55話 親友との再会
魔術大会は、魔道学問所で毎年開催される一大イベントである。
主役こそ生徒ではあるものの、見物客のなかには周辺諸国の有力者も混じる。
実力のある生徒に若いうちから声をかけておけば、魔術師の資格を取得した後に「お抱え」として引き抜きやすくなるからだ。
生徒同士の決勝戦の後には、教師同士の模擬戦もある。
この模擬戦は勝敗をつけることが目的ではない。
トーナメントで勝ち抜くことはもちろん名誉なことではあるが、生徒が天狗になるようでは困る。
上には上がいる。それをきちんと学ばせるために、大トリとして熟達した魔術師の戦い流れというものを生徒たちに見せるのである。演目のようなものだ。
どのような流れになるのかは、事前に教員たちによって定められているとのこと。
「なんでも今年の手本はハオ先生とデイナさんらしいですよ」
〈番犬の衆〉本部で聞いた情報だ。ブレスは心配でならない。
ハオはなにしろ長年エルシオンで実技教師を勤めているベテランで、デイナベルは去年やってきたばかりの新任だ。
ハオに教えられた経験のあるブレスに言わせれば、デイナベルに勝ち目はない。
模擬戦とはいえ怪我をするかも知れない。
流れが決めてあったとしても、ハオは馬鹿力なので手加減ができない。
心配のあまり犬のようにウロウロとその辺を行ったり来たりするブレスを見、カナンは呆れて首を振った。
「デイナのことは心配不要。そんなことより少しでも敵方の情報を集めなさい」
「そんなことって!」
「デイナは弱くなどないし、ハオ・チェンも馬鹿ではない。デイナを傷つけるようなへまはしません。君、わかっているのですか。人が集まるのだから、騒ぎに乗じて敵が何かを仕掛けてくる可能性も否定できないのですよ」
「たしかにそうですけど……」
「君の心配は杞憂です。我々は問題を片付けて早く次の国へ行かなければ……」
言葉の後半を半ば独り言のように呟き、カナンは外套を翻して行ってしまった。
カナンは、昨日今日と情報収集に飛び回っている。ブレスは〈番犬の衆〉の黒ローブたちに接近し、内部の情報を聞き出す役に徹している。
カナンはどうも魔術師たちに「油断ならない相手」という印象を持たれてしまうらしい。
その点ブレスはもと魔道学舎の生徒であったということも手伝って、比較的受け入れてもらえている。
カナンに比べれば、ではあるが。
故に内部を探るという仕事を任されているのだ。それを思い出し、ブレスは自分が情けなくなった。
目先の些事にとらわれて、本当の目的を見失っていた。
ふー、と大きく息を吐き、気合を入れ直す。
「ミッチェ、悪いんだけど君も手伝ってくれる? 情報収集」
『しかたニャいわね』
背嚢の上でくつろいでいたミシェリーが軽やかに地面に降り立ち、そのまま「猫です」という顔で歩いたかと思うと石壁に飛び乗り、あっという間に屋根の上へ。
きっと耳寄りな噂話を集めてきてくれることだろう。
ブレスは己の役目を果たすべく、〈番犬の衆〉本部へ足を向ける。
比較的受け入れてもらえているとはいえ、ブレスは本部へはいるための合言葉を教えてもらっていない。
協力者ではあり、部外者ではない。だが、仲間でもない。
黒ローブたちのブレスへの認識はそんなところだ。
故にブレスが本部へ入りたければ、ブレスの顔を知る黒ローブが出入りするのをドアの外で待つしかない。
比較的人の出入りの多い部屋なのでそう待たされることはないが、扉に〈目〉の印でも描いておけば監視の面でも便利だろうにと思う。
もしやわかりにくい場所に〈目〉や〈耳〉の印が描かれていたりするのだろうか。
ちょっとした好奇心に駆られたブレスは、寄りかかっていた壁から離れ、絨毯の裏や天井や花瓶台の柱などを調べ始めた。
どの印がどのように使われているかを知るのは大層勉強になる。
そんなことを考えつつ、壁に飾られた絵画の額縁を調べていると、背後に人影が立った。
「っ!?」
「お前、何者だ?」
首筋に冷たい鋼が押し当てられる。まずい、ナイフだ。
こんなに接近されるまで気づかなかったのは、黒ローブたちが身につけている魔術具〈遮断の腕輪〉のせい。
動いたら確実に首が切れる。
緊張に強張るブレスは、それでも落ち着きを取り戻そうとひとつ深呼吸をする。
「あやしい者ではありません」
「あちこち調べ回っておいて、よくそんなことが言えるな」
「た、たしかに……」
客観的に己の行動を省みてみると大変あやしかった。
どう見ても完全に不審者だ。
思わず納得してしまうブレスである。
「ご、ごもっともですが、ハオ先生やデイナさんから協力者の話を伺っていませんか? 俺はその協力者です」
「協力者……〈古きもの〉の?」
「古くない方の協力者です。〈古きもの〉は俺の師というか、先生です」
「……情報は一致しているか。失礼した」
首から刃物が退けられ、ほっとした。
相手を刺激しないようにゆっくりと振り返る。
黒ローブはふたり。
片方は背が高く、片方は小柄だ。
小柄な方は線が細い。女だろうか。
「〈遮断の腕輪〉は便利ですね」
やられましたよ、と茶化しながら名乗ろうとしたその時、背の高い方があっと息を呑んだ。
「オ、オリーブ?」
「もしかして……ウォルフ?」
背の高い黒ローブが被っていたフードを脱ぐ。
明るい茶髪があちこち跳ねたひどい癖っ毛に、同じ色の意志の強そうな目。
