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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
6 エルシオンの追跡者
60/162

60話 影の魔女の人形

 

 徒歩で十五分の距離を歩き、ふたりは治療所へ戻った。

 癒者たちはふたりを見かけても、もう何も言わない。顔パスである。


 二時間の不在の間に親友がどれだけエチカを懐柔できただろうか。

 言いくるめられて逃亡の手助けをしようとして、クルイークに噛み殺されたりしてはいないだろうか。


 ブレスが想像を巡らせているうちに病室に到着し、カナンは無言でドアを開ける。


「……だから、もう……せめてノックとか……」

『わざとやってたりしてね』


 ミシェリーの相槌に疲れた笑いを浮かべる。


「仕方がないか、もう」


 ウォルフは寝台に腰掛けて、エチカの髪を撫でている最中だった。

 慌てて離れるウォルフ見もせずに、カナンは寝台横の窓辺にもたれて腕を組む。


「それで?」

「……ええと、通訳すると、先生はどちらが話すのかと訊いています。けして威圧をかけて脅したりしているわけではありません」


 怯えを孕んだ顔のエチカが気の毒になったブレスが助け舟を出す。

 ブレスの言葉にウォルフが一歩踏み出し、自分が、と言いかけるが、それを遮ってエチカが言った。


「じ、自分ことは自分で話すわ。でも、ねえその前にこのバーゲストを退けてくれない? いい加減、重いのよ。逃げたりしないから」

「ふむ。まあいいでしょう」


 カナンはクルイークの耳や首を一通り撫でてキュウキュウ言わせた後、デレデレになった犬を影に戻した。


 エチカは不気味なものを前にした顔でカナンの影を見つめる。

 子犬のように甘え声を上げる悪霊犬。だいぶ不気味だ。その気持ちはよくわかる。


「なんです。使役にご褒美は必要でしょう」

「……まあいいけど。それじゃあ、なにから話せばいいかしら」

「どこの国の誰の回し者なのか。僕が知りたいことはそれだけだ」

「素っ気無いのね」


 言葉のやりとりなど、するだけ無駄だと思ったのだろう。エチカは何もかもを諦めた顔で、寝台のうえで身を起こし、己の首の後ろを撫でる。


「いいわ。私を雇った男の名はレイダ。レイダ・ウォルグリア。彼の国はもうない。西の帝国に滅ぼされたウォルグランドという小国の、生き残りだそうよ」


(ウォル……グランド……?)


 己の顔が強張っていくのを感じながら、ブレスは胸元を握りしめた。

 胸に下がった魔術師の証のペンダントを。


(俺は魔術師だ。王の落とし子じゃない。そう生きていくと決めた)


 だというのに鼓動が早まり、息苦しくてたまらない。


(落ち着きなさい)


 カナンの念話が頭に響き、ブレスはふっと息を呑んだ。

 師へ視線を走らせると、薄く細められたエメラルドの双眸が油断なくブレスを見ていた。


 そうだ、落ち着かなければ。

 大丈夫だ、ブレスの出身を知っているのはこの場では味方だけ。


 カナンが目を閉じ、そのままエチカに視線を戻す。


「その国のことは知っている。僕も何度か行ったよ。滅びたのは残念だった」

「エチカ、君の雇い主はどうして今更になって先生を探しているんだ」


 一呼吸で気を持ち直し、ブレスはエチカに問う。

 あんたは動機に興味があるのね、と呟き、エチカはブレスへ顔を向ける。


「国の再建のためだそうよ。生き残った諸侯が、ウォルグランドの自治権を取り戻そうと画策しているのですって。でも大帝国を相手に、人間の力だけで勝てるわけない。だから──」


