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66話 竜と犬と血

 

 ガラス片に刻印できるようになったブレスは、ミシェリーのお守り作りの準備を始めた。

 込める効能は、〈魔物避け〉と〈呪い返し〉と〈目〉だ。


 〈目〉を加えることによってミシェリーが見ているものをブレスも見られるようする。

 使い魔との繋がりを強化でき、非常時は役に立つ。


 とはいえ四六時中監視状態ではお互いに疲れるので、ミシェリーが魔力を込めたときのみに発動するように調整する。


 そういう調節は、起動者の血を一滴、印に垂らして登録すればいいらしい。


 どこかで聞いた話だと思ったら、カナンは「フローリスの店がこの方法で訪問者を登録していました」と教えてくれた。


 ドアノブのバラの棘に指を刺して血を登録すると、次回から自由に出入り出来る、という仕組みだ。


 〈魔物避け〉と〈呪い返し〉の印はカナンが教えてくれた。


 複数の印をひとつの素材に刻印する場合は、横並びに刻むか、裏表に刻むか、複数のパーツに刻み繋げて腕輪やペンダントにするか、の三通りだという。


 他にもシギル魔術師を用いて新たな印を自身で作り出す、という方法もあるが、センスや別の能力の有無が問われるため初心者向けではない。


 ブレスはここ数日、バイコーンのブランの上でひたすら木片に〈魔物避け〉と〈呪い返し〉の刻印を練習している。


 見栄え良く描けるようになったところで、ガラス片か綺麗な石にそれぞれの印を刻み、編み紐か革紐に通して猫サイズのペンダントにするつもりだ。


「こうなってくると印の記録帳というか、図鑑のようなものが欲しいですね……一覧になっていればもっと色々出来ると思うのですが」


「そういうものも無くはないが、相当高額だね。こういう知識は皆、隠したがるものだ」


 いつものように焚き火の前で刻印の練習をしながら、師と他愛のない話をする。

 エチカは水浴びに行くとのことで、不在だ。


「だが、当てがないわけではない。サハナドール……豊穣の魔女マリダスピルがそういったものを溜め込んでいたはずだ。貸してくれるように頼んでみよう」


「えっ、本当ですか。すごい」


 マリーの書庫には、確かに古い書物がたくさんあった。彼女の持ち物は国宝級だと思う。


 普段は泥酔してでろんとしているが、彼女はまごうことなき秋の娘、サタナキアの第三子なのだ。


「マリー様にお願い事をするんだったら、影の魔女についての情報も聞いておいた方がいいですよね。エチカのために」

「ああ、そうだね。テンテラに伝言を頼もう」


 カナンは立ち上がり、影から竜の子供を呼び出した。


 ところが影から飛び出してきたのは、黒く立派な体格の犬である。

 ブレスは首を傾げる。


「クルイーク……じゃ、ない?」


 黒い犬ではあるが、クルイークではない。

 カナンも意表をつかれた顔で黒い犬を見下ろしている。


「テンテラ。なぜそんな姿に?」


 やはりこれはテンテラなのか。


主人(あるじ)は竜より犬の方を愛でる』

「……いや、そんなことはないが」

『犬は撫でるのにテンテラは撫でない』


 犬に化けたテンテラはのしっと腰を下ろし、真顔でカナンを見上げてそう言った。


 機嫌が悪そうに見えるのは気のせいではあるまい。


「それは、クルイークを使役に下す際に撫でることを要求されたからであって」

『ならばテンテラもそれを要求する』

「しかし君はいずれ気高き竜となるのだよ」

『関係ない。主人が条件を受け入れないのならばテンテラは犬を食べる』

「クルイークが嫌いなのか?」


 カナンが眉を下げる。珍しい光景だ。

 ブレスは笑いを堪えながら傍観を決め込む。


『犬がいなくなればテンテラがまた主人の一番になる』

「何を言う。序列なら君が一番上だろうに」

『テンテラが一番なら主人はなぜ犬ばかりかまう?』

「だから、それはただの条件であって……」


 堂々巡りだ。

 本気で困っているらしいカナンが気の毒になり、ブレスは独り言を装って呟いてみせる。


「あの悪霊犬、あざといからなぁ。竜の子を差し置いて先生に取り入ろうだなんて、図々しい奴だ。先生は、あんな見え見えの媚びに騙されたりなんかしないだろうけど」


 黒い犬の首がブレスに向き、再びカナンに戻る。

 テンテラは問うようにカナンを見上げる。

 じっとりとした視線を受け、カナンは目を泳がせた末に曖昧に頷く。


(ダメだこれは。わかってない)


