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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
6 エルシオンの追跡者
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56話 忍び寄る影

 


 親友と再会したその日の夜、ブレスはカナンの寝泊まりしている宿に向かった。


 本部と治療所から徒歩で十五分の距離にある宿は、簡素な作りながら使い勝手が良い。

 カナンは屋上に薬草畑や果樹が植わった小さな庭がある点を気に入っているようで、宿屋にいる時はほとんど屋上にいる。


 道中、ミシェリーと合流した。二本の尻尾をぴんと立てて前方から歩いてきた猫妖精は、ブレスの前にやってくると後ろ足で立ち上がって前脚を伸ばした。抱っこの要求だ。


「おかえり、ミッチェ」

『疲れたわ。でも面白い話が聞けた』


 大きな黒猫を抱き上げて、眉間を撫でる。

 気持ちよさそうに目を細めるミシェリーの毛並みを堪能しつつ、ブレスは宿屋のドアをくぐる。


「先生は屋上かな」

『でしょうね。月光浴でもしてるんじゃニャいの』

「そっか」


 光を浴びる。風を浴びる。水を浴びる。大地に寝そべる。

 魔術師はさまざまな方法で力を蓄える。


『時には血を浴びて力を得る者も居るらしいわ』

「血を?」


 悪魔や魔物じゃあるまいし、と眉を顰めるブレスを見上げて、ミシェリーはフスンと鼻を鳴らす。


『最近、血を浴びているやつを見たって猫がいた』

「……それは……人間だったのか?」

『魔術師だったそうよ。あやしいわよね。いかにもって感じ』

「特徴は?」

『あのね。お前が猫だったら、獣の血を浴びて悦んでるやつを見かけてその場でじっと観察なんてする?』

「それもそっか」


 逃げるに決まっている。見つかって捕まえられたら、次に引き裂かれるのは自分かも知れない。


『ただ、若い女だったって言ってたわ。声でわかったって』


 若い女、か。


 ブレスの脳裏にひとりの女がよぎる。

 小柄で、口が悪くて、手癖も悪くて、人の背後を取りたがる、黒ローブを被った女だ。


 そうか、魔道学舎の生徒が実行犯とは限らない。番犬たちも魔術師なのだ。

 むしろ生徒たちよりもよほどあやしいではないか。


「ありがとうミッチェ。君のおかげでだいぶ的を絞れそうだよ」

『その割には、あんまり嬉しくニャさそうね』

「……学園に裏切り者がいるんだ。そりゃあ、落ち込みもするさ」


 それにもしもエチカが裏切り者なのだとしたら、彼女と行動をともにしているウォルフは?