 ウォルフをちらりと見、エチカは口を噤む。だから、冬のカナリアを探していた。

 ウィルグランドを取り戻すための戦力として。


「……君はどうして、そのレイダという人に雇われたんだ?」


「ああ、それは元はと言えばこの魔女の刻印のせいよ。お前、〈不滅の人形〉を知っているのなら影の魔女も知ってるでしょう?」


「名前だけ。それから、もう亡くなっているってことは知ってる」


「影の魔女は死んでなんかいないわ。敵を作りすぎたから、表向きには死んだってことにしているけど。わたしは影の魔女の娘のひとりだったの」


 彼女の口から語られた半生は、ひどいものだった。


 エチカが影の魔女の娘となったのは、孤児院の看板を掲げた人身売買業者に売り払われたためだった。


 魔術師の素質があったエチカは影の魔女の目に止まった。彼女は娘が欲しかったようだ。

 魔女に落ちた女は子が産めなくなる。


 買い上げられたエチカは、影の魔女にとって娘であると同時に実験のための素材だった。


 影の魔女の実験の結果、エチカは肉体から乖離して〈不滅の人形〉に憑依できるようになった。

 それができるようになると、影の魔女は「生身の人間の魂を幾つに別けられるか」という実験を始めた。


 魂を引き裂かれる痛みは想像を絶した。それでもエチカは七度の痛みに耐え、七体の人形を同時に操れるようになった。


 エチカもこれで魂を引き裂かれる痛みを味合わずに済むと思い胸を撫で下ろした。


 影の魔女は成果に満足げだった。彼女はエチカを褒め、抱きしめ、優しい言葉を囁いた。

 実験の時以外は、影の魔女は優しい母親だった。


 しかしある日、影の魔女は八体目の人形を作り始めた。


 エチカは混乱し、恐怖し、あまりの恐ろしさに七体の〈不滅の人形〉と共に影の魔女の家を逃げ出した。


 しばらくの間は物乞いをして暮らした。エチカは人売りの家と魔女の家以外の世界を知らなかったから、物乞いになるしかなかった。


 けれど彼女はぼろ布をかぶって人々の話を盗み聞き、この世の中のことを知った。

 そして己の力が、類まれなるものであることにも気づいた。


 エチカは物乞いをやめた。己の力を売ったほうがよほど金になる。

 そうしてエチカは雇われの身になった。主な仕事は間諜であったが、暗殺を依頼されることもあった。


 人形は大いに役に立った。


 エチカは痛みを知っていたから、なるべく苦しませずに殺した。

 魔女の暴力といびつな愛情に抱かれて育った彼女の倫理観は、歪んでいた。


 苦しいまま生きるよりも、一瞬で死んでしまった方が、つらくない。

 つらくないなら、幸せだ。もう痛みを感じることもないのだから。


「何年前だったかしらね。レイダがわたしの前に現れて、雇いたいと言った。報酬は一生あそんで暮らせる金額だった。わたしは承諾した。

 レイダは裏切られた時の保険が欲しいと言って、わたしの人形を一体、特殊な魔術具の中に封じ込めてしまった。わたしの魂の一部と共に。

 欠けたわたしの魂の一部には、つくりものの霊魂があてがわれた。わたしの体は、それ以来成長が止まってしまった」


 エチカは首刻印された魔女の魔法陣に爪を立てた。


「以来わたしはレイダの言いなり。標的を捕らえるまで、わたしの魂の一部はあいつの手のひらの中なんだもの、従うしかない。

 デイナに近づいたのも、レイダの命令だった。デイナの側にいれば周囲の信用を得られると。

 でも、彼は……心が綺麗で、優しくて、わたしは……ウォルフもそうよ、こんな壊れた人形みたいなわたしなんかを、気にかけてくれて……」


 彼女の目から涙が溢れる。ぼろぼろと止まることのない涙は、嘘偽りのないエチカの本音だ。

 エチカは知ってしまったのだ。本当の幸せを。本当の優しさを。


「ずっとここいたいと思ったわ。だからこそ任務を失敗するわけにはいかなかった。どうしても今日、観客席に来ていたレイダの前にこいつを差し出さなければならなかった。それで解放されたかった。

 でも失敗した。わたしはきっと処分される。レイダは役立たずの暗殺者を生かしてはおかない」


「そんなことはさせない!」


 声を上げたのはウォルフだった。明るい色の目を怒りに染めたウォルフが、凄まじい剣幕で怒鳴る。


「エチカを殺そうとする奴なんか、俺が殺してやる」

「ウォルフ……ありがとう。でも無理よ。あなた、わたしより弱いじゃない」

「そうだけど、だからって黙って見ていることなど出来ない!」

「何の罪も犯していないあなたが、死ぬなんてだめよ。無意味だわ。馬鹿ね」


 口では嘲るようなことを言っているが、彼女の声は柔らかい。


 彼らを前にしてブレスの胸は痛んだ。

 エチカが死ぬのはだめだ。ウォルフが死ぬなんてもっとだめだ。


 けれどエチカの話を聞く限り、レイダ・ウォルグリアという男は手練れだ。

 エチカの魂のかけらもその男の手にあるという。

 せめてそれだけでも、取り返すことができれば……。


「そう。ならば君が不幸を被ることになるのも、僕の生徒が君に刺されたのも、僕のため、というわけだ」


 ブレスの思考を遮るように、カナンが淡々と事実を述べた。薄い唇が自嘲につり上がっている。


「僕はそのレイダ・ウォルグリアに会いにいくよ。それがその者の望みなのだろう」

「……彼に、協力するなんてことは、ありませんよね」


 念のための確認に、カナンは肩をすくめる。


「当然だろう。ただその娘の人形を返してもらうだけだよ。何事もまずは話し合いだということは、これまでの経験から嫌というほど学んだ」


「……そいつの口から話し合いなんて単語が出てくるとは、思ってもいなかったわ」


 驚きと戸惑いと、意外さを面白がるような色を混ぜた声色でエチカが呟く。

 カナンは苦笑いを浮かべ、「破壊の子も学習はする、ということだよ」と面白くもなさそうに言った。


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