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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
5 魔女たちの饗宴
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36話 書の魔女の教え

 


 手紙を書くとは決めたものの、果たしてどう切り出したものだろうか。

 ブレスは悩み、迷い、ついには自棄(やけ)を起こした。


 もしあのローブの男が本当にシルヴェストリであるのなら、彼はブレスが何者であるのかを知っていてブレスを協会に置いていたのだろうか。


 その理由はなんなのだ。

 見張るためか。守るためか。

 この子を守って、と言った母の声が脳裏をよぎる。


 シルヴェストリはブレスにいつも厳しかった。

 冷たかったと言ってもいい。

 お前には才がない、感性が鈍い、魔術師には向いていない、と幾度悪様(あしざま)に言われただろうか。


 容赦がないのは他の魔術師たちに対しても同じだったが、到底「守る」相手に対する扱いではなかった、とブレスには思える。

 いくらブレス(祝福)の名を、与えてくれたとしても。


 ブレスはシルヴェストリを尊敬していた。

 かつての戦場での栄光を鼻にかけず、むしろ己への戒めとしているあの姿勢が好きだった。

 だからこそ裏切られたような気分だ。


 何度も手紙を書き損じ、ぐしゃぐしゃにした。

 机の上は丸めた紙が散乱し、まるでブレスの頭の中をそのまま表したかのよう。


 迷い、悩み、自棄を起こした結果、ブレスは気を落ち着かせるためにひとまず報告書を書くことにした。

 カナンとの旅の報告書だ。


 カナンに教わったこと。

 カナンの使役、テンテラのこと。

 カナンの正体。

 シャムス聖王国での出来事。

 つらつらとそれを書いているうちに、多少は気を持ち直した。


 こう客観的に物事をかえりみれば、カナンの方がよほど大変な思いをしている。

 取り戻した記憶のひとつで胸中をかき乱されている己が、弱く愚かに思えて苛立たしく、だからこそ冷静になれた、というわけだ。


「ねぇフィー、ねぇってばー」


 気の抜けた声に顔を上げると、窓枠にだらんと腰掛けたしどけない魔女の姿があった。

 相変わらず薄着で葡萄酒の杯を手放さない彼女は、拗ねたような顔をしている。


「あたしさぁー、言ったよね、ひとりで悩まないで相談してねって」

「ええ、ですから手紙で相談しようと思いまして」

「そういうのは相談っていわなくない?」


 ……そうだろうか。


「相談っていうのはさ、顔を合わせてするもんだよ。手紙を出してもそれは、えーと、なんつったっけかな。そう、お伺いだよ、お伺い。

 これこれこういうことがあったんだけどどうですか、って相手にお伺いを立てる時に書くものだろうが」

「……ちょっと、よくわかりませんけど。たしかに手紙、書こうとしても書けませんでした」


 マリーの言うことも一理あるのかもしれない。


「だろ? ……ん? じゃあ今なに書いてんの」

「上司に出す報告書を」

「えー。そんなのうっちゃってさぁ、あたしたちんとこにおいで? 気にしない気にしない、その報告書とやらはあたしが出しといてやるからさ」


 マリーはブレスから報告書を取り上げ、ちょいちょいと赤い爪でブレスの背後のドアを示した。

 意味がわからず、ブレスはドアを見、マリーを見、首を傾げる。


 マリーは窓枠から立ち上がり、歩み寄ってブレスの頭を抱きしめた。

 幼児(おさなご)のように髪を撫でられる。


「こういう時はひとりでいたらダメだよ。フィーが寝てる間に新しいお客も来たしさ、紹介したいし。それにほら、お前が口説いちゃった嵐の魔女がさ。儀式やったって知って、心配しているし。顔くらい見せてあげてよ。ね?」

