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冬のカナリア とある魔術師の旅路  作者: 鹿邑鳩子
4 シャムスの人柱
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25話 すれ違いと脱獄


「おお、聖王陛下が根の国の淵よりお戻りになられたぞ!」

「奇跡だ、奇跡だ、神のみわざだ!」

「傷も塞がりかけている……」

「先王は正しかった。この方はたしかに、神々のご加護を得て──」


 興奮した人々の声が途切れる。

 シャファクは笑っていた。

 朦朧とした意識で塔の人々の言葉を聞きながら、唇を歪め、冷ややかな絶望を抱えて笑った。


 何が加護だ。違う。

 慈悲などではない。

 愛されてなどいない。


 生かされたのは、あの冬神を満足させるためだ。

 だれもが忌避する死に恋焦がれたシャファクを、失うには惜しいと思ったからだ。

 

 ほしくてほしくて仕方がない物を、それを造りだした当人によって、それを望むが故に取り上げられてしまった。


「ああ……本当に残酷なお方だ……」


 シャファクは忘れていた。

 父神サタナキアの四人の子供たちは、それぞれが美しいと思うものをこの世に造った。

 〈死〉を美しいと思う神が、残酷でないはずがない。


 思い通りになどなってたまるものか。


 長い年月を経た神への思慕に、一振りの怨みと反抗心が火花を散らして燃え移る。

 炎は皮肉にも、シャファクの中に生命への欲求となって広がってゆく。


 はじめて、生きてやろうと思った。




 カナリアとの夢は長い時間を経過させていた。

 冬は眠っている間に過ぎ去り、寒さに日の温かさがまさった頃、シャファクの塔へひとりの魔術師が訪れた。


 シャファクは一瞥するなり、苦笑を浮かべる。

 周囲に控えていた人々が、怪訝に顔を見合わせる。


「なにもそのように、人間の真似事などせずとも良いものを」


 素知らぬ顔で人の姿におさまっているその男は、編んだ白い長髪を背に流し、異様に輝く宝石のような緑の目を細め、天使のような微笑みをうかべて堂々と偽りを述べた。


「僕はカナン、魔術師だ」


 魔術は自然界に満ちる神々や精霊の魔法を、人間たちが模倣して作り出した力だ。

 魔法を使う者が魔術を模倣するなど造作もなく、また、異能の力を使う者が隠れ蓑として就く身分として、魔術師ほど都合の良いものはなかった。


 カナンは間もなく塔の管理者に力を認められ、魔術師たちの教官としてシャファクに仕えることになった。

 表向きは。


 カナンは塔の魔術師たちの教育の合間に、シャファクとよく話をした。

 サタナキアの四番目の子、冬のカナリアが、魔術師カナンとして人の世界を自由に歩き回っていることをシャファクは知る。


 誰が想像しただろう。

 世界を作り上げた神々のひとりが、人間に扮して地上を散策しているなど。


「天に居れば、地上のことなど一目でお分かりになるのではないのですか」

 

 なぜわざわざ人に混じる必要があるかと問えば、カナンは、


「父上のお言付けだからね。それに、窓から風景を眺めているのと、外に出て皆々と接触するのでは、ずいぶん実感が変わるだろう。

 なにより人間は面白い。多様性に富んでいる。環境や人種によっては、全く別の生き物のようだ。

 様々な習性、生活様式、慣習、そして人間同士の関わり合いのなかで生まれる喜怒哀楽、特別な絆。僕はそれを知るのが楽しいと思う」


 と答えた。

 見ているだけではわからないこともあるということか。

 

 否、単なる知識と実践によって得る経験の壁のことを言っているのだろう。

 シャファクは、神々とて万能ではないのだと知った。


「それにねシャファク、僕は冬の間はいやでも眠りにつかなかなければいけないんだ。

 

 冬に力の強まる僕が、冬の期間中に目覚めていると、世界の冬は猛威となってしまう。他の兄姉はそんなことはないのだけれど……冬に限っては違う。

 

 死ななくても良い命が死に、苦しまなくてもよい者が苦しむ。だから冬の間中、僕は自粛するというわけ。

 

 三ヶ月……そんなに眠りの森に閉じこもっていなくてはいけないのだから、目覚めていられる期間は自由にしていたいのだよ」

 

