42話 来襲と応酬
急いで家を出ようとするあまり、ブレスは勢いよくアーチドアを開け放った。
壁に叩きつけられたドアのはめ窓が、音を立てて激しく砕け散る。
なんということだ。
ついに自分までもがドアを破壊してしまうとは。
まったく、マリー様でもあるまいに。
畑に散らばっていたドア係から口々と罵声を浴びせられ((彼らもマリー以外には怒るのだ)、ごめん、と通りすがりに叫びながら森へと走る。
いくらも走らないうちに状況がわかった。
たくさんの松明を掲げた数十人余りの人々と、買い出しにでかけていた魔女たちが剣呑に睨みあっているのだ。
「おいおい、お前たち。少し落ち着いて話をしようじゃないの」
マリーは半笑いを浮かべながら仲裁を試みているが、魔女も人々も聞く耳を持たぬ様子である。
「マリー様、いったいこれは……なにがあったんです」
「やあ、フィー。揉め事さ。大丈夫、よくあることだ。悪いんだけど、ちょっと家に入っててくれる? 危ないから」
「……危ないとわかっているのに、皆さんを置いていけませんよ」
訪問者から目を離さないでいたマリーがちらりと振り返り、小首を傾げてはにかむ。
「君って本当に可愛い子」
「俺も一応男子なので、可愛いって言われるのは微妙です」
それもそうか、ごめんごめん、とマリーはぱたぱた手を振った。
「いやぁね、帰り道を彼らに着けられてしまったのだよ」
同じ人間がずっと後をつけてくれば魔女たちも気づく。
しかし近隣の住民たちが手を組んで、あちらこちらに散らばって情報を共有されたとなれば、どうか。
「まさかすれ違うやつらが全員まとめて敵にまわるとはね」
なるほど、そんな尾行の方法があるのか。
悠長に関心していると、人の群れの中から一人の女が叫んだ。
「うちの旦那を返してよ! この売女!」
売女とはひどい言いようだ。
ひとりが発言したことに触発されたのか、村人たちは口々に声をあげた。
「嫁が出ていったきり戻ってこない! お前らのせいだ!」
「作物が枯れちまったのもお前らがここに住み着いたからだろう!」
「うちじゃ家畜が死産したんだ!」
「男らがでかけったきり行方不明なんだよ!」
「全部お前ら魔女どもがやったことだろう!」
このあたりになると、忍耐強く話を聞いていたブレスも、流石に首を傾げた。
嫁が出て行ったのは愛想を尽かしたためだろう。
作物が枯れたのは日照りのせい。
家畜が死産することだって珍しくない。
いったいこれらのどの辺が、彼女たちの仕業だと言うのか。
「悪いことはみーんな魔女のせいってか」
ぞっとするような声音で、炎の魔女が言った。
彼女の過去を知っている今、ブレスにはわかる。
この状況は凄まじくまずい。
なにしろ彼女たちは、一人残らず迫害を経験済みなのだ。
過去を彷彿とさせるこの状況が、恨みを呼び起こしてなんの不思議があるだろう。
炎の魔女の言葉を聞いた他の魔女たちも、なにやらにまにまと不穏な笑みを浮かべている。
頼りになるかと思っていたマリーは、むしろ状況を愉んでいるかのように傍観している。
「どうやって痛ぶったら、反省してくれるかしらねぇ?」
普段おっとりとしている貌の魔女さえこの調子である。
おとなしい水晶の魔女はどうかと視線を巡らせれば、彼女はなんと誰よりも殺気立っていた。
彼女の小さな唇は「火炙りは嫌、火炙りは嫌」と引き攣った笑いを浮かべながらぶつぶつ繰り返している。
まるで絞首台を前にした死刑囚のようだ。
目がやばい。
「み、皆さん。少し落ち着きましょう。誤解ですよ。無用な争いは避けたいでしょう? ね?」
間に立って説得を試みるが、しかし誰一人として耳を傾けてくれるものはいなかった。
唯一返事をしてくれそうなマリーを振り返るが、やはり彼女は傍観を決め込んでいる。
仕方なさそうに肩をすくめつつ、けれど面白そうに笑いながら、彼女は言う。
「無駄さ、フィー。これが人間ってものだろう」
「全部の人間がこうではありませんよ!」
