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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
5 魔女たちの饗宴
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39話 魔術回路の謎

 

 シルヴェストリとの話が済むと、ブレスは彼を魔女たちに紹介した。

 詳しいことは伏せたまま、上司であることと名がヴェスターであること。

 それだけだ。

 

 世界中のあらゆる場所から集った魔女たちに立場や経歴を安易に話すことは、危険である。


 これは魔術師同士である場合も同じだが、名を隠し変える仕事の性質上、話をしてみれば知らず知らずのうちに実は敵対していた相手だった、という事故は実際に頻発しているのだ。

 

 依頼者を介しての衝突ならばともかく、私怨を抱く魔術師や魔女が顔を突き合わせるとなると大層危険。

 故に、紹介は最低限にしておくに限る。


 意外にもシルヴェストリは人当たりよく振る舞った。

 普段の鬼の如き言動を封印した彼は、紳士そのものだった。

 

 普通の女であれば紳士的な男がいれば好ましく思うところだが、彼女たちは魔女。

 マリーが以前ブレスに言ったように「魔女は堅物に手を出さない」。


 にこにこと行儀よく愛想笑いを貼り付けて、下品な冗談もさらりと受け流すシルヴェストリは、魔女たちにとって水と油、目の上のたんこぶ以外の何者でもなかった。


 シルヴェストリはそれを知っていて、彼女たちが一番嫌がる男を演じていたのだ。

 本当にいい性格をしている男である。


 早々と彼女たちの前から下がる口実を得た協会長は、あてがわれた寝室にさっさと引き上げていった。

 その手際の良さと言ったら呆れるほど。


「あれがお前の上司」


 と可笑そうに笑ったのは書の魔女のみで、他の魔女たちはあからさまにうんざりした顔をしている。


「あんなつまらん男から、よくもまあこんなに素直で正直な弟子が育ったものだ」

「本当よね……取り付く島もないわ」

「間違いなく既婚者だ。しかも奥方が飼い主であの男が犬っころ。所帯持ちでも誑かせる奴は大勢いるけど、アレは無理」


 獣の魔女がとんでもないことを言い放ち、ブレスは危うく噴き出すところだった。

 協会長を犬っころ呼ばわりするとは思いもしない。

 

 しかも違うとも言い切れないのでたちが悪い。

 確かにフローリスはシルヴェストリを首輪で繋いで置ける、ただひとりの女性だ。


「ごめんってば。あたしが早とちりして呼んじゃったんだよね。遠くからきてくれたことだし、休む宿くらいは提供するのが情けってもんでしょ」


 マリーが酒盃をふりふりそう言うと、魔女たちも仕方がないねえと言う。


「そんなことより今日はこの子、一皮剥けた()()()フィーくんに乾杯しよう! 夕食は期待してくえたまえ。腕を振るうよ! 使い魔が」


 勝手なことを言い出した主人に小動物の悪魔たちは不満たらたらであったが、それも使い魔に下ったものの定めなのだろう。

 それにしても、使役か。


「マリー様に家に招かれてからずっと思っていたんですけど、使役ってやっぱりいいですよね。俺も夜の生き物と契約すべきなんだろうけど」

「えっ、いないの? 一匹も?」

「恥ずかしながら」


 ブレスが肩をすくめて頷くと、魔女たちは口々に「ありえない」だの「そんな馬鹿な」だの「どうやって生きてきたんだ」だのと好き放題に言った。


(いや、別に使役に頼らなくったって生きていけはする……)


 とブレスが思ったのは、魔術師だからなのだろう。

 困り顔のブレスを憐れに思ったのか、嵐の魔女が「あたしの悪魔一匹あげようか?」と提案した。

 

 ううん、悪魔はちょっと。


「ダメだよ嵐の魔女、フィーは魔術師なんだから。悪魔を使役にしたら、フィーが精霊に嫌われちゃうだろ」

「そっかぁ」

「豊穣の魔女よ。このあたりに夜の生き物の狩場はないのか」


 と訊ねたのは書の魔女。

 彼女はかつて女王だったためだろうか、威厳があり、他の魔女たちにも一目置かれているようだ。

 書の魔女への答えを、魔女たちは揃って待つ。


「そうだねぇ。ないことはないけど、初心者向けじゃあないかな。あ」


 何かを思い出したふうにマリーが声を上げる。

 酒盃を置いて部屋を出た彼女に皆で顔を見合わせているうちに、彼女はすぐに戻ってきた。

 

 腕に毛足の長い大きな黒猫を抱いて。

 

