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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
5 魔女たちの饗宴
31/162

31話 マリダスピルの招待状

 

 右側で栗毛の女が浴びるように葡萄酒を飲み、左側で隻眼の女が丸鷄の脚を満面の笑みで食いちぎる。

 

 斜め前ではカラスが女に話しかけ、その横では本が紅茶を嗜み、足元をネズミたちが文句を言いながらかけてゆく。

 

 集った食客は各々酒を飲み、笑い声を上げ、喧嘩をし、食器を投げて、騒がしいことこの上ない。


 好き放題する女たちに囲まれて、正面の椅子に腰を下ろしているのは赤毛の女。

 彼女は金色の両眼を甘くきらめかせながらチラリと裂けた舌を覗かせて、艶っぽくブレスを見つめている。


 全身にびっしょりと冷や汗をかきながら、ブレスは己の信仰する精霊に祈った。

 

(ああ、水と風を司りし古き森の精霊よ。どうか今すぐ助けてください……)

 

 無常なり、助けは来ない。

 こんな時にいちばん頼りになるカナンも、不在だ。

 どうしてこんなことになったのか。

 ことの発端は、数日前に遡る。



 ⌘



 シャムス聖王国を出て数日、ブレスとカナンは次の町を目指して歩いていた。

 進路をどのようにして決めているのかは、ブレスには全くの謎。

 

 気まぐれなのかもしれないし、眠りの魔法をかけてくれるという春の乙女プライラルムと、なんらかの方法でやりとりをしているのかもしれない。


 確かなのは、カナンは進路に迷うと時折木々にもたれて目を閉じ、しばらくすると迷いを失うということだ。

 

「木に行き先でも聞いているんですか?」と半分冗談のつもりで訊ねると、その通りだと真顔で答えられてしまった。


 シャファクの死を引きずっているのだろう、カナンは殆ど笑わなくなった。

 元々笑わないが、あの無表情な作り笑いさえ浮かべない。

 

 旅の道連れである魔術の先生がその調子なので、ブレスもカナンを気遣ってやれることはやっている。


 けれど一向にカナンの気は晴れない。

 そういうものだと理解はできる。

 数百年すれ違っていた友人が和解してすぐに死んでしまったら、ブレスだって落ち込むと思う。


 実際にはブレスはまだ十数年しか生きてはいないので、数百年の重みが実感できずにはいるけれど。


 カナンがそういう状態であったので、旅は遅々として進まなかった。

 脚の遅い人間を格好の獲物だと思ったらしい人喰い狼がふたりの後をつけ回し、ブレスは何度も襲われたが、カナンの反応は鈍かった。


 寝込みを襲われて危うく手を食べられそうになったブレスが泣きつくと、カナンはやっとテンテラを見張りに据えたが、このままではカナンが立ち直る前に冬が来てしまうのでは、とブレスは秘かに危ぶんでいた。


 そんなある日のことである。

 空の彼方からワタリガラスが舞い降りて、ブレスの頭に止まった。

 

 カラスは警戒心の強い鳥だ。

 餌が欲しいからと言って容易く人間によってくる野鳩とは違う。


 おかしなカラスは、ブレスの頭に止まるとカァと鳴いて脚を突き出した。

 カナンはその声に振り返り、一瞬奇妙な表情を浮かべた。


「じっとしているように」


 カラスに言ったのかブレスに言ったのかは定かではないが、カラスもブレスもじっとしていた。

 カナンはカラスの脚に括り付けられていた小さな筒を外し、筒の中身を確かめた。

 眉間に皺がよる。


「手紙ですか?」

「招待状だ」


 誰から、何に呼ばれたというのだろうか。

 何にしろカナンに寄り道の余裕はないはずだ、とブレスは結論づけた。

 

 ところがカナンは煩わしげにため息を吐きつつも、カラスに向かって「行くと伝えてくれ」と告げた。

 カラスは再びカァと鳴き、ブレスの頭を踏み台にしてばさばさと飛び立った。


 ついでとばかりに、ブレスの髪の毛を引き抜いて。

 ……嫌な予感がした。


「あの、先生。もしかして今のカラスって、使役ですか?」

「そうだよ」

「ということはもしかしなくても、手紙の送り主は……」

「君の想像通り、魔女だ」

「……うわぁ」


 カナンが「行く」と答えたのも道理だ。

 魔女の宴の招待状が送られてきたら、拒否権は無いも同然である。

 

