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63話 悪夢と予感 前編 

 

 エルシオンを出立し、数日が経った。太陽の恩恵は増すばかり。

 日差しが強すぎて旅には不向きだが、幸い町続きなので馬車には困らない。


 時には荷馬車や旅芸人たちに乗せてもらいながら、一行は旅を行く。


 今朝はだいぶ町の賑わいからも離れて、人家もまばらな田舎道へ出た。

 こうなると人通りはめっきり減る。


 乗せてくれた馬車の持ち主に礼を言い、三人はいま、日陰で一休みしていた。


「ねぇ、ちょっと。お前の先生って、いつもあんな感じなの?」


 木にもたれかかって目を閉じ、それっきりうんともすんとも言わなくなってしまったカナンを横目に、エチカはブレスを突つく。


 エチカは知りたがりだ。用心深い性格ゆえなのだろうけれど、彼女が旅に加わって以来質問責めにされているブレスは、流石に辟易している。


「そうだよ。木と話しているんだって。そうやって次の行き先を決めるらしい」

「……なんで木が行き先を知っているの」

「そんなこと俺にわかるわけないだろ。先生に聞きなよ、直接さ……」

「出来ないからお前に聞いているのよ」


 エチカはカナンをちらりと見、肩を震わせた。彼女はカナンが怖いらしい。

 ブレスはため息をつく。


「聞けばちゃんと教えてくれるよ。先生は……たしかに怒ると怖いけど、でも君の思っているようなひとじゃない」


「そりゃひとじゃないでしょうよ、冬のお方、カナリアなんだから」


「……エチカ、軽々しく名前を呼ぶのはだめだ。どこで誰が聞いているのかわからないんだから。

 君も知ってるだろう、先生はいろんな国のお偉方に目をつけられてる。追ってくる奴もいるんだから」


「そうか。そうね。悪かったわよ、じゃあわたしも先生と呼んだ方がいい?」


「君は僕の生徒ではないだろう」


 突然口を開いたカナンに、エチカは飛び上がらんばかりに驚いた。

 カナンは相変わらず木にもたれて目を閉じているが、こちらの話はきっちりと聞いていたようだ。


「で、でも、フィルが先生と呼んでいるのに、同行者のわたしが別の呼び方をしていたら、怪しまれるわ。兄妹には見えないし、どちらも生徒ということにしてしまった方が、色々と都合がいいんじゃないかしら」