 初日、自動オルガンの演奏に文句をつけていたあの猫だった。

 黒猫はジト目でブレスを見下しながら、不機嫌に二本の尻尾をびたんびたんと振っている。


「この子はどう? 魔物……というか一応は妖精の括りだから、魔術師でも大丈夫だと思うんだけど」

「猫妖精……ケットシーですか?」

「そうそれ。妖精な上に長生きして二又(ふたまた)だから、こんなナリでもそこそこなはず。雌猫だから、ちょっと扱いが難しいけど」


 猫は無言だ。

 ただただ遺憾の意を表明している。


「……本人……というか、本猫の承諾は得られたんです?」

「この子、あたしが賢女だった時に使役にした子なんだ。だけど魔女になってからそりが合わなくなっちゃったんだよ。悪魔を使い魔にするようになってから、嫌われちゃった」


 マリーは寂しそうに黒猫を撫でた。


「ずっと解放されたがってた。でも、妖精とはいえずっとずっと飼い猫だったこの子を何の当てもなく解き放つなんて、捨てるみたいで気が引けてね。

 預けていいと思えるような魔術師の知り合いもいなくて、どうしようかと思ってた。だけど、フィーならいいかなって思ったんだ」


「マリー様……」


「お前もそれでいいだろう? あたしが気にいるような魔術師なんか数百年にひとりくらいだぞ」


 黒猫はなおも無言だ。

 とはいえ悪くはないと思ったのか、いつのまにかばたんばたんとうねっていた尻尾が止まっている。

 けして嬉しそうではない。

 でも。


『……ま、選べる立場じゃニャいわね』


 やがて黒猫はマリーの腕を抜け出し、音もなく着地するとブレスの膝に飛び乗って丸くなった。


 こうして黒猫はブレスの使役となった。

 名前はミシェリー。

 名を与えると、黒猫は仕方なさそうになさそうに一度だけ喉を鳴らした。


 撫でようと手を伸ばしたら気やすく触るなとばかりに噛みつかれたので、けして懐いたわけではない。




 その日の夕食と来たら、宴前なのが信じられないくらいのどんちゃん騒ぎ。


 マリーは「記憶が戻っておめでとう! 過去を受け入れておめでとう! 初めての使役もおめでとう!」と景気良く音頭をとって葡萄酒を飲み、何度も乾杯させては場を盛り上げていた。


 魔女たちは始終笑いっぱなし。

 つられたブレスも声を上げて笑う。

 

 嵐の魔女が酔い潰れて抱きついてきても気にしない。

 とにかくただただ楽しい夕食となった。


「あー、そういえば諸君。聞いてくれたまえ。うちのフィーがね、このあたしに訊いたのだよ。こんな生活をしていて魔術回路は壊れないのかってね」


 ほとんどの料理が平らげられた頃合い、酔いどれマリーがそんなことを皆に問いかけた。


「魔術回路ぉ?」

 と泥酔した炎の魔女が、くだをまく。


「あーあー、本当に魔術師ってのはお堅いわぁ。あんなの大嘘、でたらめ、根も葉もない!」


「まあ仕方ないんじゃない。そうやって形を与えてやった方が、教える側も楽だったんでしょ」

 貌の魔女がふふんと目を眇める。


「あのね、要は、どこまで信じられるかって話なのよ」


「昔はみんな当たり前に魔術を使ってた。五百年くらい前はね。なんで使えたかわかる? 精霊とか魔獣とかがどこにでもたくさんいて、彼らが当たり前に魔法を使うのを見て育ったからよ」


「あの獣に魔法が使えるのならば人間だって使えるはずだと、あの時代のひとたちは当たり前に思ってた」


「簡単なこと。疑わないから魔術は使えるの。少しでも疑ったらダメ。本当に魔術なんて自分に使えるのかって、少しでもそう思ってしまえば世界は力を貸してくれないの」


「でも、生活に制限をかけて修行僧みたいに何年もそれを積み重ねてきたらどう? こんなにがんばったのだから、自分にも、魔術が使える()()だ、と思わない?」


「そうそう。それも確信であることには違いないからねぇ」


 全ては思い込ませるための制限だった、ということだ。

 魔女たちの話には説得力がある。

 

 なぜならば、彼女たちは酒を飲み暴食の限りを尽くし鍛錬をせずとも、実際に魔術を使えるのだから。


「……それじゃあ、例えば俺がいまそこの葡萄酒を飲んだとしても、魔力は揺るがないと信じていれば、明日も魔術師でいられる……?」

「それはやってみないとわからないだろうね」


 試してみたい衝動に駆られたブレスに、マリーは釘を刺すように言った。

 貌の魔女が同意する。


「そうね。少しでも疑ったらダメなのだもの。軽はずみな気持ちでやるものではないわ。下手をしたら一生力が使えなくなるかも」


「あのね、坊や。あたしたちが魔女に落ちた後も魔力を失わなかったのは、どうしても使わなきゃいけない理由があったからなんだ」


 炎の魔女がにやりと笑い、怪談でもするかのように声を落として昔語りを始めた。


 かつて彼女がただの女だった頃。

 彼女は小さな村に住んでいて、魔術が使えることを生かし、人々の手助けをして暮らしていた。


 井戸の水を綺麗にする石の作成。

 安産のまじない。

 痛みを和らげる薬の調合。

 畑に虫がわかないようにするための呪い。


 人の為に、助けるために、彼女は己の力を使った。

 感謝された。

 生き甲斐があった。

 彼女は満たされていた。

 

