表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
5 魔女たちの饗宴
35/162

35話 回視の儀式

 

 記憶の魔女と夢の魔女は、森の中の開けた地面に円と記号と描いて待っていた。

 魔法陣だ。


 魔術師は簡単な印を用いて日常的に魔術を使用するが、魔女は儀式のために魔法陣を使い、雑事は使役に任せている。


 マリーの話によれば魔女の使役の殆どは悪魔とのこと。

 悪魔は自らの意志で、自由に魔法を使う。

 

 そのため、魔女は儀式を行う時と緊急時以外は、ほとんど自らの魔力を使わないのだそうだ。

 要するに、普段は悪魔をこき使っているということである。


 記憶の魔女はブレスを手招き、無機質な声で告げる。


「今から回視の儀式を行う。省略して説明をすると、お前の中にお前の記憶を召喚する、ということ。故に触媒は、お前自身だ」

「お前は一晩だけ意識を失う。その間、夢に見たものがお前の過去だ」


 夢の魔女の言葉に、ブレスは頷く。

 記憶の魔女が記憶を召喚し、夢の魔女がそれを夢に見せる。

 

 なるほど、相性のいい魔女たちだ──とブレスが考えていると、マリーが言った。


「あの子たちはもともとひとりの魔女だったんだ。〈不滅の人形〉に詰められる時に、魂をふたつに引き裂かれたんだよ」

「ああ……だからいつも、二人一組で話すんですね」


 影の魔女は残酷なことをする。

 もうこの世にはいないと聞いたが、その所業が災いしたのだろうか。


 ブレスは記憶の魔女に招かれるまま、魔法陣の線を跨いだ。

 魔法陣は血で描かれていた。


 なんの血だ、と問おうと顔を上げると、近くの木にくびの無い鶏がつり下げられている。

 きっと今夜の夕食で美味しく食されることだろう。


「中心へ立て」

「眩しければ目を閉じればいい」


 指示に従って魔法陣の中心に立つ。

 魔術の印を体に記したことは数知れずあるが、印の中に入ったことはない。


 記憶の魔女が詠唱を始めた。

 鶏血で描かれた線から、ゆらゆらと影のようなものが立ち上る。

 黒い光だ。


「大丈夫。失敗はしない。お前はちゃんと、無傷で明日を迎えられるよ」

「はい、マリー様」


 不思議と恐れは感じなかった。

 記憶の魔女の声に、夢の魔女の詠唱が混じる。


 ふたりはそれぞれ違う呪文を唱えていたが、次第に似たような音が重なり始める。

 最後の一節は同音だった。


「開き、招き、閉じよ」

 

 黒い光が鮮血のように魔法陣から噴き出し、ブレスの意識は闇へ呑まれた。



 ⌘



 肖像画が幾つも並んだ回廊を、赤い癖毛の幼子が歩いている。

 楽しそうに、跳ねるように歩くその子供は、黒地に銀糸の刺繍が施された上等な服を着ている。


 明るくくるめく緑色の目を好奇心でいっぱいにしたその子供は、並ぶ肖像画の一番端で立ち止まり、首を逸らして絵の中の人物を見つめた。


 厳しい顔で描かれているけれど、本当はとても優しいことを子供は知っている。


 ──父上、いつになったら帰ってくるのかな。


 ふと母の呼ぶ声を聞いた。取り乱した声だ。

 母親の恐怖に駆られた声を聞いているうちに、子供は次第に不安になって駆け出した。


 ──母上、どこ? 母上! 


 叫ぶ。走る。

 どこかで誰かが、大勢が叫んでいる。

 正面から、ローブを着た顔の見えない男が剣を振りかぶって走ってくる。

 

 子供は悲鳴をあげて座り込んだ。

 剣がぶつかり合う激しい音がして、誰かが倒れる。

 目を覆った指の隙間に見えたものは、床に広がりゆく赤い染み。


 ──××××様、こちらへ。


 ローブを着た男が、怯えて座り込む子供をだき抱えて走る。

 喧騒、怒号、悲鳴、狂乱。

 その全てに背を向けて男は走り、子供は男の肩越しにその全てを見ていた。


 ──××××!