 ブレスは内心おお、と感心した。エチカが初めて、面と向かってカナンに意見を言った。


 ちなみに「フィル」とは、ブレスの呼び名のひとつである「エミスフィリオ」を端折ったものである。


 長ったらしくて呼びにくい、とエチカは容赦なくぶった切っていたが、その名前をつけた当人が目の前にいたと知ればどんな顔をするだろうか。


「……いいでしょう。ならば君も、同じように呼ぶといい。あくまで形式として」

「わかったわ。装うだけよ。先生」


 カナンが折れ、エチカは嬉しそうに頷く。


 ブレスはふう、と一息ついて師と同じように木にもたれかかった。

 ここのところ、ブレスは寝不足なのである。


 エルシオンを出てからというもの、ブレスは悪夢にうなされるようになっていた。

 背後から刺されて死ぬ夢だ。


 エチカに刺されたことが原因なのだろうが、そのまま気を失ってしまった現実とは違い、夢の中でブレスは痛みと苦しみと恐怖に苛まれる。


 冷たい石の床に倒れ、肺から溢れる血を口から垂れ流すブレスの目の前には、誰かが立っている。

 その誰かは、沈黙したままただただブレスを見下ろしているのだ。


 相手の顔を確かめようとなんとか顔をあげるものの、その瞬間に目が覚めてしまう。

 エチカではない誰かの正体を、ブレスはまだ一度も見ていない。


 ただの夢とは思えなかった。

 誰かに見せられているような気がした。


 意識の底から誰かが何かをブレスに訴えかけているような感覚を苦痛と共に毎夜味わい、その度に汗だくになって飛び起きるのだから、疲労も溜まる。


 ミシェリーは心配して、カナンに話した方がいい、と言う。

 しかし、悪夢如きでカナンの旅の足を引っ張るわけにはいかない。


 カナンの旅にエチカの目的が加わって、ただでさえ時間が無いのだ。

 余計なことで師を煩わせたくはなかった。


「フィル。フィル、起きて。先生が、出発するって」

「……うん。起きてるよ、わかった」


 閉じていた目を開けて、ブレスは立ち上がる。

 夏の日差しに立ち眩みを起こし、木に手をついてこらえる。


(まずいなぁ。体調管理が出来ないんじゃ、旅なんかやっていけないってのに)


 冷静にものを考える一方で、視界は明るくなるどころか眩む一方だ。


 目を開けているはずなのに何も見えない。気分も悪い。

 これは、だめかもしれない。


 自覚して、弱気になってしまったせいだろうか。

 一気に力が抜けて、立っていられなくなった。


「ちょっと! 先生、フィルが──」


 エチカの呼び声が遠のく意識のなかに聞いた。

 倒れ込む瞬間、誰かが抱き止めてくれたような気がした。


 あれは誰だったのだろう。



 ⌘



 ブレスは暗闇の中にいた。足元には冷たい石畳、頭上には月。


 背後に気配が立ち、肋骨の隙間にナイフをひと突き。

 衝撃と痛みに、ブレスは倒れる。


 刃物が引き抜かれ、血が溢れ出す。

 石畳に頬を押し付けながら、ブレスはもがく。


 息ができない。傷が熱い。痛い。苦しい。


 喉をせりあがる鉄の味。

 ごぼ、と吐き出した血が流れてゆくその先に、裸足の、骨張った足が立っている。


「たすけて」


 はじめて足の持ち主が喋った。か細く弱々しい、女の声だ。


「たすけて」


 助けてほしいのはブレスの方だ。

 次第に感覚の無くなってゆく指先を伸ばし、白い足に触れる。


「たすけて。兄様」


 兄様? 誰のことだ。ブレスは血を吐きながら首をもたげる。

 白い布にひだを寄せて体に纏う、西の国の衣を纏っている。


 胸元にこぼれ落ちる髪は、波打つ赤毛。その面は──。

 顔を見る前に、ブレスは力尽きた。


 己の腕が意志に反して血溜まりに落ち、ヒュウ、と最後の息を吸い込む。


 最後に見たものは、血溜まりに映った己の死に顔だった。



 ⌘



 パン、と頬を叩かれて目が覚めた。

 息絶えていた身体が呼吸を思い出し、ブレスは激しく咳き込む。


「落ち着きなさい。ゆっくり息を吐いて、吸う。ゆっくりです。そう、それでいい」


 カナンの声だ。ここは現実だ。夢じゃない。


「せんせ、ごほっ、は……ッ」

「今は話すのではない」


 ひやりとした手のひらがブレスの額を覆う。


 カナンの低い体温で抑えられると、ごちゃごちゃしていた頭の中が片付いていく。

 大きく上下していたブレスの胸がたいらになり、過呼吸気味だった呼吸が、楽になった。


「落ち着きましたか。こら、まだ動かないで」


 起きあがろうとしたブレスの肩を押さえ、カナンはブレスの腕を取る。

 腕を持ち上げられて気づいた。体ががちがちに強張っている。


 カナンはあちこちの関節を曲げ伸ばし、脈を計って目を覗き込む。

 険しく寄っていた眉がようやく開く。


 うん、とひとつ頷く師を、ブレスは脱力して見上げていた。

 ひどく疲れていた。なんだったのだろう、あれは。


「エチカ、白湯を。塩をいれて」


 手渡された器をカナンは受け取り、ブレスの口に当てる。

 体を起こそうと肘を立てると、誰かが首を支えて頭を起こしてくれた。


 口を濡らすようにゆっくりと飲むと、頭を支えてくれた誰かが子供を撫でるようにブレスの頭を撫でる。


 ……いや、待て、誰だ?