 なぜならば、彼女たちの誘いを断る礼儀知らずの愚か者は、その姿を豚に変えられてしまうのだから。


 

 

 魔女。

 人間を誑かし、呪い、悪魔と密会し、魂を生贄に力を得て、世の秩序を乱す者。

 

 魔道学を学ばなかった者はしばし女の魔術師と魔女を混同するが、実際は似て非なるものである。


 一説には、女の魔術師が闇に堕ちると魔女に傾くと言われていて、それは概ね正しい。

 だが、そうでない魔術師でも魔女と似たような真似をする場合もあるので、魔女の定義は難しい。


 結局のところ、魔女を自称し、他者にも魔女と呼ばれたものが魔女である。

 そして彼女たちは大抵ろくなことをせず、悪徳を極めていることで有名だった。


「どうしても行かなくてはいけないんですか……? 先生は神様なんだから、魔女の呪いなんてどうとでもなるでしょう」

「僕はいいとして、君はどうするのです」

「招かれたのは先生なんでしょ?」


 カナンは無言で招待状を差し出した。

 宛名には、カナンの名の横に「赤毛の坊や」と記されていた。

 どうして知っているのか。

 

 がっくりと項垂れつつ、ついでに差し出し人の名前を見る。

 豊穣の魔女マリダスピル。


「ちなみに、この魔女と面識は?」

「なんとも言えませんね。会ったことがなくても僕の名前を知る者はいるし……忘却の魔術でこの姿の記憶を失っても、記録から名前は消せない。

 もしくは知り合いかもしれませんが、魔女はしょっちゅう名前を変えるので。ああ、もしかしたら改名祝いの招待状かもしれない」

「魔術師と魔女の習性の違いですね……」


 名前を変えるのは魔術師も同じだが、変えた名前をわざわざお披露目することはない。

 そもそも魔術師は、広まりすぎて困った時に名を変え、使い分けるのだ。


 魔術師は大抵、己の正体を隠すもの。

 魔女はどうやらそうではないらしいけれど。


「先生がその魔女の名前を知らないということは、招待状は新しい名前で出すんですか?」

「そう。送り主が誰かは、行ってみてのお楽しみというわけです」


 それはまた、心臓に悪い話である。

 

(そもそも俺には、魔女の知り合いなんかいないんだけど……)

 

 真面目に魔道学を修めて資格を得た魔術師にとって、最も近づいてはいけない存在が魔女である。

 彼女たちに関わってしまったが故に魔道を踏み外した者は、星の数ほどいるという。


 その魔女に、これから会いに行く。

 怖いもの見たさの好奇心が湧き上がってくるが、やはり忌避感も拭えない。

 

