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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
5 魔女たちの饗宴
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37話 協会長きたる

 

 協会長に鬱憤を募らせそれを手紙にしたためようとしていたら、その翌日に当の本人が現れた。

 なぜか。


「えっとね、ほら言ったじゃない。フィーの報告書はあたしが出しといてあげるって。で、その報告書の宛名と、フィーが書こうとしていた手紙の宛名が一緒だったから、報告書をカラスに託すときに一緒に出したんだよね。魔女の宴の招待状を」


 誘いを断れば受取人が豚になる、という恐ろしい呪い付きの招待状である。

 あの見目麗しいシルヴェストリのもとに、そんなものを送ろうとは、なんという恐れ知らずの魔女だろうか。


「マリー様、なぜそんなことを……」

「フィーのためじゃん。相談は顔を合わせてやるものだ。あの男に相談したかったんだろ。あたしが呼べば九割九部、絶対に来る」


 以上が舌をぺろっと出したマリーの言い分。


 それはそうだろう。

 誰だって豚になどなりたくはない。

 だが、だがしかし。

 

 シルヴェルトリを相手にそんなことをしていたら、命がいくつあっても足りないのである。

 そこの所をこのマリー様はご存知でない。


 魔女たちに森で捕縛されたシルヴェストリはいま、ひとまず誤解もとけたため客間に通されている。


 魔女たちがいつもくつろいでいるリビングルームにいると、好奇心旺盛な若年の魔女たちにいじくり回されるので、その辺りのことを考慮した結果が客間であった。

 

 客間は比較的きちんと整頓された小綺麗な部屋で、紅茶を嗜む本などの非常識な物はいない。


 生真面目な協会長のことだから、「魔女の家になど入れるか」等と言い出したらどうしようかと思っていたが、彼にそういった偏見はないらしい。

 

 少々意外。

 されど胸をなで下ろしたブレスである。


 思えばシルヴェストリは〈古きもの〉。

 長い年月の中で魔女と関わることもあったのだろう。


「マリー様のお気遣いは本当にありがたいのですが、気持ちの整理はもうついてしまったんですよね…」

「だよねぇ。用済みなんだよ、あの魔術師」

「よ、用済み……」

「けど招いちゃったもんは仕方がない。来てくれたことだし、あの魔術師も客としてもてなそう」

「……でしょうね」


 マリーならそう言うだろうと思っていた。

 こうなっては仕方がない。


「とにかく、謝って事情を話してきます」


 それがいいんじゃない、と騒動の元凶はのんびりとしたものだ。


 マリーが入れてくれたハーブティーと洋梨を持って客間に入ると、シルヴェストリの視線が鋭く突き刺さった。

 探るような目をしている。

 

 赤い目が細められ、下瞼にしわが寄っている。

 目つきが普段の数割り増しで悪い。


「……」

「……」


 ティーカップを置き、洋梨の小皿を置き、蜂蜜の小瓶を置く。

 テーブルを挟んでシルヴェストリの斜め前に座る。

 

 さあ、謝ろうとブレスが口を開きかけた時、シルヴェストリの口が薄く開き、ため息と共に意外な言葉がこぼれ落ちた。


「カナン殿に置いていかれたのか」


 なんの話だと思った。


「報告書を受け取った。シャムスでの一件の後、あの方は去ったのだろう。

 おおかた路頭に迷い、魔女どもの巣窟に拐われてきた、といったところか」

「……ええと」


 まさかそんなことを言い出すとは思っていなかったブレスは、しばしシルヴェストリを気まずく見つめ、視線を彷徨わせ、そっと目を逸らした。

 

 まさか心配してくれているのだろうか。

 あの鬼協会長シルヴェストリが?


「招待状と共に報告書を寄越してきたのは、お前なりの救難信号だと読んだ。お前はうちの職員だ。私には助けに行く義務があると思い、風の精霊の力を使って最速で駆けつけた。

 だが、どういうわけか、お前はすっかり魔女どもに懐かれて、ここでの暮らしを満喫しているようではないか?」


 やっとシルヴェストリらしくなってきた。

 愁傷に心配されたり同情されたりするより余程気が楽だ。

 麗しの鬼協会長の唇が不穏に釣あがあり、尖った八重歯がチラリと見える。


「実はですね……」


 ブレスはこれまでの経緯を説明した。

 

