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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
6 エルシオンの追跡者
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59話 決勝戦と模擬試

 


 カナンの薬を強制的に経口摂取させられたエチカは、まもなく悶絶しながら飛び起きた。


 魂を別けた副作用──というわけではなく、単純にカナン薬の味がひどかったためである。

 なにしろあの臭いだ。味もさぞかし不味かろう。


 ともかく薬効は確かだったようで、意識も正常だし記憶もきちんと残っている様子。


「あんた、なんで、生きてるのよっ」


 舌に残る薬の味に息も絶え絶えとなったエチカの第一声がこれだ。これには流石にウォルフも眉を下げた。

 自白も同然だった。庇いきれない、と思ったのだろう。


「いろんな人が守ってくれるからだよ。君と違って」

「何ですってぇ?」


 涼しい顔でわざと煽るようなことを言って見せると、エチカは簡単に乗せられて激昂した。


 けれど、いくら怒ったところで彼女はいま動けないのだ。

 彼女の体の上には大きな黒い悪霊犬が寝そべり、文鎮のように彼女を押さえつけている。


「君の体を調べた。君が人形を使って僕の生徒を殺そうとしたことは判っている」


 低い声にエチカの体が強張る。

 寝台の反対側に立ったカナンが、薄く開いた眼で彼女を見下ろしている。


「……見つけたい時にいないくせに、居てほしくない時にはいるのね」


 青ざめ、緊張と敵意と恐れを抱えて震えながら、それでもエチカは噛み付く。


「殺そうとしたんじゃなくて、殺したのよ。口封じにね」

「けれど君は失敗した」

「そう。それで今度は私が殺される番ってわけでしょうよ」

「ほう。誰が君を殺す? 僕は殺さない」


 カナンの言葉が意外だったのだろうか。エチカは青灰色の目を見開き、きゅっと唇を引き結んだ。

 彼女の目に浮かぶ微かな迷いを捉えたデイナベルが、そっとエチカの手をとって彼女を見つめる。


「エチカ。話しなさい。カナン様は解ってくださる」

「解っていないのはデイナのほうよ。これの正体を聞けば、あなただって」

「……わかっていますよ。この方が、何者であるかは」


 ブレスは驚いてデイナを見つめた。カナンの正体に、彼は気づいていたのか。

 話題の人物はそんなことはお見通しだった様子で、やれやれ、と言わんばかりに目を閉じている。


「以前君にも話したでしょう。僕の正体は、知る者が見ればすぐにわかってしまうのです」


「そうですね。カナン様はなんというか……目立ちますから。古い神殿の関係者や、代々国主に仕える宮廷魔術師の一族には、貴方の存在は知れ渡っている」


 納得せざるを得なかった。神殿は神を祀る場であるからどこよりも神に詳しいだろうし、宮廷魔術師といえば〈古きもの〉の家系。


 過去のカナンは去る者の記憶を操作しなかったというから、カナンの存在を知った〈古きもの〉が代々記録を受け継がせていれば、カナンという力の存在を見破ることも出来るだろう。


「……じゃあ、デイナさんは……」


「私はその両方です。宮廷魔術師の家系に生まれ、城の空気が合わずに出奔して、ヘリオエッタ様を祀る神殿に入りました。人のために建てられた神殿ではなく、神のために建てられた古い神殿です。ですが結局、数年で父に見つかってしまいましてね。神殿が被害に合う前にと逃げ出して、エルシオンの学長の庇護を求めてここに来た、ということです」


 綺麗な人だとは思っていたが、やんごとなき身分のお方だったらしい。宮廷魔術師は貴族と並ぶ地位である。

 跪いたりした方がいいのだろうか、と考えていると、ミシェリーの念話が呆れ声で話しかけてきた。


(お前も一応は王様の血が流れているじゃニャいの)


 そういえばそうだった。ということは、ふたりとも没落貴族だ。畏敬の念が妙な親近感にすり替わる。


 半ば話についていけない親友もデイナベルの素性は知っていたらしい。

 なるほど、故に「デイナベル様」だったのか。


「エチカ、彼は世で云われているようなお方ではありません。話せば聞いてくださるし、少なくとも今は破壊をもたらす者でもない。私はカナン様がエルシオンへいらした日からずっとやりとりをしてきたのですよ」