「……はい。わかりました、マリー様」


 部屋にこもり、ひとりで煮詰まっていても仕方がない。

 ブレスは立ち上がり、マリーに手を引かれて部屋を出た。

 マリーの優しさがありがたかった。

 酔いどれだけど。




 客人が集うリビングルームへ入ると、魔女たちは話をやめていっせいにマリーを見た。

 彼女の言う通り、知らない魔女が三人増えている。

 彼女たちの横に立ちながら、マリーは次々に友人達を紹介した。


「この子は(かお)の魔女。で、こっちが身替わりの魔女。そしてこの子が、〈北の最果て〉からはるばる来てくれた、書の魔女」

「〈北の最果て〉から……? いったいどうやって」


 ブレスの知る限り、〈北の最果て〉と呼ばれる場所は、年間を通して雪と氷に覆われた遥か遠くに存在する不毛の地だ。


 そんな場所に人間が住んでいることも驚きだが、海を渡り、大陸をいくつも通過する数年の旅路を、いったいどのように乗り越えたのか。


「そりゃあもちろん、竜に乗って来たのさ」


 事もなげに、書の魔女がハスキーな声で言った。

 彼女は凝った装飾のキセルを手に、煙を(くゆ)らせてツンと細い顎を上げる。


「坊や、知らないのかい? 竜はこの世のどんな生き物よりも速いんだ。図体はでかいし、とてもそうは見えないだろうけどな」


「俺が竜について知っていることは、竜の血は生まれながらに歴史を知っているということだけです」


「へえ? じゃあ坊やは、竜の一番の秘密を知ってるのに、竜が速いってことは知らないのか。おかしな子!」


 書の魔女は煙を吐きながら喉をそらして豪快に笑った。

 人を食ったような話し方をするが、排他的な人間ではないようだ、とブレスは思った。


 座りな、と言う書の魔女に招かれて席に着くと、嵐の魔女が身を乗り出す。

 心配そうな目。

 眉を下げて、ブレスを覗き込む。


「ねえ、回視をやったんだってね。聞いたよ。平気なの」


 困ってマリーを見上げると、彼女は微笑みながら軽く頷いた。

 相談してみればいい。

 そう言っているような気がした。


「……正直なところ、あまり平気じゃないです。わけがわからなくて……」


 ぽつりぽつりと夢の内容をこぼすうちに、気づけば止まらなくなっていた。


 肖像画が並んだ立派な回廊、そのうちのひとつを父だと思ったこと、ローブを着た男と母の会話。

 戻っては来られない王、乗っ取られるという国。ガヌロンという名の首謀者。

 

 忘れた方が安全だと言う理由で消された、ブレスの記憶。


 話が進むにつれ魔女たちの口数は減り、困惑や思案や疑念の表情に変わった。

 それはそうだろうとブレスも思う。

 

 王だの国だのと、誰よりも当人であるブレスが混乱している。

 神妙な面持ちで考えこむ魔女たちの沈黙を破ったのは、


「へえ、驚いたなぁ。フィーってどっかの国の王子様だったの?」


 という気の抜けたマリーの一言だった。

 ブレスは困り果てて眉を下げ、「そんなはずないですよね」とマリーを仰ぐ。


「ま、王族かどうかは判らんが、地位ある人物の息子であったことは確かだろうな」


 書の魔女が煙を吐きながら思案げに言った。


「回廊があるような屋敷だか城だかに住んでいたようだし、壁に親父の絵が飾ってあったんなら、それは間違いなかろうよ」

「しかし、ガヌロンねぇ」


 と、おっとりと呟き、頬に手を当てたのは(かお)の魔女。


「偶然かもわからないけれど、ガヌロンという名の王が治める国はあるのよ。大陸の西側、海沿いの国なんだけど」


 誰か地図を持ってない? という貌の魔女に、水晶の魔女が巻き紙を差し出す。

 

 マリーがテーブルの上の食べ物や食器を押し退けて場所をあけ、貌の魔女が地図を広げた。

 つ、と貌の魔女が示したのは、海の向こう側にある広大な土地。


「ええと……ああ、ほら。ここよ、ここ。太陽の国、ヴィスターク帝国。ここの君主の名前がガヌロン。王っていうか、いまは皇帝だけれど」

「ああ、あの他国に喧嘩ふっかけて戦争するのが趣味の横暴な国か」

「そうそう。周辺にあった諸国は今やそのほとんどが帝国に飲み込まれてしまったということよ」

「ほう。ならばその坊やの記憶と一致する、というか矛盾はしないな」

「じゃあ、やっぱりこの子は帝国の暴挙に巻き込まれて……」


 視線が集まり、居心地の悪いことこの上ない。


「なんにせよ、過去は過去だ」


 書の魔女はキセルの吸い殻を捨て、なんでもなさそうに肩をすくめた。


「今のお前にはなんの関係もない。それとも、覚えてもいない父親の仇を取りたいか?」

「いいえ。そうは思えません」


 即答だった。ブレスは魔術師だ。

 たとえ今は弱卒でも、鍛錬を積んで己の限界まではその力を伸ばしたいと思っている。

 

