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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
4 シャムスの人柱
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26話 竜の記憶

 

 テンテラは竜の子供。

 蛇の魔物であるニーズヘッグの、先祖返りである。


 竜は現在、僅かな種を残して殆どが絶滅している。

 いまこの世に生きている竜といえば、主に三通り。


 一に、国家によって保護されている竜。

 ニに、〈古きもの〉と共に何百年も生き続けている、使役の竜とその血族。

 三に、先祖に竜を持つ魔物が変異を起こして、竜に返ったもの。


 一が最も多く、三が最も少ない。

 返った竜は蛹が蝶になるように脱皮を経て徐々に変体してゆくため、群れに産まれればその奇異な姿によって幼いうちに排除されてしまう。


 殺されずに群れから離脱したとしても、竜になるまで生き延びることは容易ではない。

 無事変体を終えて竜になったとしても、若く、己の力の使い方を知らない竜は密猟者にとって一攫千金の価値をもつ恰好の獲物だ。


(ニーズヘッグという魔物は、その名を持つ竜から派生した魔物だと言われている。たしか、古竜ニーズヘッグが魔女エキドナと交わって生まれた子供たちが、時と共に知恵を失って蛇の魔物に成り果てたのだと……)


 聖王の住まう白き塔から遠く離れた路地裏に座り込み、地面から頭半分だけ出して己を見上げるテンテラを、ブレスは半ば放心して見つめた。


 エキドナは、蛇の下半身と女の上半身を持つ異形の魔女であったと言い伝えられている。


 蛇の魔女と竜の交わりか。

 ただの神話かと思っていたが、本当だったのかもしれない。

 ああ、それにしても。


「疲れた……なんて夜だ。もうここで良いよ、あとは自分で何とかする。先生に礼を言っておいてくれ。助けてくれた礼を。それから、君はとても忠実でお利口さんで立派だったって」

(……下僕、テンテラのこと子供だと思っているだろう)

「違うのか?」


 ブレスは改めてテンテラを見る。

 言われてみれば、たしかに初めて見た時よりも顔つきが大人びて見えるだろうか。

 話し言葉もいくぶん流暢になっている──ような?


「いや、でも生まれて一年も……半年も経っていないはずだ。俺があの街で先生と出会った少し前じゃないか、君が孵化したのは」

(テンテラは竜の子供だ)

「うん、それは知っている。さっきも聞いた」


 地面から半分だけ出たテンテラの赤い目が、馬鹿を見る目つきに変わった。

 ブレスは思わず赤面する。

 ひよっこの魔物に見下される日が来ようとは、流石に心外である。


「いやだって、説明不足だろ!」


 フシュー、と独特なため息を吐いて、テンテラはズルズルと地面から伸び上がった。

 浅黒い肌の人間の上半身と鋼の翼が現れ、ついで鱗に覆われた艶やかな蛇の胴が覗く。


 座り込んだブレス見下ろすくらいの背丈で止まると、テンテラはとん、とブレスの額に己の額を押し付けた。

 ひやりとした冷たい肌。

 テンテラの言葉が、接触した額から染み込んでくる。


(竜の子供は受け継ぐ。血脈に連なる昔の竜の記憶と知恵を。鳥が飛ぶ事を知っているように、竜は世界の出来事を知っている。

 記憶は少しずつ蘇る。精神と肉体はそれに伴って成長する。テンテラはご主人と結び、ご主人はテンテラに血を与えた。

 それがテンテラの肉体と精神をたくさん成長させた。だから、テンテラはもう子供じゃない)


「……だとすれば、それは少し奇妙だ。あまりにも早すぎる」


 ブレスはテンテラの、真紅の両眼を厳しく見つめ返した。

 魔術師と使役の関係は一言では言い表せない。

 それは個人によって様々に異なる。

 

 殆どの契約は期限付きの主従、いわゆる雇用関係である。

 魔術師は魔物の力を借りる代わりに魔物に報酬を与え、目的を果たした後は魔物を解放する。

 

 当然ながら、己の力量に見合わぬ魔物を下すことは出来ない。


 しかし、長期間あるいは無期限の絆を結ぶ場合、使役と魔術師は友であり、または家族である。

 

 数百年を生きる〈古きもの〉は、死すべき者である人間と寄り添うことをやめ、使役の魔物を唯一無二の存在に位置付けることもある。


 親友、兄姉、弟妹、母子、恋人、伴侶。

 愛をもって添い遂げる存在。


「一朝一夕で成り立つ関係性じゃない。ましてや君は、大昔の竜の記憶を受け継いでいるのだろう。君は先生を主人と呼んでいる。


 たとえ先生が〈古きもの〉で強大な魔力を持った魔術師だとしても、竜が人間を主人だなんて認めるはずがない。

 どんな魔術師でも、自我に目覚めた竜を使役に下すことなど出来ない。


 俺は君が幼い子供だから、先生を親代わりに慕っているのだと思っていた。それならあり得ない話ではない。巣立ちの時期になれば先生の元を去ってゆくだけの事だ。


 だが、君はもう子供ではないという。わからない、どういう事だ? なぜ君は先生に仕える。何が君にそうさせるんだ」


 紅玉の双眸は品定めをするかのようにブレスを見降ろしている。

 瞳の奥には、見ようと思わなければ見えない彼の知性と思想が、火花のように爆ぜている。


 やがてテンテラはゆらりとブレスから離れると、再び地面に沈み込みながら言った。


(テンテラは血脈から受け継いだ記憶で、生まれたときからあの方の存在を知っている。

 〈古きもの〉は人間が作りだした言葉。あの方はその言葉が作り出されるずっと前からこの地上に存在している。

 テンテラのご主人は竜より古く、ずっと昔から存在する、在りて在るかた。ニーズヘッグの記憶を通して、テンテラはそれを知っている)


 馬鹿な。

 それは一体、何千年、何万年前の話だ。


 古竜ニーズヘッグと魔女エキドナの物語は、現在存在する蛇の魔物ニーズヘッグにまつわる逸話ではあるが、一般的には神話の類と認知されている。


 古竜ニーズヘッグの記憶を継承したテンテラが本当にカナンの存在を記憶に視たのだとすれば、カナンは神話の時代から存在していたことになる。


 得体の知れないものへの畏れが不意にこみあげ、ブレスは身を震わせた。


(ご主人は、下僕が納得しないなら石を読めと言っていた)


 ほとんど沈みかけたテンテラが、ブレスの足元から蛇の尾を突き出して告げる。


 尾には、カナンの目の色と同じエメラルドの石の首飾りが巻き付いていた。

 手にとって目を凝らす。

 宝石の中に銀色の印が光る、記憶の石。


(これを読んで納得したら、風の精霊の眷属の元へかえれ。テンテラはたしかに伝えたぞ……)


 つむじまで土に沈み、テンテラの気配が消える。

 カナンの元へ戻ったのだろう。


 ブレスはしばらくじっと息を殺して蹲っていたが、大きく深呼吸をするとやがて立ち上がった。

 

 そして、自らの手の甲に印を描いて人目を避ける術をかけると、夜を越す場所を探して歩き始めた。


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