「……嘘よ。デイナを騙しているんだわ」


 エチカはなおも否定するが、その声は弱々しかった。

 カナンがちらりと窓を見やり、そろそろ日暮れですねぇと呟く。


「デイナ、貴方、ハオ・チェンとの模擬戦があるのでは?」

「ああ……そうでしたね。行かなければ」

「そんな! いやよデイナ、こいつと一緒に私を置いていかないでよ……!」


 今にも泣き出しそうな顔でエチカが懇願する。

 しかしカナンはちらりとエチカを見、何を言っているのだか、と呟く。


「僕は弟子と共にデイナの戦いぶりを見に行くのです。君と居残りをするのは、僕の犬と学園の番犬で充分でしょう」


 置いていかれると知ったクルイークがキュウンとなんとも切なげな鳴き声を上げて尻尾を垂らした。

 ブレスはといえば、困って周囲を見回している親友に耳打ちをする。


「エチカを懐柔するのお前の役目だってさ」

「……あ。そういうことか」


 心得たらしいウォルフが目的を得て背筋を伸ばした。


 さっさと病室を出て行ってしまったカナンにデイナベルは苦笑を浮かべ、ふたりの番犬を振り向いて「留守を頼みましたよ」と言い残して学舎へ向かう。


「ねえエチカ、俺はしばらく先生と旅をしてきたけど、あの人は良い先生だったよ」


 ブレスは最後にそう告げて、ふたりの後を追って駆けた。





 学舎へ戻ると、トーナメントは決勝戦の最中だった。金色の髪の女魔術師と黒髪の魔術師が、肌や紙にあらかじめ描いておいた印を使って接戦している。


 黒髪がやや優勢だろうか、攻めの姿勢を崩さない。金髪は水中の魚のように俊敏に動き、岩や炎の塊が飛んでくるのを躱している。


 ブレスは彼女の唇に笑みが浮かんでいることに気づいた。彼女は戦いを楽しんでいるようだ。黒髪の方はというと、これまた笑っていたが、こちらは勝利を確信した笑みだった。


 その笑みは、次の瞬間に崩れた。金髪は攻撃を避けながら、彼の足元、それも地中に水を溜め込んでいたらしい。薄氷を踏み抜いてしまったかのように足を取られた彼は、体勢を崩した。


 黒髪は慌てて足を引き抜こうとするも、抜けない。

 水が凍りつき、杭のように地面に突き刺さって彼の足を捕らえている。


 金髪は黒髪に歩み寄り、黒髪の正面に立つ。彼女の笑みが痛ぶることを悦ぶ笑みに変わった。


 彼女は手のひらを彼に翳し、手のひらに描かれた印を介して水球を召喚する。

 その水球を彼の頭に押し付けて溺れさせるつもりだ。


 ところがその時黒髪が動いた。彼は長靴(ブーツ)のベルトを外し、靴を脱ぎ捨てたかと思うと素早く横に一回転して水球を避ける。


 あっという間に金髪の背後に立った黒髪は、片腕で彼女の水球の腕を抑え、もう片手で彼女の金髪を掴み上げた。


 彼の手のひらには火を呼び出す印が描かれている。

 術が発動すれば彼女の髪は燃え、頭に酷い火傷を負うだろう。


 彼女は負けを悟ったのか、水球を振り落とし、降参、と審判に目をやった。

 黒髪の彼の勝利だ。


 勝敗が決し、観客は沸き立つが、ブレスはなんとも微妙な気分になった。

 これは戦いだ。綺麗事を言うつもりはない。だが、手放しで賞賛する気がどうしても起きないのはなぜだ。


「彼には戦争の才能がある」


 頭上から降ってきた低い声に顔を上げると、カナンが退屈そうな目で勝者の青年を見下ろしていた。


「昔、この辺りがまだ国家の形を成していなかった時代、ああいう魔術師は戦に借り出されたものだ。人間はなぜ戦に火を使いたがるのか。火が大地へ齎す損害は取り返しがつかないのに。獣も、人も、森も……」


 そうか、とブレスは頷く。師が曖昧な心境を代弁してくれるというのは心強いものだ。


「……なんだか、単純に強いものが残るというのも、虚しいものですね」

「ああ。本当に」


 ブレスも学生時代は勝者へ歓声を上げるひとりだった。


 それを変えたのは、戦に利用されたシルヴェストリや、炎に焼かれた魔女たちや、生まれながらにして滅びの力を持っていたが故に忌避されてきたカナンと過ごした日々だ。


 力を持つものが使い捨てられる世界もあれば、虐げられる世界もある。

 あの黒髪の青年も、いつかそれを知るのだろうか。



 小休止の後、場内が改められていよいよハオとデイナベルが入場した。

 正装だ。ふたりとも魔術師としての正装を纏っている。


 空は既に薄暗い。デイナベルは頭上を仰ぎ、月を捉えた。彼の唇がなにかを囁く。月に囁きかけている。

 静かな面持ちだ。とてもこれから戦いを始める者の顔とは思えない。


 だと言うのに、彼らを見つめる観客たちは息を呑んで身じろぎも出来ない。


 ハオは、そんなデイナベルを片時も目を離さずに見つめていた。普段のハオとは全く異なる鋭い目つきだった。

 彼はデイナベルを凝視しながら手のひらを大地へ向け、魔力を集めている。


 デイナベルが腰にはいた剣を抜くのと、ハオが召喚した狼の毛皮を掴むのは同時だった。

 ハオは毛皮をかぶるなり一頭の狼に変身した。馬ほど大きな、銀色の毛並みに白い顔の狼だった。


 牙を剥き出しに低く唸る黄金の目を見つめ返し、デイナベルは大きく踏み込んで剣を翻す。狼は飛び退き剣を避け、同時に己の影から複数の狼を召喚する。冥府、根の国の狼だ。ただの獣ではない。