「眠りの森……」

 

「君と僕が出会った場所だ。あの森は冬眠中に過ごす僕の夢が作り出した世界だ。本当なら僕と古い生き物しか入ってこれないはずだった。でも、君は僕の夢のなかに入ってきた。

 

 だから僕は、君がただのつまらない人間だなんて思えない。縁が結ばれたことは確かだと思う。シャファク、僕は知りたいんだ、君という人間を」

 

「つまりそれが……面白いから?」

「そう。興味があるんだ。いけない?」


 煌めくエメラルドを真っ直ぐに向けて、カナンは無邪気に問う。

 シャファクはゆるゆると首を振り、初めてカナンの白い髪に触れた。


 人の姿に収まっていても、地面を引き摺るほど長い雪の色の艶やかな長髪。

 

 肉体から溢れ出る魔力の塊であるその髪は、血液のように流動する魔力によって脈打っている。

 シャファクにはない、力そのものだった。


「冬の君、私に魔法を教えてはくれませんか」


 唐突に言ったシャファクを、カナンはどう思っただろう。

 不意をつかれた顔をして、不思議そうに首を傾げる。


「人間に魔法は得られない。魔術ならいざ知らず」

 

「ですが、魔術は魔法を模倣して編み出されたもの。魔法の仕組みを知れば、魔道学もより進歩すると私は思うのです。

 今の魔道学は、すでに編み出された魔術を反復して使用しているに過ぎない。

 しかし、その仕組みを紐解くことが出来たならば、望むがまま──魔法のように魔術を操ることが出来る日が来るかも知れない」

 

「そうか、君も知りたいのだねシャファク!」

「ええ、貴方と同じように」


 知的欲求を満たす為だという動機は、なによりもカナンを納得させるものだったに違いない。

 カナンは喜んで様々な法則をシャファクへ教えた。

 

 その殆どが、人間には理解も実感もできない原理ではあったが、シャファクが分析と研究を続けた結果、シャムス聖王国の魔術力を格段に上げることとなった。


 通常の人間は、魔術に耐えうる身体を作り上げるために長い期間を鍛錬に費やす。

 だがカナンの指導はその肉体改造の効率を上げ、シャファクの研究は肉体に対する魔術の負担を軽減した。


 こうしてシャムス聖王国の作り上げた独自の魔術師集団は、周辺諸国への抑止力となってその実力を示し続けた。


「もうじき冬が来る。呼ばれている。僕はそろそろライラを探しにゆくよ」


 季節が秋に差し掛かった頃、カナンはそうシャファクへ告げた。


 病を克服し、すっかり名実共に国王となったシャファクは、隣国への親書を綴る手を止めて執務机から顔を上げる。


「春の君を? いったいなぜ」

「眠りの魔法をかけてもらう。冬の力を抑え込めるのは春の力を持つライラだけだから、僕が冬の間に間違っても目覚めないように毎年会いに行っているのだよ。僕が眠っていれば、この世の冬は穏やかになる」

「そう……」


 シャファクは再び顔を伏せ、白い羽ペンを静かに撫でる。


「寂しくなりますね」

「戻るよ。次の春と共に」


 カナンが旅立つその日、シャファクは塔の窓の前に立ってその白い姿が遠のいて行くのを見下ろしていた。


「貴方がお戻りになる頃には、この国もすっかり変わっていることでしょう」


 血色の目を眇め、シャファクは冷たく微笑む。

 シャファクから死を取り上げたあのカナリアへ、報復する時がやってきた。



 ⌘

 


