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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
6 エルシオンの追跡者
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58話 エチカの謎

 


 治療所に着いたふたりはデイナベルにことのあらましを話した。


 ブレスを襲った者がエチカであり、エチカは呪い返しにあった。

 しかし彼女は砂人形であったため、肉体は無傷のまま、魂を負傷した結果目覚めないのではないか、と。


「エチカが人形? そんな馬鹿な」


 寝台に横たわる少女を困惑の目で見つめ、デイナベルは否定に首を振った。


「あり得ません。疑うのならば、見てみればいい。彼女は血の通った人間です」

「では遠慮なく見せていただきましょう」


 カナンは有言実行とばかりに少女の寝台に歩み寄り、毛布を剥ぎ取った。

 黒ローブを脱がされたエチカは可愛らしい少女だった。とても年上には見えない、十三、四歳の女の子だ。

 ゆるいウェーブの金髪に色白の顔。薔薇の蕾のような唇に、青灰色の目(カナンは彼女の瞼を本当に遠慮なく引き下げた)。


「たしかに触れた感じは肉ですね」

「肉って……」


 少女を相手に淡々とひどい言い様をするカナンに、流石のデイナも眉を顰めている。無理もない。


 そのままエチカの服に手をかけたのを見て、ブレスは慌てて後ろを向いた。

 こんなことがエチカに知られたら今度こそ殺される。


 デイナベルが止めてくれるかと期待したが無駄だったようだ。デイナは解呪師、魔術師のなかでも癒者のようなもの。

 治療者が患者に対し、そのあたりが淡白なのは仕方がない。


「服の下も特に怪しげな部位は無い……おや?」

「これは……魔法陣でしょうか。なぜ魔術師の肌に魔女の魔法陣が?」

「縮小されていますが、間違いなさそうですね。ふむ」


 背後の意味深な会話に、振り返ってしまいたい衝動に駆られる。が、だめだ。色んな意味でだめだ。意識のない女の子の肌を見るなんてだめに決まっている。


「ミ、ミッチェ、頼む、俺を噛んでくれ」

『……はぁ?』


 軽蔑のこもった猫妖精の声がブレスを罵る。


『なによ、わたしというものがありながら人間の小娘の裸が気になるってわけ』

「人間だから気になるんじゃないか!」

『へーえ、そぉお。ふん、もう知らニャい、お前なんか二度と守ってなんかあげニャいんだからね』

「なんで!?」


「そこ、うるさいですよ。痴話喧嘩はよそでやりなさい」


 カナンの冷淡な声がぴしゃりと飛んで、ブレスはいたたまれなくなって病室を出る。

 こうなってはどうせ出来ることなど有りはしない。居心地が悪いだけだ。


 病室のドアを閉めてため息をついていると、廊下の曲がり角から跳ねっ毛頭のウォルフが走ってくるのが見えた。


「ああ、無事だったのかオリーブ! エチカがこっちに居ると聞いたんだが、彼女は?」

「オリーブじゃなくてエミスフィリオ。あの子ならこの部屋にいるよ」

「そうか!」


 親友は息もつかずにドアを開けて病室へ入っていった。一呼吸後、彼の「エチカああぁ!?」という色々な感情のごちゃ混ぜになった叫び声が聞こえて来た。


「わかっただろミッチェ、これが人間の女の子の肌を不意打ちで見てしまった時の、魔術師の小僧の一般的な反応だ」

『ガキだわね』


 ミシェリーはフスッと鼻鳴らす。心なしかいつもより鼻息の勢いがいい。


 追い出されたウォルフが黒ローブのフードをまぶかにかぶって部屋から出てきた。ブレスはあえて友人を見ず、止めるのが間に合わなくて悪かったね、うそぶく。


 エチカの裸を見てしまったであろうウォルフはさらにフードを引っ張って顔を隠した。

 仕方がない。若い魔術師なんてみんなこんなものだ。


 厳しい鍛錬とあらゆる禁欲に耐えなければ魔道の道は開かれない。事実はどうあれそう教え込まれるので、男連中は奥手なものが生き残ってゆく。


 そうでないものは欲望に誘われて魔道の道から外れ、魔力を失うのだから。

 男ふたり、横並びで沈黙していると、ウォルフが突然口を開いた。


「俺さ、好きなんだ。エチカのこと」

「…………なんだよ、それ」


 覚悟を決めたような声音だった。

 ブレスは親友のこの言葉を容易には受け入れられなかった。


 ブレスにとってエチカという女は、己を殺した女だ。

 カナンが何者であるかを知っている敵だ。

 人間であるかどうかも知れない、得体の知れない女だ。


 ブレスの心中を知るよしもないウォルフは、ぽつぽつとエチカについて話し始める。


「エチカはデイナベル様と共に学園に来た。あんなに小さいのに誰よりも気が強くて、まるで手のつけられない人間嫌いの野良猫みたいだった。みんながそう言った。でも俺には天使に見えた。翼を失って地上に墜落した天使だ」


 天使だって? とんでもない。天使が人の背中を刺したりするものか。


「エチカは誰よりも綺麗だった。苛烈で、強くて」


 ……ああ、その心境は覚えがある。力を持つ者の激しく燃える目の美しさは、ブレスだって知っている。

 カナンのエメラルドの眼の輝きに、幾度ブレスが魅入られたことか。


「好きだと言ったら、エチカは待ってくれると言った。俺の魔術回路が安定するまでの間。それでも自分を好きでいてくれたなら、未来はあるかもしれないと言ってくれた」


「それは、体よく断られたんじゃないのか」


「わかってる」


 ウォルフは苦笑する。


「でもエチカになら騙されてもいいと思った」

「馬鹿だな」

「そうさ。そんなものだろう。本気で恋してる男なんか、世界で一番馬鹿だ。それでいいんだ」


 ブレスの顔にも苦笑が浮かんだ。本当にこの親友は、昔から変わらない。


「なあ、ウォルフ。君の天使は疑われている上に、俺を刺し殺そうとした。実際、守られていなかったら俺は死んでいた」


 ウォルフは絶句した。血の気の引いた顔で「まさか」の類の言葉を言おうとしたウォルフを遮って、ブレスは続ける。


「でももうそれはいい。大事なのは、どうしてそんなことをしたのかだと思う。俺の先生が言っていた。物事に理由をつけたがるのは人間の性質だって。知らないことに気づいた時に理由を探すんだって俺は思った。だから、それを一緒に考えてくれるか、ウォルフ」


