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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
6 エルシオンの追跡者
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57話 人知れぬ攻防

 


 たった今まで学長の後ろに立っていたエチカが、一瞬でブレスの背後に現れた。

 こんなことがあり得るだろうか?


「カナリアはどこかって聞いているのよ」


 耳元で剣呑な声が問い詰めている。背に鋭いものが押しつけられた。またナイフか。

 まったく、エルシオンも物騒になったものだ。雑念で頭が溢れかえり、思考がまとまらない。


(この位置をナイフで刺されたら、肺がやられるな……)


 自分の血で溺れ死ぬのは嫌だな、と思った。


(ちょっと、なに悠長にやってるのよ!)

「早く答えなさい。死にたいの?」


 ミシェリーとエチカの声が同時に届き、混ざり合う。

 こちらの異変に気づいているのはミシェリーだけか。


 腰を下ろした観客たちの合間から、ウォルフが倒れているエチカを抱き抱えて揺さぶっているのが見えた。

 学長や教員たちもそちらに気を取られていて、倒れているエチカがブレスを脅迫しているだなんて思いもしない。


 カナンは〈姿隠しの印〉のためにブレスにさえ姿は見えない。

 屋根の上にいることはわかっているが、口を破るつもりはさらさらなかった。


(ミッチェはエチカの体から目を離さないで)

(でも!)

(こっちはなんとかするから、しっかり見張っているんだ)


 とにかく時間稼ごう。冷静になれ。


 エチカの体はウォルフの腕の中にある。ということは、ブレスの背後に立っているのはエチカの体ではない。


 本体がこちらで偽物があちらの可能性もあるが、エチカは自分に容疑がかからないようにアリバイが欲しいはず。

 で、あるならば、やはりこちらが本体ではない「何か」である。


「……カナリア? 小鳥の? 心当たりがありませんが」

「とぼけないでよ」


 背中に当てられたナイフが黒ローブにめり込んだ。


「知ってる? 番犬の黒ローブには防火とか防水とかの魔術は付与されているけれど、ナイフや矢は通すのよ」

「絶妙に役立たずですね……」

「そうね。平和ボケしてるもの。で、カナリアはどこ?」


 ナイフがさらにぐりぐりと押し込められ、皮膚をプツッと破る感触がした。痛みに唇を噛んで耐えると、へえ、と背後の女が薄く笑った。


「思ったより根性があるのね。痛ぶり甲斐がありそう」

「……君は、第一印象通りの人だったみたいだね、エチカ」

「エチカ? さて、誰のことかしら」

「ッう……!」


 肉へ潜り込む刃。コツ、と肋骨に当たったナイフが止まる。

 縦に突きつけられた刃物がぐりっと回って横になった。


 頭の中でミシェリーが叫んでいる。冷や汗が首を伝い落ちる。


「このまま差し込めば急所よ。これで最後。カナリアはどこ?」

「…………市場の……」

「市場?」


 エチカが身を乗り出すのがわかった。ブレスは口を歪めて笑う。


「週に一度、市場の通りの一番西の店が、手紙を運ぶための鳥を売っている。鳩とカラスばかりだったけど、もしかしたらカナリアも売ってるかもね」


 背後で怒りが爆発した。ドン、と身体に衝撃が走り、息が詰まって脚が崩れた。

 耳に轟く女の絶叫と鼻先掠める砂におい。次第に暗くなってゆく視界。


 最後に見たものは、流れる砂が蛇のように渦巻いて去ってゆく、見覚えのある光景だった。





 気づけば寝台の上、白いシーツを見つめていた。薬品の匂いと背中の痛み。

 腕を持ち上げ、手のひらを握り、開く。感覚がある、ということはつまり。


「……わあ、生きてる。なんで?」

「君ね、もう少しましなことは言えないのかい」


 斜め横で聞き慣れた呆れ声が言う。視線を向ければ、カナンがすり鉢で薬草をゴリゴリと潰していた。


 珍しくも髪紐を解いた白い髪の姿だ。

 人目は、と視線を巡らせると、治療所ではなくカナンが泊まっている宿の一室だった。


 すり鉢から得体の知れない刺激臭が漂ってくる。なんの薬だろうか。

 においに顔を引き攣らせ慄きつつも、ブレスはうつ伏せのまま呟く。


「絶対死んだと思ったんですが……」


「守られていなければ確実に死んでいただろうね。魔女たちのお守りがみっつほど砕けた。ミシェリーも君を守った。どちらともなかったら死んでいただろうし、一方が欠けていたら骨くらいは砕けていたかも知れない。君はどちらもあったから、ちょっと肉が抉れて皮が剥がれたくらいで済んだ」