 狼に囲まれたデイナベルはそれでも姿勢を崩さなかった。剣が幾度も軽やかに翻り、攻め入る狼を掠め、時には狼に飛び乗って踏み締め、狼の首筋を撫でると宙を舞い、音もなく大地に着地する。


 その度に青い燐光が舞い、澱みのない滑らかな動作はまるで剣舞のようだ。


 彼の剣には刃がなかった。剣は狼を斬らない。しかし、剣に触れられた狼は確実に動作が鈍くなってゆく。


 やがて狼の一頭が耐えきれなくなったように倒れた。倒れた狼が、毛糸をほどくように分解されてゆく。

 ほどけた狼の糸も青い燐光となって空中へ溶けてしまう。


 ブレスは息を呑んだ。あの剣がハオに当たっていたとしたら。


『当ててニャいわ。当たったとしても、人間の部分は無事よ。狼の部分は死ぬけど』


 実技教員がこの世から消滅してしまうのではないか、と青ざめたブレスの耳元でミシェリーが静かに呟いた。


『あれは魔力をほどく剣よ。魔物は魔力の塊みたいなものだから、あの剣に触れられると形を保って至れなくなるのよ。魔術師に当たれば魔術師の中の魔力も分解する。あの剣の前では魔術師もただの人間よ。敵に幾度も当てるだけの技量と体力は必要だけどね』


「待ってミッチェ、狼の部分は死ぬってどういうこと?」


「ハオ・チェンは〈狼を着る者〉(ウェアウルフ)、いわゆる人狼です」


 カナンが身を屈めてブレスの耳元で囁いた。首筋がぞわっとしたブレスはひゅっと息を呑んで振り返る。


「心臓に悪いので耳元で喋らないでくださいよ!」

「失敬。あまり外聞が良くないのでね。他の者に聞かれては」


 たしかに人狼、狼男というものは古来から人間の敵だ。


「人狼が最も力を発揮するのは月夜。またエッタの剣も月光を糧とする。彼らは互いに優位な条件で手合わせをしている」

「エッタの剣……?」

「彼が言っていたでしょう、エッタの神殿に仕えていたと。あれはエッタがデイナに与えた神具です。デイナベルは僕の兄の加護を得ているようですね」

「……それって、ハオ先生に勝ち目あるんですか」

「無いですね」


 学長も人の悪いことをする。人狼だの神具の剣だの、観客の殆どは目の前で何が起こっているのか全く理解出来ないだろう。


 三頭の狼が分解され、デイナは額の汗を拭った。あれほどまでに縦横無尽に動き回っていれば、疲れもでる頃だろう。


 息を吐いたデイナベルはおもむろに髪紐を解き、ヘリオエッタの剣を天へ向けた。

 目を閉じたデイナの頭上に月光の柱がたち、彼の髪が風を含んだように揺れる。

 人々の目の前でデイナの髪がざわざわと伸びてゆく。


「月の癒しだ……」

「あれがエッタの加護です」


 カナンは肩を竦める。


「ほらね。デイナは弱くなどないのですよ」


 再び隙のない姿勢で剣を構えたデイナベルを見て、たしかにその通りだ、とブレスは頷く。

 最終的にはハオの魔力が尽き、魔術師の姿に戻った彼の喉にデイナが剣を突きつけて模擬試合は終了した。


 デイナは剣を納め、狼となっていた名残で地に座り込んでいたハオに手を差し伸べる。

 ハオは苦笑ぎみに目元を細め、デイナの手を取って立ち上がった。


 デイナは疲労や魔力の枯渇が限界を迎える前に月光の柱をその身に受けて力を補充していた。彼の体力は底なしだ。


 いかにも力の有り余っているような大男のハオ・チェンが、細身のデイナベルに体力で負けるとは、誰が予想しただろう。


 感嘆のため息と拍手をうけ、ハオとデイナベルは互いに向き合って一礼する。月光のもと、魔術師の正装を纏って相手への礼節を尽くすふたりの姿は、とても凛々しく様になっていた。


 惜しみなく拍手を送るブレスの隣でカナンがすっと立ち上がり、ブレスの肩を叩く。


「治療所へ戻ります」

「はい、先生」


 カナンの翻る旅外套を追い、ブレスは学舎を出た。



〜メモ 魔術師の正装について〜


・黒ローブ(素材は問わないが光沢のないもの)

・革手袋

・魔術師であることを証明する印のペンダント

・銀刺繍のサッシュベルト

・膝下丈のブーツ

・勲章を持っている者は襟元につけること

・髪型は後頭部でひとつに結ぶこと(髪紐で髪を隠すのは禁止)


その他各々の愛用する呪い返しのお守りや魔術具など、アクセサリーは自由。


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