62話 新たな仲間と共に
翌日、エチカは〈番犬の衆〉の長であるハオ・チェンと副長であるデイナベルの前で、ことの真相を告白した。
デイナベルは前夜に戻ってきたカナンらに話を聞いていたので、この告白は実質ハオへの謝罪という意味合いが大きかった。
話がカナンの正体に及ぶと、ハオの顔には意外なことに理解の色が浮かんだ。
これはブレスにとって予想外の反応だった。カナンが冬のカナリアであることを知った人間の初期反応は、恐怖か嫌悪か崇拝かの三通りだ。
ミシェリーがブレスに教えてくれたことによると、人狼には古代の狼の血が流れているらしく、狼は夜の眷属。
つまるところカナンの眷属の血が、ハオ・チェンにも流れている。
魔物や魔獣がカナンを見ると無条件降伏して飼い慣らされたように大人しくなってしまうのと同じように、ハオもそれに似たような感覚を覚えていたという。
『あいつは半分以上人間だから、人間の部分が抵抗していたんでしょうけどね。人狼なんてほんと、変な生き物だわ。魔物でも人間でもあるくせに、そのどちらでもない、どっちつかずの半端者』
「……ああ、変な生き物ってそういうことか」
ミシェリーの解説に、ブレスはただただ苦笑いを浮かべるばかり。
エチカの側にはずっとウォルフが付き添っている。彼女のそばにいたのに気づかなかったのだから自分も同罪だ、と言い張る若者を前に、ハオとデイナベルは呆れた、けれど温もりのある目を向けた。
本気で恋する男なんか世界で一番馬鹿だ、それでいいんだ、という言葉に二言はなかったようだ。
ウォルフは揺るがない。ブレスはその一途さを心の底から尊敬した。
しかし、エチカはといえば。
「ハオ先生、わたしはエルシオンを出て行くことにしました」
彼女はきっぱりと迷いなくそう言い切った。
デイナベルは心配そうに眉を下げ、エチカの目を覗き込む。
「通り魔の手引きをしていたのですから、処罰は受けるでしょう。ですが、あなたも脅されていたのですから学長は情状酌量なさってくださります。出てゆかずとも良いのですよ」
「……いいえ。デイナ、わたし、どうしても話をつけなければいけない人がいるの。そのひとと決着をつけない限り、わたしは安心して暮らせないのよ」
「エチカが出て行くのならば俺も出て行く」
ウォルフがすぐさま声を上げたが、エチカは微笑みながら首を振った。横に。
「あなたを巻き込むつもりはないわ。だいたい、わたしとあなたが一度に抜けたら誰が番犬たちの指揮をとるの?」
「だったら行くなよ! これまで通りふたりでやっていけばいいじゃないか。……頼む、行かないでくれ。行くなよ、エチカ」
「あなたには、待っていて欲しいのよ。わがままかもしれないけれど」
心を引き裂かれたような顔で、縋るようにエチカを見つめるウォルフに、彼女はそっと微笑みかける。
「必ず戻るわ。わたしのごちゃごちゃを全部かたづけて、安心して暮らせるようになったら、エルシオンに戻ってくる。ここにはデイナもあなたもいる。かけがえのないわたしの楽園ですもの。だから待っていて、ウォルフ。待っていてくれる人がいたら、頑張れると思うの」
ウォルフは涙をのみ、エチカを抱きしめた。
微笑んでいた彼女の目も、同じように涙に濡れていた。
わかった、と言葉を噛み締めるように言うウォルフの声を耳元で聞きながら、エチカは幸せそうな顔で笑った。
──そんな感動的な別れが行われている、その横では。
「エチカを旅に同行させてやってください、カナン様」
「嫌です」
「子を守るのが大人の務めではありませぬか」
「絶対に嫌です。僕は忙しいので」
「元はと言えば、あなたを探すためにこの子は利用されたのですよ?」