 ──カナンは長く息を吐き、ゆっくりと目を開けた。

 窓の外はすっかり陽が落ちかけて、夕闇が迫っている。


「そう……やはり君は、僕を憎んでいたのだね」


 シャファクは日陰に潜むように椅子にかけて、いっときも目を逸らさずにカナンを監視していた。


 絶望、諦念、喜び、裏切りへの驚愕。

 打ちひしがれ這いつくばって、復讐へ執念を燃やす生き物と成ったその過程をまざまざと突きつけられているカナンを、彼はどんな心地で見つめていたのだろう。


「最後まで見て頂けましたか。今の私に至るまで」


「いいや、とても見てはいられなかった。これ以上、君が歪んでゆく様を見る意味がある? もう十分理解した。僕はただ、君の憎しみの根源を知っただけでもう十分だ」


「貴方はそうでしょうね。だが私は」


 言いかけ、シャファクは苦々しい笑みを浮かべて頭をふった。


「かけていました。貴方がこれを最後まで従順に見れば、貴方を許すことにしようと。もし拒否をすればその時は、貴方が最も恐れている事をしようと」


 カナンの表情が強張る。


「僕を監禁すると言うのか」


「そうです、冬までね。だってそうすれば春の君に会いに行くこともできず、貴方の意志とは関係なく訪れる冬の猛威によってこの国は滅びる。私は真っ先にあなたの側で死にましょう」


「駄目だ、シャファク。考え直せ」

「いいえ、これは貴方が己の罪を拒んだが故の報いですよ。自業自得だ」


 窓の向こうで陽が落ち、シャファクは立ち上がった。

 カナンは目の前に立った真珠の髪の男を、哀しげに見上げる。


「考え直すのは貴方のほうだ。石の記憶を最後まで見てください。たったそれだけの事ですよ、簡単です」


 唇だけで微笑み、カナンの額に口付けると、シャファクは静かに部屋を立ち去った。


 シャファクは口付けと共に魔術をかけていった。

 束縛の魔術。

 カナンの額にはタールのように黒い、禍々しい印が浮き上がった。


 カナンより学び、シャファクが強化したシャムスの魔術。

 強力であったとしても、単なる魔術師がかけただけではサタナキアの子を束縛するには至らない。


 しかし、シャファクのような〈古きもの〉であれば効力は増す。

 その生命を限界まで注ぎ込んだ術ともなれば、格別に強い。


 カナンを長く閉じ込めるほどにシャファクの命は削られていく。

 死ぬ覚悟を決めた者が自らの命を盾に、神の血をひく冬のカナリアを脅迫するとは。


 細く長く息を吐き、カナンは影のなかに潜む竜の子供の名をひそかに呟いた。



 ⌘



(……い、おい、下僕)


 微睡みの淵で誰かが呼んでいる。

 体力の消耗を少なくするために死と眠りの中間にいたブレスは、そのくぐもった少年の声に目覚めた。


 こんな地下の牢獄に、誰が何の用で来たというのか。

 冷え切った石の床に手を這わせ、蝋燭を探し当てる。

 

 先程まで灯っていた蝋燭はとうに燃え尽きていた。

 ひとりで舌打ちをして、蝋燭の表面に火を起こす印を爪で刻み始める。


 ところが印を刻み終える前に、目の前でぱっと火花が散った。

 突然目の前に現れた灯りに目が眩み、ブレスは思わず蝋燭を取り落とした。


 その蝋燭を拾い上げる手があった。

 死人のように青白く、鋭い爪の骨張った長い指。

 視線を上げたブレスの目の前に、ぬっと不気味な顔が現れた。


 寝起きでなければ悲鳴をあげていたに違いない。

 喉が凍りついている間に、ブレスは目の前の生き物の正体を思い出した。


「先生の、使役の蛇……? テンテラか?」

(テンテラの名を呼んでいいのはご主人だけだ)

「あ、そうか。ごめん」


 反射的に謝りながら、混乱する頭を必死に動かす。

 どうしてカナンの使役がここに? 


 カナン本人が来ないということは、使役を使わざるを得ない理由があるのか。

 すでにこの塔を離れてどこかに潜んでいるのか、もしくは。


(ご主人は捕まった。シャファクに束縛の呪いを受けて、あいつの許しがなければ動けない。白蛇の毒で動けないところをやられた)

「なんだって!」


 テンテラの淡々とした言葉に、ブレスはカッとなって叫んだ。

 テンテラの赤い目がぎらりと輝き、シューと音を立てて蛇の舌がひらめく。


 ブレスに内心を晒さぬだけで、テンテラのはらわたは煮えくり返っているらしい。


「ごめん、静かにする。それで、先生はなぜ君をここに?」

(テンテラは下僕を逃して、風の精霊の眷属のところへ帰すために来た)

