65話 才能の発芽
二角獣を選んだはいいものの、ブレスもエチカもそれを下せるだけの力がなかった。
馬は誇り高い生き物なのだ。自分よりも格が下とあれば絶対に従わない。
そういうわけで三頭のバイコーンは、カナンが使役に下した。
毛色は、カナンが青毛(漆黒)、ブレスが芦毛(灰色混じりの白)、エチカが月毛(淡い金色に白いたてがみ)である。
名前はノワとブランとルナ。そのままだ。
いちにちしっかり休めたおかげでブレスも調子を取り戻し、三人は馬上の人となった。
なったはいいが、あいにくブレスもエチカも乗馬の経験がなかった。
鞍もあぶみもない裸馬に乗って駆けるなどということはできるはずもなく、ゆっくりパカパカと常歩である。
「というか、馬の上って、暑いわね……!」
「思ったより揺れるし、バランス取れないし、腹筋にくるっ」
四苦八苦する若年層を前に、「最近の子は馬にも乗れないのですか……」と何故か悲しげな顔をするカナン。
そんなカナンは当然のようにノワを乗りこなしている。
たてがみを手綱がわりにして掴み、馬の顔を進行方向に向けてやれば勝手に意を汲んで進んでくれるとカナンは言う。
しかし、ブレスもエチカもバイコーンに見下されているためか、全く言うことを聞いてくれない。
「君、バイコーンを従わせるくらいの意志の強さすらないのでは、とうてい言霊など操れませんよ」
「ご、ごもっともですけど、ぐさっときますね……」
言霊は言葉を用いて命令を下す、支配の力だ。
しかし、誰もが支配者になれるわけではない。
他者に命令を下して手駒のように動かすような地位にでもいれば、言霊はもっと簡単に使えるようになるものなのかもしれない。
けれどブレスはそうではない。
ウォルフのようにリーダーを買って出るような性格でもない。
支配者でないものが、支配の力を持っていても宝の持ち腐れだ。
そうならないように、とにかくこのバイコーン、ブランを服従させられるくらいの器に、まずはならなければ。
なんにせよ、早急に鞍やあぶみや手綱なんかの乗馬用具を手に入れる必要がある。
そうでなければ服従どころか、振り落とされかねない。
というわけで、バイコーンに揺られてどうにかこうにか小さな村にたどり着いた。
徒歩より疲れた気がするが、常歩でゆっくり進むのには慣れてきたので、練習にはなった。
ところで魔獣は、魔術師でない者からすれば人喰い狼と同じ分類だ。
バイコーンに乗って村に入ると大騒ぎになる可能性もある。
村に入る前に三人は馬を降り、カナンは三頭を自分の影に隠した。
エチカはそれを見て感嘆のため息をつく。
「……流石よね。あんなに大きな魔獣を三頭も影にかくまえるなんて。あの犬もいるんでしょ? どれだけ影が深いのかしら」
「もっとでかいのも入ってるよ」
「なに、それ?」
「竜の子供」
冗談だと思ったらしいエチカが、馬鹿馬鹿しい、といったふうに笑う。
猫の姿に戻ったミシェリーが、ブレスの背嚢の上でだらんと伸びながらフスンと鼻を鳴らす。
「ミッチェ、どうかした?」
『馴れ馴れしいのよ、あの小娘が』
ご機嫌斜めだ。女心はよくわからない。
ブレスは困ってミシェリーの眉間を撫でてみたけれど、彼女の機嫌は治らなかった。