今は驚きでまんまるに見開かれたその目が、ブレスを見て次第に喜色に染まっていく。
「やっぱり! ひっさしぶりだなぁ、赤い悪魔!」
「相変わらず底抜けに元気だね、若獅子の星!」
学生時代の通り名を呼び合い、肩を抱き合う。
学生時代の親友がまさか黒ローブに居ただなんて、こんなに嬉しい想定外はない。
過去の話をしよう。
ブレスが魔道学舎にいた時、名前はオリーブだった。
孤児院での名前をそのまま使っていたので、通り名の枕に「聖リリー孤児院の」がついたのである。
一方この学生時代の親友は、「親からもらった名前は真名だから」という理由でウォルフを名乗っていた。
ウォルフとは、夜空に輝く〈天翔ける大獅子座〉に属する星の名前だ。
跳ねた明るい茶髪がたてがみのようにも見えたことと、そのやんちゃな性格からついた通り名が若獅子の星、というわけだ。
彼はブレスが悪童だった時代から、更生して模範生になったあともずっとブレスの友でいてくれた、唯一無二の親友である。
留年せずに卒業したはずの彼が魔道学舎で黒ローブをやっているとは、まさか思いもしない。
「今の名前はエミスフィリオなんだ。先生に伴って旅をしてる」
「俺は今もウォルフだ。この名前、気に入ってるから。それにしても〈古きもの〉の弟子なんてすごいじゃないか。さすが優等生」
「あはは……昔はそうだったけど、今はむしろダメダメだよ。いるだろ、学校では優秀でも外ではうまくやれないタイプ。それだよ」
「神童も二十歳過ぎればってか」
「神童じゃないし、二十歳も越してないし」
懐かしさに笑い合うブレスとウォルフを前に、小柄な黒ローブが舌打ちをした。
「ちょっと。こんなところでいつまでもダラダラ話すのはやめてよ」
やはり女の声だ。苛立っているのか、神経質な性格なのか、剣呑な口調で彼女は言う。
ウォルフは彼女の声に状況を思い出したのか、背筋を伸ばして笑いを引っ込めた。
「っと、悪い。じゃあオリーブ……じゃなくてエミスフィリオ? とりあえず中で話そうぜ」
「そう言ってくれるのを待ってた」
ウォルフがドアをノックし、小声で合言葉をかえす。
ドアが開くとウォルフは真っ先に入っていった。彼らしい。
名を知らぬ彼女に先を譲ろうと立ち止まるが、彼女は頑として動かない。
(ひとの背後を取りたがる人間がここにもひとり、か)
内心そんなことを考えながらブレスが部屋へ入ると、彼女は音も立てずにドアを閉めた。
室内で話を聞いてみれば、ウォルフは番犬たちのまとめ役であったらしい。
全体の長と副長がハオとデイナベルならば、ウォルフは班長といったところだ。
ブレスが班長と旧知の中であったことを知った番犬たちは、わかりやすく態度を軟化させた。
ウォルフは昔から人望が厚い。
「それで、君はなんでエルシオンにいるんだ?」
気になっていたことを率直に訊ねる。ウォルフはちょっと肩をすくめて、成り行きなんだけど、と前置きしつつ答える。
「就職したからだよ、学園に。お前、知ってた? 番犬って、ほぼ全員この学園の卒業生なんだぜ」
「……知らなかった。そうだったのか……」
知れば納得出来る話だった。
番犬が本来国家資格を得なければ着用を許されない魔術師のローブを着ているのは、彼らが名実ともに魔術師であったため。
そしてハオが番犬を「生徒たち」と呼ぶのは、教え子であったから。
なるほど、どうりで「卒業生である」という理由だけでは番犬たちの信用を得られなかったわけだ。
周りがみんな卒業生なのだから、彼らにとってはまったく特別なことではない。
「本当は裏方の仕事なんだ。まあ魔術師だから元々裏方みたいなものだが」
「わかるよ、教師みたいな立場じゃないってことだろ」
「そう。そうだったんだけど、今年は物騒だったろう。こんな状況だから、あえて表だって動いた方が敵方への牽制になるだろうって、デイナベル様が」
「デイナベル様? 先生じゃなくて?」
ウォルフが「しまった」という顔をして、小柄な彼女がウォルフの横腹に思い切り肘鉄を叩き込んだ。これは痛い。
ぐふっと息を詰めて長机に突っ伏したウォルフに、彼女は冷たい声を浴びせた。
「ペラペラ喋ってんじゃないわよ」
「……す、すまん……」
ウォルフが文句一つ言わない。恐ろしい女だ。
ブレスは思わず生唾を飲み込んだ。
「今のは聞かなかったことにしてくれ」
「あ、ああ、うん……それでウォルフ、この子は……?」
恐る恐る訊ねると、彼女は「この子ですって?」と狂犬さながらの迫力で凄んできた。
怖い。怖すぎないか、この女。
「私はエチカ。立場はコイツと同じ。班長、デイナベル先生の直属の部下。そしてね、コイツとあんたが同い年なんだったら、私はあんたより歳上よ」
嘘だ、こんなに小さいのに?
思わず出かかった言葉を危ういところで飲み込み、ブレスは愛想笑いを浮かべて誤魔化した。
もし思ったままの言葉を言っていたら、今頃ウォルフと同じように痛む箇所をさすっていたに違いない。
とにかく〈番犬の衆〉のまとめ役ふたりと顔を繋がりを持てたのは良かった。
ウォルフと情報交換をしながら、ブレスはちらりと報告書に目を通しているエチカを見る。
彼女は黒ローブのフードを被ったまま、誰の会話にも混ざらずにウォルフに張り付いていた。
まるで監視でもしているかのように。