 ミシェリーが慰めるようにブレスの手の甲を舐める。子猫を舐めるような仕草だった。

 ブレスは苦笑して、あたたかなミシェリーの首に顔を埋める。


『あんまり調子にのらニャいでよね』


 怒られた。





 カナンは予想通り、宿屋の屋上にいた。

 足元には悪霊犬のクルイークと、馬くらいの大きさに縮んだ竜のテンテラが寝そべっている。


 魔物と魔獣。彼らは夜の生き物だ。

 月明かりのもとで見る彼らは、神秘的でとても美しい。


 カナンは大きなプラムの木にもたれかかり、静かに目を閉じていた。

 また木を相手に、話でも聞いているのだろうか。


「……先生」

「ああ。おかえり」


 エメラルドの目を閉じたまま、カナンは答える。身じろぎもしない。

 ブレスは覚悟を決めて言った。


「番犬に裏切り者がいるかも知れません」

「……ほう。君が同胞を売るとは」

「同胞?」

「ここは君の故郷も同然なのだろう。君は番犬に仲間意識を持っていた」

「たしかにそうです。ですが、目的を思い出しました」


 カナンの目がうっすらと開き、横目でブレスを見た。

 瞼の合間からは月光のような青白い光がちらちらと光っている。

 冷え冷えとした光だ。


「俺は先生の生徒です。番犬ではない」

「……そう」


 再び瞼が閉じ、代わりに唇が弧を描いた。

 ミシェリーが猫の鳴き声を上げて身を捩り、ブレスの腕を抜け出してカナンの膝へ乗る。


 カナンは月光を浴びていつもより数段白さを増した指先で黒猫を撫で、今度は真っ直ぐにブレスをその両眼で射抜いた。


「よろしい」


 その言葉を聞き、ようやく試されていたことに気づいた。


 ブレスは言霊を使う古き者になることをマリーの家で誓った。

 その宣誓がうわべだけのものではないことを、カナンは確かめたかったのだろう。


 番犬が疑わしいことなど、カナンはとっくに気づいていた。

 カナンが待ってたのは、それに気づいたブレスが果たしてどういう選択をするか、という答えだ。


 そして、どうやらブレスはカナンの満足する答えを出せたらしい。


「こちらへおいで。明日は忙しくなりますよ」


 何事もなかったかのように普段の調子を取り戻したカナンに、ブレスは苦笑を浮かべて歩み寄る。

 知り得たことを、包み隠さず全て話した。





 翌日、魔道学舎は早朝から人で溢れかえった。昏睡の原因も解明され、原因の魔獣も捕らえられたとわかれば、観客たちが恐れるものはもはや存在しないも同然だった。


 客入りは例年と同じように賑わい、生徒たちは試合に備えて浮き足立つ。

 勝者には賞金と名誉が与えられる。卒業後の進路も有利になる。


 本気を出す価値のあるトーナメントだ。


 そんな賑わう人々の中に、黒いローブを被った番犬たちが影のように潜んでいる。

 〈遮断の腕輪〉は群衆のなかにあっても役に立つ。


 あの魔術具を裏切り者の番犬が身につけているとなると厄介だ、とブレスは物陰に潜み考える。

 だが抜け穴はある。


 おもな魔術具は人間を相手に作られたものだ。妖精には効力がない。


(ミッチェ、エチカはどうしている?)

(相変わらず星の子供と一緒にいるわ)


 疑わしい彼女は今日も親友と一緒か。ウォルフが敵か味方かわからない以上、ブレスはウォルフにエチカに疑いがかけられていることを話していない。


 ウォルフだけではない。番犬たちは誰も知らない。

 知っているのは、ハオとデイナベルのみである。


 昨晩深夜、カナンはデイナを訪ねて集めた情報を全て話した。デイナはそれを今朝がたハオに話し、裏切り者が誰なのか確証が持てない以上は伏せておこうと結論を出した。


 ブレスはミシェリーと記憶を共有し、彼女をエチカの見張りにつけた。

 妖精に〈遮断の腕輪〉は効かないし、猫は嗅覚が鋭い。

 二又のケットシーともなれば能力は格段に増す。


 念のため他の女番犬たちにも見張りをつけている。


 カナンは学舎の屋根の上。〈姿隠しの印〉と〈遮断の腕輪〉を身につけているため、もはや誰の目にも映らない。


 人であるならば学舎の屋根の上から力は届かないが、カナンは人ではない。

 カナンならば見えさえすれば、どこにいようと関係なく、行きたい場所へ向かえる。


 通り魔の目的はいまだに判らない。快楽犯の可能性も捨てきれないが、わざわざ熟達した教師たちや番犬の見張るエルシオンで犯行を行うのは、リスクが高すぎるように思える。


 なにしろ、半年だ。最初の生徒が襲われて半年もの間、ただただ同じ犯行を繰り返しているというのも妙な話である。


 快楽犯ならばさらなるスリルを求めて行動がエスカレートしてゆくもの。

 その傾向が見られないとなれば、やはり目的があるとしか思えない。


(ミッチェ、絶対に目を離すなよ)

(わかってるわ。こんな変なにおいの女、見失ったりなんかしニャい)


 白マントの学長が高らかに開催を宣言し、客席は歓声を上げる。

 一斉に鳴り響く拍手の合間を、腕輪をつけた番犬たちが人知れず縫い歩く。


 ブレスは本日限りの番犬用黒ローブのフードを目元まで引き下げ、慎重に観客席の見回りを始めた。


 何事も起こらないことを願いながら。


 トーナメントの試合構成は単純だ。

 一対一の戦いが五組。勝ち上がれる生徒は半数以下。

 相打ちの場合は両者脱落となる。


 予選はあらかじめ行われているので、参加者は魔道学科の生徒の三分の一程度である。

 間違っても死人が出ないよう、審判役の教員が一試合につきふたり着いて、必要とあれば受け持ちの生徒を止めに入ったり保護したりする。


 教師の数はそう多くはない。警備にあたる教員レベルの魔術師は、ハオとデイナベルを除けば数人のみだ。

 いささか心もとないが、生徒同士の試合が危険を伴う以上そちらを疎かにするわけにはいかない。


 貴賓席に目を向けると、学長の背後に背の高い黒ローブと小柄な黒ローブが並んで立っている。


 白マントの学長は、その地位に立つにふさわしい実力派の魔術師だ。

 たとえエチカが黒だとしても、学長の側で悪さは出来まい。


 そんなことを考えていると、一試合目の勝負がついた。

 歓声と健闘を讃える拍手が起こり、観客たちは勝者の姿を見ようと一斉に腰を浮かす。


 視界が遮られたその一瞬と同時に、ミシェリーがあっと声を上げた。


(ミッチェ? どうした、ミッチェ!)

(女の黒ローブが倒れたわ!)


 ミシェリーの念話を受けたブレスが、反射的に貴賓席へ首を向ける。

 刹那、背後でゾッとするような気配が立ち上がり、エチカの声で囁いた。


「ねぇ、カナリアはどこ?」

「…………!」


 吐息が耳をくすぐるほど近い。


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