村に入り、さっそく幾人かの村人の病を取り除いたカナンは、「欲しいものはないか」と訊ねられ、馬鞍を扱う職人の居場所を訊ねた。
「昔は居たんだがな、作っても売れねから引っ越しちまったんだわ。んだけど俺のと爺さまのならある。古いのでよけりゃ、もう使わねから、譲ってやる」
「ありがとうございます。それは助かります」
「いんや。爺さまの腰を治してくれたんだ。また歩けるようになるとはなぁ。鞍くらい、安いもんだ」
あっという間に目的のものを手に入れたカナンの手際の良さに、ブレスとエチカは唖然とした。
ありがとうな、また寄ってくれ、と村人たちに見送られ、鞍を積んだ荷車を引きながら三人は村を出る。
人気の無い所まで来ると、カナンはバイコーンを影から出した。
「ブラン、ルナ。野生のお前たちには窮屈かもしれませんが、馬具を付けます。じっとしているように」
二頭は不服げに地面をかいたが、カナンに逆らうつもりはないようだ。
言われるがまま、大人しく従っている。
馬具をつけ終わると、カナンは生徒ふたりを馬に乗せ、あぶみの位置を調節する。
「手綱の使い方は分かりますね。行きたいほうの手綱を引く。止めたい時は両側の手綱を同時に引く」
「すごい、だいぶ姿勢が安定しました」
「これなら乗っていられそうだわ!」
表情を明るくするブレスとエチカを見、カナンは「結構」と頷き、愛馬のノワを影から出して軽々と跨った。
鞍を付けられていないノワは、ブランとルナを見てブルンと鼻を鳴らした。
……嘲られたと思ったのは気のせいだろうか。
木陰を乗馬でゆく、というのはなかなか心地の良いものだった。
日向を行くとなると太陽が近くなって凄まじく暑いが、木陰は良い。
自分は歩かずに木々の合間を吹き抜ける風を感じられる。快適だ。
眠くなりそうだったので、ブレスは背嚢から小道具と素材を取り出してブランに跨ったままお守り作りを始めた。
初めのひとつはミシェリーにあげるもの。
ミシェリーを守るためのお守りにはどんな効果が必要だろうか。
「またクルイークみたいなのに狙われたら嫌だから、魔物避けは必須か……」
『呪い返しは効果的よ』
「そうだった。……あれ、でもそういう効果を限定するようなお守りってどうやって作れば良いんだ?」
『わたしも詳しくニャいんだけど、大体は石に印を刻むか、紙に印を描いて布とかガラスで包んだりするわね。でもお前の場合は言葉を込めればいいんじゃニャいの?』
「言葉か。そういえば先生も言っていたね」
しかし、本当に言葉を込められたかどうかを確かめるすべがない。
きちんと効果が発動するのかを確認できるのが呪いを受けてから、などというハイリスクな賭けはしたくなかった。
印は刻むべきだろう。
そうでなければ、どの素材になんの言葉を込めたかなんて、さっぱりわからなくなってしまうだろうし。
もやもやと考え込んでいると、前方からエチカが呼ぶ声がした。
ブレスの思考がブランから離れたせいか、いつのまにかエチカとの距離が離れてしまっていたようだ。
「ブラン、間を開けずにエチカとルナに着いていくんだ」
これはいけない、と思い、やや強めの語気で言いつける。
ダラダラと歩いていたブランが、とたんにパカパカとテンポ良く進み始めた。
(……あれ?)
