50話 ハオと学長と番犬
「グレてたんですよ」
突進の大男、ハオの後に続いて歩きながらぼそぼそとブレスは言った。痛む腰をおさえながら。
「俺、孤児院で育ったでしょう。まわりは何かをなそうとか考えてないひとたちばかりで、勉強する俺は馬鹿にされてました。それでも頑張ってこのエルシオンの魔道学問所に自力で入った。だけどいざ入ってみたら」
この学園で勉学に励む同年代のものときたら、恵まれた家の出の子供ばかり。これが出生の差なのかと愕然とし、孤児院の連中の冷やかしに耐えていた自分の境遇はなんだったのかと怒りがわいた。
誰が悪い、という話ではない。育った環境が良くなかったのだ。
強いて言えばブレスの運が少しばかり悪かった。
行き場のない怒りは、ブレスの力になった。この日和った連中に負けてなるものかと、ブレスは怒りを動力源に勉学に打ち込み、実技では容赦なくペアを打ちのめし、一学期からすでに主席であった。
ただし素行が悪かった。怒りやら闘争心やらを糧に生きていたのだから当然だ。その素行の悪さのために、次第にブレスの周囲には気の荒っぽい連中が集いはじめた。
魔道学の生徒のみならず、他の学科から年上の連中までつるみはじめた。故にブレスは一年めにして「聖リリー孤児院の赤い悪魔」の異名を学園に轟かせることとなったのである。
いまとなっては、穴があったら入りたいほど恥ずかしい黒歴史だ。
「なるほどね。君も苦労したのですね」
「いま思えば苦労ってほどでもなかったと思います。子供っぽい……なんだろう、劣等感とか?」
「それは過ぎ去ったことだからこそ言える言葉です」
「まあ、たしかに」
そうかもしれない。当時のブレスが荒んでいたのは確かだ。
「それでも挫折せずに前進してしまうあたり、とても君らしい」
カナンは苦笑するが、ブレスは首を振る。
「それは結果論ですよ。怒りって長続きしないんです。抱えていると精神がすり減るんです。怒りをエネルギーに動いていると、そのエネルギーを使い果たした時に動けなくなる。だってエネルギーと動機が同じなんだから」
「……なるほど」
「俺が立ち直れたのは、魔道学問所に俺と向き合ってくれた先生たちが居たからです。そこのハオ先生とか」
意外そうな目でカナンが前方をゆく大男を見る。大股でずんずんと歩を進める男はハオ・チェン、魔道学部の実技担当の教師だ。
ちなみに、この男を見たカナンの感想は「変な生き物ですね」だった。
間違ってはいないが、ブレスとしてはもう少し歯に絹きせた言い方でお願いしたい。
逆にハオがカナンを見た時の反応は奇妙だった。奇妙ではあったが、見覚えがあった。
かつてのシルヴェストリが、カナンとはじめて会った時と似たような目を向けたのである。
警戒と敵意と緊張の混じり合った目だ。ブレスが平気な顔でカナンと話していたためか、敵意はだいぶ薄れたようだが「敷地内では部外者の使役の召喚は禁止事項とされている」と釘を刺していた。
確かにブレスが生徒であった時も使役の使用には多少の制限があった。
けれど、禁止事項ではなかった筈だ。ハオの反応も過剰であったように思える。
黒ローブを纏った、生徒たちとハオが呼んでいた彼ら──おそらく魔道学部の生徒だろうが、彼らが存在を遮断する特殊な魔術具を身につけていたことも妙といえば妙。
まるで何かを警戒して、気も抜けないような様子ではないか。
(こんな場所じゃなかったんだけどな)
ブレスが荒れたのもこの場所だが、毒を抜いてくれたのもこの場所だ。いわば心の故郷である。
故郷には平穏であってほしい。かつてのエルシオンのような、学生たちが夢を見、目を輝かせられるような場所であってほしい。
「長々と歩かせてすまなかったな」
ハオが立ち止まり、ふたりを振り返る。ブレスは懐かしい思いで頭上を仰ぐ。
赤煉瓦色の壁、白い窓枠が数えきれないほどに並び、装飾的な三角の屋根が正面にみっつ。
壁が蔦で半分以上覆われている、古く伝統ある校舎だ。
「ここがエルシオンの魔道学問所だ。其方らには学長に会っていただくのが宜しかろう」
「……いきなり学長かぁ」
ブレスは遠い目をした。これは間違いなく、なんらかの問題が起こっているとみて間違いない。
そしてこのハオ・チェンは、その問題にブレスとカナンを巻き込もうとしているらしい。
(やっぱり、面倒ごとに関わるように仕組まれているんじゃないのかなぁ……)
プライラルムへの疑いが増す一方で、ブレスは久しぶりに訪れた学舎に心を弾ませていた。
状況が未知でも深刻でも、懐かしいものは懐かしいし好きな場所は好きなのだ。
古めかしくもきちんと手入れをされた歴史ある校舎を歩きながら、時折黒いローブを着た生徒とすれ違った。制服、ではない。
ローブというものは本来、試験に合格し、国家資格を得て、〈宵の火の宴〉で誓いを立ててから始めて纏うことを許されるもの。
奇妙に思いつつも階段を上がり、最上階へ。
彫刻を施された漆塗りの両開きの扉の前に立ったハオ・チェンは、ドアノッカーをゴンゴンと派手に鳴らして来訪を告げた。
さて、この魔道学問所の学長は誰にも名を名乗らない。
