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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
6 エルシオンの追跡者
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54話 疑わしき者は誰だ

 

 獏に夢を喰われ続けていた被害者たちが目覚めた。その知らせを受けた〈番犬の衆〉隊長ハオ・チェンは、すぐさま治療所へ馬を走らせた。

 ひとりで向かうのならば、馬車を使うより単騎で駆けた方が早い。


 癒者らはハオの姿を見、笑顔を浮かべた。彼らの目には安堵と喜びが浮かんでいる。

 報告は真実であったのか。


 デイナベルの報せを疑っていたわけではない。しかし半年もの時をかけて誰一人として目覚めさせることが出来なかったハオにとって、それは余りにも待ち侘びて、もはや叶わぬ願いと諦めかけたものになりかけていた。


 たったふたりだ。協力者がたったふたり増えただけのこと。

 それが、七日足らずで何をしても駄目だった生徒たちを目覚めさせてしまった。


 治療所の奥へ大股で向かい、礼儀も忘れてドアを開け放つ。


 デイナベルが子供たちと言葉を交わし、微笑んでいる光景が目に焼きついた。


「……ああ……」


 その場で膝を折ったハオに、デイナベルが駆け寄る。

 デイナは優しい紅葉色の目を細め、柔らかく微笑んでいた。


「ハオ先生、見てください。皆、目覚めたのです。もう大丈夫ですよ」


 そっと肩にかけられたデイナの手を握り、ハオはうつむいたまま歯を食いしばった。


「よかった……よかったなぁ」


 治療所の床にぽたぽたと涙が落ちる。

 ハオ・チェンは男泣きに泣いた。





 ハオが落ち着きを取り戻した頃を見計らってデイナベルはお茶を淹れた。


 薄荷とカモミールと蜂蜜を少々。

 甘いりんごの香りのカモミールが気持ちを落ち着かせ、薄荷がスッと染み込んで頭をすっきりさせてくれる。


「それで、カナン様が獏を己の夢に誘き寄せて捕らえ、彼らは意識を取り戻したという次第です」

「そうか……」


 デイナの説明を一通り聞き終わったハオは、獏か、と呟き、椅子の上に鎮座する奇妙な獣を見つめた。


 その獣は犬よろしく前足を交差させて「伏せ」の姿勢で大人しく座っている。

 動いていなければモップと間違えそうだ。


「本当にこれが学園の人々を苦しめた魔物なのか?」

『獏たる己は魔獣。低俗な魔物ではないのである』


 突然言葉を発したモップ──もとい獏に、ハオはびくりと仰け反った。

 デイナベルは微妙な顔で獏を一瞥し、「シクタムは口がやたらと達者で」と呟く。


「シクタム? それがこやつの名前か」

「ええ、カナン様が血の締結を上書きして獏を使役に下しました。二度と悪さのできぬようになるべく沢山の人に名前を広めてしまえと仰って」

「そうか……使役は奪い取ることが出来るのか。〈古きもの〉とは類い稀なる力を持っているのだな」

「あのかたは……」


 言いかけ、デイナベルは口を噤む。カナンはおそらく人ではないだろう。

 〈古きもの〉であるというのも嘘ではない。だがその本質は、おそらく全く別のものだ。


 しかしそれをこのハオ・チェンに言ってどうなると言うのか。ハオは大柄で、熊のような外見から「考え足らず」といった印象を持たれることも多いが、実際は慎重な男だ。


 それは野生の獣の慎重さである。

 獣は人間がいくら甘やかな言葉で言いくるめようとしても無駄だ。

 獣は時間をかけてゆっくりと距離を縮める生き物だ。


 そうしてやっと信用を得たとしても、一度でも矢を放ってしまえば二度と近づいてこない。

 例えそれが過ちで飛んでしまった矢であっても。


 黙り込んだデイナに何を思ったのか、または思わなかったのか。

 ハオは茶を飲み干して言った。


「カナン殿ともう一度話がしたい。獏を捕らえたとはいえ、敵の目的がわからぬ以上まだ気は抜けぬ。こやつの前の主人を捕らえぬことには……」

「そうですね。カナン様もそう仰って、先程出てゆかれました。あの子……エミスフィリオと共に」

「なんだと!」


 ハオは寝耳に水とばかりに頓狂な声を上げた。おかしいではないか。


「ならばなぜ、使役に下されたというそこの魔獣がこの病室でのほほんとしているのだ」

「ああ、それはですね」


 デイナの目からふっと光が消える。またしても微妙な表情を浮かべるデイナに、ハオは眉を八の字にした。

 何があったのだ、何が。


「あのかた、シクタムを私に譲渡したのですよ。僕は獏なんか要らない、と仰って……ですので、この獏はいま私の使役です」


『ひどいのである。獏たる己は魔獣にして珍獣なのである。それを下しておきながら要らないだなんてあんまりなのである。たらい回しにされる獏たる己の身にもなってほしいのである』