「うっ……」


 肉が抉れて皮が剥がれたって? 患部を想像して吐き気と恐怖が湧き上がるが、死を免れたと思えばたしかに軽傷であると言えよう。


 つむじの方向で黒いものが動き、目を向けると、ミシェリーが不機嫌な顔でブレスを睨んでいた。


「……怒ってる?」

『当たり前でしょ! なんで言霊を使わなかったのよ!』

「あー……ほんとだ、全然思いつかなかったや」


 黒猫の牙がクワっと目前に迫り、咄嗟に目を閉じる。鼻でも噛まれるかと思ったが、触れたのは牙ではなく彼女の柔らかい肉球だった。


 額に押し当てられたミシェリーの温かい手。ブレスは目を開ける。

 ミシェリーは泣いていた。猫妖精は涙を流さないけれど、心で泣いていた。


 背中の引き攣る痛みを無視してブレスはミシェリーに触れる。親指の腹で額を撫で、首筋を撫でる。

 彼女は甘えるようにブレスの手のひらに擦り寄った。


 そのまま顎をくすぐろうと指を裏返すと、ミシェリーはスッと身を引いてピシャッとブレスの手を叩いた。


『あんまり調子に乗らニャいでよね』


 また怒られた。

 でも、同じやりとりが出来ることが、これほど嬉しいことだとは思わなかった。

 彼女が心配してくれたことがあたたかくて、顔が笑ってしまうのを抑えきれない。


「ミッチェ、大好きだよ」

『う、うるさいわね!』


 そうこうしているうちに薬を調合し終えたらしいカナンが、激臭を放つすり鉢を持ちあげていい顔で笑った。不気味だ。


「さて、では縫った傷口に治りの早くなる薬を塗るよ。僕の特製薬だ。内容物は秘密」

「ええ……すごい気になるんですけど……」

『こいつの体液がはいってるわ』

「体液!?」

『ちなみに傷を縫うのに使ったのは髪の毛よ』

「ふふ、ミシェリー、余計なことは言わない」

「否定しないんですか先生! うわあ、やめてください、それを近づけないでくッ……い、痛い痛い!! すごいしみるんですが!?」

「良薬は口に苦いし傷口にもしみるのです」

「そんな格言はありません! うッ、ぐああああッ!」


 ベッドの上でのたうつブレスをミシェリーとクルイークが抑え込む。

 犬の方は仕方がないとしても猫の方は味方だと思っていたのに、なんという裏切りだ。


『自業自得でしょ』


 ミシェリーはフスンと鼻を鳴らす。ブレスは身を守ることの重要性を噛み締めながら、もう二度と捨て鉢になりはしないと決意したのだった。


 傷の手当てが済むと、カナンは諸々の出来事を話し始めた。


 意識の飛んだブレスを、ミシェリーから報告を受けたカナンが回収。

 同じく倒れたまま目覚めなかったエチカは治療所に運ばれて、デイナベルが調べている。


 魔術大会は中断も検討されたが、被害にあった者がどちらも〈遮断の腕輪〉で気配を絶った番犬であったことを考慮して、観客と生徒には事件を伏せているとのこと。


 表沙汰になってもいないのに事件を公表すると、かえって騒動を招く。

 白マントの学長はそのように命じたという。一理ある。


 ブレスが気を失っていたのはほんの一時間程度であったらしく、学舎の敷地ではいまも試合が行われているらしい。


「エチカはまだ意識が戻らないんですか?」

「そうだろうね。デイナから報せは来ていない。君の方は、何が起こったのか知ったようだね」

「はい。エチカが目覚めないのはたぶん、お守りの呪い返しのせいだと思います」


 呪い返しとは、危害を加えようとしたものの力を弾くと同時に、襲われた者が受けるはずであった害を加害者が被る、という呪法だ。


 身を守ると同時に手傷を負わせれば、襲われたほうの生存率が上がる。

 魔術師や魔女の作ったお守りには、少なからずこういった防御の魔術が込められている。


 カナンは頷づきつつも、「しかしそれだけでは説明がつかない」と薬の残りを瓶詰めしながら述べる。


「君は肺を刺されたのだろう。それが返されたと言うのならばその娘は肺をやられているはず。だが娘に外傷はなかったそうだ。辻褄が合わない」

「……砂が。気を失う直前、砂見たんです。意志があるみたいに動く砂。マリー様の家で、見たことがあった」

「なるほどね」


 薄い唇がおもしろそうに笑んでいる。ブレスは複雑な思いで〈魔女会〉に属するひと組の魔女を思い描いた。


 子供のような小さな背丈にガラスの目。ひとつの魂をわかたれてふたつの人形に詰め込まれたという、記憶の魔女と夢の魔女。


「エチカは〈不滅の人形〉かもしれません」


 もし彼女が砂で出来た魔術具ならば、彼女の肺は在って無いようなものだ。


 〈不滅の(パーペチュイティー)人形〉(・ドール)に肉体はない。攻撃を受けた時に傷つくのは、人形に詰められた魂のほうなのだ。


「では、その娘の体を調べいかなければね」


 クルイークがカナンの影に飛び込み、カナンは立ち上がる。

 ブレスは寝台から起きあがろうとし、再び突っ伏して情けない声を上げた。


「先生、痛み止めをください……」


 腕を動かすと背中の皮が引っ張られて縫った傷に響くのだ。これでは何もできない。


 なんと脆弱な、とぶつぶつ言うカナンに〈無痛の印〉を描いてもらい、ついでにシャツを着るのを手伝ってもらって、ブレスはようやく立ち上がる。


 お守りは偉大だ。だが完全ではない。改良の余地あり。

 頭のすみに記録を押し込みつつ、呆れて先に行ってしまった師を追いかけた。



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