 聖王国で古い友人を亡くしたカナン。

 遅々として進まない旅。

 突然遣いカラスがやって来て、豊穣の魔女の改名祝いに招かれたこと。


 〈不滅の人形〉たちに記憶が抜け落ちていることを指摘され、回視の儀式を行い、奇妙な夢を見たこと。


 夢の内容にまで話が及ぶと、シルヴェストリの様子は変わった。

 彼の中にあるものがなんであれ、他人が軽々しく踏み込んではならない事情があると見える。


「……それで俺は、夢の中に出てきた赤い目の人物が協会長なのではないかという疑いに取り憑かれてしまって。悩んでいても仕方がないから、手紙を出そうと思ったんです」

 

「私の元へ届いたのは、報告書だったが」


「書けなくて。なんて書き出したらいいのかわからなくて……部屋で煮詰まっていたら、その時マリー様がみんなに相談してみたらと言ってくださったんです。相談は顔を合わせてやるものだからって」


「……なるほど」


「結局、みんなに話を聞いてもらったら、すっきりしてしまったんですよね。そんな感じだったんですけど、マリー様が気を利かせて協会長を呼びにカラスを飛ばした後だったので、その……」


「私は無駄骨か!?」

「そうなんです。申し訳ありません!」


 ことの次第を把握したシルヴェストリは暫し茫然とした。

 ブレスの身を案じて飛んできてくれたというのに、全くの思い違いだった上、肩透かしを食らったのだ。

 無理もない。


 そうか、と苦虫を噛んだような顔でハーブティーを飲み、彼にしては粗雑な仕草で洋梨を口に放り込む。

 上司が手をつけたので、ブレスも彼に倣ってカップを手に取った。


 だいぶ温くなっているが、香りが良く、たいそう癒された。

 マリーの庭で育った野菜や薬草は出来栄えがいい。


 普段から葡萄酒で酔いつぶれている魔女の畑とは思えない。

 もっとも、畑の面倒を見ているのは、彼女の使役の小動物悪魔たちなのだろうけれど。


「しかし、宴が終わるまで帰れぬとなると協会の方が気掛かりだな。手紙くらいは出させてもらえるのだろうか……」


 シルヴェストリの心配はもっともだ。

 組織の長がろくに説明もなく血相を変えて飛び出していったら、緑の協会は大騒ぎになっているはず。

 

 あの協会はシルヴェストリの人望と実力と人使いの荒さ、もとい巧みさによって成り立っているようなもの。


「マリー様に頼めば、カラスを貸してくれると思いますよ」

「お前は魔女を舐めすぎだ。あの女どもに入れ込むと地獄を見るぞ」


 協会長は魔女に入れ込んで地獄を見た経験がおありですか? 

 訊ねてみたいのは山々だが、虎の尾は踏まないに限る。


「……魔術師ですから、確かにそうかもしれません。でも他の魔女たちはともかく、マリー様は信じても大丈夫なような気がします。あのひとは、カナン先生とも既知のようでしたし」


 なにしろ裸で抱きついて頬擦りするような間柄だ、とは言えないが。


「……そうか」


 何を考えたのかは定かではないが、苦い顔をしつつもひとまずは納得してくれたようだ。


「カナン殿はどこにいる」

「二階の一番奥の部屋です。たぶん、シャファク様の記憶の石を読んでいるのではないかと」

「そうか……」

「ちなみにですが、協会長のことはここではなんと呼べばいいでしょうか」


「ああ……ヴェスターでいい。みたところ半数以上は〈古きもの〉だった、私の名を知っているものもいるだろう。お前は」

「俺はエミスフィリオとマリー様に名乗って、フィーと呼ばれるようになりました」

 

「その名は、カナン殿が?」

「はい。協会に戻るのだから、協会長がつけてくれた名前は大切にしまっておいた方が良い、と」


 シルヴェストリは何度目かの沈黙の後、何度目かの「そうか」を呟いた。

 町と山と国を超える旅路を一日でやってきたのだ。

 きっと疲れているのだろう。


 マリーにお願いして寝所を借りようかと考えていると、シルヴェストリは深い深いため息をついた。


「いつかは、こんな日が来るのではないかと思っていた。来なければいいとも思っていたが」

「協会長?」

「町で生涯を終えるのならばいざ知らず、旅に送り出してしまったのは私だ。この責任は果たさねばならぬと思う」


 彼は、何をいっているのだろう。

 何を言おうとしているのか、というべきか。


「カナン殿がどこへ向かっているのかを私は知らない。だからこそ、万が一にもその国土を通過するようなことになった時のために、お前は知っておかなければならない。お前の出生を」


 息を呑んで身構えたブレスに向かい、シルヴェストリはそう長い話でもないが、と前置きをして語り始めた。


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