呼び名さえ持たず、姿も日によって異なる。年齢も不詳だ。
学長を学長たらしめるものはただひとつ、彼の纏う白色のローブである。
ローブを纏う資格を得た数多の魔術師の中でも、わざわざ目立つ白のローブを纏う物好きは、この男の他には存在しない。
彼の通り名は〈仮面の男〉。エルシオンのなかでも指折りの、曲者である。
本日の学長は金髪を長い三つ編みにした、青い目の男だった。現役を引退した騎士のような、気迫のある中年男性が白色の魔術師用ローブを纏っているのは、いささか不釣り合いではある。
カナンは学長を一目見、一瞬だけ「あ」という顔をした。
人の記憶に残らないカナンのことだから、きっと学長を一方的に知っていたのだろう。
学長はまずカナンを見た。つ、と青い目がカナンに向き、わずかに細められる。
カナンはそれをいつもの作り笑いで受け流す。学長は何も言わない。
ついでブレスに向けられた彼の目は、仄かな驚きを含んでいた。
「君。うちの生徒でしたね? たしか赤い悪魔とか呼ばれていたような……」
「今はエミスフィリオなのでその恥ずかしい通り名は忘れてください!」
「ふうん……」
いったい何が「ふうん」なのか。ひとりで納得しないで頂きたい。
学長は何やら嬉しそうな笑みを浮かべ、ハオ・チェンに向き直った。
「それで、ハオはどうして彼らを私の部屋に連れてきたのです?」
「は。彼らが実力者と見込んで連れて参りました。彼らならば、この学園で起こっている事態が解明できるのではないかと」
忠実な教員を褒めるかと思いきや、学長は笑顔を大袈裟に困り顔に変えて、わざとらしく額をおさえた。
「おやおやおや。これは困りましたねぇ。うちの教員が、何やら強引にことを進めてしまったようで。申し訳ありませんでしたね、そこのあなた……ええと?」
「僕はカナンという名で旅をしている魔術師です」
「そう。カナン殿。ふうん……」
だから何が「ふうん」なのだ。突っ込みたくてむずむずし始めたブレスを、カナンはちらりと横目で見る。待て、とのこと。
最近はカナンの意図がだいぶ読めるようになってきたブレスである。
「僕たちとしましては、協力することに異論はないのですよ。ここはこの子の、大切な場所でもあることですし。こういった面倒ごとを解決する機会があるのならば、とりあえずやらせてみて経験を積ませるのも師としての役割でしょう?」
カナンはなめらかに一息で述べた。ふむ、と頷く学長とほっとした顔のハオ。
一方ブレスは旅の進捗が気掛かりで、本当にそれでいいのか、とカナンを見上げる。
(まあいいんじゃニャいの。これもお勉強でしょ)
背嚢に伸び、肩に顎を乗せたミシェリーの念話を受け、そういうものだろうか、とブレスは俯く。
自分が足を引っ張っているような気がしてならない。
「そう言って頂けるのであれば、我々としてはありがたいお話ではありますけれども」
「ああ、協力に対価は必要ありませんよ。解明できる保証もありませんし、僕としては生徒に知識と経験を積ませることができればそれで構わないので」
「では、無償でやる、と?」
「依頼を受けるという形になると後々厄介ですから、我々が自発的に、あくまで協力する、という形で関わりたいところですね。僕の時間には限りがあることですし」
「なるほど、なるほど」
カナンの口数が多い。ブレスの経験上、この師がよく喋る相手は油断のならない相手である場合がほとんどである。
最後に例の「ふうん」を呟いた学長は、よろしい、とハオに向かって頷いた。
「では、あくまで通りすがりの〈古きもの〉が善意の協力を申し出てくださった、ということに致しましょう。ハオ、お客様を本部へお連れして」
「畏まりました」
ハオは忠実に一礼をして、再び重い木製の扉を開け、押さえる。ふたりが学長室から出ると、ハオはきっちりと扉を閉め、こちらへ、と先導しながら歩き始めた。
ふたりはハオに連れられて学舎を出、すぐ隣に立つ小ぶりな建物へ向かった。
旧学生寮を改装した、現在は食堂と宿を兼営している店だという。
「しかしてそれは表の顔。実際は、現在エルシオンで起きている通り魔事件への対策本部である」
通り魔とは物騒だ。なるほど、この都市の人々が警戒し怯えていた理由がわかった。
ハオは食堂となっている一階を通り過ぎ、2階へ上がる。廊下に出ると、ドアはみっつ。
その真ん中のドアを独特なリズムでノックをすると、向こう側からボソボソとした呟きが聞こえ、ハオも同じくボソボソと返事を返す。合言葉の類だ。
鍵を開ける音がしてドアが開いた。中へ、と促されて部屋へ入ると、ハオが続いてすぐにドアを閉めた。
うすうす気づいてはいたが、この男は出入り口でカナン背後を取る。
師が信用されないのはなかなか苛立たしいものがあるが、事情を思えば仕方がない。
部屋の中には長テーブルと、椅子が三十余り。
あの黒ローブを着た人々が、話し合いを中断して一斉に顔を上げる。
「皆のもの。紹介しよう、新たな協力者だ。そしてお客人、ようこそ。ここが通り魔への対策本部とその隊員、〈番犬の衆〉である」