 カナンではない。エチカは焚き火の向こうで湯冷しを作っている。

 ブレスは始めて視線を真上に向けた。


 なだらかな胸の盛り上がりのむこうに、ブレスを見つめる金色の目があった。


 艶やかで豊かな長い黒髪を額のまんなかでわけた美少女が、不機嫌にブレスを見つめている。


「…………もしかして、ミッチェ?」

「ふんっ」


 つん、と顔を背ける仕草もいつもと同じだ。

 ブレスは人型になったミシェリーに膝枕されていた。


 そうか、彼女は人型になれたのか。


 ミシェリーはサハナドールの飼い猫だった妖精だ。

 長い年月をひとと共に生きてきたのだから、考えてみれば人型になれるだけの力など持っていて当然だ。


 倒れた時に抱き止めてくれたのは彼女だったのだ。


「君がこんなに可愛かっただなんて……」

「わたしはいつも綺麗よ」

「好きだ、ミッチェ。結婚してくれ」

「ニャ!?」


 目をまん丸にして驚くミシェリーを見上げ、ブレスもようやく笑みを浮かべるだけの余裕ができた。

 ミシェリーの変化は完璧だが、飛び跳ねるほど驚くと猫耳が飛び出すらしい。


 びょっと飛び出した耳をぺたんと手で押さえ、彼女はブレスの頬をつねった。


「軽口が叩けるようになったのはいいけど。お前、ひどい顔よ。あんなに魘されて」

「ああ、うん……自分の死に顔を夢に見たんだ」

「だから相談した方がいいって言ったのに……」


 ミシェリーの言葉に、師をちらりと見る。


 カナンは無言で小鍋の前に陣取り、野菜を細かく刻んでは鍋に放り込んでいる。

 無表情からは何も読み取れない。


 ブレスは気分が悪くなって目を閉じた。目を動かすと視界がチカチカして頭痛がするのだ。


「魔術師の夢には意味があるのよ」


 カナンの手伝いをしながらエチカが言った。


「意味? ああ、そういえば、先の出来事を夢に見る場合があるらしいね……ってことは俺、死ぬのでは?」


 知りたくなかった。


 この前エチカに刺されたばかりだというのに、またしても刺されるとは。

 面白くもないのに乾いた笑いが浮かぶ。


「なんてこと言うのよ!」とミシェリーが怒る。

 エチカは続ける。


「そうとも限らないわ。予見の場合と警告の場合があるの。予見の場合はどうにもならないけど、警告の場合はこのままじゃこうなりかねないからなんとかしろって誰かが警告してくれているのよ」


「もしくは、何者かがお前の夢に干渉しているか、ね。夢を通じて誰かがお前に接触しているのかもしれないわ」


 ミシェリーの意見に、それもあるわね、とエチカは同意する。


「接触か……そういえば、助けてって言われた。でも俺に言ったんじゃない気がする」

「なんでよ」

「その子、助けて兄様って言ってたんだ。俺に妹はいない」


 ルシアナが種違いの子供を産んだ可能性も無くはないが、低いだろう。

 エチカの話によると魔女に落ちた女は子が産めなくなるそうだ。


 ブレスを孤児院に預けて何年で魔女になったのかにもよるだろうけれど、身を隠さなければならなかった彼女が軽はずみに男と関係を持つとは思えない。

 というか、思いたくない。母への願望だ。


 予見か、警告か、干渉か。どれにせよいい意味でないことは確かだろう。

 事に備えてやれることをやっておかなければならない。


 とりあえず出来ることといえば、身替わりの魔女に教えてもらったお守り作りや、言霊の練習だ。

 それで少しくらいは生存率を上げることが出来るだろうか。


(マリー様に会いたいな……)


 ミシェリーの膝の上でうとうとしながら、ブレスは無意識に赤い石の指輪を撫でた。



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