「……痛いところを容赦なく突いてきますね、デイナ」
「学園で通り魔が横行したのもカナン様を誘き出すための罠であったという話では?」
「ぐっ……それでも結局僕が解決したのだから、貸し借りは無しのはず」
「半年もの間シクタムに魂を反芻されていた生徒は、未だに療養生活なのですが」
「あのねぇデイナ、僕の旅が遅れれば遅れただけこの世界のどこかが凍りついて壊滅するリスクが上がってゆくのですよ! そうなれば僕の同行者も皆死ぬのだと言うことをわかって言っているのですか!」
……という、なんとも大人気ないやりとりが、カナンとデイナとハオによって繰り広げられていた。
ブレスとミシェリーは呆れるあまりに半眼だ。
もうカナンを神様扱いするのは無理かもしれないな、とブレスは思った。
「先生、往生際が悪いですよ」
へらっと笑いつつブレスが遠巻きに口を挟むと、ギラリとした目で睨まれた。今更そんなひと睨みで竦むブレスではない。
「いいじゃないですか。先生は魔女の皆さんにもつてがありますし、この子が旅の同行者になるのもそう長い期間ではないのでは?」
なにしろ世界の有力な魔女たちを束ねるサハナドール、もとい豊穣の魔女マリダスピルが姉なのだ。
影の魔女のことは魔女たちが一番よく知っていることだろう。
ブレスとしても、彼女たちにもらったお守りのお礼を言いたい気持ちは強い。
なにしろ命を救ってくれたのだから。
「ま、魔女……ですか……若い魔術師が魔女に近づくのは危険ですが……まあ、カナン様のお知り合いなのであれば、問題はないでしょう」
魔女という言葉たじろいだデイナベルが、気を取り直して全てをカナンに丸投げした。
カナンはげんなりとした顔でブレスを見やる。
カナンに言わせれば、魔女たちにつてを持つのはカナンではなくブレスの方だ。
ブレスは魔女たちに大層気に入られている。
状況がややこしくなるので、そのようなことは言いはしないが。
「……エミスフィリオ、きみ、今日のことは覚えておくように」
「なんでですか!?」
面倒ごとを押し付けられた怨みを込めて生徒を睨み、ウォルフとの別れを済ませてしゃんとしたエチカを眺め、ため息をひとつ。
「しかたがない。自己責任ですよ、エチカ」
「わかったわ」
ハオとデイナベルも満足気に頷く。
こうしてこの日、人形使いの魔術師エチカが旅の仲間となった。
もはやこの都市に残る理由はない。
カナンはブレスとエチカに旅支度を済ませるように言いつけ、魔道学舎、学長室へ訪れた。
同行者のハオは初日同様カナンの背後をとっているが、これはもはや単なる形式だ。
白マントの学長、通称仮面の男の本日の姿は白い長髪に緑の目の背の高い男。
相変わらず嫌味な男だ、とカナンは苦笑を滲ませる。
「事態の把握はされているようですね」
「ええ、もちろん。ご覧の通り」
学長は白い髪を掬ってさらりと流す。冬のカナリアの姿を模した姿で現れるとは、度胸があるのか、それとも道化なのか。
「名高き〈古きもの〉がうちの生徒をふたりも弟子に取るとは、私も鼻が高い」
「娘は弟子ではない。単なる同行者ですよ」
「ふうん……まあ、それでも。得られるものはあるでしょうから」
薄い笑みを浮かべ、学長は指を組む。
「これはね、あくまでも私の勘なのですけれども、我々は過去に相対したことがあるような気がいたしましてね」
「さあ、そんなこともあったかも知れませんね」
「私の掴んだ情報によると、冬の君は関わった者の記憶を操作して去る、とか?」
「なるべく忘れて頂いていることは事実ですね。必要なことを済ませた後は、覚えていない方が彼らにとっても安全ですから」
「そう。それなのですよ。私が話したかったことは、まさに」