 獏はめそめそと泣き言を言っている。


 ハオは沈黙した。かわいそうに、デイナはこの面倒くさい生き物を押し付けられてしまったというわけだ。

 なんと憐れなデイナベル。


「……それは……なんと言えばよいか……」


「ふふ、いいのですよ、思ったことは正直に言って頂いて。それに案外、適材適所なのかも知れませんし」


 獏という生き物は夢を介して人間の魂に干渉する。解呪師であるデイナベルが入り込めない魂の内側にまで、この獏は隙間さえあれば入り込めるのである。


「夢を反芻させるだなんて、厄介な能力の使わせ方をさせるものだと思いましたが……確かにこの獏という生き物は、使いようによってはとても役に立ちそうです。仕込めば、解呪のためのいい相棒になってくれるかも知れません」


 口ではそう言ってはいるものの、やはりデイナベルの顔が死んでいる。

 自分自身に言い聞かせようとしているように見えるのは、ハオの気のせいだろうか。


『こうして獏たる己はまたしても魔術師にこき使われるのであった』

「そうですね、少なくとも我々を苦しめた半年分の仕事はして頂くつもりですよ」


 何やら据わった目で、彼らしからぬ笑みを浮かべながら言い放つデイナ。


 ハオはデイナベルに心の底から同情した。





 一方その頃、カナンとブレスは〈姿隠しの印〉を身体に描いて他者の目から隠れつつ、エルシオンを歩いていた。


 意識不明であった生徒たちが目覚めたとの知らせは、早くも都市に広がっているらしい。

 所々で安堵の涙を流す者や、笑顔を浮かべる者とすれ違った。


 使役の獏を奪われた魔術師は、きっと今頃悔しさに歯噛みしているに違いない。

 せっかくの都合の良い、めずらしい道具を失ったのだ。


 昏睡の解明がなされた今、人々の通り魔への恐れは格段に目減りしている。


「とはいえ、物事というものは人々が油断している時に悪化するものです。大抵はね」

「そうですね。敵の二番手や三番手が出てこないとも限らないのに、なんというか……」


 楽観的だなぁ、とブレスがぼやく。カナンは苦笑し、無理もないでしょう、と答える。


「だからこそ我々が、きちんと目を光らせておかなければね」

「はい。ところで先生、今回の通り魔ですけど、誰だと思います?」

「誰、とは?」

「部外者なのか、エルシオンの──魔道学舎の関係者なのか、ということです」

「ああ」


 ブレスの言わんとすることを理解し、カナンは目を細める。この生徒も成長したものだと考えながら「後者でしょうね」と断言した。


「ハオ・チェンもデイナも、それを疑っているようですし」

「やっぱり……」


 〈番犬の衆〉の本部を訪れた際、ブレスははじめの被害者が魔道学舎の近くで襲われている、と言った。

 言外に魔道学舎の者が疑われているだろうと指摘したのだ。


 ハオはそれに対して「厄介なことに」と答えている。


 魔術師が犯人だとわかっている現状では、魔道学舎の者が疑われても仕方がない。

 しかし絶対にそうではないと言い切れる状況であるのならば、ハオのことだ、ブレスがそれを指摘した時に「それはあり得ない」と断じたはず。


 それなのに、「厄介なことに」である。

 これは明らかに、ハオたちも内部の者が騒動を起こしている可能性が高いということを疑っている。


「恐らく教員ではないと思います。仮面の男は真っ先に教員を全員取り調べたでしょうからね。あの男の前で嘘をつける人間はいない」


「……たしかに、生徒であれば毎年出入りがある……学長も生徒全員を取り調べることは流石に出来ないですよね、保護者が許さないでしょうし。じゃあ今年入学してきた生徒……とも限らないか、ううん……学年は断定できませんよね」


「そうだね。外部から命じられて動いている可能性もある。しかし、凡庸な生徒でないことは確かです」


 それはそうだろう。魔術の腕に長けていない者が獏を捕獲し、半年にわたって犯行を続けることなど出来るはずもない。


「優秀な生徒を集めて、尋問──じゃなかった、事情聴取をしてみる、とか?」

「それだと相手にたどり着く前に逃げられてしまうでしょう」

「そっか……うーん」


 何かいい方法がないだろうか。ブレスは考える。

 相手に知られず、疑わしい者に目星をつける方法だ。


「……あ。そういえば、魔術大会があります。学園の伝統で、トーナメント式で実技の腕を競い合う大会なんですけど」


「ほう。それで?」


「学年関係なしの個人戦なので、実力者を炙り出すにはちょうどいいんじゃないでしょうか。時期的にもそろそろ……ああ、ほらこれ、広告ですよ」


 掲示板に駆け寄ったブレスが示す魔術大会の告知を記したそれは、古めかしいことに羊皮紙で出来ていた。

 なるほど、伝統だ。


 ふむ、とカナンは顎を撫でる。日付は二日後。お誂え向きではある。


 相手が爪を隠すタイプの魔術師であれば、こういった大会で力を見せつけるような真似はしないだろうが、しかし、有能であることを隠すのは、思いの外難しいもの。


「せっかくですし見ていきましょうよ、先生。結構見応えあるんですよ」

「……君、実は大会を楽しみたいだけなのでは?」


 何やらうきうきとしていたブレスは、疑いの目を向けられて口ごもり「それだけじゃありません」と言い訳をする。


 カナンは仕方なさそうにため息をついた。

 成長したとはいえ、まったく、まだまだ子供な生徒である。



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