まったく言うことを聞いてくれなかったブランが、素直だ。
妙だな、と首を傾げつつも、ブレスは水流で磨かれた綺麗なガラス片を摘み、魔力を流し始める。
何事も練習だ。
肌や紙や壁なんかに印を描くときは、指先に魔力を込めてただなぞればいい。
己の魔力をインクにして図を描くイメージだ。
図形を刻むと、印は消えるまで作動し続ける。
発光色は印によって、また魔術師によってさまざまだ。けれど、描いた印を消す時はどの色の印も青い光を放って消える。
デイナベルが、ヘリオエッタの剣で狼の魔物を空中分解していた時も、青い燐光が舞っていた。
魔力が分解される時の発光色が青だ。
石やガラスなど、小さく硬いものに印を刻む場合はどうするかと言うと、直接魔力を操って刻みつける。
指で描くよりも遥かに集中力を要する作業である。
魔力を指先に込め、石に注ぎ、注いだ魔力を鋭利な形に練る。
その細く硬い魔力の先端を、さらに無形の魔力で動かしながら、ゆっくりと慎重に印を描いていくのだ。
まず目が疲れる。針先で親指の爪くらいの石に精巧な模様を描くようなものだ。
次第に首やら肩やらが痛み出して集中力が切れると、もう形にはならない。
石の表面に刻むだけでこれだけ難しいのだから、石の内部に刻むことなど至難の業だろう。
加減を間違えると内側から亀裂が入って割れてしまう。
内部に刻印することの利点は、経年劣化による破損から印を守ることが出来る、ということ。
石ごと割れてしまえば無意味ではあるが、強度をあげる魔術師をかければそう簡単に壊れはしない。
金属に刻印することもできる。
エルシオンで番犬たちが着けていた〈遮断の腕輪〉などがそれに当たる。
シルヴェストリが治める魔術師協会にも印を刻んだ宝飾具風の魔術具はあったが、内側に印を刻んだものはブレスの知る限り無かったように思う。
(でもどこかでそんな魔術具を見たような気が……あ、そうか、シャファク様の記憶の石だ)
あのエメラルドの記憶の石には内側から模様が描かれていた。
シャファクはブレスから見れば病弱で儚い印象の男だった。
しかし、今となっては指折りの優れた魔術師であったのだと実感せざるを得ない。
「あの人が生きていればなぁ……」
「あの人って誰よ」
「いや、なんでもない」
休憩がてら果汁のしたたるプラムを食みつつ、エチカの言葉を流す。
カナンの前でシャファクの話をするのは、まだ気が引ける。
ある日の夜、焚き火の前でブレスが目を凝らしながらガラス片に模様を刻んでいると、カナンが隣に座った。
「言霊の鍛錬はいいのですか?」
「やってます。でも、こちらも同じくらい大切な気がするので」
ちかちかしてきた目を上げて、ブレスは眉間を揉む。
「合間を縫って練習してたんですけど、単純なことなら言葉だけで発動できるようになりました」
「ほう? 見せてみなさい」
師に促されてガラス片を置き、ブレスは代わりに枝を拾う。
それを足元に放り投げ、呟く。
「爆ぜろ」
枝はパンと音を立てて弾け飛んだ。
向かい側で見ていたエチカが呆然と口を開けている。
「こんな感じです」
「……い、いやだ、気持ち悪い……」
心外な単語が聞こえ、むっとしてエチカを見やると、彼女は両耳を覆って泣きそうな顔をしていた。
こんな反応をされたのは初めてだ。
困ってカナンを見てみれば、彼は枝の破片を摘んで愉しそうに目を細めている。
不穏な笑みだった。
「……ええと?」
「自覚ないの……? 声が二重に聞こえるのよ」
「僕には五重に」
「そんな馬鹿な」
ブレスの耳にはいつも通りの自分の声が聞こえるだけだ。
だいたい人間の声帯で、そんな音の出し方が出来るものか。
「なるほどね。そういう仕組みだったのか……うん。いい調子ですね。君のつらら石は僕の想像を超えて遥かに育っていたようです」
「ひとりで納得しないでくださいよ……」
「魔力で印を刻むのなら、まずは木片などで練習するといいですよ」
何やら機嫌の良い様子でカナンは助言をし、そのまま夜闇のなかへ消えてしまった。
訳がわからない。
とりあえず言われたことをやってみると、確かに石よりも木に刻印する方が簡単だった。
軟らかいぶん、どれくらいの力を込めればどれくらいの線が描けるのかがよくわかる。
エチカが眠り、カナンが戻ってきて「まだ起きていたのですか」と呆れる頃には、ほとんど力加減を覚えていた。
試しにガラス片に簡単な〈目〉の印を刻んでみると、線は少々歪んではいるものの、きちんと発動する印を刻むことが出来た。
「……これなら、俺にもできるかもしれない」
いつか、シャファクのように複雑な模様を描くことが。
精密な調整を寸分違わずやってのけるような魔術師になることが。
視界の端で、ブレスの呟きを聞いたカナンがうっすらと笑みを浮かべた。




