41話 ブレスの進むべき道
昼過ぎ、最後の魔女たちが到着した。
無の魔女と護りの魔女だ。
これで全ての招待客が揃ったことになる。
予言の魔女。
嵐の魔女。
獣の魔女。
炎の魔女。
水晶の魔女。
記憶の魔女。
夢の魔女。
書の魔女。
身替わりの魔女。
貌の魔女。
無の魔女。
護りの魔女。
豊穣の魔女マリーを合わせて十三人の魔女たちは、各地で最も強い魔女の集い、〈魔女会〉のメンバーであった。
「よーし! 早速今夜から宴会だ! 朝まで飲もう! 寝て起きたらまた飲もう!」
マリーはご機嫌に宣言し、意気揚々と使い魔たちをこき使い祝宴の準備を始めた。
無の魔女と護りの魔女は「ひと眠りするわ」とお疲れの様子でベッドへ直行し、他の魔女たちは買い出しにそれぞれ出掛けてゆく。
流石に畑と家畜だけでは十何人もの胃を賄いきれないし、小動物悪魔をお使いに出すわけにはいかない。
彼女たちが荷車をロバに轢かせて出てゆくのを見送って、ブレスはマリーの手伝いでもしようかとキッチンへ向かうが、使い魔たちが忙しなく動き回るので居場所がない。
「あ、こっちは大丈夫だよ。みんな宴会の準備は慣れてるから、フィーは好きなことしてて」
マリーにもさらりと断られ、手持ち無沙汰になってしまったブレスは、書庫へこもることにした。
この家にはあちらこちらに書棚があるが、二階には本の保管専用の小部屋があるのだ。
魔女の書架だから興味を惹かれるのではない。
マリーが〈古きもの〉だから惹かれるのだ。
〈古きもの〉の厳選された古い書物。
いったいどんな本が眠っているのか。
わくわくしながらドアを開けると、書架には先客がいた。
珍しい組み合わせだ。
「……協会長、先生。なにしてるんです?」
目があったときの気まずさといったらない。
なにやら密談をしていたらしいカナンとシルヴェストリの反応は両極端。
一方は無表情の笑みを貼り付け、一方は臭いものを嗅いだような顔をする。
そのままドアを閉めてしまおうかと本気で思った。
ところが顔を引き攣らせるブレスを前に、カナンは「君のことを話していたのですよ」と全く予想外なことを言った。
──さて、ここに椅子を向かい合わせて顔を突き合わせた魔術師が三人。
風精霊の混血にして〈古きもの〉のシルヴェストリ、主神サタナキアの血をひく四番目の神であるカナン、若年魔術師ブレスである。
ものすごく場違いな気がしたブレスが「やっぱり出て行きます」と控えめに挙手をして遠慮してみたが、鬼協会長は問答無用とばかりにブレスの首根っこを押さえつけた。
「俺はマリー様の古書コレクションを見にきただけなのに……」
「ああ、そうでしたか。実はヴェスターも同じ用でここに来たのです。師弟そろって勉強家とは、大変結構」
斜め横でカナンの言いようを聞いたシルヴェストリの顔が恐ろしいことになっているが、ブレスは見なかったことにして目を逸らした。
シルヴェストリは咳払いをして続ける。
「お前を伴って旅をする以上、お前の生まれや呪いについて話しておくべきだと思ったのだ」
「ああ、なるほど。確かにそうですね」
「まったく驚きましたよ。まさか君が亡国の王の落とし子だったとは」
「俺も協会長に聞いてはじめて知りました。とは言っても生まれた国はもうないので、もうあんまり関係のないことですが」
「……ほう。それが君の認識ですか」
なんだか気掛かりな言い方をするが、ブレスが気にしていることはそんなことではない。
「先生でも、俺にかけられた呪いは解けないんですか。俺にとっては、そちらの方がよほど重要なんです」
切実な願いだった。
底に穴の空いた水壺では困る。
魔力が貯まらないし髪も伸びない。
一刻も早くなんとかしたい。
カナンは白い指先で顎を撫で、そうだね、と思案げに呟いた。
「結論から言ってしまえば、出来ないことはないだろう。何かを終わらせることは僕の権能ではあるし。
けれど、先ほどヴェスターにも話していたのですが、いま君の呪いを解いてしまうのは、とても勿体無いことなのかもしれないのです」
「……もったいないって?」
何が何だかわからず、ブレスはただ困惑した。
「呪いで抑え込まれている君の力は、別の能力を生じ始めている、と僕には思える」
話を聞いてもさっぱり意味がわからなかった。
「すみません、俺でもわかるように話してくださるとありがたいです……」
「言霊だ」
と、シルヴェストリは無愛想に言葉を継いだ。
「お前には言霊使いの素質がある」
「……はぁ。言霊ですか」
明言されてもいまいちぴんと来ないのは、ほとんど自覚がなかったからだろう。
言霊、というもの自体はブレスも知っている。
簡単にいえば、言葉にしたことが本当になる、という力だ。
それは果たして、呪いを取り除かない理由になるほど大したことだろうか。
ブレスだって、カナンと旅を始める前にそんなことをシルヴェストリに言われれば、驚きもしたし喜びもしただろう。
なにしろ言霊は、大昔に失われた力のひとつなのだから。
しかしカナンと旅をし、魔女たちと過ごしたこの数日の間に、ブレスの認識は大きく変わりはじめていた
「すみません、的外れだったら訂正して頂きたいのですが、魔術はそれ自体が言霊のような性質を持っていますよね。