 だからこそ、彼女は想像さえしなかった。

 小さな村でただひとり魔術を使うことができる彼女を、皆がどう思っていたのかということを。


「ある日、村に変な奴らがやってきた。そいつらは魔女を探していた。村を訪ねて回って、魔女がいたら殺す。そういう見回りをしている奴らだった。あたしは思いもしなかったよ。村の奴らがあたしを奴らに売るだなんて」


 今でこそ魔術師と魔女は明確に区別されている。

 当時はそうではなかった、という事情も要因のひとつだったのだろう。

 

 魔女を悪とした彼らは、猟犬が鹿を追うように大勢で彼女を追いつめ、皮を剥ぐように服を剥ぎ、磔にして火で炙った。


 彼女は悶え、喉が切れるほどに叫んだ。

 炎が髪に燃え移ったときのあの臭い。

 炎の向こう側で彼女を売った村人たちが見ていた。

 彼らは目の前で焼き殺されようとしている彼女を見て、嘲笑っていた。


 その時はじめて理解した。

 好かれてなんかなかった。

 感謝されてもいなかった。

 利用されていただけだ。


 ──異端者は異端者らしく、おとなしく暮らしていれば村に置いてやらないこともなかったものを。

 ──我が物顔で村を歩き、あちこち顔をだし、口を挟んで、なんと目障りな女だろう。


 彼女の中に流れ込んできたその声は、村人たちのものだった。

 昨日までは想像すら出来なかった彼らの本心が、熱風と共に彼女の中に流れ込んで来た。


 その時、目の奥で黒い炎が燃え上がり、瞬く間に血を巡って全身に広がった。

 それはかつて感じたこともないほどに強く、深く、暗く激しい憎悪だった。

 

 彼らを全身で憎悪する余りに、彼女は本物の魔女になったのだ。


  炎はもう肌を焼かなかった。

  彼女の肉体と魂に宿る魔力が、炎の精霊の力を上回ったのだ。

  やがて叫び声は、哄笑と呪いの言葉に変わった。

 

 村人たちはそんな彼女を見て、狼に追われる羊のように散り散りになって逃げていった。

 形勢は瞬く間に逆転した。


 磔にしていた十字さえ燃え尽きると、炎の魔女はそのまま村を燃やし尽くした。

 三日三晩、逃げる奴らを捕まえては火をつけて回った。


 絶叫しながら許しを乞う彼らを眺めながら、彼女はせせら笑った。

 彼らが彼女にしたのと同じように。


「で、あたしの復讐心が収まった頃には、あたしの魔力はなんの制限も受けなくなっていた。力を求める気持ちが、世界の制御をうわ回ったってわけさ。要するに、この世界の理を力技で捩じ伏せたってことよ」


 壮絶な炎の魔女の過去に、ブレスは絶句した。

 

 あっけらかんとした彼女の口調には、今でこそなんの憎しみも残ってはいないが、それはやるべきことを既に済ませていたためだったのだ。


「何が言いたかったかっていうとね。いまや人間が制限なしで魔力を使う為には、そのくらいの覚悟と支配力と必要性が要るってこと。

 頭で考えてるうちは無理だろうね。信じるとか信じないとかってのは結果の切り抜きに過ぎないんだ。

 どうしてもやる、って気概が重要なわけよ。坊やにそんな根性があるのかい?」


「……やっぱり、飲むのはやめておきます、葡萄酒」

「それが無難だね!」


 炎の魔女はけらけらと笑う。

 全く、恐れ入る。

 

「炎の魔女はすごいですね。そんな状況でも、一矢報いようと思えるだなんて」

 

「あたしなんかひよっこさ。それにこのくらいの迫害なんて、魔女だったらみんな経験してる。それを乗り越えたからこそ、あたしたちは魔女としてこの世界に存在しているんだ」

 

「うんうん。そうじゃなきゃ、闇に落ちた時の暴走で魔力が枯渇して死んじゃうからねぇ。訊いてみようか、この中で火炙りにされたことがあるひと手ぇあげてー」


 マリーの気の抜けた声に、その場合の全員が挙手をする。

 ブレスは改めて、生涯をかけて魔女とは争わないことを心に誓ったのだった。

 

 勝てっこない。


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