緑の目とエメラルドの目が、油断なく相手の腹を探り合う。ハオ・チェンは人知れず生唾を飲んだ。
「このエルシオンでカナン様の正体を知るものは私とハオとデイナベルのみ。皆くちは硬く、殺されても口は割らないでしょう。そうですよね、ハオ?」
「は……無論であります」
「ですから、ね? 我々の意識を弄らないで頂きたいのですよ。これまで幾度、冬の君が私の前に現れ、記憶を消していかれたのか……考えるだけで身悶えするほど口惜しい思いがする」
「そういう粘着の仕方をされると、こちらとしては気が引けますね」
「いえいえ、他意はありませんとも。私はただ、覚えていたいだけなのですよ。あなたという、この世の神秘を」
「ほう。神秘、ですか」
「ええぇ。何百年も生きていると、退屈で退屈で気が狂いそうになるのです。この学園は平穏ですけれど、退屈なのが玉に瑕。かといって、頭に王冠の乗った無知な子供に仕えるというのも、気の進まない話でしょう? 刺激が欲しいのですよ。この世に飽いてしまわぬために。その点、カナン様はすばらしい」
そんな褒め方をされて喜ぶ者はいないだろうに、この男はもはや本音を隠そうともしなかった。
仮面の男は昔から貪欲だ。
カナンは内心ため息をつき、睨み合いをやめて肩をすくめる。
「どちらにせよ、娘はいずれこの都市に戻ると言っている。僕の記憶を全て消してしまったら、支障があるでしょう。娘が都市に戻るまでの期間は、覚えていてもらわなければ」
「それは重畳!」
ご満悦に手を打ち、学長は笑みを深める。カナンはやれやれ、と目を閉じた。
ハオはといえば、気の毒に、普段完璧な学長らしからぬ言動に顔を引き攣らせ目を白黒させていた。
「カナン様の長旅に幸多からんことを、我々は願っておりますよ」
当分エチカを返すな、と言外に突きつけてきた男の戯言を聞き流し、カナンは魔道学舎を後にした。
それにしても。
(学長に呼び止められた瞬間に見せた、ハオのあの顔ときたら……)
「ハオ、貴方には少し処理を……いえ、話があるのでここに残ってくださいね?」
足早に部屋を出て行こうとしたハオに、仮面の男はそう命じたのである。
その言葉を聞いたハオときたら、まるでこの世の終わりを目の当たりにしたかのような慄きぶりだった。
閉まり行くドアのむこう側の、あの絶望に満ちた顔。
ハオには悪いが、笑いを堪えることは出来そうにない。
教員の前で本性を見せてしまった学長は、まず間違いなくハオの記憶を弄るだろう。
こうして彼は、魔道学舎の完璧にして不動の学長として、このエルシオンに君臨し続けるのである。
旅外套の袖で笑い顔を覆いながら、カナンは宿屋への道を歩いた。
仮面の男はともかく、ハオやデイナに覚えていてもらうことについては、悪い気はしない。
宿屋の入り口には、すでに荷物をまとめたブレスとエチカ、そして見送りのウォルフとデイナベルが談笑をしながら待っていた。
「あっ、先生!」
カナンを見つけたブレスが大きく腕を振り、エチカが背筋を伸ばし、ウォルフが寂し気に苦笑し、デイナベルが微笑む。
「デイナ。シクタムと学園を頼みます」
「はい。カナン様もどうか、お気をつけて」
差し出されたデイナベルの手と握手を交わし、カナンは頷く。
「それでは、また会う日まで」
新しい道連れと共に、カナンの旅路は続いてゆく。
6 エルシオンの追跡者 終
新たな旅の仲間となったエチカ。
「打倒、影の魔女」を掲げる彼女の運命と、カナンの旅が合流しました。
色々なものを巻き込んで、彼らの旅は続いて行きます。
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