 内心がっくりと項垂れたブレス。

 不機嫌に毛を逆立てるテンテラ。

 両者の視線を受け、カナンは折れた。


「な、撫でればいいのでしょう、撫でれば」


 カナンは手を伸ばして黒い犬の首を撫でた。

 テンテラは目を閉じ、気が済んだのか、漆黒の竜の姿に戻る。


 撫でやすいように体格を抑えていることから察するに、まだ暫くなでなでしてもらいたいらしい。


 新しい使役を迎える場合、魔術師は先住の使役をたてるように扱わなければならない。

 なぜならば、使役同士の軋轢を生むからだ。これは基本である。


 竜の子とはいえ、いや、竜の子だからこそカナンを相手に抗議もする、ということ。


 使役の苦言にたじたじになる師。今夜は面白いものが見られた。


 ひとしきり撫でてもらったテンテラは、機嫌をなおして馬くらいの大きさになった。

 カナンはテンテラの眉間に己の額を押し当て、そのまましばらく沈黙する。


 思念を伝え合っているのだろう。


 やがてそれが済むと、カナンは赤色がやや薄れたテンテラの目を見つめて言った。


「サハナはおそらく家を移動していると思う。テンテラ、彼女の魔力の匂いを覚えているか」

『覚えている。秋の娘の匂いは追える』

「よし。では、頼むよ」


 テンテラはぐるりと宙返りをした。

 一瞬黒い(もや)のようなものを纏ったかと思えば、地面に着地した瞬間には全く別の姿となっていた。


 獅子の胴体に鷲の上半身と翼。漆黒のグリフォンだ。

 勇猛な力強い四肢と翼の、なんと美しいことか。


 思わず魅入ってしまうブレスの横を駆け抜け、テンテラは夜空高く飛翔した。


「あの子はどうやら〈変化(へんげ)〉の力を授かったようですね」


 あっという間に星々の中へまぎれてしまった竜の子を見送りながら、カナンは呟いた。


「ああ、あの脱皮をするとひとつ力を授かるという、あれですか」


「うん。〈変化〉は確かに竜にとって便利な力です。あの巨体では目立ちますから」


「たしかに……。あれ、じゃああの子ももう人型になれるんですね」


「なれないことはないでしょうね。人間のように振る舞うことはできないだろうけれど。

 ニーズヘッグはほとんど人間と交流をしない竜でしたから。

 蛇たちと泉に住み、木の根を齧ってみたり、大鷲と喧嘩をしたり……」


 なるほど、変な竜だ。とはいえテンテラはテンテラである。

 血脈に連なる竜の記憶を持っているとはいえ、人格は別物だ。


 テンテラが人間と交流を重ねれば、人間と見分けがつかないレベルの変化ができるようになるのかもしれない。

 あの身替わりの魔女、白雪花竜のように。


「人間を知るのは悪いことではない。人間に限らず、あらゆる生き物や物事を知ることは、竜にとって大切なことです。テンテラに人の形を取らせて共に過ごしてみるのも、いいかもしれません」


 あの子は長生きするでしょうから、と呟き、カナンはまたひとりで夜闇の中へ消えていった。


 焚き火の前に戻ったブレスは、乾いた枝を火に放り込む。

 言霊の訓練でもしようかと考えたところで、ふとエチカがいないことに気がついた。


 水浴びをすると言って出て行ってから、二時間は経とう。


「遅いな……何かあったんじゃないだろうな」

『ほっときなさい』


 機嫌の悪そうな声でミシェリーが言う。

 ブレスは苦笑し、そういうわけにもいかないよ、と立ち上がった。


 川を目指して歩く。さほどの距離もない。

 エチカは川上にいるのか、川下にいるのか。


 到着したブレスは鼻先を掠める生臭さに顔をしかめた。

 嫌なにおいだ。

 血と臓物のにおいだ。


「エチカ……?」


 まさか、彼女に限って魔物に襲われてしまっただなんてことはあるまい。

 そうは思いつつも、胸の内で不安が膨らんでいく。


 ブレスは目を閉じ、五感を研ぎ澄ませた。匂いは川上から流れてくる。

 川上へ足を向ける。三日月が雲間から顔を出し、頼りない明かりで周囲を照らす。


 魔術師の目には十分なあかりだった。

 川の水流に、黒い筋が見える。


 血だ。


「……!」


 ざわりと首筋があわだった。考えるまも無くブレスは川上に向けて走る。

 嫌な予感がした。

 これはエチカの血ではない。獣の血だ。


 魔術師も獣の血を使うことはある。

 特殊な召喚術や、使役の餌、呪いをかける時などに使う。


 そう言う場合はなるべく苦しませずに殺すものだ。

 倫理の問題でもあるけれど、怯えてしまった獣の血は術に力を貸してくれない、という理由もある。


 しかし、ごく一部の者は、あえて獣をなぶり殺しにするという。


 時間をかけて痛ぶり、逃げ惑うものを執拗に追いかけ、罠にかけて捕まえた後は爪を抜き、耳や尾を削ぎ、目玉を掻き出し、皮を剥ぐ。


 そうして恐怖一色に染まった獣の血は、ある方面の魔術において強力な効能をもたらすのだ。

 魔術師たちはそれを禁術と呼ぶ。しかし、一般的には別の呼ばれ方をされる。


 黒魔術、と。


 川の水に筋を作っていたあの獣の血はそれだ。

 目にするだけで引き裂かれた獣の断末魔が聞こえてくるようだった。


 においを嗅いでいると吐き気がする。

 殺された獣の恐怖が五感を通してブレスの中に流れ込んでくる。


(そうだ、ミシェリーはエルシオンで言っていた。獣の血を浴びる女がいると)


 なぜ今の今まで忘れていたのだろう。エチカだ。

 これはエチカがやったのだ。


 けれど、どうして。なぜこんな酷いことを。


 ブレスは立ち止まった。川に人影がある。

 八人の小柄な人影が、手を繋ぎ、輪になって腰まで川に浸かっている。


 みな少女だった。


 首筋の辺りから腰にかけて、あの赤黒い血が線を描いて素肌を伝い落ちている。

 金色の髪の少女がゆらりと振り返り、冷めた目でブレスを捉えた。


「……見たわね」


 七体の〈不滅の人形〉の首がかたかたと動き、その虚ろな目が、次々にブレスに向けられる。

 うるさいくらい脈打つ鼓動を感じながら、ブレスは血濡れのエチカに向かい立った。



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