先生は以前魔術について、概念が浸透していることが大切で、究極的には信じれば叶うということだ、と言っておられました。魔女の方々も、己の力を疑わないことが重要だと言っていた。
言葉の力を信じることと己の力を信じることは、結局のところ同じだと思うのです。なので、言霊だけが魔術からはずれて特別扱いをされるというのは、腑に落ちないんですけど」
概念の浸透だとか力を疑わないだとか、言い方に違いはあれど、結局のところ意味は同じだ。
黙って話を聞いていたシルヴェストリは、深いため息をついた。
いささか疲れた顔の彼は、皺を寄せすぎてこった眉間を親指で揉みながら、エミスフィリオよ、と重々しく言った。
「お前の言うことも一理はある。しかし、全ての魔術師がただ己の信じた言葉やイメージのみで力を使うことが出来るというのならば、印や魔法陣はなんのためにあるのだ」
「……ですね?」
確かにその通りだ。
「話を聞いたが、お前はカナン殿が張った結界を言葉ひとつで解いてしまったそうではないか」
シャムス聖王国での出来事。
シャファクや子供たちと共にカナンが閉じ籠った〈白き塔〉でのこと。
氷の幻覚と結界、その魔術を確かにブレスは一言のみで解呪してしまった。
「開け」と。
「いやいや、あれは結界と幻覚だと見破れたからたまたま解けたんですよ」
「そうか、君は最古の魔術師であり神の端くれでもある僕の結界を、たまたま解けてしまったのか。それもたった一言でね。なるほどね、ふふ、そんなわけあるか」
怒られた。
貼り付けられた微笑の中でカナンの眼光が冷ややかに光っている。
カナンは静かに静かに怒るので油断ならない。
その「静かに」を突破すると、突然吹雪が吹き荒れて凍死体が出来上がったりするのだ。
いつのまにか全身に冷や汗が滲みはじめている。
ちらりと顔色を伺うと、カナンは呆れ顔だった。
「君はね、この世に存在する力に直接命令を下すことができるのです。君の言葉は強い。ある種の強制力を持っている。それは術者に従っていた魔力を己の言葉で上書きしてしまう、支配の力です」
支配の力。
その言葉を突きつけられた瞬間、ブレスは己の存在が揺らいだような感覚に陥った。
回視の儀式ではじめて過去を見た時と同じだ。
本当の自分が何者なのか自身がもてず、不安に押し潰されそうになるようなあの動揺と混乱。
「……そんなものが、呪いで魔力がうまく使えないからって、勝手に発生したと言うのですか。俺なんかの中に?」
「恐らく、お前の血が濃いためだろう」
シルヴェストリが呟くように述べる。
「ウォルグランド自体が、精霊たちと縁付いた魔力の血の濃い国だ。その国の王と女魔術師の間に生まれたのがお前なのだから、本来のお前が持って生まれた素質はそれ相応のもの。
その力が呪いによって抑え込まれているのだ。行き場を失った力は器から流れゆくしかないが、流れゆく過程で新たな力を生んだ」
「滴り落ちる水滴によって、つらら石や石柱が生じるように」
とはカナンの台詞。
鍾乳石を例えにされて、ブレスの中でやっと力の形の像が結ばれる。
「そのつらら石が、俺の未発達な魔術を補っている、と」
おおむねその通り、とふたりの魔術師は首肯する。
なんとなくではあるが、納得はできる。
「お前にしてみれば一刻も早く解呪して生まれ持った力を取り戻したいところだろう。だが、長い目で見ればいま言霊の力を伸ばしておけば、まず間違いなく魔術師としてのお前の強みになる」
「君が人間らしい年月で人生を終えたいのならば、特に必要のない力かもしれませんけれどね」
鼓舞するシルヴェストリと、牽制するカナン。
ふたりの話を聞きながら、ブレスはしっかりしなければ、と思った。
自分はなんと恵まれているのだろうか。
こんなにも真摯に助言をしてくれる立派な指導者が、ふたりもいる。
ならば彼らの気持ちに応えるためにも、自分ができる最大限のことをしよう。
「言霊の力を鍛えることにします」
己の決断を噛み締めながら、ブレスは言った。
「俺は言霊の力を持つ〈古きもの〉になります」
シルヴェストリはゆっくりと頷き、カナンは仄かに苦笑した。
「君がそう決めたのなら、僕との旅は君の力の糧になるだろう。ヴェスター、弟子の成長を見届けるのなら、貴方もせいぜい長生きすることですね」
「当分死ぬつもりなど無いわ!」
渋面を作るシルヴェストリに、ブレスは笑い出しながら思った。
本当に、この協会長には長生きしてほしいものだ。
その後カナンは本を数冊抱えて自室に戻り、シルヴェストリとブレスは魔女の書庫を思う存分堪能した。
マリーは想像以上に面白い本をたくさん溜め込んでおり、〈古きもの〉である協会長も関心したほどだった。
気づけば外は薄暗くなっており、日暮れの時も近い。
買い出しにでかけた魔女たちも、もうじき戻ってくるだろう。
サタナキアとその子らの神話を記録した書を片手にそんなことを考えていると、なにやら森が騒がしいことに気づいた。
獣が騒ぎ、使い魔のワタリガラスがギャアギャアと鳴きわめいている。
尋常ではない。
「何事だ?」
シルヴェストリも異変に気づき、窓際のブレスの横に立つ。
森が、とブレスがつぶや言いた瞬間、揺らぐ明るい光を見た。
松明の炎。
「嫌な予感がする……行かないと!」
焦燥感に突き動かされ、ブレスは書庫を飛び出して森へ走った。