 ほんの数秒の沈黙。ウォルフがその沈黙を破り、ああ、答えた。


「……ああ。わかった。まさかそんな話をされるなんて思ってもいなかったけど」

「だろうね」


 エチカが好きだと打ち明けたウォルフへの返答がこれだ。

 そりゃあ、想像もしていなかっただろう。


 足元に退屈そうに座っていたミシェリーが、ピクリと耳を震わせて言った。


『ふたりが小娘を調べ終わったみたいよ』


 ブレスは頷き、ミシェリーを抱き上げる。


「さて、じゃあそろそろ中に入ろうか」

「ああ。俺も知っていることを話すよ。あんまり役に立たないだろうけど」

「いや、そうしてくれると助かるよ」


 病室のドアを開け、振り返りつつ苦笑を向けると、ウォルフは廊下に立ったまま俯いていた。

 どうかしたのかと問いかける。


「エチカを許してくれてありがとう」


 感情を押し殺し、震える声でそう言ったウォルフの背を、ブレスは片手で抱き、ぱんぱんと叩く。


 そのままふたりで病室に入ると、デイナベルが優しい目に微苦笑を浮かべて迎えてくれた。

 会話が筒抜けだったらしい。





 エチカの身体を調べたふたりは、そのあと夢喰いシクタムを使って彼女の魂の状態を探ったという。

 捕らえた敵の駒が早速役に立っている。


『この娘はちぎれているのである。魂がパンのようにちぎれてあちこちに散らばってしまった故、それらが全てこの肉体に戻ってくるまでは目覚められないのである。ちぎれた魂の一片がひどく破損しているので、戻ろうにも戻れないようなのである」


 シクタムが黄ばんだ白い毛をもさもさと揺らしながら宣うには、そういうことだそうだ。


「ちぎれてあちこちに……? お守りの呪い返しでそんなことになります?」

「ならない。この娘がばらけているのは、娘の意志によるものだ」


 カナンが髪を編みながら述べる。勢いのまま宿屋を出てきてしまったので、長い白い髪がそのままになっていた。

 まったく、不用心だ。刺されたブレスが言えたことではないが。


「結局のところ、この娘の身体は生身だった。けれど、君の言うことも半分は当たっていたようですね」

「半分……?」

「エチカの首の後ろには、特殊な魔法陣が刻まれていました。〈乖離〉と〈憑依〉の魔法陣です」

「ってことつまり、この子はこの体から離れたり戻ったり出来る、と?」

「そう。娘が〈不滅の人形〉を使えたのは、この肉体から人形へ乗り移ったからです。魂がちぎれていのは、乗り移る先の人形が一体ではなかったから、といったところでしょうね」


 魂を別けて人形に詰めることが可能であることは、ブレスも実物を見ているので知っている。

 しかし。


「生きているうちから、自分の魂を別けるなんて……そんなリスクの高いことを、どうしてこの子は」

「またどうして、ですか。どのように、ではなく」


 カナンが呆れ顔でぼやくが、デイナベルはブレスの言葉に同意した。


「きっと事情があるはずです。エチカは、私がこの都市に引っ越す道中に出会った子です。旅を共にしましたが、悪事に手を染めたことはありませんし、他者への共感能力もきちんと持っている子です。わけもなく人に害をなす子ではありません」


「デイナ……まったく。この娘は、実際にことを起こしているのですよ」

「ですが、シクタムは言っていたではありませんか。前の主はこの子ではないと」


 決着のつかないふたりの話。割り込むように進言をしたのはウォルフだった。


「エチカは、誰かに命令を受けていたのだと思います」

「ほう。人形使いが何者かの傀儡に?」

「彼女は追い詰められていました。毎日顔を合わせていればわかる。それにどうしてエチカがエミスフィリオを襲うんです?」

「ウォルフ、俺が標的じゃないんだ。彼女が探していたのは……ええと」


 どこまで話していいものか迷い、言葉を濁した。


「別の人で、彼女はその人の居場所を俺が知っているだろうと思って脅迫した」

「ならばエチカとその人物に面識は?」

「無い。少なくとも直接は」


 カナンが断言する。


「やはり黒幕がいると考えるのが自然です」


 デイナベルの言葉に、ブレスとウォルフも同意した。三人の視線を浴びたカナンは、降参、とばかりに手のひらを向ける。


「であるのならば、娘を目覚めさせて情報を聞き出すのが一番早い。まったく、敵のために薬を使う羽目になるとは」


 カナンが取り出したものを見て、ブレスはひっと声を上げて思わず一歩後ずさった。

 あのやばい薬だ。カナンの体液入りの、激臭を放つ、傷の治りを早めるというどろっとした粘液。


「ちょ、ちょっと先生、それは酷いですよ!?」

「僕の薬は万能ですので。魂の欠損も回復するでしょう」


 万能なのは薬ではなくて体液の方ではないだろうか。


 血なのか涙なのかそれとも他の何かなのか定かではないが、とにかく、カナンは薬瓶を開けるとエチカの口の中に流し込んだ。


 この人に情けはないのだろうか。



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