 カナンとの旅もある。

 その全てを放り出して、海を渡るか。


 否だ。頼まれても嫌だ。

 だいたい、非現実的すぎる。


 書の魔女は頷き、キセルに新しくタバコを詰め、火をつけた。

 剣呑だった目元を微かに和らげ、彼女は淡々と述べる。


「それならば、お前の母親が記憶を消した甲斐もあったというものだろう。国も人も、滅びるものは滅びる。

 私や豊穣の魔女も、大昔は女王だった。だが時の(もたら)す運命の流れには勝てずに、結局国は滅びた。そういうものだ。

 お前の生まれがなんであれ、今の己に疑問がないのならば、それがお前の人生なのだろうよ」


 ブレスは書の魔女の言葉を噛み締め、頷き、彼女の教えを大切に胸のなかにしまった。


「勝手にひとの過去を暴露しないでほしいなぁ」と小言を言ったマリーが、彼女の指先からキセルを掠め取ってひと吸いする。

 煙の輪を吐き出して、さらに煙の猫を吐き出し、輪をくぐらせて遊び始める。


 書の魔女もマリーには甘いらしい。

 キセルを預けたまま頬杖をついて、マリーの煙を眺めながら口角を上げて葡萄酒の杯を取った。


 獣の魔女と水晶の魔女がマリーの遊びに目を奪われて歓声をあげはじめると、この話題はおしまいとばかりに他の魔女たちも各々好きにやり始める。

 

 やはり彼女たちは、笑っている方が似合う。

 魔女たちは実によく笑うのだ。


(ああ、確かに相談してみてよかった)


 魔女たちを眺めながらブレスがそんなことを考えていると、記憶の魔女と夢の魔女がとことことやってきた。


「取り戻したのは一晩ぶんの記憶だけ」

「続きはもう、必要ない?」


 空色と薄紅色、それぞれのガラスの目をブレスに向けて、彼女たちは問う。


「いちばん知りたかった部分がわかったから、回視はもう充分です。ふたりとも、ありがとう」


 ふたりの魔女は顔を見合わせ、ブレスを見上げ、ちょこんと膝を折っておじぎをした。

 

 この目をどうして怖いと思ったのだろう。

 ブレスは晴れ晴れとした気分で魔女たちの輪に加わった。




 そして、事件は翌日に起きた。


「侵入者だ!」


 森の中で誰かが大声で叫ぶ。

 すぐさまマリーが立ち上がり、例の如く勢いよくドアを開けてドアを壊し、庭を出る。

 

 魔女たちはマリーに追従し、釣られたブレスも彼女たちを追った。

 森と庭の境目に、獣の魔女と嵐の魔女と炎の魔女に囲まれて、ひとりの男が縛り上げられている。

 

 男は彼女たちに好き放題にやられたらしく、旅装束は土で汚れ、力尽きたようにフードを被った頭を垂れている。


「何者だ?」


 マリーが覚めた声で問うが、男は答えない。

 獣の魔女が旅装束のフードを容赦なく剥ぐ。

 若菜色の長い髪がサラサラとこぼれ落ちた。

 

 きれいな髪だ。

 というか、見覚えがある。

 まさか。


「……うぐぅ」


 相手を察して潰れた蛙のような声を出した瞬間、男がハッと顔を上げた。

 

 驚きに見開かれた魔物のような真紅の両眼は即座にブレスを捕らえ、ついでブレスの周りにいる魔女たちを捕らえ、徐々に吊り上がり──。


「……おい。これは一体、どういうことだ?」


 シルヴェストリは毒々しい殺気を全身から放ちながら、恐ろしい顔でそう言った。


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