「……つまりそれは、俺を協会長の元へ?」


 不快なものが眉間を流れ、ゆっくりと喉を伝っていく。

 唸る犬さながら鼻に皺を寄せたブレスに、テンテラは無表情に追い討ちをかける。


(ご主人は、下僕が嫌がるかもしれないと言った。嫌がった時は、この石を読んで事情を知れとも言った。知ったことは風の精霊の眷属に話しても構わないとも。とにかく、テンテラは下僕をこの国から出す)

 

「待ってくれ、俺の意思は? 君に黙って従ってやる謂れはないはずだ」

(ご主人の命令だ)


 不機嫌な顔を突き合わせて睨み合う。

 先に折れたのはブレスだった。

 

 協会に帰るかどうかは別として、こんな光も風も水も通らない場所にいつまでもじっとしていたら、意地を張っているうちに墓に入る羽目になる。

 とにかくここを出なければいけない。


「わかった。でも塔から離れたところまで連れて行ってくれればいい。その先は自分で何とかする。君だって早くご主人の元に戻りたいだろう」

(……わかった)


 テンテラの弱みをつくような卑怯な事を言った。

 これでまたテンテラに嫌われたかも知れないが、背に腹は変えられない。

 ブレスはこのまま協会に戻るつもりなど、毛頭ない。


「ところで、どうやってここを出るんだ?」


 そもそも、どうやってテンテラはこんな場所までやってこれたのだろうか。

 あの巨体で。


 思い立って蝋燭の灯りで蛇の胴体の辺りを照らすと、その体はほとんど石の床にしずんでいた。

 

 水のなかに佇んでいるかのように、テンテラは石の床から少年の上半身を伸ばしてブレスと話していたのだった。


「……たぶん、俺は君みたいに石の中を通り抜けたりすることは無理だと思うけど」

(テンテラは竜の子供)


 誇らしそうに胸を張ってテンテラは言った。

 正直、ブレスには意味不明だ。


(脱皮前だから竜ほど頑丈な鱗ではない。でも、こんな石の壁なんか比べるに値しないくらいには、テンテラは硬い)

「え? つまりそれって……」


 ブレスが言い終わる前に、テンテラは鉄格子に翼を叩きつけていとも簡単に牢獄を破壊した。

 鉄格子が枠ごと吹っ飛ぶ。

 

 その穴の前に立ったテンテラは、鎧のような翼を大きく広げると、ブレスに背中を差し出した。


(乗れ。早く)

「そんな無茶な!」


 正直泣きたい心境だったが、選択肢は他になかった。

 破壊音を聞きつけた見張りの男が、仲間を呼んで叫んでいる。


 ブレスは少年の腰と蛇の胴体の境目あたりに跨り、背中に垂れた青黒い髪を手綱がわりに掴んだ。


 本で得た知識によると、思念で繋がっていない竜の乗り手は、馬を操るようにたてがみを掴んで進む方向を指図するというが、それは幼獣でも通用するだろうか。


 テンテラは翼を窄めて背中のブレスを覆うようにすると、何の躊躇もなく石の天井に向かって突進した。


 引き攣った悲鳴が立て続けに巻き起こる。

 石床に突然穴が空いただけでも驚くだろうに、そのうえ怪物が飛び出してきたともなれば、か弱い人間たちは上へ下への大騒ぎ。


 連中にひどい扱いを受けていたブレスはいい気味だと忍び笑いをしたが、急な方向転換をしたテンテラに振り回されて慌てて背中にしがみついた。

 二度目の衝撃、今度は外に通じる塔の壁を突き破ったのだろう。


 不意にテンテラの翼が開き、ブレスの頬を夜風が撫でた。

 頭上に降り注ぐ月光。

 しばらくぶりの光を浴びて、心臓が温かみを取り戻していくのを感じる。


(跳ぶ!)


 風と共にテンテラの声が耳に届いた。

 ブレスはしっかりと幼竜のたてがみを掴み、身を低くして風の抵抗に備える。


 地を凄まじい勢いで滑っていたテンテラは、両翼を広げ一度限り大きく羽ばたいた。

 地面から跳ね返った風を翼に受け、テンテラは高く舞い上がる。


 長い蛇の尾を引き夜の空を泳ぐその姿に、追っ手さえもが立ち止まって頭上を仰いでいる。


 テンテラはそうして塔を取り囲む極彩色の家々と壁を跳び越えると、滑空して闇の彼方へと消えて行った。



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