 とはいえ、カナンが一緒なのだ。

 きっと大丈夫なはずだ。

 と、この時のブレスは思っていた。




 何かに誘われるように、カナンは森に踏み入り道なき道を進んでゆく。

 いったいどうやって行き先を決めているのかと思えば、木々の間に黒い影がちらちらと見え隠れしていた。


 ワタリガラス、魔女の使い魔。


 頭上を見上げると、一羽や二羽ではない。

 見つけたものだけでも十数羽のカラスたちが、じっとふたりの魔術師を見下ろしている。


 そのカラスたちが、カナンの視線を受けると僅かに嘴の先を変えるのだ。

 こっちだよ、とでも言うように。

 カナンはその嘴の向きを見て、進んでいるのだった。


 森は鬱蒼と生い茂り、光を遮って薄暗い。

 岩は苔むしてあちこちに奇妙な形のキノコが生えていた。

 いつのまにか辺りには霧が濃く立ち込めて、足元を生ぬるい空気が流れてゆく。


 草むらや木々の中に潜む獣の気配。

 遠巻きに見つめるばかりで、逃げもしなければ襲いかかってもこない。


 突如ブレスの耳元でカラスが脅かすようにカァと鳴いた。

 思わず飛び退くブレスを見て小馬鹿にしたように小首を傾げ、ばさばさと飛び去ってゆく。


 本当にこんな場所に、人間が住んでいるのだろうか。


 魔術師が人間のくくりであるように、魔女も一応は人間のくくりであるはずだ。

 人間が住むにはこの森は深すぎる。

 この森は獣のものだ。


 ちらりとカナンの横顔を見ると、カナンはなんとも微妙な表情を浮かべていた。

 居心地の悪そうな、気まずそうな顔。

 こんな顔のカナンを、ブレスは見たことがなかった。


「……先生、もしかして相手の見当がついたんですね?」

「ああ。いいね、君の名前はエミスフィリオです。訊ねられてもけして協会から貰った名を乗らないように」

「また名前を握られるとまずい相手なんですか……」


 聖王を前にした時と同じだ。


「この世で一番名を知られてはならない女です」


 聖王よりまずい相手だった。


 とはいえ、カナンが表情らしい表情を浮かべていることを、今は喜ぶべきだろう。

 カナンには時間と気晴らしが必要なのだ。


 シャファクの残したエメラルドの記憶を読む時間と、それを受け入れる時間。

 魔女たちの宴が済めば、旅をしながらでもその時間を取ろう。


 ……もっとも、宴から無事に戻ることが出来ればの話ではあるが。


 それからしばらく森を歩いた末に、大きな庭付きの、小さな家が現れた。


 木の板を釘で打ち付けて繋ぎ合わせ、囲っただけの質素な柵。

 柵に囲われた庭は、半分が畑で、もう半分が家畜小屋。


 柵の外側にはヤギが数頭繋がれていて、なにかを訴えるかのようにメェメェないている。

 カナンはそれを見、なぜか憐れみの表情を浮かべた。


 家は木の家で、二階建て。屋根は深緑に塗られている。

 大きな窓が幾つもあったが、この暗い森ではいくら窓があっても光はほとんど入らないだろう。


 木の柵の正面には簡単な出入り口がついていて、その真横にはポストがあった。

 いったい誰がこんな森の中に手紙を出すと言うのだろう。


 カナンは慎重にその木板の門とポストを調べ、仕掛けがないことを確認して庭に入った。

 足元をチョロチョロとネズミがかけてゆく。

 うさぎが畑に野放しになっているが、野菜は荒らされないのだろうか。


 庭を囲う柵の大雑把さと反して、家は小さいながらも綺麗に作り込まれていた。

 

 つやつやとしたアーチドアには色ガラスが嵌め込まれて内側からきらきらと光がゆらめき、ドアノブには蝶の装飾が施され、薄く削られたオリーブグリーンの宝石が蝶の羽を彩っている。


 握る場所を間違えたらこの繊細な蝶の細工など一瞬で壊してしまいそうだ。

 そんなことを考えていると、ドアノブに止まった蝶の装飾が翅を震わせてひらひらと舞い上がり、霧深い森の中へ飛んで行ってしまった。


「……魔道具?」

「いや、あれはただの──」


 カナンが答えようとしたその瞬間、目の前のアーチドアがバンと音を立てて勢いよく開いた。

 外開きのドアはブレスの鼻先を殴打し、壁に跳ね返ってドアに嵌め込まれたガラス窓を粉砕して止まった。


 痛む鼻を押さえながらブレスは顔を上げ、ひとこと物申そうと口を開きかけて硬直する。

 燃えるような波打つ赤毛の女が、カナンに抱きついて猛烈に頬擦りしていた。


「ああ、ああ! 会いたかったよ、あたしの可愛い歌い鳥!」


 問題は、女がその豊満な肢体に衣服を身につけていなかったことである。

 動揺して言葉もないブレスをよそに、カナンは呆れ顔でその女の頭を気やすい仕草でぽんと叩いた。


「やはり君だったか。そんなことだろうと思った」

「そうだよぉ。豊穣の魔女マリダスピルが今の名前さ。長かったらマリーって呼んでね。さあさ、とにかくうちの中に入っておくれ。そこの赤毛の坊やも遠慮せずに。ね?」

「……はい……」


 どうしてカナンは下着姿のの魔女に抱擁されて顔色ひとつ変えないのだろう。

 ブレスは両眼を手で覆いつつもよろよろと立ち上がる。


 その様子を見たカナンが、「マリー、服を着なさい」と言った。

 ……遅い。


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