライズではあるが、この人は暇なのだろうか。


 昼休憩がてら、日陰で山葡萄を食みつつ話を聞くと、彼女の言い分は以下の通り。


「フィーが魔術具作りをするんだったら、カナンなんかより、あたしの方がいい先生になれるとおもったんだ。

 印の記録帳もあたしの手書きで、世界に一冊しかないレアもんだから、ぽんと貸し出すわけにもいかないしさ。

 うっかり紛失とか盗難とかされちゃったら洒落にならないから、本ごとあたしが来たんだよね」


 以上。


 おおむね納得できる話ではある。

 なんにせよブレスはマリー様に会えて嬉しいので、反論する気など起きようはずもない。


 カナンはいつもの無表情な笑みは何処へやら、あからさまにげんなりした顔をしている。


「君がマリーに気に入られてしまったばかりに……」

「俺のせいですか」

「他に誰がいるというのだ。この魔女たらしめ」

「ねえねえ、そんなどーでもいいことよりさぁ、この子だれ? 紹介してよ」


 好奇心のままエチカに擦り寄るマリーと、硬直して不動となったエチカ。

 対照的だ。


「マリー様、彼女はエチカ。訳あって一時的に共に旅をしている魔術師です。エチカ、この方はええと……」


「あたしは豊穣の魔女マリダスピル。〈古きもの〉で魔女会の長……んーと、魔女の親玉みたいなものだと思っとけばいいよ」


 マリー様の自己紹介が雑だ。しかし、突っ込みはすまい。


「カナン、一時的にってことは弟子を増やしたワケじゃないんだね?」


「違う。エルシオンで知り合った者に護衛を頼まれただけだ。用が済めば、その子は帰る」


「そっかぁ、残念。カナンが新しく弟子を取ったのなら、フィーはあたしがもらおうかなって思ってたんだけど」


「えっ……いや、それはちょっと」


 マリーは好きだが、旅をするのならカナンとがいい。

 というかマリーは多分、長旅はできないだろう。


 充実した家のなかで贅沢品に囲まれて暮らす彼女だ。寝床にはうるさいに違いない。


 カナンは眉根を寄せてマリーを見、きっぱりと言った。


「エミスフィリオは僕の弟子です」

「……ちぇ。なんだよ、結局気に入ったんじゃないか。つまんないの」


 マリーはむくれている。一方でブレスは驚いていた。

 生徒ではなく、弟子だと言われたことに対して。


 きっとカナンにとっては深い意味はなかったのだろうけれど、ならう者からすれば生徒と弟子では全く立場が違うのだ。


 師弟という関係は、生徒よりもずっと近しい。


 教師というものは、どの生徒に対しても等しく教える。

 弟子はそうではない。師に当たる者が、目をかけている存在だ。


 カナンに弟子だと言い切られて嬉しくならないはずがない。


(ミッチェ、俺、なんか泣きそうかも)

(……しょうがないわね)


 思念でミシェリーに泣きつくと、やや離れた場所で傍観していた彼女はスタスタとやってきてブレスにくっついて座った。


 ブレスはそのままミシェリーを抱き上げる。

 やっぱりこの黒猫を抱いていると落ち着く。


 マリーは大人しく抱かれているミシェリーに目を止め、仄かに目を細めて微笑んだ。

 すこしだけ寂しそうで、それでいて安堵しているかのような微笑だった。


 カナンがため息をこぼしつつ続ける。


「それで、マリー。例の魔女の話ですが」

「ああ。影の魔女がなんだって?」


 山葡萄をふさから直接食べながら、マリーはおざなりに訊く。


「生きているそうですよ」


 ピタリ、と彼女の動作が止まった。


「……そんなわけない」


 マリーは、彼女らしくもない低く抑えた声で呟く。

 空気が変わった。


 ミシェリーの毛が逆立ち、エチカが後退る。

 ブレスはただただ目を見張る。


「影の魔女は、殺した。あたしが。ちゃんと、この手で滅ぼしたはずだ」


 金色の目をぎょろりと動かし、マリーはカナンを凝視する。

 カナンは眉ひとつ動かさずにその視線を受け止めて、エチカの話をした。



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