「魔女に突っかかってくるような人間の事さぁ。ひとりじゃ何にも出来ない小心者だから、大勢で群れを作って獲物を狩るんだ。群れる人間は自分と違うものがいると、怖くて安心して眠れない」
「でも彼らが群れたところで彼女たちに半殺しにされるだけじゃないですか!」
「半殺しで済むといいけどねぇ」
洒落にならない。
このままでは大地が血に染まってしまう。
尚も説得を試みようと、ブレスは両手を降参の形に上げて村人たちに歩み寄る。
先頭の男を見てみれば、なんと見覚えのある顔をしている。
今朝の散歩の時にブレスが挨拶をした男だった。
この男ならば話が通じるだろうか、とブレスは一縷の望みを欠けて近づいた。
「あの、今朝はどうも……うわ!?」
不意打ちだ。
先頭に立った男が突如として松明を捨て、ブレスの手首を掴み捻り上げる。
気づけば頬を擦る湿った土、胸を打ち、背中を膝で圧迫されて息が詰まった。
「ぐえっ……!」
「随分と売女どもと仲が良いらしいじゃねえか。お前はこのまま人質に──」
男の声が途切れる。
彼を取り囲無用にして集っていた人々は、恐怖と異変にどよめきを上げ、潮が引くように下がり始めた。
苦しい呼吸の中でブレスが見たものは、松明の火に照らされた地面に伸びゆく黒く巨大な影。
「ヒ、ヒィィ!」
悲鳴を上げた隙をついて男の拘束から逃れると、目の前に立ちはだかっているものの姿が見えた。
──ああ、これは逃げたくもなる。
『うちの子に汚い手で触るんじゃないよォ!』
男の前に仁王立ちになった見上げるほど大きな赤毛の熊が、マリーの声で吠えて突進した。
一瞬で戦意を喪失した哀れな男が吹き飛ばされ、あっけなく失神する。
それを皮切りに魔女たちが次々と猛獣に姿を変え、魔術を使い、呪いを吐く。
目の前で繰り広げられる地獄絵図。
もはや村人たちに、なすすべもない。
機を伺っていたシルヴェストリに襟首を掴まれ、引きずられるようにして遠ざけられる瞬間まで、ブレスはただただ呆然と彼女たちの嗜虐性の溢れる魔術の洪水を見つめていた。
「かっこいい……魔術ってああやって使うんですね……」
「アレを参考にするのはやめろ!」
協会長はそういうが、この光景を見てほしい。
山羊や豚に姿を変えられた村人たちが鳴き喚きながら駆け回り、竜巻に巻き込まれた男が吹っ飛ぶ。
大きな狼の群れに変身した獣の魔女に追い立てられた男が、木にしがみついて許しを乞う。
使い魔のコウモリやカラスに群がられて突き回されて、傷だらけになった女が腕を振り回す。
嵐の魔女が雲を呼んで雷を落とし、夢の魔女が悪夢に誘い、水晶の魔女が底なし沼を出現させて容赦なく逃げまどう人々の足を絡め取る。
熊から人の姿に戻ったマリーが、それを眺めてアハハハハと盛大に笑い転げている。
ひどい。
確かにこれはひどい。
だが、誰も死んでいない。
一人残らず魔女たちに遊ばれているが、彼女たちは手加減を知っているのだ。
アレでも。
炎の魔女が炎を奪い取って松明の山を作り、まるで焚き火を囲む夜祭りのような有様になっている。
村人たちで遊ぶことに飽き始めた魔女たちが、炎を囲み、髪やスカートを靡かせて踊り始める。
(これが混沌か……)
収拾のつかなくなった事態を前にシルヴェストリが黄昏れていると、背後でガシャンとドアの壊れる音がした。
振り返れば、カナンが目の前の惨状に絶句して立ち尽くしている。
カナンは大きくエメラルドの両眼を見開き、怒り浸透といった様子で大股に庭を突っきって叫んだ。
「サハナドール! これは一体何事だ!!」
サハナドールだって?
カナンの怒声に飛び上がったマリーは、「ヒトの真名を勝手にバラすなよ!」と負けじと怒鳴り返す。
ブレスとシルヴェストリはただただ呆気にとられ、驚きのあまりに開いた口が塞がらない。
父神サタナキアの子は全部で四人、娘は二人。
そのうち秋を作った女神の名が、サハナドール……であった、はずだ。
女神。これが?
冬の翼と秋の娘が怒鳴り合いの口喧嘩を始める珍妙な光景を前に、ブレスは思った。
「……神様って、なんだっけ?」