 母の声。


 ──ああ、よかった、無事だったのね、よかった……! 


 ──正門と西の門はだめです。ローランとユオンはやられました。

 ──……そう。ではもう、この子を守ってくれるのはお前だけだということ。


 ローブの男の腕から母の腕へ。

 子供は母の胸に垂れる豊かな黒髪を必死で掴んだ。


 ──王はなぜ戻られないのでしょう。ご帰還は昨日のはず。

 ──あの人は戻っては来られない。

 ──……まさか。


 母の声は硬い。


 ──先程占ったら見えたわ。もっと早くそうするべきだった。昨夜のうちに……そうすればこの騒ぎに巻き込まれる前に逃げることが出来たのに。

 ──首謀者は、ガヌロンですか。

 ──そうよ。この国は乗っ取られる。


 ローブの男は沈黙した。

 母に強く抱きしめられ、子供は苦しさに身を捩る。


 ──逃げましょう。一緒に来てくれるわね。この子を守って。

 ──……いいでしょう。ですが……ご子息の口から秘密が漏れる可能性がある限り、安らぎはない。

 ──どうしろと言うの。まさか……嫌よ! 

 

 ──貴女や私が死ねばどうなります。ご子息を失いたいのですか。何も覚えていない方が安全です。

 ──でも。

 ──幼いうちはまだいい。ですが万が一、成長したご子息が全てを知り、望んだら。どうなります。おわかりでしょう。命を救いたいのならば、側にいることは諦めなさい。


 母の啜り泣く声が聞こえる。

 子供は精一杯手を伸ばし、母の頬を撫でた。


 ──母上、泣かないで。

 ──……そうね。お前の言う通りだわ。忘れてしまった方がいい。ここでの記憶も、魔術の使い方も。大丈夫よ、怖くないわ……母様はだめね。

 ──母上?


 母の手のひらが目を、額を覆う。

 青い光で視界がいっぱいになる。

 眩しさに、子供は目を閉じる。

 ローブの男が静かな声で詞を詠唱する。


 ──ごめんなさい……許して。どうか、幸せになって。ごめんね……あなたを、守ってあげたかった。


 眠かった。眠気に抗いながら、どうしてこんなことをするの、と子供は思った。


 額から手のひらが離れる。

 眠りに落ちる間際、ローブの男が子供の顔を覗き込んだ。

 魔物のような真紅の眼。

 片目が白濁している。


 ──さようなら、私の可愛い××××。


 さよならなんていやだ。

 どうして、母上、どうして。


 母の泣き声を聞きながら、子供の意識は落ちた。




 ⌘



 気づけば、呆然と天井を見つめていた。

 ぼんやりとして、霞がかったように頭が働かない。


 その一方で胸の中には様々な感情が渦巻いている。

 散漫として、処理が追いつかなかった。


(……そうだ、儀式をしたんだった。目覚めたのか……)


 大きく息を吐き、吸う。気づけば頬が涙で濡れていた。

 あの女の悲しみのせいだ。

 女、母の感情が移ったせいだ。


 母親が泣いていれば、幼い子供は戸惑って、一緒に泣くことしかできない。

 本当にあれが、奪われて失った己の記憶だというのか。


「どうだった?」


 いつのまにか、マリーが寝台の端に座っていた。


「後悔したかい」

「……なんというか……自分が誰なのか、わからなくなってしまいました」

「うん。そっか。それで?」

「……夢で見た記憶の中に、見覚えのある人がいました」


 勘違いかもしれない。

 見覚えがあると言っても、顔を覗きこまれたあの一瞬を見ただけに過ぎない。


「その人に手紙を書こうと思います」


 意識を失う直前に見たものだったから、あの目は鮮明に覚えている。

 魔物のような真紅の眼。

 白濁した片目。


 そんな目を持って()()人間は、ブレスの知る限りひとりしかいない。


 人と風精霊(シルフ)の混血、魔術師協会協会長。

 その男は、シルヴェストリと呼ばれている。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